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中編

 

渡されたフルフェイスのヘルメットを被り、バイクの後部座席へと跨る。

日向達とは時間差で事務所を出た。真一郎はバイクで通勤しているらしい。仕事中は運転手付きの車で移動しているのを考えるとどうにもちぐはぐに思えたが、組の中では重要なポストにいるというワケではないから大丈夫ならしい。

若狭の物言いでは真一郎は組の上の方からも目を掛けられる様な存在であるらしいが、本人にその気が無い、というのが現状らしかった。

 

前の座席に座り、慣れた様子でバイクを操る男は謎だらけだった。

第一印象は最悪で、カタギじゃない、と一瞬で分かる男だった。殺し屋というものが本当にいるのならこういう男なのだろうと思わせる暗い瞳、武道と同じ色であるハズなのにその髪は闇に溶け込むようなまさに漆黒と言える黒だ。

武道が今まで映画で見て来た様な、情や愛を持ったソレではない、本当に何もかもを持たない様な、そんな軽薄な笑顔。

 

どこをとってもマトモじゃないと一目で分かる。

 

それなのに、武道はこの男自体を心底恐ろしいと思う事は出来なかった。

武道を取り巻く今の状況は確かに恐ろしい。

しかし、この男にこれから軟禁されるという事自体にはそこまで恐怖を感じていなかった。

殺し屋の様な男に見張られて共同生活をするなどヤンキー崩れの現フリーターには耐えがたい事であるハズなのに、日向の件を抜いてもどこか何とかなるのではないかという楽観的感覚があった。

 

恐らくソレは真一郎から武道へ何の感情も向けていないという事が理由だろう。

中卒のダメフリーターだと散々馬鹿にされてきた。そして、中学の頃にストーカーされていた事実も聞かされた。他人が武道に向ける感情は総じて禄でもないものだ。

その中では、いっそ相手が危険人物でも無関心こそが安心できる感情であると武道は理解してしまった。

侘しいなぁ、と思わないでもないがそういう生き方をしてきてしまったのだから仕方が無いと諦める。

完全な安全運転とは言い難いのに、妙に安定感のある男の運転は武道に安心感を感じさせるものだった。

 

そうして連れて来られたマンションはそれなりにしっかりした設備のものだった。もっと古めかしいアパートを想像していた武道はその建物に少し圧倒されてしまう。

しかし、そんな武道の様子を気に留めずに真一郎はズンズンと中へと入って行く。いつもと同じ帰宅なのだから当然であるが少しくらい気を遣ってほしいと武道は思う。

組のフロント企業で転がしている不動産の一つだと言うそこの地下駐車場にバイクを置いて、真一郎はエレベーターに乗り込む。無造作にポケットから出したカードを差し込むと勝手にエレベーターが自室まで運んでくれるらしい。

こんな建物を所有しているのだからヤクザというのはそれなりに羽振りが良いのだろうと武道は圧倒される。自分の住むボロボロのアパートと比べるなどおこがましく、そもそも何もかもが違い過ぎてどこから比べて良いのかも武道には分からなかった。

 

部屋に到着すれば当然の様に広い玄関と廊下、そしていくつかの部屋が見えた。ここまで来たら良い所に住んでいるのだな、という嫉妬すら湧かない。宝くじにでも当たって良いホテルに一泊しているぐらいの非現実感だ。

ただ一つ、目の前の男はこの広い部屋を本当に使っているのかという疑問が湧く。

廊下を渡れば一番広いのであろうリビングがあり、モデルルームそのままの様なソファとローテーブル、大きなテレビ。使われていなさそうなカウンターキッチンがあった。

唯一、ソファだけは少しくたびれており、毛布が無造作に置いてある。恐らくここで寝ているのだろう。

無駄な物どころか必要な物すら何もない寒々しいその部屋に武道は唖然とする。自分のゴミだらけの汚部屋の間反対のナニカだ。

 

「テキトーに冷蔵庫のもの食っていいから」

「あ、はい……」

 

ばさりと上着をソファに置いて真一郎は武道に指示する。

そういえばバイト先から連れ去れてから事務所でジュースをもらった以外は何も口にしていない。

怒涛の展開に空腹を忘れていたが言われてみれば腹が減っている様に感じた。

素直にキッチンへと向かい、水道で手を洗う。立てられていたキッチンペーパーを拝借し、ゴミ箱に捨て、冷蔵庫を開ける。

意外な事にそこにはそれなりに物が入っており、酒類は無かった。全て調理済みですぐに口に出来るものばかりのソレは無精な男らしいと言えばそうかもしれないが、ソレも何となく真一郎のイメージにはそぐわずに違和感を覚える。

しかし、ありがたい事には変わらないのでその中から食べられそうなものをいくつか見繕う。

 

「あの、佐野さんはどうしますか?」

「何でもいいよ。右上から順番にとってけばいい」

「……はい」

 

そのテキトーな言葉に武道は確信する。

恐らく、誰かがこの無気力な男の世話を焼いているのだろう。そしてソレは十中八九、あの若狭という男だ。二人の奇妙な関係に武道は不思議な気持ちになる。

任侠や不良の世界では同性と関係を結び、ソレを強固な繋がりとして時に女性関係よりも尊いものであるとするのはよく聞く話だった。同性への愛ではなく、女性への見下しに近い感覚なのだろう。自分たちの強さ、権威を同調によって強め、優位性を維持するものだ。

 

かつて不良をしていた自分にも思い当たる節はあった。

幼馴染や親友を大事にして、クラスメイトの女子をあくまでも個人ではなく「女子」という曖昧な存在にしていた。ソレは自分が親友よりはモテないから、という理由もあったが、オンナといるよりも男といた方が楽しい、オンナには分からない世界がある、と思い込む事で不良という世界に酔っていたようにも今は思う。

心が折れた今は、その男という括りの中ですら負け犬だった。そんな自分に男同士の密接な関係で自分の優位性を感じる事は今更できない。

 

目の前の無気力な男にもそんな形の矜持がある様には見えなかったが、恐らくあの若狭という男は違うのだろう。

真一郎への強い執着があるのだろう。もしくは、真一郎がこうなる前の何かに。若狭のソレを気持ち悪いとは思わなかったが、自分をストーカーし、今も探しているという稀咲とかいう男も自分に何かしらの情念を抱いているのだとしたらソレは気持ち悪いと思う。

そんなことを考えているうちに二人分の食事を温め終え、武道はリビングのテーブルへとソレを運ぶ。割りばしがあったためソレを添えて真一郎に差し出せばニコリと愛想笑いをされた。

 

「ありがとう」

「いえ……」

「あと、佐野って呼ばないでくれ。真一郎でいい」

「……分かりました」

 

怒気こそ感じなかったが、恐らく名字呼ばれることは真一郎の地雷だったのだろう。全く分からないソレは恐ろしいが、そのせいで殴られるというワケでもなかったので良かった。

ヤクザものというのは突然キレ出すので手に負えない。面子や矜持で食べているのだし、ナメられない為に必要な事でもあるのだろう。

しかし、突然キレない男こそが怖いというのも武道は知っていた。キレるのは下っ端であり、キレないのはもっと恐ろしい存在だ。ヤンキー崩れだった頃に一瞬だけ経験した裏街道は自分には向いていなかったが、多少の危機感知能力を得られたと武道は思う。

 

「真一郎さん」

「そう。それでいい」

「……はい」

 

テーブルを挟んで、真一郎が武道の頭に手を伸ばす。優しく頭を撫でられ、また武道は擽ったい気持ちになる。

事務所で若狭に撫でられた時も同じような気持ちだった。

恐らく、コレがこの人たちの常套手段なのだろう。寂しい子どもを手懐ける時の。褒めて、触れて、心を揺さぶる。悪い大人たちだと、大人になりきれない武道は思う。

まだ大学生をしているという日向ならまだしも、もう働いて一人で生きているハズの自分がこのザマだ。成人なんて指標に意味はないと実感する。

 

食べ終えれば洗い物も無く、容器ごと全てゴミ袋へと入れてしまう。出来合いのソレは簡素で、しかし、しっかりとそれなりに美味しいものだった。

気を遣われて生きているのだと再び思う。それだけの価値が目の前の男にはあるのだ。

皿も箸も、初期棚の中に存在はした。しかし、使われている形跡は無く、冷蔵庫の中の総菜は移し替える必要がないものだ。使っても洗わないのだろう。洗おうと思えば洗えるのだが、洗う気持ちにならないのは武道にもよく分かる事だった。

そうしてゴミが増えて、今の武道のゴミだらけの部屋は出来上がった。そうさせないために、捨ててもいいもので周りを固めているのだろう。そして、本人も無気力で物を欲しがらないのだと予想できる。

 

どうして、何かあったのか、と思わない事も無いが余計な詮索をしても良い事はない。

ゴミを片付ければテレビもつけずにソファでぼんやりとして、無為に時間を過ごす。夜遅くまで働いていた頃を思い出すと贅沢な時間の使い方だと思うがそれ故に落ち着かない。

携帯端末はアシがつくからと事務所で取り上げられた。ネットのくだらないニュースや動画を見ながら飯を食っていた時と比べて随分とお行儀の良い食事をしたものだと思う。

 

「あ、風呂。オマエ、シャワーで良い? 浸かる?」

「いつもはシャワーで済ませてました」

「じゃ、シャワーでいいか」

 

急に、真一郎が思い出した様に武道に話しかけた。一人の時は一人の時でそれなりに思いつきで生きていけたのだろう。人と暮らすのは慣れていない様だった。それがよく自分を迎え入れようと思ったな、と思うが恐らくソレが若狭の利になるのだろう。無気力であるが馬鹿ではなさそうだった。

その後、リビングを出てゲストルームを案内された。そこもまたモデルルームそのままの様なものだった。ベッドと、スタンドライトの置いてあるシェルフ。ビジネスホテルに近い造りだ。シャルフにはパッケージに入ったままの下着とフリーサイズの簡素な部屋着が置きっぱなしになっていた。恐らくこれもしばらく置きっぱなしになっていたのだろう。

この人がゲストを呼ぶことなどあるのか、と疑問に思うがそうなれば良いと若狭が思ったのだろう。ソレを使ってしまうのが自分で申し訳ないが、組のゴタゴタでもあるので許されたい。

 

その後、風呂場を案内され、シャワーを浴びる。家主よりも先に入るのはどうかとも思ったが笑顔で入れと言われたので武道は言う事を聞いた。下手に気を遣うよりもひたすら素直にいう事を聞いた方が良いのだと流石にもう学習した。

良い匂いのするシャンプーとボディソープに気後れするが恐らくこれを使う以外の選択は無く、お湯を浴びただけの小汚い姿でいるよりはマシだろう。

洗濯物は洗濯機に入れておけと言われたので使ったタオルと一緒に放り込む。洗剤と柔軟剤は置いてあったのでキッチンよりは生活感があった。

 

髪を拭きながらリビングに戻り、入れ違いで真一郎がシャワーを浴びる。

ゲストルームに戻るべきか考え、武道はリビングを選んだ。せっかくテレビがあるのだから使わせてもらおう、と。

我ながら危機感が無いと思うが、さすがに携帯端末も無しにゴールデンタイムを孤独に過ごすのは手持無沙汰が過ぎた。

恐らくではあるが、真一郎は武道がテレビをつけていても気にしないだろう。

本人に意欲は無いが他人のすることに文句をつけるタイプでもなさそうだった。

適当にザッピングすればバラエティとバラエティの合間の短いニュース番組がながれていた。交通事故に不審火、事件。世の中は不幸で溢れていた。

その中にヤクザの抗争は無く、本当に振興反社なんかが幅を利かせているのか、と疑問に思うがそんな裏街道の細々した動向を放送などしないだろう。それこそ、大きな組が抗争でもして人死にが出た時くらいか。

 

そういえば、振興組織の名前も、真一郎たちの組の名前も聞いていなかったと気付く。

自分が騙されているのではないか、と非現実的な状況に思わなくも無いが、自分を騙して監禁して良い事など何もないだろう。

ニュースが終わり、CMが流れ、テンション高くバラエティが始まる。司会の芸人とゲストの大御所、そしてひな壇のタレントたちがわちゃわちゃと話をしていた。そんな番組をぼんやりと見つめる。面白いかと問われればまぁそこそことしか答えられないが、武道は孤独に耐えられるタイプでもなかった。

 

例え作り物でも賑やかな方が好きだ。

いっそ映画など、自身の孤独を忘れられるエンターテイメントが良い。

熱中してしまえば、そこに自分は存在せず、物語を俯瞰する存在になれる。そうであれば汚い部屋で一人の自分を意識せずに済む。

そんなことを考えているとガチャリと音を立ててリビングのドアが開けられた。反射的にそちらを見ればパンツ一丁の真一郎が水を滴らせたまま入口にいた。

 

「~~~ッ⁉」

 

思わず、生娘の様な反応をしてしまった。男の裸なぞに意味は無いが、均整の取れた無駄の無い鍛えられた肉体はいっそそういう見世物の様ですらあった。

 

「あ、悪い」

「い、いいいいいいいえ‼ でもちゃんと拭いて下さい! 風邪ひきますよ⁉」

 

ヤクザで用心棒が出来る男がだらしない身体をしているワケがない。同性の目から見てもセクシーと言えるソレに長らく人と接触しなれていない武道は盛大に動揺した。イケナイものを見てしまった気分だった。

頬から耳まで赤く染めた武道を真一郎は面白そうに見つめる。基本的に長く一緒にいる若狭くらいにしか肌を晒さないため、自分にこういった反応をする者を見るのは久しぶりだった。

 

風邪をひくと言われてしまえばそうであるので水滴だけは拭きながら、真一郎はそのままの恰好で武道の横に座る。

この家のテレビが付いているのを見るのも久しぶりだと思う。この家に来るのは基本若狭だけであり、初期の頃は真一郎の気分を変えようと試行錯誤していた。その時にテレビを付けたりAVを見せてみたりなどしていたが、結局一緒に飯を食いながら話すだけに落ち着いた。

五月蠅いとも思わないがわざわざテレビをつけるのがめんどくさいと思っていた。見たいと言う気も特別起らない。

しかし、隣で縮こまる少年はそうでもないらしい。二十歳を少し過ぎた所くらいのその子はまだまだ幼く、不良少年を抜けられず組に入った若集くらいの年齢であるのに酷く幼く見えた。

 

弟が生きていたらこのくらいだろう、と久しぶりにカタギらしい少年をみて思う。弟の友人たちも同じ組ではないが若狭の伝手でヤクザになった。喪部碕の下に置いとくのはイマイチと判断したのだろう。彼等とたまに会う事はあるが、ソレが原因で弟を思い出す事は無くなってきた。

 

否、真一郎にとって弟は常に頭の中に存在した。風化し、色を変えつつも絶対的に存在はしていた。

弟の友達が成長してく度に、あの頃の弟と今のソイツ等の繋がりが真一郎の中で無くなっていっただけだった。

もう今のお友達たちを見てもあの頃の弟を思い出すことは無い。

そして、自分の中だけで美しく、あの頃の弟が鮮やかになっていく。

そうして自分もまた大人になり、老けていった。そんな自分に、心の傷が回復しているのだと若狭は喜んでいたが、子どもが大人になる程の時が経ち、やっとこの程度かと真一郎は自嘲する。

 

そして、武道に出会い、また弟を思い返していた。

ヤクザになった子たちはもうヤクザの後輩としか思えないのだろう。こうしてカタギの子どもを見るとまた弟の事を思い返して郷愁のようなものに耽ってしまう。

肩が当たる程近くで、逃げる事も出来ずに固まる少年は全く弟には似ていなかった。弟の髪は自分とは違って色素が薄かった。しかし、目だけは自分と同じ、母親似の切れ長の暗い色をしていた。

少年、花垣武道は黒髪の天然パーマで、目は驚く程大きい。恐らく赤ん坊の頃から顔立ちが変わっていないタイプなのだろう。

手慰みにその髪を手で漉いてみればビクリと身体を震わせるが逃げる事は無かった。内心パニクっているのだろうと思うと少し愉快で、真一郎はイタズラを続けてしまう。

 

「ひ、ぇ……」

 

小さな子どもにしていた様に抱き上げて、クシャクシャと頭を撫でる。

半裸の男にそんなことをされるなど可哀相だが、良い反応を返す少年が悪い。しかも、顔を蒼くするのではなく赤くするのだから怖がりつつも本気で嫌悪感を感じているワケでもないのだろう。

 

「あ、あぁぁああの⁉ 真一郎さん⁉」

「んー?」

 

いったい自分は何をされているのかと武道が声を上げれば、真一郎は自分がしているのは何て事でもないかの様に白を切る。気分としては嫌がる仔猫を撫でまわしている様なつもりだった。

幼い頃の弟もよくこういった構い方をすると嫌がった。弟はもっと意志が強いタイプであったので、ある程度の年齢になると真一郎の頭部を蹴って逃げてしまったが。

ぎゅう、と抱きしめてから、対面だったのを背面に変える。他に何をするというつもりは無かったため、こちらの方がテレビを見やすいだろうという配慮だった。

ここまで大きくは無かったが小さい頃はよくこうして抱き上げて膝に乗せていたなぁ、とボンヤリと考える。

 

「……」

 

腹に腕を回して、モゾモゾと丁度良いポジションに置けば武道は大人しくソコに収まった。

武道からすれば真一郎が何をしたいのか分からないが、自分に逃げられる程の力は無いとの判断だ。

重くないのか、どうしてこんなことをするのか、と疑問は尽きないがソレ以上の事はされない様だと思えば武道は諦め、ソレに順応した。相手の歳の頃は三十過ぎくらいであろうか、スマートな身体のお陰でおじさんに抱きしめられているという嫌悪感は無く、必死で逃げなければならないという程ではない。ワケは分からないし少し怖いがまぁ許容範囲である。と、長いものに巻かれろ精神が発揮された。

 

会話も無くぼんやりとテレビを眺め、数年ぶりの人の体温を背中から腹に掛けて感じる。特に真一郎の息が荒くなるとか、尻に硬いモノを感じるとかいうことも無く、二人でテレビを眺めているだけだった。

武道に兄弟はいないため、本当に幼い頃に幼馴染と家で遊んでいた時くらいの距離感だな、と思い出す。成長するにつれてこういったベッタリした接触はしなくなったが、幼い頃は尻や腰を枕にされたりしたりしてゲームをしたり漫画を読んだりしたものだった。

恐らく、そういう距離感なのだろうと武道は割り切った。

真一郎が上裸である事だけが気がかりであるが、部屋はエアコンが付けられているのか快適な温度であるため水滴さえ拭けば風邪をひくことも無いだろう。

エアコンなどいつ付けたのかと疑問に思うが、一定の時間に勝手に付く設定に若狭がしただけである。暑くも無く寒くも無く、人肌の体温が不愉快というほどでもない。嫌がる理由が思いつかずにそのまま時間だけが経って行った。

背中とお腹が少し暖かいかもしれない、と思う頃にはそれなりに夜になっており、いつもよりは早いが少し眠くなってきた。色々あったのだから疲れたのだろうと武道自身思う。

 

「ふ、あ……」

 

小さくあくびをして身じろげば、背中の真一郎が反応を示した。

 

「眠いか?」

「は、い……」

 

素直に答えれば拘束は解かれるだろうと思いそう返せば、真一郎は読めない表情のまま武道を再び対面で抱きしめる。

 

「え?」

「よっと……」

 

そのまま立ち上がると武道を抱えて、歩き出した。小柄ではあるがそれなりに成人男性の体つきをしているハズの自分を簡単に抱き上げる辺り、どれだけ鍛えているのだろうと妙な驚き方をしつつ、武道は暴れることなく真一郎にされるがままになった。

そうして真一郎は武道をゲストルームへと運びベッドへ下ろす。本当に子ども扱いだな、と武道が思っているとニッコリと笑った。

 

「おやすみ、万次郎」

「へ……? おや、すみなさい」

 

真一郎から紡がれた名前に憶えはなく、一瞬だけ武道は戸惑う。しかし、恐らくその名前が真一郎にとって大切な誰かのものなのだろうとだけ、その声色の優しさから察する。

下手に刺激はしない方が良いだろうと武道はソレをスルーすることに決めた。いかにもワケありの男だ。そのワケの部分に土足で踏み込んで地雷を踏んでも良いことは無い。少し疑問はありつつも、今は心地良い眠気に身を任せてしまうのが正解だろう。自分が使っていたせんべい布団よりもフワフワで温かいベッドに沈みこむ様に瞼を下ろす。

真一郎がどんな顔をしているのかは見なかった。

額に柔らかい感触がして、キスをされたのだなと理解する。その距離感からして恐らく甥っ子か、もしくは年の離れた弟に対する扱いなのだろうと逆に安心する。

 

もしこれが元彼とかで唇にキスでもされていたら何とかして若狭に連絡をとり、別の場所に監禁してほしいと懇願する所だった。今の真一郎は何かしらのスイッチが入り、錯乱しているのだと武道にも分かる。しかし、寝て起きたら治っている程度のものだろう。もし治っていなかったらソレはその時だ。

パタンと静かな音を立ててゲストルームのドアが締められる。

何だかとんでもない事に巻き込まれてしまったな、と微睡の中でぼんやりと思う。

巻き込まれたのか、巻き込んでしまったのかは微妙な所ではあるが、明日からしばらくはこの家から出られない事だけは確定している。そうして、日向の代わりにストーカー男に差し出されるのだ。

逃げたいと言う気持ちが無いことは無い。しかし、自分が逃げれば日向が交渉材料にされる。そのうえ、逃げられるイメージも付かなかった。

 

こうなってしまえば最期のこの時間を穏やかに過ごすのが正解なのだろう。

家を出てから、こんな良い部屋で寝泊まりする事など無かった。食事には困らないし、働くことも無い。中卒だと馬鹿にされることも無ければ能力の無さをなじられることも無い。

案外、コレは悪くない最期かもしれないと考え、武道は眠りについた。

 

 

卍卍卍

 

 

翌朝、武道はノックの音で目を覚ました。いつも鳴るハズの携帯のアラームが鳴らず、目覚ましの音も鳴っていない。

寝坊した、と焦って上体を起こし、自分が横たわっていたベッドの柔らかさにビックリする。

そうしてやっと、昨日起こった事を思い出した。

そうだ、自分はやくざに拉致られたのだ、と。

ゲストルームに時計は無く、今が何時なのかは分からないが出勤はしなくていいのだと安心し、次いで、ノックの音に起こされた事を思い出して焦る。

何をのんびりとしているのだ自分は、と。

 

「すみません! おはようございます‼」

 

転げ落ちる様にベッドから降りて何の支度もしないままにドアを開ける。開けた先には既に着替えた真一郎と、若狭が立っていた。

 

「おそよう、お寝坊サン」

「ひえ、すみません」

 

ニコリと笑う若狭に武道はとにかく頭を下げた。この状況で朝早く自分で起きろ、という方が無理があると武道は思うが、むしろこの状態で熟睡できる図太さに若狭は少し呆れていた。怖がって一睡もできないとか、いっそカーテンで首を括るなどしていなかっただけでも十分だ、と。

しかし、昨日から武道の子どもっぽいリアクションは嫌いではなかったため少し揶揄いたくなったのだ。

 

「ま、まだ朝七時だけどネ」

「えぇ……」

 

ソレがヤクザ基準で早いのか遅いのか武道には判断がつかない。

しかし、若狭も真一郎もキッチリとスーツを着こなしているため今日は何かがあるのだろう。ソレが自分に関係するかは分からないが、真一郎が外へ出るのなら監視が必要と言われた自分にも何かしなければいけないのだろう。

 

「今日はネ、さっそく本家の方でオハナシアイするから真チャンも出なきゃなんだよね」

「えっと、オレは……」

「武道チャンは来なくていいヨ。でも、逃げられない様にはするから」

「はい……」

「じゃあ手ェ出して」

 

若狭に言われるままに手を出せばカチャンと音を立てて手錠が嵌められた。片手だけに嵌められたソレは鎖が何処かへと繋がっている。

 

「この長さがあれば大丈夫デショ。リビングからここまで長ければトイレもご飯も自分でできるね?」

「はい」

 

ペットの様な言われ様であるがその程度に文句を言う武道では無かった。事実、その二つさえ自力で出来るのであれば問題は無い。何も考えずに手錠だけ掛けられてトイレに行けないのは成人男性としては尊厳の危機である。

最悪、ご飯は一日抜いても何とでもなるが、おもらしだけは避けたかった。

 

「じゃ、夜には帰るから」

「はい、いってらっしゃい」

「……」

 

ヘラリと笑った若狭にそう返せば、二人は微妙な顔をした。その表情の意図が分からず小首を傾げると、その頭を真一郎がクシャリと撫でた。

 

「あぁ、いってきます。武道」

「……」

 

その言葉で、やっと武道は自分が言った言葉の奇妙さに気付いた。手錠を掛けられ、軟禁されている人間にしてはあまりにもフランクな挨拶だったのだろう。まるで家族か何かの様な言葉だと、返事をされて武道も気付いた。

しかし、ソレよりも真一郎がちゃんと武道の名前を呼んだことにまず安心してしまった。もしも「万次郎」と呼ばれてしまったら若狭にどんな顔をされるか分からない。

真一郎の過去を知る若狭は恐らく「万次郎」が誰なのか知っているだろうし、武道がそう呼ばれるおかしさを分かってしまうハズだ。自分の存在で真一郎を錯乱させてしまうなんて事があったら、稀咲というストーカー男への引き渡しに武道に不利なオプションでもつけてしまうかもしれない。

 

そして、真一郎にもう自分の名前を呼ばれる事が無いのであればソレはソレで悲しいとも思う。

恐ろしい人なのだろうとは思うが、武道は真一郎が嫌いでは無かった。最期の時を一緒に過ごすのだからその相手からくらいは武道自身として見られたい。

玄関までは伸びない鎖を引きずりながら少し遠い位置で手を振れば、真一郎も若狭も小さな子どもを見るような顔で手を振り返してくれた。

バタンとドアが閉じられてガチャリと鍵が締められる。

その様子を見てから武道はリビングへと踵を返した。

 

「朝ごはんどうしよっかなぁ……」

 

少なくともカビたパンを食べる生活もしなくて良いだろうと思うと少しだけ楽しくなってしまう。目玉焼きを付けても良いかもしれないとすら思ったのだった。

 

 

卍卍卍

 

 

「真チャン、あのガキどう?」

「武道か? まぁ、子どもだな」

「うん、子どもだネ」

 

エレベーターで地下駐車場へと降りながら若狭は真一郎に尋ねる。

 

「どうにも警戒心とか無くてちょっと心配になるタイプだな。カタギだから仕方ねぇかもしれねぇけど」

「カタギって問題かよアレ……」

 

ヤクザに拉致され軟禁された先で朝寝坊する程度には熟睡する。手を出せと言われれば素直に手を出して手錠を掛けられても文句も言わない。挙句の果てにはいってらっしゃいの挨拶をして、手まで振って見送ってくれた。

小学生だってもうちょっと危機感があるだろう。いっそ誰にでも懐いてついていってしまう幼児に近いものがある。

 

「しかもアイツ、風呂あがりに裸で抱き着いても逃げなかったぞ」

「イヤ、ナニしてんの真チャン」

「反応が面白くてつい」

 

今までにないレベルで陽気な事をしていると若狭が本気で心配すれば、真一郎は悪びれない顔をする。

弟が死んでからずっと塞ぎ込んでいた真一郎が少しでも回復すれば良いとずっと思ってきたが、いきなり男色に走られても反応に困ってしまう。

恐らく、そういう事ではないのだろうと思うがこれから生贄にする人間だ。下手に情が湧いてしまえば弟が死んだときの二の舞になってしまう。それだけは避けなければならない、と緊張した面持ちで真一郎を見れば、真一郎は案外凪いだ表情をしていた。

 

「たぶんもうアイツ諦めてるんだわ」

「……」

「殺されても犯されても仕方ねぇ、って」

 

バイト先であった時はそうでも無かった。まだ普通の生きる気力のある青年だった。

恐らく、事務所で日向と会ってからだろう。武道の覚悟が決まってしまったのは。

 

「ありゃダメだわ。多分ストレスか何かで退行起こしてるわ」

「はーん、なるほどねェ」

 

自分が軽く錯乱を起こして弟の名前で呼んでしまった事は棚に上げ、真一郎は武道を評価する。

人を見る経験だけはたくさんあったと自負していた。その中で、終末医療を受ける者、手足の欠損で将来を諦める者も何度か見て来た。その上で、武道のソレは少女の命と自分の命を天秤にかけて、少女の命に傾いてしまったが故だろうと結論付ける。その善性は決して悪いものではないし、男としてはあっぱれとすら思う。

 

しかし、もう少し生き汚くなってくれた方が真一郎と若狭にはありがたかった。

今まで散々、年端もいかない少女を風呂に沈めたり、もう稼げない債務者を臓器だけにしてきたりした。そのどれもが自業自得の癖に命乞いをし、人間の汚さを見せつけて来た。なのに、武道に限っては、無辜である癖に自身が犠牲になる事で少女が助かるのなら良いのだと、言葉にはせずとも、態度で示した。

 

どうあがいても、武道に未来は無い。

 

基本はカタギに手を出さないヤクザではあるが、今回ばかりは他に方法が無い。稀咲の所属する振興組織は日々勢力を増している。潰さなければ自分たちの面子どころか食い扶持すら危うい。そして、奴等の持つ資金力は何としてでも組に欲しいものだ。本家がそう望んでいる。

歴史が浅い組織であるため本家の会長や若頭が出張るのは矜持が許さないし、他の組からナメられる可能性がある。

だからこそ、若頭は若狭達に交渉を投げたのだ。戦力、資金力、どちらにおいても今の組に拮抗する程追い上げてきている。潰して吸収するのであればもう今しかないだろう。

いっそ全面戦争になり、他の組と合同で潰す話になれば確実に勝てるだろうが、その場合の被害はかなりのものになる。

 

今、一番確実に商談をまとめられるとすれば花垣武道を交渉カードにすることだけだった。

 

仕方の無い犠牲であると切り捨てるべきだ。

ソレを分かっていながら、たった一日に満たない数時間で、武道にヤクザ二人はオトされてしまった。罪悪感など遠の昔に捨ててきたハズのモノをいとも簡単に抱かせてしまった。

後味の悪い仕事になる、その予感に若狭はため息を吐いた。花垣武道を真一郎に任せたのは間違いだったかもしれない、と。

 

「ま、本人が諦めて、最期の時を楽しく過ごそうとしてんだから協力してやるよ」

「そうネ。まぁ出来るだけアイツが無事な様に交渉してみるだけだネ」

 

出来るかどうかは分からない。

しかし、やれるだけの事はやってやろうと二人は思うのだった。

 

 

卍卍卍

 

 

一方、部屋に残された武道はボンヤリとソファでくつろいでいた。特に見たいテレビは無く、久しぶりにちゃんと食べた朝ごはんのお陰でオヤツを食べたいとも思わない。

暇だなぁ、と何もない室内を見回してもやっぱり何も無く、ぐで、と上半身をソファから落としてみたり、無駄に足をバタつかせてみたりしていた。

 

そうして、することが無いと飽きて、手錠の鎖の許す範囲で家を探検する事にした。

まずはキッチン。使われている形跡はないのに食器棚には一通りの食器が入っており、調理器具も揃っている。武道に調理スキルは無いため何をどうやって使うかは分からないが、もし真一郎が料理に興味を持った時のために若狭が揃えたのだろうと予想する。

リビングは見ての通り何も無く、自分のゴミだらけの汚部屋との違いに眩暈がしそうだった。武道は元々だらしない性格で、ゴミをゴミ箱に捨てられないと言う所があったが、ソレ以上に一度買った物をゴミだと判断する能力に欠けていた。

何となく目について、気に入ったと思った物を購入して、結局使わなくてもいつか使うかもしれないととっておいてしまう。生き物など飼えないし、植物など育てられないのに欲しくなってしまって準備だけして結局本体を購入しない、なんてこともあった。

 

どれもこれも武道の寂しさを埋めるための物だった。

結局、何も満足できないままにゴミと化しても捨てられず、グチャグチャになった部屋が完成した。

それと比べて真一郎の部屋は何も買い足さなかった結果の空白だった。本人も何一つ満足していないのに、真一郎の心の穴を埋める物は何もないと分かりきっている。

 

探索の結果、昨日は見なかった他の部屋は衣裳部屋とトレーニングルームだった。

どちらも若狭が真一郎に与えたものだと容易に想像がついた。食も服も、真一郎に楽しみは与えなかったのだろう。トレーニングは今の仕事を続けさせるための物だ。身体が衰えてしまってはヤクザなどできないだろう。

こうして、武道は謎に満ちた佐野真一郎という男を暇つぶしに探っていく。

無気力で、過去に何かあり、今は若狭という真一郎を慕う男に生かされている。

 

これ以上掘り下げても良い事は無いだろうと結論付けて、武道はトレーニングルームで遊ぶことにした。

ランニングマシンでテクテクと歩いてみたり、チェストプレスマシンが一ミリも動かなかったり、エアロバイクを漕いでみたりした。最終的に使い方がよく分かってないせいで真一郎の使う負荷が自分に耐えられるはずがない、と結論付ける。

ヨガマットで柔軟から始めるべきだな、と中学生の頃よりも衰えた身体に溜息を吐いた。特に鍛える必要性はないため、恐らくやっても今日だけだろう。ヨガマットの上で足を開いただけで内腿が引き攣る感じがした。

 

それよりもゲーム機でもねだった方が暇つぶしになる。

リビングにある大きなテレビでゲームをしたら迫力があるだろうな、と夢想し、クリアまでに自分はここにいるのだろうかと疑問に思う。掌をマットに付けて、上体を前に倒して肘まで付けようとして諦める。思ったよりも身体が硬くなっていて武道はショックを受けた。そしてそのまま、考え事を続ける。

 

果たして、自分は何が好きだったのだろうか。

一時期、ボウリングにハマッていた事があった。あの頃はまだ身体がよく動いていた。

他にも野球をやったり自転車に乗ったりもしていたはずだ。今となっては遠い思い出であるが、一通りのスポーツは楽しんだ気がする。しかし、今の状況で外遊びなどできるハズがない。

では、室内では何をしていたか。人並にゲームなどはしていて、流行のものはクラスメイトと進捗を話したりしていた。他に何があったか、と考えて、武道はふと、そういえば自分は映画を見る事が好きだったし、パズルやプラモデルを作る事もすきだったな、と思い出した。

今となっては映画観賞は現実逃避の道具にしてしまっていたが、好きだからこそレンタルショップなどでバイトをしていたハズだ。

 

それくらいであれば、真一郎にねだっても良いのではないかと武道は考える。

組のために犠牲になる一般人なのだから多少の我儘くらいは聞いてもらいたい。まぁダメだと言われれば諦める他無いのでひたすらテレビだけ見る生活をするしかなくなるが。

良いことを思い出したなぁ、と思いながら武道は引き攣る足を楽にしてマットに寝っ転がった。手を横にして片足を上げ、腰を捻りながら反対側に下ろす。どんな意味があったかは忘れてしまったが、中学校でこんなストレッチをやっていた気がする。

 

それから一通りマットで遊んで、武道はリビングに戻った。

朝ごはんをしっかり食べたせいかあまりお腹は減っていなかったが無意味に冷蔵庫を開けて何か軽く摘まめるものが無いか探してみる。

結局お菓子らしきものは見つからず、諦めてまたソファに寝転がった。

軟禁一日目にしてなかなかに自由に過ごしている自覚はある。しかし、敵対組織とやらと交渉が済むまでは武道は嫌でも生かされるのだと分かっていた。

 

「暇だなぁ」

 

誰にも届かない声が空っぽのリビングに響く。

少し身体を動かしたおかげかちょっとだけ眠気を感じた。真一郎のものだと分かっていながら、武道は毛布を被って瞼を下ろす。

目を覚ましたら真一郎が帰ってきてくれていればいいな、と武道は考え眠りについた。

 

 

卍卍卍

 

 

「ただいまー」

 

普段は言わないその言葉を、真一郎は柄にもなく言葉にした。もしかしたら家で待っている武道が喜ぶかもしれない、と考えて。

 

「あれ?」

 

しかし、せっかく口にしたその言葉へ返ってくる返事は無かった。それを疑問に思いつつ、逃げ出したりはしていないだろうと妙な信頼感を持って真一郎は廊下を歩いた。

リビングの手前のゲストルームを開けても誰もいない。シャワールームから音はしない。

リビングにいるのに返事をしないのは奇妙だと思いながら最奥へと進めばしっかりと繋いだ鎖が床にジャラジャラと落ちていた。そしてその先に武道はいた。

 

「あー、寝てたか」

 

普段、真一郎が寝床にしているソファで、真一郎が使っている毛布を握りしめて武道は丸まる様に眠っていた。

寝るのなら自室のベッドで寝れば良いものを、と思いつつも敢えて真一郎の物を使うのは甘えているのだろうと予想を付ける。あどけない寝顔はやはり成人男性には見えず、子どものソレに見えた。

お昼寝中なら仕方が無いと真一郎は武道を起こさない様に手錠だけ外してやり、キッチンへ向かう。適当なものをレンジでチンして食べておけばいい。そう思って生きて来た。

しかし、今更になって冷蔵庫に米も卵も無いのを残念に思ってしまう。子どもであるのならオムライスが好きだろうと何となく考えたからだ。

 

自分が料理をしようと思うなど何年振りか。

そも、武道がオムライスを好きだと言う確証もない。

それでもそんなことを考えてしまうのは武道という子どもに弟の影をみてしまうからだろうと真一郎はため息を吐いた。

朝、若狭と話したように、情など持つべきではない相手だ。

出席した会議ではやはり本家の総意では武道は稀咲にくれてやれ、代わりに何としてでも傘下に入れろ、という事だった。

カタギのガキに何てことしやがる、任侠の誇りはないのか、と思わないでもないが、面子でメシを食っているが誇りでは飯は食えないのだから仕方が無い。

ソレに彼の振興組織が更に勢いづけば自分たちのソレ以上にカタギに被害が出るだろう。

 

「可哀想になぁ」

 

独り言つた言葉は空気に融け、誰にも届かない。

せめてそれまでの間、武道の事は大事にしてやろうと真一郎は思う。こんなことを考えるのは何年ぶりだろうな、と赤の他人への同情と慈悲という感情を思い出していた。

 

 

卍卍卍

 

 

良い匂いがして、武道は目を覚ました。

トレーニングルームで遊んで、疲れて眠ってしまった事は覚えていた。

少しお昼寝をするだけのつもりだったのに、窓の外は真っ暗で思いのほかしっかりと眠り込んでしまっていたらしい。

匂いの元は近くに座る真一郎が食べている夕食だった。

何度かパチパチと瞬きをして、ゆっくりと身動ぎをした。

 

「おはよう、寝坊助さん」

「んぅ、おかえりなさい。真一郎さん」

 

寝ぐせの付いた髪を撫でつける様に漉かれる。どうせ家から出る事はないのだから髪の毛がクシャクシャでも構わないだろうに律儀だと武道は思う。

 

「暇だったか?」

「はい、とても」

「ははは、じゃあ何か用意するか」

 

素直な武道の答えに真一郎は笑う。一応、武道を起こす前に若狭と二人でペットカメラを何カ所に仕込んでいた。

どうせ逃げないだろうと思いつつ暇な時間にカメラを除けばイタズラ小僧は部屋を探索してトレーニングルームで遊んでいた。真一郎の筋力に合わせられた器具に武道が触るのは少し危ないかと思ったが少しも動いていなかったので苦笑いで事なきを得た。

よほど暇だったのだな可哀相な事をしてしまった、と真一郎と若狭は反省した。何かおもちゃを与えるべきだった、と。

完全に犬猫か幼児の扱いであるが、退行をおこしているのなら同じようなものだろう。

 

風前の灯である目の前の子どもの命を、真一郎は救う事はできない。価値とは利益であり、この子どもの命に価値は無い。ソレが真一郎たちのいる世界の価値観だった。

そして子どもも、同じような価値観で自分よりも少女の命をとった。

正しく、醜い世界だ。

こんな世界に巻き込まれてしまったのが運の尽きだ。来世に期待してせめて残りの時間を楽しく過ごしてもらうのが良いだろう。

まだ目が覚めきっていないらしく武道はソファで真一郎の毛布を握ったままぼんやりとしている。ソレが幼い頃の弟と被ってしまい、真一郎は目を逸らした。

 

「ずっと寝てたんだ。腹、減ってるよな?」

「……うん」

 

席を立って、冷蔵庫から適当な総菜を取り出してレンジに放り込んだ。今朝、若狭が補充してくれたジュースをプラスチックのコップに注ぐ。ここまで子ども扱いしなくても良い年齢だと分かっているが、寝起きだし良いだろう。

割れないコップはかなり若狭にこの家を与えられたかなり初期に使っていたものだった。それこそ、当時は刃物の類も遠ざけられていた。大丈夫と若狭が判断した頃に包丁などの調理器具が揃えられたが、ソレは結局今の今まで使われないままだった。

 

ピー、と機械音が鳴って料理が温まった事を知らせてくれる。自分の分とは違い、皿を出してそちらに盛り付けようとして一応軽く水で流すかと蛇口をひねる。一度も使った記憶が無い癖にしっかりと綺麗な状態で用意されている布巾の二番目のを引っ張り出して水気をとる。

再びレンジに催促の音を鳴らされ少しだけイラッとするが素直に中身を取り出して皿に盛り付けた。

ソレを持ってリビングへ向かい、テーブルに置けば武道には驚いた顔をされた。

 

「何だよ」

「いえ、わざわざお皿使わせてしまってすみません」

「別に気にすんな。プラ容器じゃ味気ねぇだろ」

「……ありがとうございます」

 

自分用の食事はそのままであるのに、わざわざ武道の分だけ盛り付けられると少し気後れしてしまう。しかし、恐らく今日の本家の会議とやらで自分に気を遣う様な決定がされたのだろうと武道は察してしまった。

それならそれで仕方が無いと武道は思う。どのみち何をされても仕方が無い状況なのだ、と。

ちゃんとコップに入れられたジュースを一口飲み、箸をとり食事に手を付ける。温められた食事はちゃんと美味しく、以前の自分だって総菜やコンビニ弁当をいっそ温めることも無く食べていたと思い出した。容器で味が変わると言うワケではないが、少なくとも真一郎は自分を憐れんで気を遣ってくれているのだと思うと少しだけ嬉しくなった。

 

テレビはつけずに、もぐもぐと食事を始める。先に食べていた真一郎は既に食べ終わり、ジッと武道を観察していた。

その視線が気にならないワケではないが、二日目にして武道は真一郎に慣れ始めていた。昨日初めて会った時点ではどうにも恐ろしい印象であったが、自分に危害を加えないと分かるとそうでも無くなってしまった。

人殺しの様な空気を纏っている事は変わらない。暗い瞳の奥で何を考えているのかだって分からない。きっと、必要があれば自分を殺すことだってこの男はできるのだろう。

それでも、人に気遣いが出来る人間であるのだ。

今だけで良いから優しくされたいのだと、女々しく思う。今までの人生で、他人からこんな気遣いをされる事など無かった。嘘でもいいから、ではない。嘘を吐く必要も無いこの状況で与えられる優しさが擽ったくて、嬉しかった。

 

例えソレが人殺しであろう男からでも。

 

穴が開きそうな程見つめられながら、食事を終え、軽く手を合わせる。こういう形式的な事をするのも久しぶりで、ぶりっ子でもしている気分だった。食器を片付けるついでに真一郎の食べた容器もキッチンへと持っていく。ニコリと笑われヘラリと返した。

容器はゴミ箱へと捨て、食器はシンクに入れて水で流す。使われずに置きっぱなしになっていたらしいスポンジに同じく置きっぱなしの洗剤を付けて泡立てる。食器を洗うのも久しぶりだった。

ソレを終えてリビングに戻ればやはり真一郎はジッと武道を見ていた。

 

何となく、武道は真一郎の隣に座る。別に離れて座っても良かったが少しの人恋しさの様なものがあったのだろう。

真一郎は怪訝な顔も見せずにソレを受け入れ、腹の辺りに腕を回した。女慣れした男の様な仕草であるが、恐らく引っ付き虫な子どもの相手に慣れているのだろう。ソレがどれ程前の事なのかは分からないが体に沁み付いた動作なのだろう。

少し体重をかけてもビクともしない。自分が動かせなかった器具でトレーニングをしている男なんだなぁ、と実感する。

することも無く腕の太さや手の大きさを比べて遊ぶ様は本当に小さな子どものようだった。しかし、今はソレで良いのではないかと武道は思う。

自分は優しくされたいのだし、恐らく真一郎は万次郎という子どもの影を自分に見ている。ウィンウィンの関係というヤツだ。

そんなことをしていれば真一郎が武道を見ながら口を開いた。

 

「お前、何か欲しい物あるか?」

「欲しいもの、ですか?」

「あぁ、今日ヒマだったんだろ?」

 

そう言われ、武道はあぁと思い出す。昼間に確かに自分でもねだろうと思っていたのだった、と。

眠ってしまって、真一郎に構ってもらっていたせいで忘れてしまっていた。

 

「じゃあゲーム機欲しいです!」

「何やりたいとかあるか?」

「特にないので何か売れ筋タイトルみたいなの買ってきてください!」

「分かった」

「あとパズルとか好きです!」

「ふぅん、パズルね」

 

無邪気で幼稚なおねだりに真一郎は笑う。酒やたばこは嗜まないらしい。もしくはそこまで優先度が高くないか、だ。

 

「あとはそうですね……。あ、おやつにポテチ欲しいです! あとコーラ!」

「太るぞ」

「う……。あのトレーニングルーム使って良いです?」

「おー、初心者向けのだけにしとけよ」

 

勝手にドアを開けた事については言及しなかった。別にみられて不味いものでもなければ開けるなと制限もしなかったからだ。重いウェイトトレーニングだけは触らない様に言っておかなければならないと思いつつも、真一郎はソファに身体を沈めたまま後で良いか、と武道に腕を触らせたままにする。

その様子を見つつ、万次郎が生きていたとしてもこういう感じには育たなかっただろうな、と思う。アレはもっと活発で生意気に育つハズだった、と。

いくら警戒心が死んでいるとは言え、この子どもは何故こうも懐いてくるのか。今まで見た事が無いタイプの子どもだ。

 

その子どもがまた口を開く。

 

「あ! あとプラモデルとかも好きです!」

「プラモデル……」

 

その言葉に、真一郎が腹の奥に鉛が溜まる様な、頭が冷えていく様な、そんな感覚を覚えた。

ソレはいけない、と瞬間的に思う。

 

「ダメだ」

「へ?」

「プラモは危ない」

「え、あ、はい……」

 

気が付けば否と返していた。一般的にソレが危険物かと言えばそんなことは無いはずなのに、真一郎はソレを拒絶した。

武道もソレに対し怪訝な返事をしてしまったが、素直に引き下がる。恐らく、また自分は地雷を踏んでしまったのだろうと想像が出来た。

こんな距離感で接していても自分たちはまだ会って二日目なのだ。まぁこういう事もあるだろう。我儘を押し通そうとしたり、同じ地雷を何度も踏まなければまだ大丈夫だろうと当たりを付ける。

苗字、プラモ、恐らく万次郎と言うのは家族で子どもで、プラモデル関係で事故にでも遭ったのだろう。まぁソレが分かった所で武道に何ができるというワケでもない。

聞き分けよく諦めれば真一郎は労わる様に武道の頭を撫でた。怒られて反省する犬を慰める様な手つきだった。

仕方なく撫でられ、ふと時計を見ればそれなりの時間だった。

 

「あ、お風呂」

「あぁ、先入るか?」

「どっちでも良いですよ」

 

運動をして疲れたと言っても汗をかくほどの事はしていない。外へ出てもいないから大して汚れてもいないハズだ。

 

「じゃあ今日はオレが先に入るかな」

「はぁい」

 

スルリと武道に回してい腕を抜いて真一郎はソファから立ち上がる。離いく温もりを寂しく思いつつ、武道はべちゃりとわざとらしくソファに崩れた。支えを失ったのだと恨みがましく真一郎を見ればクスクスと笑われる。

 

「後でな」

「はーい」

 

ポンポンとなだめる様に頭を撫でて真一郎がリビングから出ていく。

疑似家族かカップルの様な甘えようだと冷静な部分の頭が自分を嗤う。どうせ死ぬのであれば最期くらい優しくされて楽しく過ごしたいし、人恋しいのだから傍にいる真一郎を頼ればいい。自分の、自分に甘い部分が子どもっぽい行動を助長させていた。幸いにも真一郎は武道を拒絶しない。

武道の向こう側に誰かを見ていたとしても武道には関係の無い話だ。貰えるものは負債と病気以外もらえばいい。

きっと真一郎のその優しさを本来もらうハズの相手はもういないのだろうから。余っているのならいいじゃないか、と武道は思うことにした。

横取りはしたいと思わないけれど捨てられるのなら貰いたい。そういう貧乏性な所が部屋の汚さに繋なるのだろうとも思うがもう自分には関係がなくなるのだろう。

そういえば、自分の家はどうなったのだろうか。部屋は汚いままだし、バイト代が入らないのなら引き落とされる家賃が無い。あの部屋を誰かに掃除させるのは申し訳ないなぁと思う。死体が無いだけマシかもしれないけれど。

そんなことを考えながらゴロゴロしているとリビングのドアが開いた。真一郎はもうシャワーを浴び終えたらしい。

 

「出たぞー」

「おかえりなさーい」

 

昨日と同じく半裸の真一郎が肩にタオルを掛けて入ってくる。もう慣れたぞ、とニッコリ笑うと真一郎もニッコリと笑い返した。

 

「じゃ、次入れー」

「はーい!」

 

真一郎に促されて武道は素直にリビングを出る。そして、そういえば今日の服はどうしようかと気付いた。

昨日はゲストルームにあった替えの下着と部屋着に着替えたが、今日はソレが無い。朝のダラダラしているうちに洗濯でもしておくべきだったと今更思う。恐らくこの家は乾燥機も完備しているだろう。

どうしようかな、と思いつつ取り合えず脱衣所に入ると既にタオルと一緒に新しい着替えが置かれていた。

 

「……」

 

コレを用意するために今日は先に入ったのか、と疑問に思いつつ武道は服を脱いで洗濯機に入れる。洗濯機の中には武道と真一郎の昨日の服と今日着ていた服が入っている。

流石に会議に来ていったスーツは別でクリーニングにだしているのだろう。くたくたの部屋着であるなら気兼ねなく洗えるな、と明日の予定を決めた。

一人で家にいた頃には本当にギリギリになるまで洗濯などしなかったのに、と自分でも笑えてしまう。

大して汗にも埃にもなっていない怠惰な自分がシャワーを浴びる意味とは、などと考えつつ真一郎と一緒にいるのに不潔にしているのも悪いと考え直す。良い匂いのするシャンプーにボディソープ。昨日は気後れしていたのに今は同じ匂いがするのだと思うと何だかくすぐったい気分だった。

 

二日目にしてかなり気を許してしまっていると自覚はしていた。

誘拐事件の被害者が犯人を好きになってしまうのを何と言ったか。実在の事件を元にどこかの首都の名前が付けられていた気がする。

ソレが題材の映画も何本か見た気がするがこんなにも早く絆される主人公はいなかったハズだ。

自分はチョロいのでは? と思わなくも無いがどうせ自分は碌な最期を迎えないのだから良いではないか、と何度も自分に言い聞かせて来た。

救われる手立てを求めて相手に適合するのがソレだったか。物語には色々なパターンがあった。

自分はどうだろうか。真一郎に媚びれば救われるなどとは思っていない。ただ、最期に誰かに優しくされたいと思っている。

 

肌の接触が心地よかった。

 

頭を撫でられて嬉しかった。

 

子供染みたソレに自嘲を零す。完全に覚悟が出来てるワケでもないのに、真一郎の同情を、その優しさを、とりあえず享受しようとしているのだから。

 

風呂場から出て水気を拭い、用意された服に袖を通す。

昨日の服はスウェットだったが今日用意されていたのはホテルなどに置いてありそうなロングシャツタイプのガウンだった。寝間着らしい寝間着にコレで外に出るのは厳しそうだと思い、まぁ別に外に出る予定はないから良いかと思う。

 

「お風呂いただきましたー」

「おー」

 

昨日の真一郎の真似をして、武道は真一郎のすぐ傍に座る。

テレビを付ければ昨日と同じくニュース番組がやっていた。今日も特に何があったわけではなく、平和とは言えないが世紀末と言うワケでもない世界が外には広がっているらしい。

ニュースが終わればまた昨日とは別のバラエティが始まる。芸能人が答えるクイズを一緒になって考える。難しい漢字や常識問題は分からないが雑学やトンチ、パズル類なら武道にも分かると息巻いた。

 

武道が正解するたびに真一郎が頭を撫でて褒めてくれる。

こんな子どもの接待をするなんてかわいそうだという感覚もあったが楽には楽な仕事だろう。

荒事でも無ければ自分を馬鹿にする上司におべっかを使うことも無い。

 

本当ならいつの間にか外されていた手錠だってつけっぱなしで良かったのだ。ゲストルームに閉じ込めて、餌だけ与える。トレイに行けないのは困るけれど、おむつでも履かせて自分で処理させればいい。

ソレをしないのは真一郎の優しさだろう。

ベッタリとしな垂れ掛かって、腰を抱かれて。時々頭を撫でられる。犬か猫でにもなった気分だ。

 

そんなリラックスした様子の武道を眺め、真一郎は改めて、コレは弟とは全く別の生物だな、と思う。

弟の代わりは存在しないが、昨日は思い出す事が多くて錯乱してしまった。これじゃあいつになっても社会復帰なんかできないし、組員になってもダメだろうな、と自分を買って支援してくれている若狭に申し訳なく思う。

苦手な物、トラウマの原因に少しずつ慣れていくのを暴露法と言ったか。武道を通してソレができればラッキーと思ったが、現状を見るとどちらかと言えばアニマルセラピーに近い気がする。

出来るだけ良い里親に出してやりたいが、難しそうだ。本人も殺処分を受け入れてここにいる。どうしようもない。

頭を撫でて、顎下を擽って、抱きしめて、ソレを楽しそうに受け入れている武道は可愛かった。

 

これがオンナだったらまずかったかもしれないと思いつつ、そう言えば数年くらい勃起をしてない事を思い出した。

精神的な原因でEDになるなどまぁよく聞く話で、昔は好きだった女の子という存在も今となってはイマイチ興味がわかなくなってしまった。いっそ快楽に溺れてしまえたら立ち直りも早かっただろうかと考えて、そのままダメになってしまいそうな気もする。

現状、若狭の私兵という事になっているが状況はかなりヒモに近いものだと自覚はしていた。

かつて、日本で一番の暴走族の総長だった男である自分を所有している。そのお陰で若狭も組の本家から目を掛けられている。だから、全く利が無いワケではないだろう。しかしソレは多くの人間が今はまだ燻ぶっている真一郎にベットしてるという事だ。

勝手に掛けたのだから真一郎にその責任の所在は無いが、自分に賭けたソレを回収させない男ではないと思われているのだろう。復活した時に、とんでもない利益になるハズだ、と。

そこに感じる疎ましさがゼロではないが、少なくとも若狭との付き合いは長く、世話になりっぱなしの現状も悪いと思えるようになってきた。

 

そこに来た、この振興組織との抗争である。何もかもが丁度良かった。偶然、武道を見つけたのも、しばらく手元に置いておかなくてはいけない状況も、簡単な仕事から実績を上げられる、と。

もし武道がオンナで、うっかり手を出したりなんかしたら面倒な事になる。色仕掛けで命乞いをするオンナなど散々見て来た。そしてソレに引っかかってダメになる若衆も。

もし武道が女だったとして、そんなことをするタイプかは分からないが、真一郎が惚れてもアウトだ。

 

その点で言えば武道がオンナではなく、弟にも似ていなくて良かった思う。終末期の患者の様に思えばいいのだから。

痛みも無く、元気で、ただ外に出る事だけはできない。そして本人も外に出たがってはいない。そのうち室内に飽きて出たがる時が来るのかもしれないが、その前に振興組織との決着がついて引き渡されるだろう。

 

ペットの様に撫でて可愛がってやればいい。

 

そうしているうちにまた武道がウトウトし始めた。あれだけ昼寝をして夜も眠くなれるのは凄いな、と思いつつまた抱き上げて寝室へと連れて行ってやる。

元々、ゲストルームは真一郎の寝室として用意されていた。しかし、結局ベッドを使うことなくソファで寝ているうちにゲストルームという若狭が来た時にたまに使われるだけの部屋になった。

武道をベッドに寝かせて、何となく自分もそこに入る。確かにソファよりも柔らかく、暖かく、寝心地が良い。それはそうだろうと頭の冷静な部分が呆れた感想を抱くが実感として感じるとまた違うものがあるのも確かだった。

武道の暖かい体温を抱いていると、今まで自暴自棄になっていたのが馬鹿らしく感じてくる。温かさ、柔らかさというのは良いものだった。

自分にソレを感じる権利はあるのか、と自身を責め立てる部分もまだある。しかし、自罰的な自我の声は以前よりも小さくなっているのを真一郎は感じた。

 

 

卍卍卍

 

 

武道が目を覚まして、最初に目にしたのは男の鍛え上げられた胸筋だった。

 

「ッ⁉」

 

ビクリ、と身体が跳ねて視点が動けば次に視界に入るのはジッとこちらを見る黒い瞳。すぐにソレが真一郎だと分かり、武道は一瞬だけ安心して、すぐにいや違う、と考え直した。

何故自分は裸の真一郎と寝ているのだ。

真一郎が風呂上りに上裸なのはいつもの事なのだろう。しかし、昨日、一昨日とソファで寝ていた真一郎が今日になって何故ベッドで自分と同衾しているのか。

そも、家主をソファで寝かせて居候である自分がベッドで寝ていたのがおかしいと言えばおかしいが、ゲストルームとして案内されたのだから使っていても良いじゃないかと謎の言い訳をしてしまう。

そんな武道の混乱した表情を見て真一郎はクスクスと笑い、頭を撫でた。

 

「おはよ」

「は、い。おはようございます」

 

その穏やかで優しい表情に流され、武道は返事をする。自身の身体に異変は無く、特に昨夜何があったというワケではなさそうだった。

ただただ一緒に寝たのだろうという事実だけがそこにある。

子ども扱いから赤ん坊扱いに降格したのかもしれない、と武道は思うが真実はペット扱いである。

あくびをして伸びをして、真一郎がベッドから降りるとその分の温もりが外へ逃げてしまって少し寂しさを覚えた。

 

「朝飯食うかぁ」

「はい」

 

その背中を追う様に武道もベッドから降りる。真一郎は途中でふらりと衣装部屋へと入り、スウェットを着た。恐らく今日は外へと出る用事がないのだろう。

その間に先にリビングへと入り武道は食パンをトースターに放り込んだ。初日には無かったジャムやマーガリンが冷蔵庫に入っているのは昨日の朝に若狭が気を遣って買ってきてくれたのだろう。そうして、強請ればハムや卵も買ってきてもらえるだろうかと期待する。某映画の様な目玉焼きを乗っけた食パンを時々食べたくなるのだ。

 

そうこうしているうちに真一郎がリビングに入ってくる。武道がパンを用意しているうちに真一郎が冷蔵庫から飲み物を用意した。昨夜と同じく、使い捨ての缶やペットボトルではなくちゃんとコップに入れられていた。

その食器が武道の分だけではなくちゃんと真一郎の分も用意されていて、武道は何となく嬉しくなる。

それらをリビングへと持っていき、二人で手を合わせて朝食をとる。ソレが何だか普通の家族の様で擽ったかった。

中学卒業と共に半ば家出まがいに飛び出してから朝食を人ととることなど無かった。

最期に普通の人間らしい生活ができて良かったと思うと同時に、死ぬのが惜しくなりそうだと恐ろしくなる。

橘日向と出会ってまだ二日しか経っていないのに、彼女を守って死のうと言う決意が揺らぎそうで怖い。揺らいだ所で逃げられるワケでも無いのが幸いだ。

 

ちゃんと美味しい朝食をゆっくりて食べて、もう少しだけゆっくりしようとテーブルの上の食器もそのままにぼんやりとしてしまう。お腹が満たされると少し眠くなるのは何故なのか武道は知らない。

ほう、と息を吐いてリラックスする武道をまた真一郎は見つめた。視線に質量が存在するとしたらとっくに武道は穴だらけになっていただろう。

 

「……」

 

その視線が気にならないという事は無いがもういつもの事だと割り切った。真一郎の感情も思惑も分からないが、気にしても仕方の無い事だろう。

もう好きなだけ眺めてくれと猫ちゃんにでもなった気分だった。

しかし武道は猫ちゃんではないのでしばらく休めば食器をキッチンへと運んで洗う事もできる。洗い物を水切りラックに置いてソファへと戻る。

食事中はちゃんと離れていたが今の武道の気分は猫ちゃんであるので自ら真一郎の傍へと座ってしな垂れ掛かった。テレビをつけてみても昼間の番組は大したものが無く、自分向けではないと電源を消した。

そうして真一郎の傍でしているとゴロゴロしているとピンポーンとチャイムが鳴った。

この男にまともな客が来るワケが無いと思い武道は警戒するが、当の真一郎はインターフォンのカメラを見てすぐに玄関へと向かう。

どうやらソレは何かの配達らしく、真一郎はたくさんの段ボールを持ってリビングへと戻ってきた。

 

「何か来たんですか?」

「お前が我儘言うからなー」

 

機嫌の良さそうな真一郎の言に武道は少しだけ唇を尖らせる。人の命を使わせてやるのだから多少は許せ、と。

まぁその許した結果がコレなのだろう、と段ボールの山の開封式が始まった。某魔法学校映画に出てくる誕生日プレゼントの数に文句を言う意地悪な従兄に敗けず劣らずのプレゼントの数だ。

昨日の夜ねだったばかりだと言うのにもう手配できているのか、という驚きと、恐らく転売の在庫をそのまま送ってもらったのだろうという想像に少し渋い表情をしてしまう。

過去のバイト経験の中でゲーム機や玩具だって売った事はある。あまり転売が話題になってなかった頃であるが、明らかに自分用でも子どもがいるワケでもなさそうな柄の悪い男性が大量に玩具を買っていくことがあった。今となればつまりそういう事だったのだろうと分かる。

しかしそのお陰でこの暇で仕方がない昼間を楽しく過ごせるのだと思えば死に際の人間としては楽しむ事を許されたいと思ってしまう。

 

最初に開けた段ボールから出て来た最新の機種のハードをテレビに繋ぐ。基本的な設定をしてインターネットにだけは繋がらない事に気付いた。そういえばこの家にはネット環境が無い。やろうと思えばこういったゲーム機から外に連絡を付けられるのだから当然の措置と言えば当然の措置なのだろう。

ソフトの方もインターネット対戦の必要が無いものばかりがたくさん入っていた。

ダウンロードコンテンツまでできないのは残念だけれども、ソフトの数が多いためそこまで手を付ける時間はないだろう。

 

全ての段ボールを開けきる前に目の前のゲーム機に夢中になってしまった武道に真一郎は残念に思うが、遊び疲れるか飽きたら次の箱を開けてくれるだろうと諦めた。

全ての設定を終えて、ゲームを始めれば数年ぶりに見たゲーム画面に感慨を覚える。自分が娯楽から離れているうちにグラフィックやシステムなどが格段に良くなっている。

当然の様に武道を膝に乗せて、ゲームをする様とゲーム画面を交互に眺める。楽しむ武道さえ見られれば良いと思っていたが、自分が本格的に回復しているのを感じる。

 

興味関心が広がってまるで普通の人間の様だった。

自分に物事を楽しむ資格など無いハズなのに、と責め立てる声がするが真一郎は無視をした。どうせ今だけなのだ、と。

時間を忘れてゲームを楽しみ、気が付けば昼時を過ぎていた。規則正しく健康状態を保ってやりたかったのに、と思いつつも楽しんでいたのだから仕方が無いと言い訳をする。

武道を膝から下ろして自分は昼食の支度をした。もうだいぶ遅いが食べないよりはいいだろう。

レンジで温めたソレを食器に移し替えてリビングに持っていく。その匂いにつられる様に武道はすぐに一時停止ボタンを押して顔を上げた。

 

「スパゲッティですか⁉」

「おー、ミートソースな」

 

昔、弟たちがゲームをしていた時はもうちょっとだと言いつつ全然やめようとしないので𠮟りつけてコントローラーを取り上げたものだったが、武道はそうでも無いらしい。

まぁ丁度区切りの良い所だったのかもしれないし、真一郎の動きを見てソレに合わせてゲームを進めていたのかもしれない。

ゲーム画面はつけっぱなしで、テーブルにつく。朝食の時よりもちょっと急ぎ気味で、まったりと食事をしたいと言う気持ちよりも早くゲームの続きをしたいのだと分かりやすくて真一郎は苦笑いをしてしまう。それでも真一郎よりは食べるのが遅いのは体格の違いなのか。真一郎が自分を眺めるのも気にせず食事を胃に詰めて、食器をシンクへと持っていく。

それでもちゃんと自分で洗い物をするのだから武道はえらいなぁと真一郎は目元を緩ませた。

洗い物も急いでしたのか、ほどなくして武道はリビングへと戻ってくる。そうして自然な動作で真一郎の膝で再びゲームを始めた。

 

そうして午後の時間も溶けていき、ゲームの内容は中盤どころかコレでまだ序盤が終わるかどうかぐらいの所だった。このゲームはチュートリアルが終わればすぐにラスボスの元へと向かう事もできると武道は得意げに語っていたがそうするつもりは無いらしい。

飽きても大丈夫な様にいくつかタイトルを用意したがその必要は無かったかもしれないと思う。

しかし、武道のゲームを見ているとだんだんと攻撃を受ける回数が増えて来た。敵が強くなったとかでは無さそうでよく見れば回避のタイミングなどがズレてきている様だった。

 

「武道、もう疲れてきちゃったか?」

「うぅ、そんなことは……」

「もうずっとやってるからな。明日も出来るし今日はもうおしまいにしような?」

「うぅ……」

 

真一郎の言葉に武道は素直にに頷かなかったがゲームのキャラクターはセーブポイントへと向かっている。子どもが親に怒られる様な状況に納得がいかないみたいだったが、実際ゲームのやりすぎで疲れてきてしまったのは確かだった。

もっとやりたいのに、と唇を尖らせる様が子どもっぽくて可愛らしいと思う。真一郎はゲームを消してご機嫌斜めな武道の脇に手を入れて抱き上げる。そして向かい合う様に座らせて、そのままソファに引き倒した。

自分の上に寝そべらせてなだめる様に背中をぽんぽんと叩く。武道も抵抗はせずにぺっとりと頬を真一郎の胸板にくっ付けて力を抜く。

 

「ちょっとお昼寝しようぜ?」

「むぅ……」

「起きて元気になったらゲームの続きしても良いし、残りの段ボールも開けような? 他のゲームやパズル。お菓子も送ってもらったから」

「……はぁい」

 

いじけるフリを続けたまま、武道は瞼を下ろす。真一郎の体温が心地よくて、背中を叩くリズムが眠気を誘う。単純にゲーム疲れはしているみたいだった。

重なって眠るのは悪い気分ではない、と武道はぼんやりと思う。朝起きた時に真一郎がいたのはビックリしたが嫌では無かった。今夜も一緒に寝てほしいな、と甘ったれた子どもの様な事を考えて武道は眠りについた。

 

 

卍卍卍

 

 

目が覚めると毛布が掛けられており、いつの間にか真一郎はいなくなっていた。身体を起こして探せばキッチンで何かをしていた。

時計を見れば夕食時で、また長く寝てしまったと思いつつまぁ疲れたら他にすることも無いから仕方が無いと開き直る。

 

「お、武道、起きたのか」

「ぁい、おはようございます」

 

武道に気付いてニコリと笑う真一郎に武道も舌足らずに返す。

 

「そろそろ起こそうかと思ってた」

「……ありがとうございます」

 

まだウトウトとしつつもヘラリと笑い返す。

用意された夕食を食べて、流石にゲームの続きは明日にしようと決める。大して散らけてはいないテーブルを一応拭いて真一郎の手伝いまがいの事をした。いつも通り和やかに食事をして、今日もテレビは付けなかった。食事に集中したいというよりは真一郎と一緒にいる時間を大事にしたいと言う気持ちが強いだろうか。

今日はずっと一緒にいたため、何を話すと言う事は無いはずであるが取り敢えずゲームの進捗や動画で見た知識の話をしてみる。

真一郎はゲーム自体に興味があるというよりは武道が一生懸命話しているのを見るのが楽しいという様子で、武道はソレが少し不満であったが、真一郎の興味が自分に向いているという事は少しだけ良い気分だった。

その後、昨日と同じく風呂に入るという段階で結局洗濯機を回していない事に気付き、自分のダメさ、だらしなさは簡単には治らないのだなと思う。またもや用意されていたロングシャツを着てリビングに向かう。

 

「真一郎さん! そういえば洗濯機回しても良いですか⁉」

「ん、あぁ。そうだな。二人分だと溜まるの早いな」

「あー」

 

何の理由も無くだらしない自分と一緒にするのは違うと分かりつつも、真一郎も洗濯機がいっぱいになってから回すタイプなのだと分かり武道は安心する。

ソレが原因でマイナス評価をされることはなさそうだ、と。

 

「別に夜に回して苦情が気事は無いから大丈夫だろ。やってくれんの?」

「はい!」

 

真一郎の微笑ましそうな顔に武道も子ども返りして意気揚々と脱衣所へと向かった。洗剤や柔軟剤を入れてボタンを押すだけの簡単なお仕事だ。そして恐らくこの洗濯機には乾燥機も付いている。ランドリーでしか使った事は無いが恐らく何とかなるだろう。後は音が鳴れば畳むだけだ。

 

「できました!」

「おー、偉いぞー」

 

ソファで待つ真一郎の膝に武道はニコニコと入る。クシャクシャと撫でまわされ犬の様な扱いだが気持ち良かったので文句は無い。

 

「じゃ、洗濯機が止まるまでまた開封式でもやるか?」

「はい!」

 

真一郎の誘いに武道は元気よくソファを降りた。

中途半端に開けっ放しになっている段ボール箱の中には今日やっていたタイトル以外のソフトがいくつも入っていた。

 

「あ、コレもやりたい!」

「じゃあ明日やるか?」

「うーん……。でも、今日の続きもしたいです……」

「ははっ、まぁ好きな方選びなー」

 

一通りのソフトにきゃいきゃいとはしゃいだ声を上げる武道と、ソレを微笑ましく眺める真一郎。お互い、この全てのエンディングを追える前にこの生活が終わるのだろうとは分かっていたが今だけはと目を瞑った。

そうしてゲームの段ボールが終わり、次の段ボールに移る。その中には武道が所望したパズルの類が入っていて特に指定が無かったせいか子供向けのピースの少ないものから多いもの、一般的な絵画のものや武道の知っていたり知らなかったりするアニメのイラストのもの、果ては地球儀の様な立体パズルや知恵の輪も入っていた。

サンタクロースの工場かおもちゃ屋さんの倉庫かという有様のリビングは元のモデルルームの様な部屋からはかけ離れた雑然としたものとなっていく。

 

子どもが生まれるとはこういう事なのだろうな、と武道は生家を思い出した。ベッドやテーブルにキャラクターシールをペタペタ貼って行けば完璧である。

勿論、成人男性である武道はそんなことはしないし、出したゲームやパズルはちゃんと段ボールに戻していく。空のラックやカラーボックスなどがあれば並べても良かったがこの部屋にそんなものは無かった。

 

もしそんなものがあれば、武道がいなくなった後、使われなくなったソレがこの部屋に鎮座する事になるのも忍びない。

万が一にも自分を思って真一郎がソレを惜しむことが無い様に、自分がいた形跡は箱ごと捨てられるくらいが良い。

そこまで真一郎に自分が気に入られているかは真一郎の精神性の複雑さもあり、武道の対人経験では分からなかったがとにかく捨てる時に楽な方が良いには決まっていた。

 

そうして次の段ボールを開けるとこちらは衣類が入っている様だった。スウェットとジャージは室内で楽に過ごすためのものであり、気が向いたらコレを着てあのトレーニングルームで遊んでいいという事だろう。

軽く袖を通せばピッタリではないもののそう悪くは無いサイズ感だった。アスリートでもない自分にはコレで十分だろう。

そして服で隠す様に、その下にまた玩具くらいのサイズの箱たちが入っていた。

コレは何だろうと武道がソレを取り出せばパッケージにはアニメ調のいやらしいイラストが描かれていた。

 

「へ?」

「あー……」

 

武道が驚いて固まると真一郎は納得した様な、呆れた様な気の抜けた声を上げた。

 

「ああああ、あの⁉ コレは⁉」

「まぁお前も男だし? 妙な気の遣われ方したな」

「えぇ……?」

「まぁ女の子呼ぶことも出来ねぇしなここ」

 

段ボールの中から一つ取り出しながら真一郎もそのパッケージを眺める。そちらの箱には実写の女優と思われる女性と完全再現なる文言が印刷されていた。

 

「まぁ好きにシコっていいぞ」

「しません‼」

 

他人の家でそんなこと、と頬から耳、首筋まで真っ赤になる武道を真一郎は面白そうに眺める。最初に上裸を見せた時もおぼこい反応をしていた。恐らく童貞で処女なのだろう。

振興組織との交渉がどれだけ長引くか、すぐに済むかは分からないが、性処理のひとつくらいは成人男性だしするだろうという配慮は分からなくも無い。

嫌ならやめておけばいいのに、恐る恐るという様に武道は段ボールの中の大人の玩具を確認していった。恐らく、全く興味が無いと言う事はないのだろう。

オナホールの類からローション、果てはコンドームまで入っている。そして武道が一番びっくりしたのはディルドやアナルプラグの類だった。レンタルショップで働いていたため、印刷された女優にどぎまぎする程の純情さは無かったが、玩具の類は別らしい。

 

「ひぇ、こわ……」

 

引いた様な様子で身体の中に挿れるタイプの玩具を武道はしげしげと見つめる。

パッケージやタイトルでこういった物が使われるAVも知っていたが好んでみる事は無かったし、実物を手に取る機会が訪れる事も無いと思っていた。

洗浄液や初心者セットらしいソレに「今のうちに楽しんでおけ」という気遣いを感じて武道は微妙な気持ちになる。

最新のゲーム機よりもこっちに夢中になる可能性があると思われたのだろうか、と。

 

しかし、真一郎はだんだんとその意図を察してしまった。

恐らく、稀咲に引き渡された後にソウイウコトをされる可能性があると言う事だろう。楽しんでおけ、というよりは楽しめるようになっておけと言った所か。

 

しかし、それを今の武道に伝えるのは酷というものだろう。

今はまだ様子見をしようと真一郎は決める。武道を見れば興味が無いという事は無さそうで、もしかしたら自分から好奇心に敗けて手を出す可能性もある。そうならなかったらそうならなかったで、真一郎が面白がるノリで使わせればいい。今の距離感の詰め方なら恐らくソレができるだろうという確信はあった。

自暴自棄気味の武道は優しくしてもらえるなら身体を委ねるのにそう抵抗感は無いはずだ。痛くないなら何でもいい、と。

ソレはだいぶ痛ましい精神状態ではあるが、この先にある地獄がどの程度のものなのか分からないためソレを利用した方がいっそ武道のためになるだろう。本当はどんなにつらくても笑顔を作れる状態なのであればソレに越したことはない。表面上の笑顔すら作れない状況にこの先なる可能性がある。

その時に、経験がゼロからよりは「あぁ、コレは知っているものだ」と思えた方が楽だろうと真一郎は思った。

そんな真一郎の考えなど想像にもせず、武道は顔を赤らめながら玩具を眺め、洗濯機が停止する音とほぼ同時にリビングから逃げる様に出ていった。

洗濯物を片付け、二人で寝室へと向かう時には玩具の入った段ボールはリビングの隅にひっそりと置かれていた。

 

 

 

 

翌日、真一郎は武道を置いて出勤した。

全く気にせずにニコニコと手錠を掛けられる武道に微妙な気持ちになりつつ、通常業務をこなす。世の中は自分も含めクズばかりで、債務者を脅し、地上げをし、溜息を吐く。

武道の可愛さがただただ恋しかった。

ペットにハマるのはこういう理由なのだろうと理解する。無垢であると言う事に価値はある。

そして休憩時間に盗撮、もといペットカメラを確認する。

一人で昨日のゲームの続きをしているのだろうとリビングを確認すればそこに武道はいなかった。あれ、と手錠の鎖の先を辿って行けば寝室へと繋がっていた。

まさか具合でも悪くなったのか、とカメラを切り替える。そこに映っていたのは昨夜の玩具で一人遊びをする武道だった。

 

「あ、あー……」

 

下半身には何も纏わず、ベッドにタオルを敷いて、その上でローションでひたひたにしたオナホールで必死に性器を擦っていた。

 

『あっ♡ あぁっ♡』

 

イヤホンを付けて音量を上げれば成人済みであろうに幼さを感じさせる高めの声で甘く喘いでいる。

恐らく、昨夜意識するまでは性欲など忘れていたであろうに、性玩具を見て思い出してしまったのだろう。買ってあげた玩具が使われているのは良い事だ、とペットの飼い主目線で見る事も出来たが、その可愛らしい声を聴くと自分も久しく忘れていた獣欲というものが刺激される。

後で録画の映像を最初から見ようと決め、目の前のライブ映像を真一郎は食い入るように見つめた。

 

投げ出された脚にはしっかりと筋肉がつき、脂肪を纏って尻へと曲線で繋いでいる。

華奢ともしなやかとも言い難いガッシリとした男の脚であるのに性感を得る毎にビクビクと痙攣する様がやけに艶めかしかった。タオルに乗るむっちりとした尻はオナホールを上下するに合わせ淫らに揺れ、ひしゃげ、その形を変える。その尻を思い切り鷲掴み、揉みしだいてやればどれほど心地良いだろうか、どのような嬌声を上げるのか、無意識に真一郎はそんなことを考える。

すでにその欲はペットに対するものではなく、雌を屈服させる雄のソレであった。

自分でもコレはいけない、と思いつつも携帯端末の画面に夢中になっていた時、不意に、イヤホンがブチリと外された。

 

「ちょっと真チャンー? 事務所でAV見ないで……あれ、コレ武道チャンのペットカメラじゃん?」

 

真一郎の異様な雰囲気に部下たちが気圧され、流石にコレはと若狭が手を出せば、真一郎の見る映像は武道であった。

ペットカメラを見る表情では無かった、と若狭は思う。性欲というものを思い出せるようになったのは良いことではあるが対象が不味い。

 

昨日の差し入れに半分冗談、半分本気で入れておいた性具がさっそく使われていて若狭としては少し面白い気分だった。

武道チャンも若いからネ、と青少年の性欲を微笑ましく笑う事が出来たはずだった。

 

しかし、ソレを食い入る様に見る真一郎の表情はいけない。

昔を思い出す様な、人間の顔だった。弟が死んで死んだように生きていた真一郎がそこまで回復出来た事は良い事であるが、武道は既に交渉材料の生贄としての役目が決まっている。思い入れが強くなり過ぎれば万次郎の二の舞である。

 

「武道の奴ウケるよなー」

「……」

 

あはは、と少し誤魔化す様な笑みを浮かべる真一郎に若狭は疑いの目を向ける。死んだ弟と同じくらいの歳の子どもをそういう目で見るのか、と。

すると真一郎は罰が悪そうに視線を逸らし、外回り言ってくるなどと言って事務所から逃げてしまった。

その背中を見るのは若狭だけでは無かった。

 

「佐野の奴、ガキみてぇな反応だったな……」

「えー、あー、はい。まぁ……」

 

心底呆れた様な声色の喪部碕に若狭も苦笑いを返すしかない。真一郎が総長をしていた、一番輝いていた時代を知っていればその頃の真一郎に近い反応だと思えたかもしれない。

しかし、今の真一郎は紛れも無い大人であり、ヤクザの用心棒である。ソレがあの反応を見せるのはみっともないと若狭にも分かる。

勿論、ソレが真一郎の魅力の一つでもあるというのも若狭には分かっている事であるが。

うまくいけばこのまま真一郎の心の病を武道に払拭してもらい、大人の男、不良少年では無くヤクザとしての振る舞いを教え込む必要がある。

そしてそのためには武道に生き延びでもらわなければならない。

 

「……」

 

少し、作戦を変更しようか、と若狭は今後の予定を組みだした。

 

 

 

 

真一郎が外に出ている間に、暇つぶしの玩具が増えた武道はテレビゲームを楽しんでした。昨夜は序盤のそこそこ良い所まで進んだので心躍る非現実に武道は没頭しようとした。

しかし、チラチラと視界に映り込む他の玩具の入った段ボールがどうしても気にしなってしまう。他のゲームソフトが気になっているのではない。いっそ視界に入らない場所にまで移動させても気になってしまうソレは大人の玩具だった。

ヤクザに攫われてまだ数日しか経っていないが、好きに使っていいよと言われたソレはまだ若い武道の好奇心を十二分に刺激した。独り身の寂しい男ではあるが、自慰の際の玩具を手に入れようとは今まで思ってもいなかった。そんな物を買うなら食べ物を買うのが武道だった。性欲は右手があれば発散できるが食欲を満たすのは食べ物だけだからである。

 

しかし、ソレを無料の玩具として渡されてしまうと、ソレはそんなにも気持ちが良いのか、という興味が湧いてしまう。

武道にはソレを使ってよい。ソレを使う権利がある。

年頃の少女でもないため、性欲を発散するのではなく満たす事に嫌悪があるわけでもない。

 

「……」

 

ゴクリと生唾を飲み込んだ。集中が切れた武道の操作キャラクターはあっさりと敵に敗けてしまった。直前の、敗けても惜しくないタイミングでセーブはしてある。コンティニューはしなかった。

 

「ん……♡」

 

真一郎の寝床であったリビングのソファで自慰をする気にはなれず、武道は取り敢えずオナホールとローション、そしてコンドームを持って寝室へと向かう。

自慰のために玩具を持って場所を移すという行為がどうにも恥ずかしく、誰がいるわけでもないのに照れてしまう。

シーツを汚さない様にタオルを引いて、いざ玩具遊びとパッケージを開ける。

樹脂製の筒状のソレに武道は本日何度目かも分からない生唾を飲み込んだ。

既に軽く勃ち上がっている性器を、先走りを絡めながらちゅこちゅこと扱く。ある程度硬くなった所でコンドームを付けた。今よりも若い頃にもしかしたらと付ける練習をしたのが懐かしい。結局、女の子相手に使う機会もなかったなぁ、と武道は苦笑いをした。

 

「ふ、ぁ……♡」

 

筒状になった部分に加減も分からずローションを垂らし、ジュプリと挿入する。

自分の手とは全く違う感覚に武道は驚きと共に甘い声を上げてしまった。ゾワリと背筋に快感が奔り、ビュクリと射精をしてしまい武道は目を見開いた。自分はこんなに早漏だったのか、と恥をかく前に知れて良かったと思うと同時に、まぁこの先も使う機会は無さそうだし良いかと思い直す。

ソレよりも一度射精したにも関わらずまた甘硬くなってしまっている性器に武道はどうしようかと考える。何となく自身のモノにコンドームを付けてしまったが、要らなかったかもしれない。普通のセックスであるなら一度射精したのならゴムは取り換えるべきであるけれど、オナホ相手にその必要も別に無かっただろう。洗う手間暇も直接ローションを塗りたくった時点で同じハズだ。

一度抜いてから、もうゴムは使わずに直接挿入し直そうと決める。

挿れた瞬間に出してしまった敏感おちんちんであれど、一度出してしまえば多少は我慢できるとトロトロになっているそこから性器を引き抜いた。

 

「あんっ♡」

 

女の子の様な甘い声を上げてキュポリとオナホを引き抜けばその瞬間にも射精感がこみ上げるが何とか我慢する。

ゴムをとって口を縛って、取り敢えずタオルの上に放置した。後で捨てればいい、今はすぐにもう一度オナホールに挿入したかった。

ぐちゅりと水音を立てて勢いよく被せてしまえば中の襞に雁首から竿までを嬲られる。

 

「んぉっ♡♡♡」

 

先ほどまでは滑りによってよく分からなくなってしまっていた内部構造が武道の性器を舐めしゃぶり、亀頭に吸い付く。

 

「あっ♡ あっ♡ あっ♡」

 

夢中になって筒を上下し、ソレに合わせて腰を振りたくってしまう。その度に自分でも信じられない程甘い声が喉奥から漏れて、ジワリと涙の膜が瞳を覆う。

 

「あぁっ♡」

 

気持ちが良くて泣いてしまうなんて事があるのか、と驚く間も無く、射精してしまう。それでもまだ興奮冷めやらず、何度もビクビクとホールの中で性器が痙攣し、同じように腰がヘコへコと動いてしまう。そのうちにまた性器は硬くなっていき、武道は夢中になってホールで亀頭から竿までを苛め抜いた。身も世も無く喘いで、腰を振り、涎が口元を伝う。

コレはいけない、と快楽に馬鹿になった頭の隅で思うのにやめられない。

自身の精液なのか、最初に入れたローションなのか分からない液体がホールから溢れて玉から会陰を伝い、尻とタオルを汚した。酷使した腕と腰が重だるくなってきてやっと、武道の性器は落ち着いた。

 

「はぁ♡ コレ、ヤバいかも♡♡♡」

 

熱い息を吐いて、武道はベッドに倒れ込む。

こんなにも自慰に夢中になったのは中学生以来かもしれない。むしろいっそ、手どころか腰が疲れるまで自慰をしたのは初めてとすら言える。

 

「オナホってすげぇ……」

 

暫く放心する様にぼんやりとして、色々と落ち着くまで寝転がった。そうして午前はゆっくりと過ぎて、正午になる前にタオルの片付けをする。流石に窓は開けられないものだったが、代わりに換気を付けた。恐らく故意の、落下防止のための部屋なのだと分かるが今だけはそれが恨めしかった。

頼むから真一郎が帰ってくるまでに匂いが消えてくれと願う。掃除用具の入っている棚に消臭剤があった気がする。

洗面台で軽く手洗いしたタオルを洗濯機へと放り込み、すぐに洗剤を入れて回しだす。大丈夫だろうと思いつつも、臭いが残ったら居た堪れない。オナホールも勿体無いが洗って袋に入れて見えない様にゴミ箱の奥へと沈め込んだ。

全てのドアを開けて、あらゆる換気を付けて、消臭スプレーをぶっ掛ける。

成人を超えたと言うのに何をやっているんだ自分はという思いが強くなり、だんだんと居た堪れない気持ちになる。時間差で来た賢者タイムに何とも言えない気持ちになりつつ、いっそ食べ物の匂いで上書きされて欲しいと思いながら昼ご飯をレンジに放り込んだ。

午後こそゲームをしよう。そしてもう二度とこの家で自慰はしないと心に決めた。

 

 

決めたハズだった。

しかし、翌日、また武道は肉欲に囚われていた。

ソレもコレも真一郎がわるいのだと武道は内心で言い訳をする。昨日帰ってきた真一郎の武道への接し方と言ったら酷い有様だった。

ぎこちなく、それでいてジッと何かを期待する様ないやらしい視線を真一郎は武道に向けた。

もう少し前までは、まだ普通の疑似的な弟くらいの扱いだったハズだ。その前はもっと暗い瞳をしていて、真一郎の何かを刺激する他人程度だった。それがだんだんと態度が軟化していって、ペット扱いになり、終いにはコレだ。

 

だんだんと真一郎の心の傷が癒えたのであればソレは喜ばしい事だと思う。

しかし、恐らく、真一郎は武道の自慰を見たのだろう。考えて見れば自分は大事な交渉材料である。手錠と鎖で繋いだとしても監視カメラくらいどこかにあってもおかしくは無い。多少気まずいくらいの反応や、ちょっと揶揄ってくるくらいの反応ならばよかった。

しかし、真一郎のソレは武道への欲を感じさせるものだった。そのうえ、真一郎はそれなりに年上に見えるのにどこか昔の自分を思い出させる様な純な反応をする。

 

ペット扱いで一緒に寝ていたのを辞めて、また真一郎はリビングのソファで寝るようになった。武道を意識してしまったせいでペット扱いも弟扱いもできなくなってしまったのだろう。それが武道を増長させてしまった。

そのせいで、武道の自慰行為はどんどん激しいものになってしまった

 

「あっ♡ あぁっ♡ 気持ちいぃよぉ♡♡♡」

 

シーツを汚さない様にタオルを敷くのは忘れない。しかし、ローションでトロトロになっているのは武道の尻穴だった。

始めは少し変質的な、露出趣味に近い程度のものだった。

もしかしたら今、自分がしている自慰を真一郎が見ているのかもしれない、そう思うと羞恥心と共に強い快感が武道を襲った。恥ずかしい所を見られているかもしれないと想像して射精に至った瞬間は自分にはマゾヒストの気があるのだろうと思っていた。

 

そうしているうちに、だんだんと真一郎が自分に欲情していると言う事に興奮を覚え始める。

目の前の男は自分を犯したがっているのだと思うとゾクゾクが止まらなくなる。自分のいやらしい姿を見てその一物を滾らせ、挿入し、滅茶苦茶にしたいという欲望をもっているのだ、と。

次第に、武道の自慰の際の妄想は真一郎に見られる自分から、犯される自分になっていった。

 

そうしているとだんだんと尻の快楽というものが気になってくる。レンタル店でゲイモノのAVは見た事があった。

そういった新作が入るとバイト同士で下ネタトークをすることもあり、当時大学生のアルバイトだった男からやけに詳細な男同士のセックスの仕方を得意げに説明されたことを武道は覚えている。もしかしたらアレは自分を誘っていたのかもしれないと増長した武道は思い出す。だって自分はあの真一郎に欲情されているのだから、と。

事実はどうであれもう過去の事であるが、その時の知識は今の武道の役に立った。腹の洗浄をせずに尻で遊べば碌な事にならないと武道は知っていた。そして、そのための道具も揃っていた。

 

トイレとバスルームで腹のナカを綺麗にして、ベッドの上で小さい玩具から試していった。初めは気持ち良さがあまり分からなかったりもしたが、どこかのカメラで真一郎が自分が一人で尻を弄っているのを見ていると思うとそれだけで興奮した。

そうしているうちに、だんだんと前立腺の位置を覚えたり、好きなストロークのタイミングが分かったりするようになった。そうなれば、ナカで快感を得ながらも前を弄って、ナカの良さと射精を紐づけていく。

地道で変態的な行為であると思いつつも、快楽の虜となった武道には堪らず、やめる事はできなかった。

 

「真一郎さんっ♡ 真一郎さんっ♡ いくぅ♡ オレ♡♡♡イッちゃいますぅ♡♡♡」

 

寝転がって、それなりのサイズのディルドを片手で出し入れして、もう片方の空いた手には真一郎が使っている毛布を顔に擦りつける。

真一郎の匂いが移ったソレをオカズに、声まで拾われているかも分からないけれど、真一郎の名前を呼び、犯される妄想で何度も武道は果ててしまった。

 

 

 

 

「真一郎さんっ♡ 真一郎さんっ♡ あぁぁあっ♡♡♡」

 

もう既に日課と化した自慰行為を、今日も武道は行う。お気に入りの玩具で何度も何度も吐精し、武道は甘い悲鳴を上げる。

カメラや盗聴器越しにその声を聴かせるつもりで、武道は何度も真一郎の名前を呼んだ。本当に犯してほしいかと言われたら武道自身にも分からない。

好きかどうかと言われても相手は男である。

しかし、いやらしい言葉を吐けば吐くだけ武道は滾り、気持ち良くなってしまう。だから、こうして他に誰もいない部屋で、身も世も無く喘ぎ、乱れてしまう。

 

「真一郎さんのおちんちんほしいよぅ♡♡♡」

「だぁめ♡」

「ッ⁉」

 

だから、返ってくるはずも無いと思っていた一人遊びの声に返事がきて、武道はビクリと身体を起こしてその声の主を見てしまった。

 

「し、しししし真一郎さん⁉」

「おう、ただいま。武道♡」

 

鎖で繋がれているため、締められない寝室のドアの前に真一郎は立ち、ニッコリと武道に微笑みかけた。

時刻はまだ午前、まさかこんな時間に帰ってくるとは思っていなかった。いつも特に何時に戻るなどとは言わずに出勤する真一郎はおおよそ夜には帰ってくる。今日もそうなのだとばかり思っていた武道はそのあまりにも早い帰宅時間に驚いてしまう。

いつも監視カメラと盗聴器に見せつける様に自慰をしていた癖に、いざ本人を目の前にしてしまうと武道は怖気づいてしまった。真一郎が武道に欲情していると思いながらも、見て見ぬふりしてくれているのだとも思っていたのだ。ソレが今、カメラ越しでもなく目の前で武道の痴態を眺めていた。

最初は人殺しの様だと思ったその瞳を今は獣の様だと思う。

 

「ひ、ぅ♡」

 

武道に確かに欲情を見せるソレに。獣の様な眼で見るな、と思ってしまう。なのに、同時に、もっと視て欲しいとも思ってしまう。浅ましく快楽を貪る変態だと軽蔑されるのでは、という恐怖と、もし相手が獣欲に身を任せたら自分など簡単に滅茶苦茶にされてしまうという期待。

いっそ軽蔑しながら犯してほしい。オナホールの様にコキ捨てられたい。妙な願望が脳裏に過る。

しかし、当の本人から犯してはくれないのだと言われてしまったのだ。

しかし、その視線に宿る情欲は間違いなく存在した。

ジッと武道と、そして武道が飲み込む玩具、ひいては武道の肉孔を真一郎は見つめる。

その視線に興奮して、触ってもいない性器からドクリと精液交じりの先走りが垂れる。ソレも見ながら、真一郎はゆっくりとベッドへと近付いてくる。

 

「ほら、どうした? 見ててやるからもっとやれよ」

「ぁ……♡」

 

欲情しているのに手を出そうとはしない真一郎の真意が分かって、武道は自身が何をすべきなのかやっと分かった。真一郎はもっと武道を見たいのだ、と。

そうであるなら、話は早かった。

 

「あっ♡ あぁっ♡ 見てっ♡♡ 見てくらしゃいっ♡♡ 真一郎さんっ♡♡」

 

尻たぶを手で開いて、玩具を飲み込む孔を見せつけるが、ソレは真一郎のお望みでは無かったらしい。ぺちりと尻を叩かれ、武道は甘い悲鳴を上げた。

 

「上、脱げよ」

「ひゃいぃっ♡♡♡♡」

 

自慰の際に全裸になるワケではない武道は上はそのままスウェットを着ていた。性器だけ見せられれば良いのだと思っていた武道にとって、上を脱げと言うのは未知の命令であった。

しかし、ばさりと服を脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ姿になると、何とも言えない不安感と羞恥が襲ってくる。今までは局部のみ、自身の孔や性器だけを見せていた。ソレが急に武道自身を見られる様な、いっそ全身をいやらしい目で見られている様な気分になりゾワゾワする。

 

それと同時に服が人としての尊厳の源であったのだと理解する。全裸になることで、自身がいかに浅ましく、人様よりも下等な、ただの肉であるのかが分かる。

そんな武道の様子を見て、真一郎はニッコリと笑う。今まで武道が意識していなかった、胸やへそを真一郎はエロいものであると思って見ていた。まだ武道がその辺りを自覚していないと分かりつつも、そのうち自分の身体が全身エロいのだと教え込もうと真一郎は決める。

 

「脱げました……♡」

「ん、良い子。今度から見せ付けオナニーするときはちゃんと裸になれよ?」

「はい……♡」

「みてほしいんだろ? じゃあちゃんと見せなきゃな?」

 

あくまでも手は出さずに、雌の獣を躾けるテイで、真一郎は武道に教え込んでいく。武道は、獣欲に任せ自身を貪られる事ばかり考えていたが、こうして躾けられると真一郎が一般人では無かったことを思い出す。

真一郎は自分よりもよほど上等な生活をするヤクザであり、自分はもっと底辺のフリーターで、拉致された被害者であったと思い出す。

屈辱的な事であるハズなのに、ソレが武道の尾てい骨を甘く痺れさせた。

 

「ほら、見てほしかったんだろ? してもらいたい事してくれた相手にはどうするんだ?」

 

手のかかるペットの躾の様に、優しく、真一郎は武道に更なる尊厳のストリップを強いる。これ以上脱ぐものがあったのかと驚く暇も無く、武道は三つ指をつく。

 

「オレの浅ましい姿を見ていただきありがとうございます♡ お礼にオレの玩具で熟れたおちんぽ処女の変態孔をオナホにして真一郎さんのおちんぽで使用済み中古まんこにしてください♡」

 

言葉を紡げば紡ぐほど、玩具を咥えこんだままの肉孔がビクビクと痙攣してしまう。土下座にも近しい姿勢で、ハメ乞いをすれば真一郎はやっと、武道の身体に触れた。

 

「うん、ちゃんと言えて良い子だったなぁ♡」

「ありがとうございましゅ♡」

 

いつもと同じような、エロさを感じさせない手つきで、真一郎は武道の頭をくしゃくしゃと撫でた。

そうして、這いつくばる様な姿勢だった脇に手を差し込んで真一郎は武道を抱き上げた。

ぎゅうっと痛くない程度に、力強く抱きしめたまま、髪や顔中にキスを落とす。

 

「じゃ、SMごっこはここまでな♡ ここからはちゃんとラブハメえっちしような♡」

「らぶハメ♡ オレ、真一郎しゃんとらぶハメしたいれす♡」

「うん、うん♡ そうだよな♡ ドMの武道がオレのためにドスケベハメ孔にしちゃったおまんこ♡ 恋人えっちでオレ専用のエロエロお嫁さんまんこになろうな♡」

「んっ♡ んぅ♡」

 

初めて唇を合わせたのだというのに、真一郎は容赦なくその口内を舌で貪る。初めは探る様に、次第に武道のイイ所を攻めたてる様に、口内を荒らした。

昨日まで童貞の様にキョドっていた真一郎とは思えないテクニックに武道は身体の芯が痺れ、蕩けていくのを感じる。

獣欲を抑えていてくれただけなのに、調子に乗ったのがいけなかったのだと武道にも分かる。しかし、このままこの男に全てを捧げたいという気持ちが確かにあった。他の誰かに奪われるくらいなら、尊厳ごと真一郎に捧げてしまいたいのだ、と。

濃厚なキスをして、そのまま、カサついた大きな手で身体を弄られる。胸を揉まれ、腹をなぞられ、内腿を擽られた。

そうして、ぐっぽりとハマッた玩具を武道のナカから勢い良く引き抜く。

 

「ひゃああああああっ♡♡♡♡」

 

容赦のない力で前立腺を擦り抜かれ、武道はビュクビュクと射精した。自身の精液で真一郎の服が汚れて焦る。

 

「ごめっ♡ なしゃ……♡」

「大丈夫大丈夫♡ いつも武道がしてたみたいに洗って洗濯機でまわしちゃえばいいだけだからな♡」

「あうぅ……♡」

 

ちゅむちゅむと顔にキスの雨を降らせ、射精した身体を労わる様に撫でられる。しかし、その言葉は紛れも無く、武道の一人遊びを揶揄うものだ。

羞恥に頬を染める武道に構わず、真一郎はまろい尻を揉みしだき、その奥のトロトロと愛液を垂らす孔を指先で擽る。

人に触られるのは初めてで、自分や玩具でするのとは全く違う感覚が武道を襲った。

 

「ふっ♡ うぅ……♡」

 

擽っていた指先は簡単に中へと飲み込まれ、真一郎の指を歓迎した。肉襞でゾリゾリと指を舐めしゃぶり、前立腺はぷっくりと主張し、ここを凌辱してくださいと媚びてくる。

コレは大丈夫そうだと指を増やし、肉襞を引っ掻いてやり前立腺をタップしてやる。

すると武道は背筋お望み通りにを逸らしながら声にならない悲鳴を上げた。

 

「ひっ♡ ぁ……♡」

 

先ほどまで盛大に嬌声を上げていたくせにいざセックスとなると途端にしおらしくなるのが可愛くて、真一郎はその間にも何度も武道にキスをした。

ソレが更に武道を追い詰めている事は分かっていたがやめるつもりもない。

一人遊びの時点で何度も吐精したせいか、先ほど盛大に射精してしまったせいか、武道の性器は甘硬くなるも勃ちきらず、そのまま何度も薄い愛液を吐き出す。

力の入らない身体を片手で抱き締めて、トロ孔に突っ込んだ指で前立腺をもみくちゃにすればビクビクと痙攣する。壊れた玩具の様な有様の武道が可愛くて、このままずっと抱きしめて快楽拷問にかけたままにしてやりたい気持ちになる。

しかし、恋人えっちでお嫁さんにすると宣言した際の武道の期待を裏切るわけにもいかず、真一郎はある程度ナカの検分が終われば指を引き抜いて力の入らない武道をベッドに横たえた。

両足を担ぎ上げ、熟れた孔に亀頭でキスをする。

 

「あっ♡」

 

今から中に入る旦那様チンポの挨拶兼凌辱宣言に武道は慎ましさを装えない期待の声を上げる。

玩具とは比べ物にならないソレは亀頭から雁首の時点でサイズが違う。武道からは見えないがその段差は玩具でも経験したことの無いものだった。

 

「挿れるな♡」

「ひ♡ や♡ ああぁぁぁあんっ♡♡♡♡」

 

その硬い逸物が武道の肉筒全てを擦り上げながら侵入してくる。一度では玩具の届かなかった未開拓の場所まで入り込めず、半分くらいまでで止まった。

そこで一度息を吐いて、真一郎は落ち着く。

獣欲に任せて武道の処女地を凌辱することは出来たが、その狭い肉畑を耕して柔らかくしてやる必要がある。しばらくは武道のナカに真一郎の逸物が馴染む様に少しゆすったりする程度にとどめる。

 

「んっ♡ あっ♡ あぁっ♡♡♡」

 

それですら武道は気持ち良さそうで、真一郎の動きに合わせて腰を揺らす。そうして馴染んできた所で抽挿を開始した。

 

「あっ♡ あっ♡ あっ♡ あっ♡」

 

パチュンッパチュンッと水音と肌が触れ合う音が響く中、亀頭でまだ狭い場所を少しずつ暴いていく。しかし、少しずつであるのは最奥だけで、その手前の開発され切った前立腺と襞はその抽挿の度に真一郎のカリ高ちんぽゴリゴリと擦り潰されるのだから武道は堪らない。

動かすたびに喉が勝手に鳴らす甘い母音を玩具の様に上げることしかできない。

蕩けているのはナカだけではなく、潤んだ瞳も口元も何もかもがだらしなく濡れていた。

自慰の分も含めて武道は限界をとっくに超えているのだろう。今度は先に一人で遊ばせずに初めから全ての体力を真一郎とのセックス使わせようと決めて、抽挿を速めた。

健気に締め付ける肉筒は最初よりも解れ、長いストロークが出来るようになる。その竿全体を舐めしゃぶってくれる刺激に射精感が増し、そろそろだと真一郎は悟る。

 

ナカに出すからなっ♡」

「はいっ♡♡♡♡」

 

グググッと入る限りの奥に亀頭を押し付け、種付けの姿勢へと入る。自分よりも小柄な武道を押さえつける様に顔を近付け、キスをした。

その瞬間に武道のナカがギュウっと子種を強請る様に収縮する。そザーメン乞いに応える様に、真一郎も射精した。

 

「~~~ッ♡♡♡♡♡♡♡」

 

キスで口をふさがれているため、音は出なかったが、念願の種付けに咽喉は嬌声を上げていた。。

そのまま精液を馴染ませるように軽く腰を揺すり、ゆっくりと武道のナカから自身を抜いた。

本来ならあと何回かしたかったが今日はもう無理だろうと目下の惨状に苦笑いをする。

完全にハメ肉となってしまったソレは人というよりはダッチワイフの類に近い有様だ。玩具で遊び過ぎて本人が玩具になってしまった様だ。

もう意識も半分ほど無い武道にキスをして、指を絡ませる様に手を繋ぐ。後片付けをしなければならないと分かりつつも、もう少しだけこの甘い倦怠感に包まれていたかった。

 

「もう俺の全部、お前にやってもいいわ」

 

 何もかもを無くしたというのに、武道に出会ってから自分というもの取り戻すのはすぐだった。

 もうこれは運命か何かだと真一郎は茹った頭で思う。

 

「……俺はもう、死んでもいいですけどね」

 

そんな口説き文句に、武道はぼんやりとしたままの頭で答える。どうせ交渉材料にされるのだから、向こうに引き渡されてもこの思い出だけで残りの時間を幸福に過ごそう、と。

 

 

 

 

そんな二人の会話を盗聴して、若狭は頭を抱えていた。

 

 

 

 

 

続く