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「神に、会いたいとは思わないかい? 義眼の少年?」

 

そう言う主催者は口許で蠱惑的に微笑むだけで、その意図はつかめない。

  

「神……」

 「あぁ、君も魔術師なら会ってみたいだろう? 我々の神、ヨグ=ソトースに」

 

ふわりと緩く束ねられた見事なブロンドが揺れるのが目に入る

少し薄暗い部屋で淡い照明が反射してキラキラと光る。その煌きをどこかで見た気がしたが、恐らく踊っている時にでも目についたのだろうと思い直す。

 

それよりも大事な事は話の内容だ。

 

「ヨグ、ソトース……?」

 

どこかで聞いたことのある様な音だった。実際に聞いたことがあるのか、それとも魔術の類でそんな響きを持たせてある言葉なのかはレオナルドには分からなかった。

 

「すべてにして1つのもの、道を開くもの……門にして鍵」

「あ」

「分かったみたいだね」

 

やっと、どこでその名を聞いたのかレオナルドは思い出した。

レオナルドがライブラに入る切っ掛けとなった半神。神性存在2種、ヨグ=グフォトに名前が似ているのだ。

 それだけしか知らないが、主催者はレオナルドの様子に勝手に納得した様だった。

 

「僕は正直、不安なんだよ。この異界と人界が入り混じるこの世界がね。向こうはジッとこちらを伺い見ていたのに、僕らは向こうを全然知らないんだ。今こそ、我らがヨグ=ソトース様のお力を借りる時だ」

「は、はぁ……」

「君はあんまり危機感が無いみたいだね」

「うーん、そうかもしれませんね」

 

事実、今のレオナルドに危機感はほとんど無かった。

初めて吸血鬼の存在を知った時、確かに感じた恐怖を彼は今でも覚えている。

しかし、世界の均衡を守るライブラに所属し、ソニックやネジをはじめとした異界の存在と交流していくうちに彼らと自分たちは姿形が違っている程度の違いしかないのではないかとレオナルドは思う様になった。

勿論、吸血鬼の存在は未だに恐ろしいと思う。しかし、異種族であるだけで恐ろしいと思う事は違うのではないかという考えだ。

 

「異界人にもいい人と悪い人がいます。悪い人はヒトを食べたり、殺したりします。ソレは酷く恐ろしい事なんですけれど、人が人を傷付ける事だってあって、異界人でもいい人は人間の悪い人よりも怖くないんじゃないかな、って。俺はそう思うんです」

 「……」

 

レオナルドが自分の考えを素直に言うと、主催者は小首を傾げ少し考える様な素振りを見せた。そして、数秒して唇を開いた。

 

「君は勇敢で、心優しい少年だね」

「え?」

「僕はそういう風には考えられない。僕らは彼らを完全には理解できないし、恐らく彼らに僕らは完全に理解はできないだろう。異界がどんな場所か僕には分からないし、きっと彼らにはHLでは無い、NYは分からないだろう」

「……完全には理解できないと思います。でも、ソレはヒト同士だってそうです。争いは絶えないかもしれませんけれど、それでも、共に生きる事はできていると、僕は思います」

 

記者としてある程度の世界の事情には通じている、とレオナルドは自負していた。

その上で、異界と人界の戦争が起きないとはレオナルドは言えない。しかし、絶対に起きるとは言えないと考えている。

争いは絶えずとも、共生する道はどこかにあるのだとレオナルドは希望を持っていた。

そんなレオナルドを主催者は表情の読めない仮面の奥で見据える。

 

「なら、動機は違っても、やはり君は僕らに協力するべきだ」

「どういうことですか?」

「共に生きるのならば、彼らのことを知って損はないだろう? ヨグ=ソトース様のお力でアチラの世界を見ることが出来れば、きっとこの曖昧で不安な状況を変えることができる。君の考える共生の道のヒントにもなるだろう」

「……」

「今日明日で、僕らは行動を起こすつもりだ。もし協力してくれるなら、此処にまた来てくれ。僕は此処で君をまっているから」

 

今日明日で行動を起こす。

それはつまりこの会の中、もしくは裏で何かを起こすという事だ。

時間はもう多く残されてはいない。今からリリィさんに報告をして、早急にこの件をどうすべきかを考えなければならない。

神を召喚し、異界を知る事がどのように行われ、何が為されるのか、今のレオナルドには分からない。

まさか目を使わずにこんなことに巻き込まれるとは思っていなかったが、これはこれで良かったのだろう。何かが起きる前に動かなければならない。

 

「はい。えっと……主催者さん」

「あぁ、僕のことはファントムとでも呼んでくれればいいよ。マスクも亡霊だしね」

「はい」

 

主催者……ファントムの所場にレオナルドは小さく頷いた。

まだ少し痛む足を気にしながら靴を履こうとするレオナルドを見ながら、ファントムは口を開いた。

 

「……君がクリスティーヌなら、この僕の登場はピッタリのタイミングだね」

「あの人がラウルって事ですか?」

 

あの人、とはフェムトのことだ。

ファントムの言葉はオペラ座の怪人の序盤になぞらえた言葉遊びだろう。

顔は合わせずに声だけで歌の師弟関係であったファントムとクリスティーヌ。しかし、気に入らない事があると事件を起こすファントムはオペラ座の嫌われ者だった。ある日、ファントムの起こした事件に嫌気がさしたプリマがオペラをストライキ。その代役としてクリスティーヌがデビューすることになる。その夜、彼女の歌を聴いた幼馴染のラウルが彼女に会いに来て、昔の情を語り始める。

しかし、クリスティーヌはファントムを裏切れないとラウルを振って彼の地下室へと向かう。

 

「あぁ、君が僕の地下室に来てくれるのなら」

「ウェディングドレスは似合わないですよ、俺」

「そうかな?」

「僕は男ッスよ?」

「ふふ、そうだね」

 

行った地下室で彼女はウェディングドレスを見る。

それは彼女のために作られたものだった。ファントムはクリスティーヌとの間に師弟関係以上のものを見いだしており、彼女もまたどこかファントムに魅かれていた。

 しかし、クリスティーヌが出来心で彼の仮面を剥ぐとその下から出て来たのは醜く歪み、焼け爛れた顔であり、悲鳴を上げるクリスティーヌ。そして、コンプレックスの顔を見られたファントムもまた激昂する。

その場はクリスティーヌを地上に返す事で落ち着くがそこから、クリスティーヌとファントム、そしてラウルを取り巻く物語が始まる。

 そんなクリスティーヌの役が自分だなんてレオナルドには思えなかった。

 

「それに俺、魔術師としては全然で……」

「そうかい?」

 

不思議そうにファントムは小首を傾げた。

 

「千里眼か、先見の明があるのか……視覚特化型の術士なんだろう?」

「あー、やっぱ分かっちゃいました?」

「ふふ、そんなあからさまな名前と見た目をしていればすぐに分かるさ。わざわざ喧伝でもしてるのかと思ったよ」

 

ファントムは楽し気に笑う。

封印を施した目に、目に関する名前。ヘタに隠すよりも似た資質を持つ誰かのふりをした方が良いという判断だ。その目論見がファントムにも通じていて、レオナルドは安心した。

 

「その魔力が全て目に使われてるにしても、儀式で君はきっと僕らの力になるだろう」

「……はぁ」

 

ヨグ・ソトース様の力で異界を見る、そうファントムは言っていた。そういう事なら、何かしらレオナルドにできる事があるのかもしれない。

だからと言って、手を貸すかはまだ分からない事だ。

 

「待ってるよ」

「はい……」

 

靴を履いて、椅子から立ち上がる。絨毯を踏んで、まだ少し痛む足を無視する。

 冷たいノブを回してドアを開け、廊下へと出る。階下へと降りようと進むと黒い影が目の前に現れた。

 

「フェムトさん」

「ファントムに会ったのかい? クリスティーヌ」

「……クリスティーヌじゃねぇです」

 

自分の名前をいう事は出来ないけれども、フェムトに他の名前で呼ばれるのもおかしな気持ちだった。

 

「まぁ何でもいいだろう。今夜は誰も誰でも無いからな」

「良くねぇです」

 

この仮面舞踏会では誰が誰でも無い。フェムトも、レオナルドも誰でも無い。

しかし、ならば「少年」といつもの様に呼ばれた方がマシだとレオナルドは思う。

 

「なら……外で会ったら、名前で呼んでください」

「あぁ、かまわんよ」

 

よく分からない、という表情でフェムトは簡単に頷いた。

本来なら魔術師に本名を呼ばれるなど、ライブラの構成員としては愚の骨頂だ。しかし、レオナルドはソレを理解しつつ、それで良いと思った。

名前を呼ばれても呼ばれなくても、レオナルドがフェムトに敵う事などほとんどないからだ。

それでも危害を加えられないという事実さえあれば別にレオナルドにとっては気分の良し悪しの方が重要なことだった。

 

「して、少年よ。ファントムはどうだった?」

「あー、何かよく分かんないです。ヨーグルトソースみたいな名前の神様を崇めてるみたいでしたけど……」

「ヨグ=ソトースだな。まぁ魔術師ならたいがいの奴が崇めているだろう」

「貴方も崇めてるんです?」

「いや? 上位存在は上位存在さ。そこにいるだけだ。崇める事で何かしらの良いことがあるから崇めている。僕はそんなのに頼らなくても面白おかしく生きられればいいからね。特に信者ではないな」

「……」

 

見返りのために讃えるだなんて何て俗物的なんだろう、とレオナルドは思ったが、少しだけ考えて思い直す。そもそも神とはそういうものであった、と。

義眼を与えられた今となっては神とは忌むべき上位存在のことであるが、主としての神も、死を克服するために崇めるものだ。

そういう意味では、何も変わらないのかもしれない。

 

「ヨグ=ソトースを崇めるファントムが、君に何かしたのかね?」

「いえ、ただ、誘われただけです」

「何にだい?」

「その神に会って、異界を見ることにです」

「ふむ……」

 

素直に話せばフェムトは思案顔になり腕を組んだ。

 

「召喚の儀式をするつもりか」

「そうなんですか? 僕、全然神様について知らないんですよね」

「まぁそうだろうな。召喚とは……む?」

 

レオナルドとフェムトが立ち話をしていると突然、背後に気配が生じた。

2人が振り向く前に、そのモノから声が掛けられた。

 

「お客様。そのお話をなさるのなら、客室が解放されていますのでそちらでお願いいたします」

 

仮面を付けた少女が突如、何も無かったハズの空間に現れた。

式神の登場のタイミングにこの屋敷の中でファントムの力が及ばない場所は無いのかもしれないと考え、レオナルドはゾッとする。

もしもコレが阻止しなければならない案件だとしたら、レオナルドは迂闊にその事を口に出せないし、行動もできない。

 この状況下で、レオナルドは色んなものを欺き行動する方法が思い浮かばなかった。

 

「ご案内いたします。どうぞこちらへ」

「だそうだ、少年。行こうか」

「……はい」

 

ゆっくりと、しかし焦れない程度の速度で歩く少女のあとをフェムトとレオナルドは付いていく。レオナルドの少し前を歩くフェムトの口はいつも通りに引き結ばれ、鼻から上は仮面で見えない。

フェムトがどういうつもりなのかレオナルドには見当がつかない。

火種にガソリンを注ぎに来たフェムトは召喚の儀式を成立させに動くのか、興味が無いと無視するのか。

そもそも儀式についても、神についてもレオナルドは知らな過ぎた。

この穴だらけの潜入作戦を何も考えずに受けた自分の危機感の無さを恨む。

しばらく廊下を歩いて、別館への渡り廊下を通る。

その先はホテルの様なデザインの棟だった。

 

「こちらへどうぞ」

 

鈴を転がした様に可憐で、しかし無機質な声で部屋を示された。

 

「あぁ」

「ごゆっくりどうぞ」

 

ドアを開け、フェムトが先に室内へと入り、レオナルドもそれに続く。

ドアを閉めるときにはもう少女の姿は無く、彼女は生物ではなく、どこにでも出現させることができるプログラムなのだとレオナルドは再び認識した。

カチャリとドアと鍵をしめ、念のためにとチェーンもかける。

そんなことをしても無駄かもしれないが何もしないよりもマシだと思いたかった。

そう大きくは無いが客室としては十分な広さの部屋にクローゼットや姿見、大きなベッドがある。そのベッドに腰かけ、フェムトは足を組んでレオナルドを見た。

 

「さて少年。神の召喚についてだったな」

「はい」

「神の召喚方法はその神によって違う。生贄を必要とするもの、依代が必要なもの、楽器が必要なものなど様々だ。その中で、ヨグ=ソトースの召喚に必要なものは塔、魔力、生贄。そして天気だ」

「天気?」

 

場所、魔力、生贄、そこまでは想定内だったか最後の一つにレオナルドは引っ掛かりを覚えた。天気、とはどういう条件なのかと。

 

「あぁ、そうだ。ヨグ=ソトースの召喚は晴れ渡った空のもとで行われなければならない」

「それは……」

 

久しく、レオナルドは晴れ渡った空を見ていなかった。

どこか薄暗さを感じる霧の灰色がこの街の空だ。

晴れ渡った空など、見ることが出来るわけがない。

 

「まぁ、ここの天候を変える方法はいくらでもあるさ。誰もしないだけでな」

 

ニヤリ、とフェムトの口許が歪む。

 

「さて、少しだけ良い事を教えてやろう。おいで?」

「なんです……かッ!?」

 

素直に近寄ると不意に服を掴まれ、レオナルドはフェムトの座るベッドへと押し倒された。服越しとは言え、肌が触れ合うと言って良い程の至近距離に体が硬直する。

重くない程度に体重が掛けられ、レオナルドの力ではフェムトを退かすことは出来ない。

ベッドに縫い付けられた身体の耳元でフェムトの息遣いが感ぜられた。

 

「ゼロからつくられたものでもない限り、完全な空間支配などほぼ不可能だ。例え家主でもな」

「!」

「空気の振動……つまり音。他にも視覚、触感、様々な情報は1人で全て管理するには膨大過ぎる」

 

耳元ですらやっと分かる程度の大きさの声でフェムトはレオナルドにささやきかけた。

 

「もし君が望むなら、プレイヤー側の仲間として君を助けてやろう。ただし、条件があるがね」

 

 

 

 

To be continued……