シキの真タケのBL本は
【題】終演そして開幕
【帯】獣のような眼で見るな
【書き出し】そういえば今日の星座占いは最下位だった。
です
#限界オタクのBL本
https://shindanmaker.com/878367
そういえば今日の星座占いは最下位だった。
朝のニュース番組の、十分かそこらのコーナーを思い出す。新月の夜の様な目をした男が武道を見ていた。
嗚呼、終ったな。
瞬間的にそう思っても仕方の無い事だろう。連続殺人鬼か何かと言われても簡単に信じられる。そんな空気を纏った男だった。
武道のバイト先にふらりとやって来たその男は店長に話があるのだと言って奥へと入っていった。武道には止める勇気も義理も無かった。
中卒フリーターの武道をよく馬鹿にする店長は店の奥で彼女らしい女とサボっていた。武道がミスをすると執拗に詰り、童貞だと馬鹿にする癖に自分はこれなのだから同情はしない。
数分のオハナシアイの最中、店長の怒鳴る声と女の悲鳴、のち、家具が倒れる様な音がした。どうやら男は地上げ屋だったらしい。漏れ聞こえる会話からこの店の土地が買収されたという事だった。オーナーとは既に話がついているそうで、あとはゴネる店長のセットクだけだという。
職を失うのは哀れだけれど、素直に応じていればこんなことにはならなかっただろうに、と長いものに巻かれて十年弱経つ武道は鼻白んだ気持ちにもなった。
そんな事よりも、大事なのは自分の明日からの仕事だ。
家賃と光熱費を払えばギリギリ残った端金で食費を賄う生活に貯金などはない。哀れなのは店長よりも自分だと思い直す。もうここにいても意味は無いだろうと、店長に八つ当たりをされる前に逃げようかとエプロンを脱いだ時、男が奥から出てきた。
「あ? 逃げんの?」
「へ、え?」
従業員ではあるが経営に関係していない自分は地上げには関係無いだろうと思っていたのに、話しかけてきた男に武道は固まる。さながら蛇に睨まれた蛙とはこういうことか、とどこか暢気な脳味噌が考えた。
「ダメ、ですかね?」
ヘラリと笑うと男はニッコリと笑う。
「だーめ♡」
腕をとられ、武道は引き摺られる様に店の外へと連れ出される。何故こんなことになっているのかは分からない。
「ああっ、あの!?」
「何?」
「オレ、ただのバイトなんスけど!?」
誰かと勘違いしているのではないか、何かの間違いではないか。そうであってくれと願う武道を男は無表情に見下ろした。
「あー、お前はこの店とは別件」
「えぇっ⁉」
「つべこべ言わずついてきな」
「そんなぁっ⁉」
店の前に付けられていた黒塗りの車に押し込められ武道は半泣きになる。
こんな目に合う理由がまったく身に覚えがない。
隣に乗り込んだ男が鍵を掛けると共に車が動き出す。
運転手付きという事はこの男はそこそこ良い地位という事だろうか、と肩を組まれたまま武道は恐る恐る男を見る。
そんな武道を気にする素振りもなく男はどこかへと電話を掛け始めた。
「あ、ワカ? 例の、花垣武道、見っけた」
「……」
見付けた、という事は以前から探されていたのだろうか。
「おう、そのまま連れて帰るワ。ん、りょーかい」
ワケも分からないまま、自分はヤの付く事務所に連れていかれるらしい。何かの間違いであってほしいのに、男の口から出てきたのは間違いなく自分のフルネームだった。
闇金から金を借りたことも無ければ保証人になったこともない。印鑑を盗まれた事もない、ハズだ。自分と男達の繋がりが全く分からずに、武道は途方に暮れる。
いったい自分はどうなってしまうのかと涙が滲む。
そんな武道の様子を男はジッと見ていた。
「まぁそう落ち込むなよ。すぐにどうこうするってワケじゃねぇから」
「じゃあ何でオレなんかを……」
「実はオレも知らねぇんだ。お前を追ってんのはうちの組じゃなくて敵対してる新興反社」
「えぇっ⁉ それこそ身に覚えがないッスよ⁉」
「ま、詳しい事はオレみたいな末端は知らん。着いたらワカに聞きな」
「ワカさんって誰ですかぁ」
「俺の飼い主。組のお偉いさんらしいぜ」
「らしい、て」
末端、という待遇なのだろうかと乗り心地の良い、車種も分からない高級であろう車を見る。男の身なりは悪くなく、自分で運転しないで済む立場であるのに言っている事と姿がちぐはぐだった。
「オレはワカの子飼い扱いだから。私兵よ私兵」
そんな事を宣う男はどう見てもそんな器には見えなかった。
そうして連れていかれた事務所と思わしき建物に男はズンズンと入って行く。武道はその後ろをおっかなびっくりついて行った。
コツコツと革靴を鳴らして階段を上がる。薄暗い雑居ビルのいちテナントの入口で男は立ち止まった。
ガチャリと音を立ててドアを開ければギィと乾いた音が鳴る。
何かのポスターの貼られた衝立に遮られた中は入り口から様子を見ることはかなわず、慣れた様子で奥へと進む男を信じるしか武道に出来ることは無い。
「ワカ、戻った」
「ん、おかえり。真チャン」
男の帰還にその男は軽く手を手を上げてニコリと笑う。一番奥の上座ではなくその手前のソファで大股を開いて座る男は濃紺の長髪をハーフアップにし、残りの垂れ下げたままの髪を金色に染めていた。
ワカ、と呼ばれたその男はどちらかと言えば細身で、武道が持つヤクザのイメージよりもヤンチャなニーチャンという風貌に見えた。どちらにしても武道からしたら苦手な人種であるには変わらないため、緊張を解くことはできなかったが。
「で、ソレが花垣か」
「おう、地上げした店でバイトしてたのたまたま見つけた」
ジロリ、とワカが武道を見る。長い睫毛に縁取られたたれ目は優男風ではあるが、ヤクザには変わりなく武道はその視線に身を竦ませた。
「ふぅん……?」
品定めでもするようなソレは武道には恐ろしく、思わず男の背中に隠れようとしてしまう。
そんな武道を見てワカはニタリと嗤う。
「懐かれたじゃん、真チャン」
「いや……」
「ま、オレよりも真チャンのが怖いんだけどネ。本当は」
馬鹿にする、というよりはどこか懐かしさの様なものを感じさせる声色でそう宣ったワカは、またニコリと子どもでも相手にする様に武道に微笑み掛けた。
「ま、ワケ分かんないと思うから取り敢えずそこ座りなよ。オイ、ジュースでも出してやれ!」
「はい! 若狭さん!」
ワカというのは恐らく愛称だったのだろうと武道はそこで気付く。てっきり若頭の事かと思っていたがそうでもないらしい。
男曰く、男を子飼いにしている組のお偉いさんという事だったが、男をチャン付けで呼ぶ当たりかなり親しい間柄なのだろう。
「失礼します……」
恐々、男の向かいのソファに座れば男は定位置の様に若狭の後ろに立った。そして、室内にいた本当に下っ端らしい男が武道に缶ジュースを出し、若狭に茶を出した。
「飲んでいいヨ。別にそんなんで料金とろうなんてしないから」
「……ハイ」
カシュリとプルタブを開けて、甘い液体を喉に流し込めば存外乾いていたらしい喉が潤うのを感じる。いまだ緊張すべき状況なのは分かっているが、胃に何かが入ると少し落ち着いてしまう。
そんな武道を眺めて、若狭は口を開いた。
「まずは自己紹介からしよっか? オレは今牛若狭、この組のナンバー2って所。で、後ろにいるのが佐野真一郎。オレの子飼い……ボディガードって思ってくれれば分かりやすいカナ」
「は、い。オレは、その、花垣武道です」
恐らく、自己紹介などしなくても目の前の男たちは武道の事を知っているのだろうとは思いつつ、他に言える事も無く武道は自分の名前だけを伝える。
他に肩書などなく、目の前のやくざ者よりも自分が矮小な存在なのだと身に染みて実感してしまう。そんな自分が何故、こんな場所にいるのか。自分から聞いても良いものなのか分からず、武道はただただ若狭の顔を伺う。
「おっけー、武道チャンね。武道は何で自分がこんな所に連れ込まれてるのかとか分かる?」
「すみません。分かんないです」
「だよね。オレも意味分かんないもん」
ハハハ、と若狭は乾いた笑いと大げさなジェスチャーで無責任な事を宣う。
じゃあ何で、と武道が非難する気持ちで若狭を見つめた時、事務所のドアが再び開いた。
「オイ今牛! 連れて来たぞ!」
乱暴に開けられたドアに相応しい乱暴な声で、武道がイメージするヤクザに相応しい厳つい男がドスドスと足音を立てて歩いてくる。
その後ろに、そんな男達に似つかわしくない可憐な少女がテクテクと付いてくる。そして、その少女の更に後ろには緊張した面持ちの育ちの良さそうな少年がいた。
「あ! 喪部碕さんありがとうございまぁす!」
先ほどのフランクで偉そうな様子とは違う、媚びたような、むしろ馬鹿にした様な声色で若狭が返事をする。すぐにソファから立ち上がって男のジャケットを受け取った。
「あ? コイツが花垣か」
若狭に世話されるのを当然の様に受け取り、喪部碕と呼ばれた男は武道を見降ろす。
その眼光にビクリと身体を震わせるが、喪部碕はすぐに興味を失った様に視線を逸らし上座の席に座った。恐らく、この男がこの組のトップなのだろう。
「じゃ、役者も揃った事でさっきのお話の続きネ」
「あ、はい……」
喪部碕に付いていた少女は武道にニコリと笑いかけるとその隣に座ろうとするので、武道はソファの隅に身を寄せた。
そして、少女と少年が武道と同じ側で若狭に対峙する。
「その二人はお前と同じ立場の一般人だから緊張しなくてイーヨ」
「はい。えっと……」
お嬢とかそういうのなのだろうかと恐々していた武道を見て、少女はクスクスと笑う。
「久しぶりだね、武道くん」
「え?」
「私、中学の時の同級生だよ。話した事は無かったけど」
ふわり、と花が綻ぶ様に笑う少女は確かに武道と同じくらいの年頃に見えた。そうして、武道は自分の記憶の中からかすかに残る記憶を引っ張り出す。
明るい橙色の髪に、大きな瞳、口元のほくろ。間違いなく美少女と言えるその少女は、武道が通っていた中学のマドンナ的存在だった少女と一致していた。
「あ」
武道が思い出した事を察して、少女はニコリと笑う。
「橘日向、ヒナって呼んで?」
「あ、はい……」
突然の美少女との邂逅にドギマギしつつも武道は内心で警戒を増す。コレは美人局などの類なのではないか、と。
残念ながら今の武道にはこの少女との接点が思いつかなかった。
「あ、こっちは弟のナオトだよ」
「……」
紹介された弟は日向よりも不愛想で、武道に対しても警戒した様な表情を崩さなかった。武道としてはそのくらいの距離感の方がいっそ安心感がある。
「自己紹介も終わったナ? じゃ、本題に入るヨ」
若狭の言葉に、日向も居住まいを正した。いったい、この三人が何故、ヤクザの事務所などに呼ばれたのか。
車の中で、真一郎が話したのはこの組ではなく、敵対する振興反社が武道を探しているという事だった。では、この少女たちはいったいなんなのか。
「まず、結論から言えばお前等は囮で、人質だ」
緊張した面持ちの武道に若狭は説明を始めた。
曰く、若狭達の所属するヤクザのシマでオイタをする半グレのグループがいたのだと。この事務所の更に上の組織、本家からすればまだまだ小さい振興組織であり、そこまで気にしていなかったが、あっという間に勢力を拡大し、組の不利益になり始めた。
数年前まではガキ同士で小競り合いしていた様な可愛らしい奴等だったが、族を抜けられずにそのまま自分たちの組織でこちらの世界に台頭してきたらしい。
礼儀知らずで金儲けばかりが得意な無礼者。
それがやくざ者からのソイツ等の評価らしい。
どうにかしてソイツ等を自分たちの下に置きたいが、今の所手立てが無いと言うのが現状だった。それほどまでにソイツ等は上手くやっていたらしい。
そんな中で唯一、奇妙な情報が入った。
ソレはその組織のとある男が人を探しているらしい、という事だった。その男は振興組織のナンバー2で参謀という立ち位置にいるらしい。名を稀咲鉄太。組織の中ではかなりのキレ者で、もしもこの男の弱みを握る事ができたのならそれだけでもかなり交渉がしやすくなる。
稀咲が探しているのは二人。
一人は橘日向。こちらの所在は既に稀咲に知られてしまっている。警視庁の刑事の娘である彼女が何故か半グレモドキに狙われていると知った父親が組織犯罪対策部の同僚に相談をした結果、彼女を隠すため敵対する暴力団と手を組むという流れになったそうだ。勿論、その事は父親には秘密である。
もう一人は花垣武道。こちらは一切の情報が無く、日向が情報を提供するまでは全く謎の男だった。稀咲が幼い頃に影響を受けた男だと言うその男は、中学までは日向と同じ学校に通っていたが、その後の足取りは掴めなかった。
しかし、蓋を開けてみれば中卒のフリーターとしてダラダラとバイトをして過ごしていた。そこを偶然、若狭の子飼いが見つけたと言う流れだった。
武道はその稀咲という男に全く覚えが無かった。
その話を聞いても、何故自分が、という疑問しか湧かない。幼い頃に影響を与えたというのも一切身に覚えが無かった。同級生だった日向の事すら思い出せなかったのに、更にその前の事など覚えていられないし、幼稚園の頃辺りまで振り返っても稀咲という名前に心当たりは無かった。
ソレを素直に口にすれば日向は苦笑いの様なものを浮かべた。
「うん、武道くんは稀咲くんのこと知らないと思う」
「え、そうなの?」
「うん。だって、稀咲くんが武道くんに会ったの、ヒナが小学生の時に高校生の男の子達に乱暴されかけたのを武道君が助けてくれた時だけだもん」
「えぇ……?」
日向を助けた事すら身に覚えが無く、武道はただただ困惑する。小学生の時に、高校生に勝てた事など無かったハズだ。
その武道の困惑を日向は悟り、再び苦笑いをする。
「ヒナの代わりに武道くんがボコボコにされちゃって、私も稀咲くんもその時は何もできなかったよ。でも、助けてくれたのが嬉しかった」
「あ! 病院送りにされた時の!」
そこまで日向に説明されて、やっと武道はいつの事なのか思い出した。確かに小学生の頃に、女の子を庇って高校生に病院送りにされた事があった。
その時の事はあまり覚えてはおらず、親に泣かれた事と酷く痛かった事だけを覚えていた。あの時の女の子が中学でマドンナをしていた事すら気付いてはいなかった。
「あれがね、私と稀咲くんの人生の転機だったと思う。私はあの時の後悔から本格的に空手を習って、今は大学生なんだけど、警察官になりたいな、って思ってるの」
「……」
「けど、稀咲くんは違ったみたい。中学入ってもしばらく武道くんは不良やってたでしょ? だから、稀咲くんも不良を目指しちゃったみたいなの」
「えぇ……?」
ショッキングな出来事を乗り越え、立派な将来を描いた日向の事は素直に凄いと思ったのに、その後に続いた言葉に武道は再び困惑する。
いつの間にか自分はストーカー被害に遭っていたらしい。当時は全く気付いていなかったが、知ってしまえば気持ちが悪いし、未だに執着されているなんて恐怖しかない。
そんな武道に同情の視線を送るのは若狭とナオトであり、日向は稀咲の気持ちもちょっと分かる、みたいな納得表情をしていた。若狭の背後に控える真一郎の表情は読めない。
「マ、そんなワケで、日向チャンと武道チャンはウチの組で保護して、その稀咲って奴との交渉カードになってもらうワケよ」「なっ……! あ、ぅ、はい……」
そんな勝手な事を、と一瞬だけ考えて、武道は考え直す。
振興反社のナンバー2に狙われているなんて状況で一人で放っておかれる方がよほど不味い事になるだろう、と。
今の今までは偶然見つからなかったが、顔が割れているのならいつ稀咲に見つかってもおかしくはない状況だ。
中学では不良ごっこをしていたが、途中で喧嘩に敗けて再び病院送りにされてからはすっかり心が折れてしまった。その中途半端な素行不良のせいで内申点は無いようなものだったし、勉強は好きじゃなかった。名前を書けば合格できるような馬鹿高に行っても良かったが、そんな所にいる不良に敵うワケもないと中卒でフリーターになる事を決めた。
お金を貯めて、何かしたい事があった気もするが、カツカツのその日暮らしをしているうちに何をしたかったのかも忘れてしまった。何度か家賃を滞納してホームレスの様な暮らしもしたこともある。恐らく、そのお陰でストーカー男が自分を見失ったのだろう。
しかし、今までと同じ暮らしをしていれば見つかるのは時間の問題だろう。
そんな武道の葛藤を若狭も察したのだろう。ニコリと笑って話を推し進めた。
「じゃ、そういうワケで丁度、武道チャンも職を失った事だし、まぁ事が済むまでは軟禁ね」
「軟禁なんですか⁉」
「当たり前ジャン。外なんか出歩いたらナニされるか分かんないよ? 日向チャンも基本、組の部屋で弟クンと二人だし、今日だって外出てくるためにVIPの喪部碕さんに護衛してもらったんだヨ?」
ちらり、と上座の社長デスクを見れば喪部碕はギロリと武道を睨んだ。
ビクリと身体を震わせて、なぜ自分が敵意を向けられなければいけないのかと困惑する。ヤクザと知り合いになる機会など今まで一度も無かったハズだ。
「喪部碕さんはこの件にあんまり乗り気じゃないからネ。本家の若頭がオレに直接この案件ぶん投げてきたから手伝ってくれてるだけ」
「えぇ……」
ソレは若狭が組のナンバーワンである喪部碕を押しのけて上から気に入られているから気に食わないのでは、と邪推しつつ、ヤクザの組織もドロドロしているのだなと武道は微妙な気持ちになる。
「まぁ、上が欲しいのはオレよりも真チャンだと思うけど。そんなことよりも、これからのお前の身の振り方ダヨ」
不機嫌そうに頬杖をついて盛大に舌打ちをする喪部碕を無視しつつ、若狭は武道に話を戻す。
「とりあえず、組の持ってる部屋でテキトーに過ごして」
「テキトー……」
「そ。俺達が一番困るのはお前が勝手に出歩いて勝手に殺される事。別に死んじゃっても良いけど、そしたら貴重な交渉カードが一枚なくなるって話」
「……」
分かっていたことではあるが、自分の命には本当に価値がないのだと武道は思う。
親に大切に思われて、守るために預けられた日向とは違い、武道の役目は武道をストーカーしていた男への交渉材料でしかない。ソレは日向にも同じ役目があるが、恐らく日向を使って交渉してしまうと警察と組で問題になるのだろう。
だから、日向から武道という情報を引き出して、武道を見つけ出したのだ。
最悪、死んでしまっても問題が無い存在。
交渉内容によっては武道はその稀咲とかいうストーカー男に引き渡されるのだろう。その後、何をされるかは全く想像がつかないが碌な事にはならないハズだ。
それでも、稀咲が武道を殺害目的で探しているのなら、外にいるよりは交渉がまとまるまでは武道の命の保証がされる。
今、外を出歩いていたら突然駅のホームで背中を押されたり、通り魔に襲われたりする可能性が十分にある。
どのみち、武道に選択肢などは無い。そも、このヤクザの事務所から逃げる事さえ武道にできはしない。
「分かり、ました……」
「うん、良い子だネ」
ニッコリと笑って若狭は武道の頭を撫でた。頭を撫でられる事も、褒められる事も数年ぶりだ。
中学を卒業してフリーターになってから、ずっと叱られて生きて来た。その前からあまり褒められる様な生き方をしていなかったため、下手をすると小学生ぶりかもしれない、と武道は思う。
その内容が、こんなことで良いのかと言う気持ちと同時に、成人したのだから、こんな事でもなければもう二度と褒められる機会などないのだろうなという気持ちが湧く。
それに、未来ある日向がそんな変態の交渉材料にされるよりは自分がなった方が良いに決まってる、と武道は思う。
長いものに巻かれてきた人生だった。最期に女子の役に立つのならソレはソレでありなのではないか、と。
未来が怖くないかと言われれば怖いに決まっていて、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。しかし、自分が逃げれば女子が犠牲になると分かっていて逃げ出せるほど、武道は心が強くなかった。逃げれば、死にたくなるほど後悔すると分かっていた。
「さて、どこにするかなぁ。気が変わって逃げられたら困るから常に組の誰かに見張らせることになるケド」
「……」
信用が無い、と武道はしょっぱい顔になるが今日あったばかりの他人から信用されているハズが無い。しかし、女子を生贄に自分だけ逃げるような奴に見えるのか、と思うと悲しい気分だった。
「ワカ、オレが見張ってるか?」
「あれ、真チャンが自分から仕事欲しがるなんて珍しいネ」
ずっと黙って話を聞いているだけだった真一郎がヘラリと笑い、軽く手を上げて進言した。
「喪部碕さんはその女子の接待で手一杯だろ。弟がいるからって他の男と一緒にはしたくないだろうし、ソレで揉めても困る。だったら、組で浮いてるオレがやった方が良いんじゃないか?」
「まぁ真チャン基本仕事してないケドさぁ……」
「ワカ、俺より強いんだから護衛なんていらないだろうし、オレが必要な時は適当に手錠でもかけとくし」
「オレが真チャンより強いとか言う戯言は置いといて。まァ、ソレが一番楽だよねェ」
真一郎の言に若狭は頬杖をついて、何やら考える様な素振りを見せた。
真一郎は若狭の子飼いであるため、組の仕事は無い。そのため、手が空いていると言えば空いていると言える。しかし、これから振興組織と交渉し、抗争するかもしれない時に真一郎を傍に置いておけないのは痛手でもある。
花垣武道は大事な交渉材料だ。そして交渉を任されているのは若狭であり、鉄砲玉が飛んでくる可能性は若狭にも十分あった。その時、一番若狭が信用できるのは真一郎である。
しかし、交渉材料の保護を任せるのに一番信用が出来るのもまた真一郎であった。
橘日向は警察の娘であり、組の若頭の方で既に組対の方と保護する代わりに何かしらの契約が成されているハズだ。真一郎の言う通り、喪部碕がしているのは護衛であり接待でもある。その点において、橘日向が危険に晒される事はまずない事だ。
しかし、花垣武道は違う。若狭の部下に任せても、喪部碕の部下に任せても手荒に扱ったり軽んじたりする可能性は大いにあった。下手をすれば若頭じきじきに依頼をされた若狭をねたんでわざと失敗する様に仕向ける阿呆がでないとも限らない。
「……」
真一郎は基本的にやる気が無いが、こういった機微には聡い男だった。燻ぶっているとも思っているが、若狭は真一郎に全幅の信頼と信用を置いている。
能力は十二分にあるのだ。組にしっかりと入れば重要なポストに就く事もできるし、何ならトップを狙うことだってできる。今回、若頭が若狭に依頼をしたのだって真一郎を子飼いにしているからだと若狭は思っている。
そんな真一郎が珍しく自分から進言した事だ。
恐らく、その判断は間違っていない。ただ、自分以外のの男の傍に真一郎が長くいた事が無いため、ソレが真一郎にどんな影響を与えるか分からない事が気がかりだった。
「あー、うん。まァ、いっか」
「……」
鬼が出るか蛇が出るか。あわよくば真一郎が鬼に進化してくれれば最高だ。
武道の歳の頃は二十かそこらだろう。
真一郎の弟が生きていたらそのくらいだったはずだ、と若狭は武道を眺めた。彼の弟とは全く違うタイプの男であるが、自分からその年頃の男の面倒を見るなどと言うのだから、恐らくは何かしらを感じているのではないかと若狭は思う。
もしそうでなくても、今回の案件ではこれが最適解のはずだ。
「じゃあソレは真チャンに任せるネ」
「おう」
ヘラリとまた笑い、真一郎は若狭の後ろから武道の横へと移動する。真一郎の笑顔を若狭は信用していない。真一郎が心の底から笑うことなどもう無いのかもしれないとすら思っている。
一時期の窶れ、死にそうな顔をしていた頃よりはいくらかマシだ。
しかし、あと少し。
何かが起きて、真一郎が生を楽しめる様になってほしいと、若狭は願う。目の前の無気力な男は、本当はもっと上に立てる存在であるのだと若狭は誰よりも知っている。
だからこそ、自分の手元に置いて、その時を待っている。
こんな重要な案件の合間に期待する様な事ではないハズなのに、武道をぼんやりと見つめる真一郎の瞳に光が戻る可能性を見てしまう。
敵の振興組織は決して簡単に潰せるような存在ではない。
難しい案件になると分かっているから組のトップの喪部碕もピリピリしているのだろう。若狭がミスればそのケツ持ちをしなければいけないのが兄貴分の嫌な所だろう。
可愛そうに、と同情はすれども失敗するつもりも無かった。
花垣武道をダシに振興組織を手中に収める。たかがフリーターの男にどれほどの価値があるかは分からないが、他に有力なカードも無い。
そして、そのカード本人は切ればただでは済まないのだろう。ソレは本人も察している様だった。
しかし、隣に座るオンナを見捨てる事もできない。そんな顔だった。善良で、愚かな男だ。
情、というものに振り回される様は滑稽で、青く、酷く眩しく感じた。
何かが起きればいい。
そう、若狭は願うのだった。
続