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聖夜デート編

 

ゴロゴロとゆっくりと車輪が回る。

ぐったりと、どころか完全に力の入っていない“物”の様な白い手が垂れ下がっている。

虚空を見つめてさえいない、光の無い瞳が落ち窪んだ眼孔に嵌まっていた。

その少年が車椅子に乗せられていなければ、武道はソレを死体だと思っただろう。

しかし、一切の反応を示さないその身体を、車椅子を押す男は丁重に扱い、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。

穏やかな春の陽光が差し込み、木々が若緑を茂らせる中、二人で散歩する姿は、その二人が窶れてさえいなければ穏やかで幸せな風景となっていただろう。

しかし、死体の様な少年とその世話をする男からはどうにも死臭が漂い、武道は怖気づいてしまう。

その少年にも、男にも武道は見覚えがあった。
「マイキーくん?」

普段は溌溂とした元気な一個上の先輩。

その万次郎のあまりにも変わり果てた姿に武道は愕然としてしまう。何故、どうして、そんな困惑と絶望の様なものが頭を過る。

しかし、武道は目を逸らさない。

視る事が先へと繋がると信じていた。

だからそこ、その不自然さに気が付けた。
「シンイチローくん……?」

想い人。好きな人。ずっと、夢を通して視てきた人。

出逢った当時の暴走族姿ではなく、もっと落ち着いた大人の時代だ。しかし、武道の知るバイク屋の姿ではない。看護師か介護士か、そんな清潔そうな服装だった。

汗水たらしながらオイル塗れになっていた真一郎とは別人の様だ。

何より、その窶れ具合が武道の知る真一郎とは全く違うものだった。

ゴロゴロと車椅子の車輪が転がる。

テクテクとゆっくりと気遣いのある速度で通り過ぎていく二人を武道はただ眺めることしかできなかった。

声を掛ける事もできず、二人も武道を認識してはいない。

何もできない。どうすることもできない。

ただ、視ていた。
「ヒデェ夢見たな……」

パチリ、と目を開けば見慣れた自室の天上があった。

何となく、ただの夢ではなさそうだと思いながら、武道はゆっくりと朝の支度を始める。

今日はお見舞いの日だった。

武道は普段、基本的にはしっかりと学校へ行き、放課後は黒龍のアジトで九井と未来視の練習や仕事の手伝い。時々乾に稽古をつけてもらったり、九井の部下兼武道の先輩方と時々荒事をしたりもする。

そんな武道の日々に加わったのが、初代総長である佐野真一郎のお見舞いだった。

夢で逢って、身体の関係まで持っていた男に現実で会うのは少し恥ずかしいものがあったし、短期間で夢で見ていたのは武道だけで、真一郎の方からしたら数か月に一度か数年に一度レベルの逢瀬だった。そして、その僅かな間にそんな親密な関係になったのはお互いに相手の事をどこか非現実的な存在だと思っていたせいもある。

今となっては真一郎は二十五歳で、武道は十四歳。武道はここ数か月で真一郎が不良をやっていたティーンの頃から今に至るまでの成長を眺めてきた。そのタイムラグの大きさを実感していた。
「フツーに今のオレに手を出したら犯罪だもんなぁ…」

黒龍の集会や九井からの召集の無い完全な休日、武道はその全てを真一郎の見舞いに費やしていた。二年もの間の昏睡は真一郎の筋肉や臓器を弱めてしまっていたため、見舞いの品は差し入れの雑誌や花などくらいしか渡せない。しかし、雑誌等は万次郎がバイク雑誌を毎回置いていっているせいで武道はセンスに全く自信が無いままにいつも花を買っていった。道中の花屋のオバサンとは既に顔見知りになってしまった。

なのに、真一郎との仲はあまり上手くいっていない様に武道は感じていた。
「……はぁ」

夢の中ですら武道に真一郎が手を出してくれていたのは現役の不良時代だけで、就職してからは見えないフリをしたり物言いたげに見つめるだけで会話はしてくれてなかった。芭流覇羅との抗争の前に真一郎が死ぬことを伝えた時だけはキスをしてくれたがソレだけだった。

夢の中では非現実感も相まって大胆な事が出来たが、今の武道は年齢差の事もありあまり真一郎に強く迫ったりはできなかった。

ただ、花を持って病室に行き、今の黒龍の話をしたり、日々の何てことの無い事を報告してみたり、時々マッサージで筋肉を動かす真一郎の手伝いをした。

初めて再会した時は無理やりなリハビリをしようとして看護師に怒られていたが、今はそんなことはせずに医師や理学療法士の先生の言葉をちゃんと聞いているらしい。無理をして悪化したり変な怪我などをしなくて本当に良かったと武道は思う。

その無理をしたはもしかしたら自分のためなのではないか、と武道は薄々思っているが直接聞くのは何だか自意識過剰な気がして出来なかった。

真一郎ほどの大人の男を相手に自分が迫ったりするのはいくら何でも場違いだと思っているし、夢の中でも手を出されなくなったのが少し気がかりだった。流石にもうダメなのかもしれない、と弱気になってしまうのに、告白をして玉砕などしたらショックで寝込んでしまう自信もあった。

真一郎は武道が病室を訪れるたびに喜んでくれるし、話をちゃんと聞いてくれる。邪険にこそされないが、もしかしたら弟である万次郎の友人枠で歓迎されているのかもしれないとすら思う。

そして何より、何となく気まずくて、お互いにモジモジしてしまって、夢の中での逢瀬の話は未だできていなかった。お互いに間違いなく、会った記憶があって、武道の言葉で未来を変えたのだという事は分かっていたが、真一郎は自分が今生きているのは武道のお陰だとしか言わなかった。

数年前に何度かえっちした、しかも同性で、命の恩人の二桁も年下の少年。

無下にはできないが、真一郎にとって武道は今更もう関係を持つのは無理な相手なのかもしれない。

何度も深いため息を吐いて、武道は真一郎の病室を目指す。休日の病院はお見舞い目的の客や、順番待ちをしている患者がいて、武道は慣れた様子で面会の手続きをする。

真一郎の病室の前に着いて、今まで出くわさなかった他の面会客がいる事に気付く。声の感じからして万次郎やエマではない面会相手に、中に入ろうか少し待とうか考えているうちに、先にガラリとドアが開けられ、声がかけられた。
「ん? オマエがタケミチ?」
「ひょわっ

ビクリと跳び上がる武道をその男は面白そうに見つめた。
「え、あ、ハイ。俺が武道です」

目を白黒させつつ男を見れば、武道よりも身長は少しだけ低いが金と紺の独特なカラーリングの長髪をポニーテールにした色白の男が面白そうにニヤニヤと武道を見ていた。
「ふぅん? 入れよ。真チャンが待ってるヨ」
「はい……」

くるりと背中を見せて、男はポニーテールを揺らして歩く。室内にはポニテ男と対照的に背が高くてゴツい色黒の男がいた。双方、自分よりもいくらか年上に見えて、恐らく真一郎の友達なのだろうと分かる。
「お邪魔します」
「おー、来たな。武道」
「は、はい。えと、先に花替えちゃいますね」
「おう」

少し恐々と室内に入る武道に真一郎はいつもと同じく気軽に声を掛ける。しかし、その表情はどこか硬く、何か焦っている様ですらあった。その様子を少し不審に思いつつも武道は取り敢えずいつもの流れとして花瓶の水と花を変え始める。切り花のため早く水につけてあげたかった。

その作業の間、先客二人と真一郎は楽し気に話をする。行儀が悪いと思いつつも、聞こえてきてしまうその会話を聞くと、やはり二人は真一郎の現役時代からの友達らしかった。

真一郎はこの昏睡していた二年でそれまでの事をかなり忘れてしまっていて、独り立ちして自分の店を構える前くらいからの記憶が曖昧になっているらしい。思い切り殴られた割に脳に異常は無いらしいので医者はだんだんと思い出せるだろうと言っていたが、しばらく働くのは無理だし、そもそもバイクの整備や帳簿の付け方などはまともに歩けるようになってからの話だった。それまでは入院生活であるし、退院できてもまずは実家の佐野家で療養を経てから再び社会復帰のリハビリをする流れになる。

先客の二人は二人でボクシングジムを営んでいるらしく、歩行などのリハビリから社会復帰まで手伝えることは手伝いたいと話していた。やっぱり真一郎もこういうオトナの友達の方が頼りになるし、気安いだろうな、と武道は内心で少しだけ落ち込んだ。

見舞いのルーチンを終え、しかし話に割り込む訳にもいかずに武道は手持無沙汰に室内を見る。佐野家は両親がいない割に裕福な様で、真一郎は個室を与えられている。武道は今まで出くわさなかったが、初代黒龍時代の元ヤン部下達が頻繁に見舞いにくるせいで他の患者が怯えるというせいもあるらしかった。清潔な病室は無機質であるのに、ベッドの近くはまだ上手く歩けない真一郎のために雑誌や漫画などが色々と置かれて少しだけ賑やかであった。

どうしようか、いっそ出直すかと武道が考えているとすぐにその様子に気付いたらしい真一郎が武道に声を掛けた。
「お、終わったならこっち来いよ。お前にこいつ等紹介したいんだ」
「あ、はい」

こいこい、と手招きされて武道は小走りでベッドに近寄る。そんな武道を先客二人はジッと見ていた。
「えっと……」
「ワカ、弁慶、コイツは花垣武道。前も何度か話したけど万次郎の友達で、俺が襲われる前に危険を教えてくれた恩人だ」
「えっ

そんな事まで話しているのかと武道は驚いたが、ワカと弁慶呼ばれた男たちは真一郎のとんでもないスピリチュアルな言葉に対して鷹揚に頷いた。
「そんでタケミチ。コイツ等は今牛若狭と荒師慶三。初代黒龍の仲間だ」
「え
 先輩だったんですか 失礼しました! 十代目で下っ端やってる花垣武道です!」

何やら歴上の人物になぞらえて捻ったあだ名をつけているっぽい、と暢気に思っていたのに、最後に落とされた爆弾に武道は即座に頭を下げた。

真一郎が初代総長なのだから、この目の前のまだまだヤンチャそうなお兄さんたちも初代のメンバーなのだとちょっと考えればすぐに分かるじゃないか、と内心で自分を罵倒する。不良の上下関係については散々黒龍で、主に総長の大寿に叩き込まれた。流石に挨拶もそこそこに花瓶の花を変え始めるのは不敬だったと反省する。
「んにゃ、そんなかしこまって頭下げなくてもイーヨ」
「おう、初代でブイブイ言わせてたのも昔の話だからな」
「いえ、先輩は先輩なので‼」
「お前案外そういうとこあるよなー。頭上げろよ。初代命令」
「ウス!」

真一郎に言われてパッと顔を上げれば荒師も今牛も少し面白そうに武道を見ていて、ちょっとかしこまり過ぎたかと武道は少し恥ずかしくなる。

三人に混ぜてもらって、真一郎のリハビリの進み具合の話を聞いたり、今の黒龍がどんな感じの組織になっているのかを話す。荒師も今牛も真一郎と武道の関係には触れずにかなり年下の後輩として武道を可愛がってくれた。そのことに安心しつつも、いったいこの人たちから武道はどう思われているのかと恐々していると、武道が二人に慣れてきた辺りで今牛が爆弾を投下した。
「しっかし、あの頃、真ちゃんが童貞拗らせて見た幻覚だと思ってた美少年がこうして目の前にいるのウケるね」
「へっ

「ワカッ

小突かれたり、肩を組まれたり、頭を撫でられたり、完全に後輩ムーブをキメていた武道はその言葉にビックリして今牛を見た。
「あは、美少年って感じでもねぇか。フツーの小僧って感じ」
「おい若狭」
「別に貶してるワケじゃねぇよ。あの頃の真ちゃんが美少年の霊好きになっちまっただとか、生霊なら何とかして本体に会いたいとか言ってたの思い出したら笑えちまっただけでサ」

聞きたくても聞けなかった話をぶち込んできた今牛に武道はどう反応して良いか分からずにオロオロしてしまう。そんな武道の今の反応も面白いらしく、今牛はニンマリと意地悪な猫の様に笑う。
「会えて良かったじゃん?」
「おー……」
「んじゃ、そろそろお邪魔虫は退散するかね。仲良くしろよー。もし真ちゃんに変な事されたら相談しな、コレ俺のメアドだから」
「へ? はい

「コラッ」

今牛は手慣れた様子で武道に携帯番号とメールアドレスを書いた紙を渡す。そのナンパ慣れした姿にビビりつつ紙を受け取る武道を庇う様に荒師が今牛を嗜める。
「じゃ、また来るネ」
「悪いな。また連絡する」
「……おー」

ニヤニヤしたまま退室する今牛を追う様に荒師も退室する。

室内に二人で残された真一郎は気まずそうに武道を見て絶句した。
「はわ……」

潤んだ目を見開いて耳まで真っ赤に染めた武道は恥ずかしそうに頬を抑えて俯いていた。
「浮気か

「へっ

まるで恋する乙女の様なその表情に真一郎は年下に対する恥も外聞も無く真一郎は叫んでしまう。今まで、かなり年下の武道に対してどう接するべきなのか迷い、いっそ身を引いた方がいいのではないかとすら考えていたのに、突然の展開に一気に焦りが出た。
「ワカに、惚れたのか?」

十一も年下の相手に迫る自分はさぞ滑稽だろうと思うが、他の男に盗られるのは我慢がならない。と、身を退こうとしていた理性より我儘な心が勝ってしまう。

まだあまり上手く動けないが、真一郎は武道の肩に掴みかかる様になってしまい自己嫌悪する。こんな子ども相手に自分は何をしているのだ、と。

しかし、掴みかかられた本人は顔を赤くしたり蒼くしたり忙しそうに百面相した後にゆっくりと口を開いた。


「オレが好きなのは、真一郎くんです」

その言葉を聞いて満たされる心に、今までの葛藤が全て無駄だったのだと真一郎は悟ったのだった。
「オレの事、美少年って思ってたんですね」
「……忘れてくれ。いや、まぁ今でもちょっと思ってるが」
「ふへへ」

 

卍卍卍

 

キュルキュルと回るモーターの音をかき消す様にエンジンの音がする。

普段聴くバイクのソレとは違う音に一瞬だけ状況が分からなくなるがすぐに車の中だと気付いた。自分は後部座席に座っていて、運転席と助手席に座っているのは両親ではない。

すぐに、武道はコレが過去のどこかの夢なのだと気付く。

一体誰の夢なのだろうと無遠慮に運転席を覗き込めば、運転しているのは真一郎だった。今の入院している姿よりは窶れていないのに、暗く沈んだ瞳と隠し切れない疲労が見て取れていったいいつ頃のどういう状況なのだろうと疑問に思う。

そして助手席を見れば見知らぬ少年がいた。万次郎でもエマでもないその子どもは年のころは武道と同じか少し下くらいに見える。どこかで見た様な気もするが、あいにく、武道の知り合いには毛先だけブリーチを掛けたセミロングの男はいなかった。

しかし、やはりどこかで見た覚えがある、と思いながら武道は二人の会話を聞く。

聞くに、万次郎の悪口を言った友達を日本刀で斬り付けて少年院行きになった春千夜という少年を迎えに行くらしい。

え、こわ、と比較的平和な不良人生を送ってきた武道はその会話をドン引きしてしまう。万次郎の悪口、という事は春千夜は東卍のメンバーなのだろうか。そういうチームには見えなかったのだけれどもどういうことだろう、と武道は混乱してしまう。

ソレと同時に、助手席の人物が場地であると知る。髪が伸びかけだからと言ってこんなにイメージが変わるだろうか、それとも数年前は狂犬みたいだったけれど羽宮と出逢って変わったとかそういうのだろうか。この後に真一郎を殺す癖に車の助手席に乗るとか図々しいな、と真一郎が退院したらドライブデートとねだろうと心に決める。

そんなことを考えていると車は目的地に到着する。少年院など不良少年である武道であれどそうそう縁が無い場所で、観光気分で窓の外を眺める。

建物から出てきた春千夜にも、武道は見覚えがあった。

万次郎の過去を見た時に、庭で遊んでいた兄妹の兄の方だ、と。左目に傷跡がハッキリと残っており、春千夜が日本刀で斬り付けたという話であったが反撃でも食らったのだろうかと想像する。睫毛の長い端正な顔立ちの少年であるのに、人は見かけによらないなぁ、と他人事のように思った。

そして春千代を乗せてまた三人は次の目的地へと向かう。

コレはいったいいつのことなのだろう、少なくとも未来の事ではなさそうだと考えつつ、三人を眺めた。真一郎は疲れ、子ども二人も荒んだ様子だ。

三人が携帯を取り出したりもしないせいでいつのことなのか全く分からない。

そうこうしているうちに3人を乗せた車は目的地へと到着する。渋谷からそう遠くはない大きな病院だ。斬り付けた相手が入院でもしているのだろうか、と軽く思いながら武道は三人と一緒に車を降りた。

そこでやっと、武道は前回視た夢を思い出した。

嫌な予感がする。

視たくない。

逃げ出したい。

夢なのだから覚めてくれ。

そんな思いが胸の内をぐるぐると巡る。

しかし、悪夢は覚めず、カラカラと車輪の音が近付いてくる。

視なければ何も救えない。

分かっていても視たくないのだと心が拒否をする。

否応なしに視界に入ってきたソレはやはり死体の様になった見覚えのある顔だった。
「……ッ」

辛うじて悲鳴は上げなかった。

視るだけしかできない自分に泣く権利などないと分かっていた。

傷付いた表情で跪く桃色の髪を、ただ、視ているだけしかできなかった。

 

怖い夢を見た。

それで済まして良い事なのかと悩みながら、今日も武道は真一郎の元へと通う。行ける日は全て来ているせいで最初は親族でもないのにと不思議そうな顔をしていた病院スタッフたちも「あぁ、いつもの子ね」という顔をしていた。

病室について、花の水を変えて、ベッドの傍の椅子に座る。

まだ本格的に歩行訓練をするリハビリ段階ではないため、できる事は少ないが簡単なストレッチの様な事なら武道にも手伝えた。

衰えて細くなった手足は夢に出てきた少年を思い出させて武道を憂鬱な気持ちにさせるが、真一郎はこれから回復していくのだと思えば少しだけ安心する。
「早く良くなってくださいね」
「ん? おう」

細く白い腕は、冬の白樺の様だ。

触れれば折れてしまいそうだと表面をできるだけ優しく摩れば真一郎からは苦笑いが返ってきた。
「そんな恐々触らなくても大丈夫だぜ? 肉もちょっとずつ付いてきたしな」

そう言って布団をはだけると、入院着の下にはなるが腕よりは肉の付いているらしい太ももが見える。それでも今の武道よりもかなり細い身体だ。
「いやー、俺のナイスバディがプニプニのタルタルになっちまって……。本当はもっとムキムキだったんだぜ?」
「知ってます。抱かれてますから」
「……」

慈しむ様に、恋い慕う様に、武道は真一郎に触れる。

夢の中での邂逅でさえ、二人は恋人にはなっていなかった。ただ、身体を繋げただけの関係。行きずりの相手と言っても過言ではない。

それなのによく今こんな彼女面して面会している、と自分でも少し自分に呆れる。真一郎だってもう大人だ。こんな中学生の子どもに迫られても困るというものだと武道自身理解していた。
「武道……」
「……はい、大丈夫です。あの頃の事はノーカンだって分かって分かってます」
「……」
「俺は実体があったのかどうかも怪しい存在ですし。俺自身、どうして真一郎くんと出逢えたのかよく分かってねぇし……」
「……」

武道は自分の能力の起源は知らないままだ。

使い方だけを九井と共に研究していった。

真一郎だって、ソレは浮浪者を殺し、奪い取ったタイムリープという能力としか知らない。

未来を視る能力など発現させてないし、実体を伴わずに過去に介入することだってできない。過去の自分の身体を乗っ取り、やり直す事ができるというだけの能力。恐らく、特定の誰かと握手をすることで未来に戻れる。ソレだけだ。

そんな未知の能力を当時小学生だった武道に渡した。

そしてその武道が能力を奪い取る前の真一郎にその能力を使って出逢った。

未知のものを未知のまま使って、ごちゃごちゃになった結果が今だった。
「でも、嫌じゃなかったら、俺を傍に置いてください。触れてもらえなくても良いんです。アンタの傍にいられんなら、それで……」

今現在、大人である真一郎がまだ中学生である武道に触れるなどできるワケがない。ソレは真一郎の倫理観では許されない事だったし、世間にバレたらニュースになる。「元暴走族の男、未成年淫行により逮捕」と。

武道の想いに応えたいという欲と、ソレはイケナイ事だという理性が真一郎の中にあった。

若狭辺りはそんなつまらない理性はぶっ飛ばしてしまえと笑うかもしれないが、真一郎はそうはいかない。相手は十も離れた弟よりも下の子どもだ。もしも妹か弟が自分と同い年の男を恋人だと連れて来たらソイツをぶっ飛ばしてしまう。

そんな真一郎の葛藤をしっかりと察しているのだろう。

だから、迫りつつも相手に逃げ道を残しているのだ。気持ちに応えなくてもいい、傍にだけいさせてくれ、と。

武道だって真一郎の事はほとんど知らない。知っているのは肌の温度だけで、それですら今の真一郎のソレではない。

最近視る夢はきっといつかの真一郎と万次郎のものだろう。現在の様子とは一致しないソレが何なのかは分からない。自分とは違うナニカを、真一郎だって抱えている。

そんな真一郎の負担にはなりたくない。

武道の好きという言葉に、真一郎は未だ何も返せてはいない。今はそれで構わなかった。キッパリと振られるよりも何倍もマシだ。自分は諦めの悪い男だと思っているし、はぐらかしたままでいてくれるのであれば、自分が成人した後に答えをもらえれば良いと長期戦も覚悟している。

伊達に死人に恋をして、目の前にいた美少女を振ったのではない。

生き返っただけ全然マシであるのだ。
「ま、そんなワケなんでとりあえず一緒にいさせてくださいよ! ストレッチやマッサージだって手伝いますから! やり方教えてください!」
「お、おう……」

負担になりたいワケではないのだと、気持ちを切り替えて明るく振舞う武道に少しだけ罪悪感を覚えつつ、真一郎は葛藤する。

年齢差だけではない問題もある。ソレは解決見込みもなければ現時点どうなっているのかも分からない。早く良くならなくてはいけない。

帳簿を付けるよりも慣れた手付きで、真一郎は自らの足をマッサージする。血の巡りが悪くなっては回復できないのだと知っていた。

 

卍卍卍

 

横たわるその顔が美しいとは武道は言いたくは無かった。

最低限化粧が施された顔は車椅子に乗せられていた時よりは良い様に見えたが、それでも、それまでの経緯を知っている武道はそれが良い事だとは思えない。あの状態から奇跡の回復を見せるとも思っていなかったが、それでも、それでも。
「……」

喪主を務めるのは恐らく二度目なのだろう。佐野家を支える祖父が亡くなった場面は見ていないが、この世界の真一郎が務めたハズだ。妹のエマは家出してしまったと聞いていた。

この世界で、真一郎は一人になってしまった。

その事が悲しくて、武道は沈痛な面持ちで立ち尽くす。今の自分に出来ることはないし、もしもこの世界に介入して、現実の今に影響が出てしまったら嫌だと思った。それは身勝手だと自己嫌悪の気持ちもあったが、考えなしに行動して良い場面では絶対にないと自制心が働く。

少なくとも、“今”よりも悪い状況だった時の記憶だ。

自分が真一郎の死に介入した様に、誰かがこの世界を変えたのだろうと予想くらいは出来た。マシになった世界で、きっと自分は黒龍に出会い、万次郎に出会い、真一郎を掴み上げた。

辛くても、今は我慢して眺めるのが正解なのだと自分に言い聞かせた。

絶望する真一郎に声を掛けたのは今牛だった。先日、病室で会った時とは違う様子で、あの時よりも危険な香りのする男になっている。

こっそり話を聞けばやはり今牛は暴力団関係者になっていた。武道の知る今牛はボクシングジムの共同経営者という肩書だ。真一郎が悪い未来を描けば描くほど、周囲もソレにつられる様に堕ちていくらしい。

それほどまでに、佐野真一郎という男の影響力が大きいのだ。

今牛に慰められて、真一郎が裏街道に足を踏み入れようとした時、ソレは現れた。

時を戻せる能力を持つ男がいる。

酔っ払いの戯言にも縋る程、真一郎はなりふり構えない状態だったのだろう。マルチや宗教にも手を出したと言っていた。

喧嘩が弱かったという情報が嘘の様に、真一郎はその酔っ払いの男たちをボコボコにして、タイムリーパーの情報を得る。訪れたトンネル下の浮浪者を、若狭の制止も聞かずに問い詰める。

自分を殺して奪い取れと煽る老人を、煽られるままに撲殺するなど、通常時の真一郎ではありえない行動だと武道は分かっていた。

人が人を殺す所を見るのは何度だって慣れない。吐き気を我慢しながら、それでも目を逸らさずに武道は眼に映る光景を見つめ続けた。

呪われろと叫びながら死んだ老人を前に、真一郎が過去に戻れと叫ぶ。人を殺してしまったのだから、そこまでしたのだから、と。
「……」

何もかも失ったつもりだった真一郎の、最後の矜持を奪って行ったのがあの浮浪者だったと思うと不謹慎にも嫉妬を覚えてしまう。自分が真一郎にそんな事をさせるなどあり得ないが、他の状況では絶対に見る事のできない真一郎であることは間違いないだろう。

むしろここまで追い詰められなければ殺人を犯さず、かつ、この状況でも人を殺したことを後悔できる精神性を持っているのが真一郎という男だと思うと妙な感心すらしてしまう。

自分がどこまで追い詰められれば人を殺すことができるのかと考えても答えは出ないけれど、案外、状況によればやってしまえるのだろうという感覚が無いことも無かった。武道は自分の善性をそこまで信用できない。案外、十代目黒龍で九井と仕事をしているうちに間接的に誰かを殺す未来は遠くないのかもしれないとすら思う。

一度堕ちたら後は坂道を転げ落ちる様に悪事に慣れるだろう、などと考えるうちにまた場面が暗転する。

幽鬼の様にフラフラと真一郎が歩いている。

浮浪者を殺してからそう時間が経ってない時だろう。服装はそのままで雨に濡れたまま、大きな川に近付いていく。
「……」

罪悪感と絶望に耐えられなかったのだろうと武道にも分かる。

過去は変わらないまま、人を殺してしまった絶望に心を折られ、欄干に手を掛ける。飛び込む直前、春千夜に声を掛けられる。彼の言葉でも真一郎が留まる事は無かった。
「……」

ぼんやりと武道は春千夜の背中を見て、可哀相だな、と武道は思った。

 

卍卍卍

 

またとんでもない夢を見てしまった。

夢の内容が本当であれば、真一郎は羽宮に殺される前にも一度死んでいるという事になる。そして、武道と同じ、過去改変能力と呼べるナニカを人を殺して奪ったという事だ。その後すぐに罪悪感と絶望で自殺してるが、まぁ殺人は殺人だ。

結局、過去を真一郎が返られたのかは武道には分からないが、今の世界はあの世界とは全然違っているのだから誰かがどうにかして世界を変えたのだろう。

過去改変の結果、殺人がなくなった、というのであれば武道が過去を変える前の羽宮も同じであるし、今の羽宮は傷害事件の犯人であって殺人犯ではなくなっている。そして共犯の場地と、被害者の弟の万次郎とギクシャクしつつも日常を取り戻しつつある。

ならば、真一郎も同じ枠で日常に戻れて然るべきだ、と武道は思う。武道は自分の主義や行動理念のためなら赤の他人のために一生懸命になれるタイプであるが、身内贔屓で排他的な所もある。あの浮浪者も誰かを殺して能力を奪ったのだから真一郎とは同罪だ、と。

そして、武道は真一郎が好きで、あの浮浪者にはあまり興味が無かった。

この不可思議な四次元に介入する能力はもしや世界に溢れているものなのだろうか、と答えの出ない疑問を頭の中でこねくり回しながら今日も今日とて病室を訪ねる。

引き戸に手を掛けようとして、武道は咄嗟に手を引いた。

ガラッと少し乱暴にドアが開けられる。手を掛けていたら少し痛い事になっていたのが視えていた。
「わっ」
「あ?」

不自然にならない程度に小さく驚きの声を上げて、後ろに下がる。武道の反射神経と誤魔化すための演技力はこの数か月で格段に鍛えられた。

そのまま真一郎の病室から出て来た人物を見れば、会ったことは無いけれど、視た事のある人物がそこにいた。

全体的に薄い色素の美青年。記憶の中の少年よりも少し成長した姿に武道は少しだけ驚く。

記憶より長いサラサラの髪に長い睫毛、凹凸がしっかりしていて、感情が読み取りにくいビスクドールの様な造形。名前も知らないその人物に武道は何故か違和感を覚えた。
「あれ? 君の傷、口だっけ?」
「あ?」
「目元じゃ……? あれ? 誰かと勘違いしてるかも、ゴメン」

油断している時に思ったことがすぐに口に出てしまうのは普段年上に甘やかされているからだろう。

目の前の美人に余計な事を言って凄まれたが、伊達に不良をしているワケではないので武道はたいして気にせず謝った。夢と現実がごっちゃになるのは一度や二度ではない。多少混乱した所で、そういうものだと受け流す対応を武道は覚えていた。
「テメェ……」
「おーい、春千夜どうした?」
「真一郎くん……」

物怖じをしない武道の態度に少し苛立ったようだったが、春千夜と呼ばれた美人は後ろから声を掛けられてすぐにしおらしい表情に戻る。
「コイツ、何?」
「あ?」

顔と声色はしおらしいのに武道を病室内に引き入れて真一郎に突き出す動作は荒々しい。

かわい子ぶっているがコイツは元々強気なタイプだな? と武道は理解する。記憶の中でも最悪な状況だったためまともな状態のサンプルがない。
「武道じゃねぇか。見舞いに来てくれたんだな、ありがと」

武道を見た瞬間、真一郎は訝し気な表情から一転する。

春千夜の態度から黒龍時代のお礼参りにでも来られたのかと思ったらしい。恋心故にそんな険しい表情にもきゅんと心臓を高鳴らせてしまうが、恐らくそんな状況ではない。
「いえいえー、おじゃましまーす」

首根っこを掴まれたまま真一郎に挨拶をする武道。その暢気な様子に春千夜は少しだけ唇を尖らせて不満そうにした。
「何、って聞いてんだけど。今の黒龍と真一郎くんって関りあったの?」
「いや、武道とは個人的な関係だよ。具体的には命の恩人」
「は?」

不満そうだった春千夜の表情が更に歪む。
「本当は俺は死んでたハズなんだよ、この怪我」
「……」

ヘラリと笑う真一郎の言葉はあえて誤魔化しているのか要領を得ない。

男の扱いは人一倍心得ている真一郎は自分を好きな男がどこまで不誠実をしても大丈夫なのか分かっている。春千夜はその中でも何をしても本気で自分を嫌いにならない者の一人だと認識していた。ワルい男だ。

状況を整理すべきなんだろう、と武道も思うが誰が何をどのくらい知っているのかも分からない今、自分が動くのも変な気がして真一郎の行動を待つことに決める。

そして春千夜も、誤魔化そうとする真一郎に強くは出れない。

誰も動こうとはしない病室にガラリ、と新しい風が舞い込んだ。
「うわ、シンイチローが年下男ハーレム作ってる。何の修羅場?」
「万次郎、その言いぐさはねぇよ……」

万次郎の登場に安心したのはだれだったのか。

少なくとも武道は沈黙が無くなる事を喜んだのだった。

 

卍卍卍

 

出演者が男しかいない地獄のキャットファイトに万次郎が幕を下ろした数日後、キャストを増やして第二回戦が開催された。
「真一郎くんがこんなクズに命を助けられるワケがねぇ。あの人に何しやがったドブカスがよォ……」
「ハルチヨー、あんま睨むんじゃねぇよ。真チャンの恩人なんだからサ」
「だからソレが信じられねェんだよ‼」
「もー、反抗期だナ」

万次郎を通して春千夜に呼び出された先に若狭が一緒にいた。

真昼間の半個室の居酒屋は人気が無く、この為だけに開けられた様だ。若狭曰く、初代黒龍の下っ端の一人が経営しているらしい。

居酒屋に入るのは初めてで未成年でも入れるんだな、と微妙にズレた感想を武道は抱いた。

ガラスのコップでオレンジ色の飲み物を出され、恐々と手を付けずにいたらオレンジジュースだと若狭に笑われた。不良の癖に酒も煙草もやっていないのかと春千夜には馬鹿にされた。
「……」

両手でコップを持ってクピリと舐める様に口を付ければ酒精を感じない味に少し安心する。

万次郎を通して呼び出したのだから、自分をこの場でどうこうできない事は分かっているけれど怖いものは怖いし、イタズラと称して軽い何かをされる可能性はあった。
「……」

どう話を切り出そうか武道は悩む。過去を改変しました、などと言って通じるとは思えない。

夢に出て来たどこかの世界線の若狭だって浮浪者の言葉を信じてはいなかった。
「美味しい?」
「あ、はい……」
「ン、良かった」

そんな武道の躊躇や葛藤、緊張を見抜くように、若狭は一度関係のない話を挟んだ。

そして、口を開く。
「真チャンがさ、タイムリーパーなのはもうこの3人の共通認識でいい?」
「え⁉ そうなんですか⁉」
「ダメだったかァ……」

若狭の言葉に武道は目を見開く、過去を変えられる能力を持っていると自称する浮浪者を殺したのは知っているがその後に真一郎は自殺したハズだ。今はその世界ではないのだから自分以外に過去改変能力を持つ人間がいるハズであるとは思っていたが、どういうことだと武道は混乱する。

全く事情を理解していないのはこの中で武道だけであるらしい。

万次郎が事故に遭い、真一郎が自殺する世界。

真一郎が殺され、武道が過去を変える世界。

この二つの世界の間に何かがあるのだろう。そして、自分はその世界の事を知らない。

と、武道は結論付けて口を開いた。
「俺が視たのはマイキーくんが事故に遭って、真一郎君がその過去を変えようと浮浪者を殺して、結局過去に戻れずに自殺した所までです」
「……」

端的に言えばそうだろう、と武道は言葉を選ばなかった。あの世界を知っているのだろう春千夜の精神的ダメージはこの際気にしない。散々暴言を吐かれているのだからお互い様だ。
「……どうやって見たのかは知らねぇが、そこまで知ってんだったらいいヨ。その後の事を説明してやるから」
「……はい」

春千夜へのカウンターのつもりだったが、若狭にも被弾した様で武道は反省して口を閉じた。真一郎まわりは地雷が多いらしい、と少し辟易しつつも当事者だった者たちだから仕方が無いとも思う。

今、真一郎は生きていて回復に向かっているのだから良いじゃないか、と思っても言えはしないのが武道だ。
「真チャンが死んだ後、世界はちゃんと変わったヨ。真チャンが変えたんだ」
「え、結局タイムリープしたんです?」
「あぁ。タイムリープの最初のトリガーは死だ。能力を奪っても一度死ななきゃ過去には戻れねぇ。そんで、一度死んだ真チャンは過去に戻り、見事マイキーの命を守った。そんで、お前にその能力を渡した」
「えぇっ⁉」

ふむふむ、と真一郎の状況を整理していたのに突然自分が出てきて武道は素直に驚く。思わず大声を出してしまったがその声はすぐに止められた。
「黙って聞け」
「ウス」
「しかし、一つだけ、大きな誤算があった」
「……」
「タイムリープ能力には副作用があった。呪いだ」
「呪い⁉」
「あぁ、呪いだ」

神妙な顔で、若狭はとんでもない事を言う。

タイムリープで万次郎を助けたのに、真一郎のせいで万次郎が呪われてしまった。春千代の口元の怪我も、羽宮が真一郎を殺したのも、呪いのせいである。死ぬ運命を変えた代償を万次郎が不幸になることで払わされる呪いなのだ、と。
「……」

そんなファンタジックな事あるのか、と武道は少し訝し気に思う。しかし、恐らく自分の話を初めて聞いた時の九井もそんな心境だったのだろうと思うと顔に出さない様に必死になる。

真一郎の持つと言う過去改変能力(タイムリープ)、と武道の持つ未来視及び過去視(サイコメトリ)が同じものであると言うのがまず不思議だった。あまりにも使用方法から副作用まで違い過ぎる。

それが真一郎から武道に継承されたと言うのだからますます分からない。
「ソレ、ホントにタイムリープ能力に付随してるんです?」
「あ?」

あまり混ぜっ返す様な事は言いたくなかったが、大前提からして違っているのであればそこからすり合わせるべきだろう。
「俺が視た過去で、ソレらしいシーンは浮浪者の老人を殺した所だけです」
「ッ」
「確かに彼は“呪われろ”と叫んでいました」

夢に視た光景を思い出しながら、武道は一つ一つ確認していく。

あまり物覚えは良い方ではないけれど、夢で過去や未来を視る様になってから意識してその内容を覚える様になった。それが人の生き死にに関わるのだと知ってからは、覚えている覚えていないで悔しい思いもしたからだ。
「そして、俺に引き継がれたというその能力ですが、今聞いた方法で使った事も無ければ、その呪いというのも見ていません」
「……」
「俺の現状も説明します」

認識の擦り合わせのために、普段なら絶対に話さない自分の能力を開示していく。

本当なら九井に相談したい所であるが、この場を逃したら二度とこの二人に信用されることは無くなるのだろうと簡単に想像ができる。

武道個人の感情としてはそれでも別に良いけれど、という気持ちもあったがこの先、真一郎と未来を歩むつもりならこの二人に嫌われてはやりにくいだろうという打算があった。こういう所が、以前と比べて今の黒龍に染まって来たな、と内心で苦笑いをする。

そうして、武道は事のあらましを掻い摘んで説明した。

自分が能力に気付いたきっかけから、現在に至るまで、どのように能力を使って来たのかを説明する。ソレは春千代の知る、黒龍と東卍の関りと一致していたし、特務隊として探りを入れていた黒龍の状態とも一致した。
「……というのが俺の知ってるこの力の使い方です。ココくんの考察ではコレは“四次元”に干渉する能力だそうです」
「四次元なぁ……」

四次元が何なのか武道もよく分かっていなかったが、某SF漫画に出てくる青狸が机の引き出しの中に入った時の空間だと説明を受けたのをそのまま鵜呑みにしている。考えたって分からない事だ。
「詳しい事は俺にも分かりません。でも、まぁ別にいいんじゃないですかね? 恐らく、俺は呪われてない、それだけです」
「お前はな! けど、ソレじゃマイキーがッ!」
「うーん、ソレもまだよく分かんないですよね。事実として、マイキーくんがハルチヨくんのほっぺを裂いた事と、一虎くんを通して真一郎くん殺した事は問題なのは分かるんですけど。ソレが呪いによるものというのも断定できないと思いますし。俺、今日は何のために呼ばれたんですか? 現状把握のためですか?」
「それもある」

武道の生意気な言葉に、激昂する春千代を置いて、若狭は神妙に頷いた。

武道の様子が妙に落ち着いている事に気が付いたのだろう。若狭は、真一郎の病室で見せた甲斐甲斐しく可愛らしい後輩然とした姿との違いを見極めようとしていた。
「確かに、お前の能力の使い方と真チャンの能力の使い方は全く違うが、真チャンは確かにお前に……」
「あ! ちょっと待ってください‼」
「あぁ?!」

若狭の言葉を遮る武道に再び春千代が激昂する。ダンッと机を殴りつけて武道にガンを付けるが、武道も負けじと春千代をジッと見つめた。

そして若狭に向き直り、ハッキリと自分の要望を口にした。
「ソレ、俺は聞きたくないです」
「何言ってやがッ」
「俺、その話は真一郎くんから直接聞きたいです」

春千代と若狭を交互に見て、そう言葉にする武道に若狭は何となく、この目の前の少年がどんなものなのかが分かってきた。
「あんまり生意気な事言いたくは無いんスけど、真一郎くん、春千代くんと話してた時、何か隠そうとしてたじゃないですか。俺、今うっかり喋っちゃいましたけど、真一郎くんのいない所で真一郎くんを暴く様な真似はしたくないです」

徹底的に、真一郎しか見ていないのだ。

そう悟れば武道の二面性にも簡単に納得がいく。要は真一郎の前では基本的にぶりっ子をしているだけだ。ソレが上辺だけで好いているからであれば、話はもっとシンプルだった。

その場合、若狭はこの少年を殺して、自分がタイムリーパーになる覚悟すらあった。ソレが、真一郎が羽宮に襲われる前に事情を聞いた自分の役目だと思っていた。

しかし、武道の様子はそうでも無い。

真一郎の中身や過去、全てを武道が知るには明らかに時間が足りないと思っていた。事実、知らない事も多くあるハズだ。

それを、全て飲み込んで、嚙み砕く必要があるのかとでも言うかのように、武道は平然と真一郎を愛した。

事実、一番ショッキングであろう真一郎が浮浪者を殺したシーンを武道は見ているらしい。ソレは誰も見た事が無かったハズであり、若狭も真一郎の自供でしか知らない事だ。

なのに、武道は平然と、精神が地続きの人殺しであるはずの真一郎の前で全力でぶりっ子をしている。真一郎に好かる事しか考えていない。

ソレが分かれば若狭は呆れた様な、肩の力が抜けたような、奇妙な気分になった。

まだ若かりし頃、真一郎に美少年の幽霊に恋をしたのだと相談された時、何て馬鹿げた話だと思った。童貞を極め過ぎてついに変な性的嗜好の幻覚を見てしまったのだな、と。その数年後、更に厄介な相談をされた。自分は人を殺してタイムリープ能力を手に入れた、そのせいで間もなく殺されかける。三十路を手前にしてとうとう童貞の脳みそが妙な妄想をしだしたのだな、中二病に掛かるには遅すぎる、と話半分にソレを聞いた。いつでも、真一郎の荒唐無稽な話を聞くのは若狭の役目だった。

そして実際に真一郎が話した通りに、怪我をして昏睡して、やっとアレは幻覚や妄想では無かったのだと気付いた。

あまりにもな事実に愕然とし、真一郎が目を覚まさないのは自分があの話を信じなかったからだと自責の念にも感度も駆られた。

そして、武道が実在の人物だと知った時、真一郎を守る能力は自分が持つべきだと思った。ポッと出の子どもに真一郎を任せることなどできない。信用できない。どうせこの子どもだってそのうち飽きる。呪いや殺人の事実を知ったら逃げ出す。そう思っていた。

なのに、目の前の生意気な少年は、誰よりも自分が真一郎の隣に相応しいのだと疑ってもいない。相応しくあろうとしている。
「分かったヨ。じゃ、真チャンに直接聞きな」
「若狭クン

あっさりと引き下がった若狭に、春千代がまた声を上げる。武道も少し意外そうな表情をしていた。
「いいんですか?」
「はは、お前が言うのかよ」
「だって、若狭くんも真一郎くんの事守りたくて俺をここに呼んだんスよね」
「分かってんじゃねぇか。だったら、上手くやれよ。もし失敗したらその能力、俺が奪うから」
「ウス」

その言葉の意味を、この場の全員が理解していた。

 

卍卍卍

 

「♪~」

今日も今日とて武道は真一郎の病室へと通う。

冬も深まり、風も空気も突き刺す様に冷えていた。世間はもうクリスマスムード一色であり、通りの木からご家庭の窓まで電飾で飾り付けられている。

その頃には真一郎も大分回復してきており、歩行の練習も始まっていた。上手くいけばクリスマス当日から年末くらいまでには退院できるかもしれないとのことだ。

武道は鼻歌を歌いながら花瓶に新しい花を挿す。いつもの花屋でポインセチアの切り花を見て苗では無いのもあるんだなぁと思いながらソレを選んだ。

見舞いの花にしては華やか過ぎるだろうかとも思ったがクリスマスの飾りとして待合室にも置かれていたから多分大丈夫だろう。

春千夜と鉢合わせた日から何度も見舞いに来ているが、武道は自分から真一郎にタイムリープの話を振る事は無かった。若狭にはああ言われたが、武道自身にはそこまで危機感が無いという事もあったし、下手に深追いして嫌がられて気まずくなりたくないという気持ちもある。

だから、武道は待つことに決めた。

武道が何かしらに勘付いている事は真一郎も知っているだろうし、あれから会っていない春千夜は雄弁な目を持っている。武道がいない日に見舞いに来ているだろう彼は、口では我慢していても表情に出てしまっているだろう。

根競べの分は自分にあると、武道は踏んでいた。

そして、真一郎の自分を見る目もまた雄弁だった。

探るようなというよりは縋る様な目だ。恐らく、まだ真一郎は武道が真一郎の過去を視てしまった事を知らない。自分が人殺しであるとバレた時に、軽蔑されてしまうだろうという不安と諦めがある。

仕方の無い人だなぁ、と愛しく思う気持ちと、見縊るんじゃないという怒りが綯い交ぜになる。後だしジャンケンでズルいかもしれないけれど、自分はそんな軽い男ではないのだと自分の愛を思い知らせてやりたかった。

武道はそんな思いをおくびにも出さずに、今日あったことや今の黒龍の様子、自分の事をお喋りする。入院生活は退屈だろうという気持ちと、生きている自分を知ってほしいという気持ちからだ。

真一郎はそれをニコニコと聞いて、お返しとばかりにリハビリの進み具合や万次郎やエマがお見舞いに来た時の事を話した。

場地家、羽宮家も謝罪に来ており、既に示談は済んでいたが真一郎に直接謝りたいという申し出を真一郎が受け入れたという。

コレで事態は一件落着、あとは真一郎の回復を待ち、日常に戻っていく。

そんな空気の中、真一郎と春千夜、若狭だけがまだ何も終わっていないのだと神妙な顔をしていた。

日々の何気ない事を喋る武道は真一郎の手を握っている事が多い。最近は冷えて来たからと手のマッサージを覚えたからさせてほしいと言って合法的に触れている。

そんな穏やかな日々の中、やはり先に折れたのは真一郎だった。
「なぁ武道、俺は、お前に言わなきゃいけない事があるんだ」
「何ですか?」

一度手を手を止め、武道は真一郎の目をジッと見つめた。

その強い瞳に真一郎が一瞬だけたじろぎ、しかし意を決した様に口を開いた。
「俺は、お前を呪ったかもしれねぇ」
「……それは、どうやってですか?」
「……ッ」

どうして、ではなくどうやって、と聞いたのは武道がもう答えを知っているからだった。そして、武道の言葉で、真一郎も武道が知っている事を悟る。

こんな会話は予定調和だと武道は思っている。

しかし、その予定調和こそが今必要なものだった。
「お前のその、俺を助けてくれた、過去に介入する力。それは、俺がお前に渡したものだ」
「そうなんですね。ちなみに、いつくれたんですか?」

ソレは武道も知らない事だった。

どこかの過去で出会って、能力を渡されたのだろうと分かってはいたが、ソレがいつなのかは武道にも思い出せなかった。
「二年前、俺が襲われる少し前くらいだ」
「……」

意外に最近の事で武道は少しだけ驚く。二年前と言えば小学校六年生の頃だ。

その頃、まだ自分は不良ではなくヒーローに憧れて風呂敷マントで走り回っていた。
「あ……」

思わず、武道は声を上げた。

何故、忘れていたのか。
「あの時の……」

自分が不良を目指すきっかけになったのは真一郎であると、何となく武道は知っていた。

しかし、どこで真一郎を見知ったのかはどうしても思い出せなかった。一年くらい前までは覚えていたハズだ。日本一の不良という称号を何処で聞いたのか。ソレは又聞きで、小学生の頃に助けてくれたお兄さんがかつてそうだったというのをこっそり聞いた。

一度思い出してしまえばその時の記憶が鮮明に蘇ってくる。

女の子を庇って年上の男達にボコボコにされた事。そこに現れた白いシャツのお兄さん。武道を助け、いつか本当に守りたい人ができて、どうしようもなくなった時、この力を使うといい、そう言って手を握った。その意味は当時はよく分からなくて、武道はソレは武力の事だと思っていた。

そして、お兄さんにもう一度お礼を言おうと思って、知り合いを探し、かつての日本一の不良がバイク屋を営んでいると聞いた。そのバイク屋は結局見つからず、日本一の不良という言葉だけが武道の中に残った。

ソレが、武道と真一郎の繋がりだった。

その時に、真一郎は武道にタイムリープの能力を渡したのだと言う。
「はは、思い出したか」
「はい……。あの後、真一郎くんのバイク屋を探して見つからなかったままでした」
「まぁ、その後すぐにこうなっちまったからな……」

苦笑いをする真一郎に武道は申し訳なくなる。

先に武道を見つけてくれたのは真一郎であったのに、自分はその事を忘れてしまうなんて、と。
「……まさかあの能力を俺相手に使っちまうなんてな」
「真一郎くんで良かったと、俺は思ってますけど」
「……」

拗ねた様にそう呟く武道の頭を真一郎はまた困った様に笑いながら撫でる。

本当に守りたい人ができて、どうしようもなくなった時に。

そんな文言で渡された能力を使う先が真一郎であった事に武道は全く異論は無かった。もしかしたら、もっと先の将来に女の子を守るために使う未来もあったのかもしれない。真一郎の様に自殺を機に過去へとタイムリープする、そんな未来が。

しかし、今の武道はどういうワケかタイムリープではなく未来視という形で能力を発現させたし、リープする事無く過去を変えてしまった。きっと、真一郎も誰も、詳しいことなど知らないに違いない。そういうものだと受け入れる以外は無い。
「とにかく、俺は何も後悔してませんし、呪われたとも思ってません」
「今はな。俺も、呪いに殺されるまでは甘く見ていたよ」
「……」

納得できずにむくれる武道を真一郎は困った子どもを見る様に、どこか愛しさを滲ませて見つめる。

頭を撫でる手つきは優しく、武道は甘える猫の様にその手にじゃれついた。
「だからって、何ですか。もし俺が呪われてたとして、何か問題があるんですか」
「問題しかねぇけど。とにかく、俺はお前にとんでもねぇ事をしちまったし、俺は、人殺しだって知ってるんだろう?」
「それを言うなら羽宮一虎も人殺しですよ」

じゃれついていた手を捕まえて、武道はぎゅうっと握る。薄かった手も大分肉が付いてきたと武道は勝手に思う。早くこの手にもっとたくさん触れられたかった。
「それは、呪いのせいで……」
「だから何ですか。真一郎くんは何を恐れているんですか?」
「お前を愛するのに、問題が多すぎる」
「……一つ一つ解決していきましょう。まず、俺がちょっとだけ気にしている年齢差ですが、十八を超えたら手を出してもらう予定です」
「あと四年か」
「まぁそのくらいは我慢してください」

現実逃避の様に真一郎は笑う。

真一郎としてはあまり気にしていなかった部分らしい。他にもっと大きな問題があるとでも言いた気だった。
「そして、真一郎君が前の所有者を殺して奪ったという事についてですが、一応、俺はその場面を視ています」
「……」
「その上で断言します。俺はいっさい、気にしてません。ワカくんの調査で、その浮浪者というのも見つかりませんでした。実質、いなかった事になってます」
「怖くねぇのか」

スッ、と真一郎は目を細めて睨む様に武道を見る。仄暗い瞳に、武道は万次郎が入院中だった頃の真一郎を思い出した。きっと、あの時の事を思い出してこの表情を作っているのだろう。

人殺しの顔はこれである、と武道を脅しつけている。

ソレを見て、武道はやっぱり真一郎は優しいのだと再度思う。
「……俺にも、弟がいたとして」
「あ?」
「その弟が事故で植物状態になって、介護して、助けたくて、いろんな人に騙されて、他に方法がないと分かって、人を殺さなきゃいけない状態になったのなら」
「……」
「きっと俺は、その状態になる前に逃げてます」

真一郎の手を握り、武道はその手に口付けた。
「毎日、誰かが死んで、誰かが殺されてます。ソレ深い怨恨の果てであったり、たまたまそこにいたからであったり、様々です。今朝も、介護に疲れて親を殺した娘さんのニュースが流れてました」
「……」
「アンタは自分人殺しだと言うし、人を殺せると言う。でも、人間って、案外みんな、人を殺せるんですよ」

自嘲する様に笑う武道の真意を探る様に、真一郎も武道を見つめた。


「俺も、俺のせいで人が死ぬ未来を視ました。マイキーくんが一虎くんを殺す未来も視た事があります」
「それは……」
「きっと、そんな未来もあるんです。たまたま、俺はソレを回避しましたけど、人生ってそんなもんじゃないかなって思います。きっと、人殺し適正なら真一郎くんより俺にありますよ。多分ですけど」

その状態になってみないと分からない。そんな状態にならない様にするのが大事だけれど、回避できなかった事に罪は無い。罰が下って、ソレが呪いだと言うならソレごと愛する覚悟があった。
「と、いうワケでアンタが人殺しかもしれない、という事は俺は問題にしてません。次の不安をどうぞ」
「……俺のせいで万次郎が呪われている」
「春千夜くんのほっぺと一虎くんの前科の件ですね」
「あぁ、だから、俺は万次郎を……」

そこで、真一郎は一度区切る。どうすべきなのかまだ悩み中でもあるのだろう。解決策があるのかもまだ分からない状態だ。分かっていたらとっくに春千夜が動いてるに違いない。
「万次郎をこれからも守るつもりだ」
「具体的には?」
「ずっと傍にいる。アイツが呪いに蝕まれても、俺が止める」
「……」

仄暗い決意に満ちた表情だった。

自分の罪のせいで、人を殺してでも守りたかった弟が蝕まれているなどこの優しい男には耐えがたいなの事だと武道にも分かる。
「ソレが、真一郎くんが俺の想いに応えられない理由ですか?」
「あぁ。俺は、俺の罪を償いながら生きなきゃならねぇ」
「なるほど……」

そこまで話して、武道も思案する。

たいだい、想像通りの話だった。春千夜や若狭に先に話を聞かなければあまりにも突飛だと思っただろうけれど、武道は既に答えを出して真一郎の元にいた。
「俺は、そんなアンタを支えるなんて殊勝なことはできません」
「……」

だろうな、と真一郎は困った様に笑う。

真一郎からした武道は太陽の様に明るく、未来のある子どもだ。ソレを自分の様な殺人鬼の傍に置いて時間を浪費させるわけにはいかないのだと思っている。
「コレは俺の考えなので合ってるかは分かんないですが、まず俺はタイムリープの力に呪いが付随しているんだとは思いません。今の所、半年ちょっと能力使ってますが俺の周りに異常は出てませんし」
「……」
「実際、真一郎くんが呪われて、マイキーくんが大変な事になってるなら、その呪いはあの浮浪者が真一郎くんに掛けた呪いなんじゃないかって思います」
「だったら……んっ」

お前だけでも逃げろ、と言おうとした口を、武道は唇で塞いだ。まさかこの状況でキスをされるなど思っていなかったせいで真一郎は反応が遅れる。
「聞いてください」
「ちょ、おま……」
「ちゅー……」
「は……」
「むちゅー」
「……」

口を挟もうとするたびに武道がキスをするせいで、真一郎は黙るしかなくなる。しかも口で間抜けな擬音を言葉にするせいでどう反応していいのかも分からない。

こんな場面誰かに見られたらヤバイという気持ちもある。
「で、ですね。呪われてるのは真一郎くんと仮定するなら、マイキーくんに被害が行くのは真一郎くんがマイキーくんを誰よりも愛してるからだと思うんです」
「だからっ」
「ちゅーしますよ」
「うぅ……」
「マイキーくんが苦しむのが真一郎くんを苦しめる最適解だなんて呪いも分かってますね。人を苦しめる方法を」

事実、もしも真一郎本人が呪われて被害に遭うのであればきっとこの男はソレを罰として受け入れていただろう。

武道の知る真一郎とはそういう男だった。


「解呪の方法なんて俺には分かりませんが、ソレはおいおい探していきましょう。まずはマイキーくんを解放したいと俺は思います」
「どうやってだよ」
「アンタからですよ」
「は?」

意見を言わせてもらえず不貞腐れた表情をしていた真一郎は更に怪訝そうに武道を見る。
「アンタがマイキーくんを愛してるからマイキーくんが不幸になる。なら、アンタをマイキーくんから奪うだけです」
「え」
「そしたら俺が呪われるハズなので俺がアンタと一緒にいれます」
「何言って……」
「まぁ実際、マイキーくんが解放されたかは分からないので、そこら辺は春千夜くんあたりに協力してもらいましょうか。あの人、マイキーくん大好きっぽいし」

さも簡単な事であるかのように宣う武道に真一郎はあんぐりと口を開けてしまった。
「兄離れ、弟離れ、辛いかもしれませんが頑張っていきましょう!」
「そん、な……」
「実際、この先一生マイキーくんに尽くして生きてくつもりですか? マイキーくんにも将来設計とかあるんじゃないですかね? 結婚して家建てるとか。実家暮らしの男はモテませんよ?」
「……」

武道の言う事は一理あるものだった。自分が死んで何とかなる問題なら真一郎は喜んで命を投げ出すが、実際はそうではない。自分が死んでもどうにもならないのは武道が確認済みだった。
「お前は、いいのかよ」
「何がですか?」
「俺といると死ぬかもしれない呪いが降りかかるんだぞ……」
「アンタとなら不幸になってもいいよ、俺」
「……」

今度は武道が困った様な表情を作る。覚悟など春千夜と若狭に詰められたときに決めていた。否、ソレは覚悟ですら無いのかもしれない。コーヒーを飲むためにお湯を沸かす必要がある、そんな気軽さで武道は真一路と茨の道を進むことを決めた。

惚れた男と共に歩むために必要な出費なら支払う事にためらいは無かった。
「……少し、考えさせてくれ」
「はい」

そんな武道の覚悟を感じつつも、真一郎は心が決まらない。

惚れた相手を道連れにするくらいなら一人で地獄に落ちた方がマシな男だ。しかし、その共連れが何も知らない弟から、納得済みの恋人に変わるのなら……。
「二十日から年始明けくらいまで一時帰宅の許可が下りた。その後、もう一度検査入院にはなるが、恐らく問題が無かったら退院になると思う」
「おぉ! やったですね‼」
「……クリスマス、空けといてくれ」
「はい! 勿論です‼」

 

卍卍卍

 

「ココくんココくん! クリスマスの集会はイヴの深夜でいいんスよね⁉」
「おー、そうだ。忘れんなよ」
「ウス!」

黒龍の溜まり場にて、武道は上機嫌で九井に纏わりついた。武道は基本的に機嫌が良く、元気な下っ端気質であるが、コレは何か浮かれているな、と一発で分かる様相だった。
「何だ武道、デートか?」
「ウス!」
「マジかよ。相手なんかいんの?」

渋谷で見つけたしょぼくれたなんちゃって不良が半年も経たずに化けたな、と九井は苦笑いをする。今や武道は黒龍には欠かせない存在であり、ムードメーカーだ。

ちょっとおバカな所も可愛いと評判である。
「初代総長のの佐野真一郎くん!」

そんなおバカが更におバカな事を元気よく宣った。
「は?」

ここは黒龍の溜まり場。九井の執務室へと行く途中の道だ。そこで、とんでもない大物の名前が響き渡ってしまった。

ザワザワと好き勝手していた隊員共が一瞬にして静かになる。そんな周りの様子にも気付かずに、武道はスキップをする勢いで鼻歌を歌っている。

浮かれポンチのまま執務室へと行こうとする武道を九井が肩を掴んで引き留めた。
「待て待て待てこのド阿呆。どこでそんなのと知り合った⁉」
「二年前に変な不良から助けてくれたのが真一郎くんだったんス! で、事故でずっと意識不明だったのから目覚めたのがハロウィンの日で、彼の弟の東卍のマイキーくんが引き合わせてくれました!」
「くっそ、情報が多いな」
「真一郎くん、俺のこと覚えてくれてましたし、クリスマスもオッケーどいう事は脈ありですよね⁉」
「あー、まー、うん、あるんじゃねぇかなぁ……」

キラキラした目が夢でも見ているかのように虚空を見つめる。未来でも視ている様な仕草であるが実際に見ているのは妄想である。目がハートとはこういうことかと九井は頭が痛くなった。

アホ可愛い後輩が、おバカな恋愛モンスターになってしまった。
「もちろん、病み上がりなので夕方ごろには佐野家にお返ししますし、黒龍の集会にはちゃんと参加します」

宿題もやるから遊びに行って良いか聞く子どもの有様だ。コレで次期総長の座を狙っているというのだから九井も苦笑いだ。

しかし、冷静に周囲を見回せば武道を温かく見守るモードになっている隊員ばかりでこういう所が部下たちにも愛されているのだと

仕方が無い、と九井も見守りモードに入ろうとした瞬間、ふと頭を過る懸念があった。
「待て、初代総長って今いくつなんだ……」
「二十六ですねぇ」

十一歳年上です、とヘラヘラ笑う武道に周囲の隊員達もザワザワしだす。流石にその年齢差はありなのか、と。本人としてはアリだと思っているのだろうが、いくら不良と言えどペドフィリアはよくないのではないか。

そんな空気の中、武道に声を掛ける猛者がいた。
「真一郎くんは実際お前の事どう思ってるんだ?」

初代大好きの乾だ。

空気を読まないのか読めないのか判断が付かないが、微妙な空気感の中、
「うーん、告白は保留にされてますが、こういうのは押して押して押し倒すのが正解かなって思ってます」
「なるほど、頑張って落とせよ」
「ウス!」

親友と部下によるツッコミ不在の会話に九井は頭が痛くなる。そういう問題じゃねぇ、と口にすべきかいっそもうこの問題には関わらないべきか。

そう悩んでいる間にも二人は初代総長の落とし方を相談し始め、九井は関わらない事に決めた。振られて落ち込んでいたら慰めてやろう。

 

卍卍卍

 

そうして迎えたクリスマス当日。

武道はできる限りの防寒と、色々な人に相談して決めた、男ウケの良いフワフワモコモコのアウターで勝負を掛けた。武道の趣味ではないが、童貞を落とすならこの服だと真一郎の妹であるエマにもお墨付きをもらったし、この件に関しては若狭からも爆笑しながら「イケる」と言われた。コレでダメなら殺すという宣言もされた。

冷たい空気に頬を赤らめさせて、武道は真一郎との待ち合わせ場所へと向かう。本当なら家に迎えに行きたかったが待ち合わせの方がデートっぽいというエマの作戦だ。

いつもならリーゼントにしている頭は服装に合わせてフワフワにして、少しあざといくらいのクリーム色のニット帽を被った。コレは脱いだら髪がクシャクシャになってしまうのでは無いかと心配になったがエマプロデューサー的にはそれで良いらしい。その良さは武道には分からなかったが、彼女が言うのなら間違いはないハズだ。

少し早めに着いてしまって何度も時間を確認してしまう。

モコモコのアウターは温かかったが冬の冷えた空気に頬は凍ってしまいそうだった。

しかし、これから病院以外で初めて生身の真一郎に会えるのだと思うと武道の心臓はバクバクと鼓動し、薄っすら肌が紅潮すらしてしまう。

真一郎はどんな服を着ているのだろうか、夢の中では特攻服と仕事着だった。ソレはソレで格好良かったが、私服にはまた違った魅力があるに違いない。

そんな事を考えているうちに少し程度の時間は過ぎてしまった様で、武道は視界にその姿を見つけた。
「悪い、待ったか?」
「いえ、ちょっと前に着いただけですよ!」

恰好がつかないと困った顔で、真一郎が武道に奔り寄ってくる。

真一郎も冬の装いで、シャツの上にネイビーのダウンジャケットを羽織っていた。武道よりは軽装備であるが十分に目新しい感じがする。
「悪いな、もっと早く着いてりゃ良かった」
「大丈夫ですって! さ、行きましょ!」
「……おう」

あまり納得はしていない様子であったが、武道がニコニコと笑って手を差し出すと真一郎はその手をとってくれた。武道の手は子ども体温らしく温かく、外で待っていたとは言えそう冷えてはいないらしいと真一郎を安心させた。
「えへへ、楽しみだなぁ」
「映画館で良いんだったよな」
「はい! 昔のクリスマス映画のリバイバル上映があるんですよ!」

多趣味な武道にとって、真一郎とのデートでどこに行こうか、何をしようかは悩ましい問題だった。

ボウリングで身体を動かすのも良いし、ゲームセンターで遊んでも良かった。しかし、あまり動き回るのは病み上がりの真一郎にとってあまり良いことではないだろうという気もする。

そんな時に目についたのが映画のポスターだった。

最新作のアクションも気になったが、古い人気作のリバイバル上映などなかなか見れるものではないし、何よりも失敗が無いのではないかと思った。調べてみればゆったりした広めのカップルシートもあり、これなら真一郎の負担も少ないだろう、と下心込みで考えた。

純粋に映画を楽しむ気持ちもあるが、せっかくならカップルシートでイチャイチャしたい。

午前に予約したシートで映画を見て、どこかのカフェかファミレスで昼食をとり、夕方頃までぶらぶらとウィンドウショッピング。日が落ちる前に真一郎を自宅へと届ければ完璧で健全なクリスマスデートだ。

もしかしたらダメかもしれないという不安も勿論あった。しかし、なおさら、思い出に残るクリスマスにしたかった。

手を繋いで歩く二人は仲の良い、似てない兄弟にしか見えないだろう。男同士で、歳も離れている。自分の何もかもが真一郎に不釣り合いだという自覚もあった。

それでも良いのだと開き直って、武道は真一郎の隣にいる。兄弟に見えるのなら公然とイチャつけるのだ、と。万次郎を見ればもう兄と手を繋いで歩く様な歳では無い様に見えるが、ソレはソレだ。

映画が楽しみだとか、アウターがモコモコで温かそうだとか話しながら映画館へと向かう。

可愛いと褒めてはもらえなかったがそんなものはハナから期待していない。ナンならエマと若狭からも事前に「分かりやすく褒めてはくれないが、内心喜んでるから気にするな」とデートする前から言われている。そこで褒められる様な男なら童貞貫いてない、と。

口にして褒めずとも何度か服の上から腕を撫でているからその触り心地は気に入ったのだろうと分かる。女の子相手ではなく、自分相手で良かったなこの人、と武道すら思った。よほど真一郎に惚れている人間でなければ初デートでソレはNGだろう。

映画館に着き、予約していたチケットを券売機で購入すればそこそこの値段のカップルシートに懐が寂しくなるかと思ったが、真一郎は何も言わずに財布を出した。

通常の映画であればもっと安く済んだであろうに、そこに突っ込まずに少し不思議そうな顔をするだけの潔さに逆に武道が慌ててしまう。金額のワケを話して自分が出すと言えば真一郎は「年上に格好つけさせてくれ」と笑った。

そして着いたカップルシートは広々としたソファで、靴を脱いで足を延ばせるタイプだった。多少動いても後ろに影響しないため、疲れて身動ぎしても大丈夫だと武道は言う。そんな武道の頭を撫でて、俺の事を考えてくれたんだな、と笑う真一郎に武道は心臓がキュンと妙な音を立てるのを聞いた。

シアター内は適温になっているが、備え付けのブランケットを膝に掛けるとより温かく、安心感があった。購入したポップコーンを摘まみ、コーラを飲みながら、上映開始を待つ。うっかり家にいるような気分でお喋りしたくなるが、ここは映画館だと二人してニヤッと笑った。

シアターが暗くなり、少しのCMを挟んで映画が始まる。武道が選んだ映画だったが思いのほか真一郎もジッと夢中になってスクリーンを見つめていた。

何度かテレビの放送で見た事のある内容だったが、テレビ版と違いカットは無く、音響も画面サイズも何もかもが違う。リバイバル上映の醍醐味だ。

ふと、スクリーンの明かりに照らされる真一郎の横顔を盗み見ると夢で見た仕事中の様な真面目な表情をしていて、ドキリとしてしまう。寄り添う体温が温かくて、思わず微睡んでしまいそうな安心感があった。

何だか普通のカップルみたいでこそばゆくて嬉しくて、武道は甘える様にこてりと真一郎に寄り掛かった。

ソレを拒絶せず、真一郎はそっと武道の腰に手を回す。鑑賞の邪魔をしてしまったかと心配をしたが、真一郎はジッとスクリーンを見たままで、その許容は無意識のものだったらしいと分かる。残念な様な安心な様な不思議な気持ちで武道もまた映画に集中し直した。

古い映画の内容は古典的で、クリスマスと言えばコレ、と誰もが思う名作小説が元になっている。色々なパターンで現代風にしたり逆にファンタジー風にしたりアレンジが効かされている。笑いあり涙あり、ハラハラさせられつつも最後は強欲な主人公が改心して終わる。温かくて、安心感のあるストーリーだ。

涙が滲むほどでは無いけれど、良かったな、と思える。そんな話だ。刺激的過ぎても良くないだろうという消極的な判断だったが、間違いではなかったと映画が終わって武道は思う。真一郎の穏やかな顔がコレで正解だったのだと教えてくれていた。
「面白かったな」
「ですね! 個人的には中盤の演出が好きでした!」
「へぇ」

武道の蘊蓄語りに適度に頷き、適度に聞き流しつつ、真一郎は昼食をどこでとろうかキョロキョロと周りを見る。流石にクリスマスの昼時にレストランはどこも混んでいた。ポップコーンでお腹は膨れているため待てないという事は無いが、それだけで満足できる程可愛い胃袋はしていない。病み上がりで昔ほど量を食べれはしないが、それでも平均的な成人男性程度には食欲があった。
「武道、何か食いたいものとかあるか?」
「うーん、とくには無いですけど、あえて言うならハンバーグですかね」
「お、がっつりいくな」
「育ち盛りなもんで!」

グリグリと頭を撫でられ、子ども扱いだと分かりつつも嬉しくなってしまう。真一郎に触れられる事が嬉しくてたまらないのだと武道は自覚しているし、悪い事とも思っていなかった。

食品サンプルが美味しそうな店の予約表に名前を書いて、映画の感想を話しながら順番を待つ。ポップコーンのお陰か真一郎といたからか、自分たちの名前が呼ばれるまでが全く苦では無かった。

腹ごしらえを終えて、クリスマスに華やいだ雰囲気の街を歩く。そこら中にオーナメントが飾られていて、小さなモミの木が電飾にキラキラしていた。

夜になればさぞかし幻想的で綺麗だろうと思うが、回復したばかりの真一郎を佐野家から取り上げるわけにはいかないし、自分だって黒龍の集会がある。時間が過ぎるのは早く、特に冬はすぐに暗くなってしまうのが残念だった。

そんな武道の後ろ髪を引かれる思いに気付いたのか、真一郎は武道を連れてフラリと雑貨屋に入る。
「コレなんかどうだ?」
「え?」
「せっかくだしお揃いで買おうぜ、クリスマスプレゼントって事で」
「え、そんな、悪いですよ」

雑貨屋で真一郎が武道に選んだのは小さなキーホルダーで、シンプルで使い勝手の良さそうな物だった。
「嫌か?」
「嫌じゃないです!」

正直に言えば、真一郎とお揃いのキーホルダーは欲しかった。もしかしたら今日で振られるかもしれないし、思い出に形に残る物を貰えるなら貰いたい。

しかし、自分が払うつもりだった映画代も昼食代も真一郎に払われてしまった。こんなにおんぶにだっこになるつもりは無かったのに申し訳が無いと言う気持ちが強かった。
「うぅ、こんなに奢られるつもりじゃなかったのに…」
「中坊なんだから奢られてくれよ。俺にだって大人のメンツってモンがあんだからさ」

少し困った様に笑う真一郎にポンポンと頭を撫でられてなだめられてしまう。悪い事ではないが自分と真一郎との差を思い知らされる様で武道は少し不満だった。

そうこうしているうちに時は経ち、少し日も傾いてきた。

暗くならないうちに、と真一郎を佐野家へと送り届けるべく歩き出す。始終手を繋いでいるとだんだんとソレが当たり前になっていき、自然と足並みも揃っていく。

まだゆっくりな歩みの方が楽な真一郎と、真一郎よりも歩幅が小さい武道は何となくソレがお互いの丁度良い速度だった。

流石に家が近付いてくると真一郎が誰なのかも知っている近隣純民の目もあり手を離してしまったが、穏やかに付かず離れずの距離で二人は歩く。

お互い、まだ離れがたいとは思っている事は何となく察していて、どことなく探り合いの様な及び腰の会話になっていく。

しかし、先に意を決したのは真一郎だった。
「この後は家に帰るのか?」
「いえ、今日は黒龍の集会があるのでそっちに」
「え、今の黒龍ってクリスマスに集会してんの?」
「クリスマスパーティではなく、クリスチャンの総長の護衛ですね」
「うへ、モテねぇだろソレ」
「まぁ、あまり浮いた話は聞きませんね……」

そもそも不良はモテるのか、という疑問は残るものの武道は黒龍の隊員達の事を思い出して苦笑いをした。片足をアングラに突っ込んでいる様な今の黒龍では恋人を作る事も危険だろう。

恐らく、総長の大寿とブレインの九井は分かってやっているだろうし、一番顔の良い乾は色恋にあまり興味がなさそうだった。
「まぁ現状の黒龍だと付き合う女の子のが可哀相ですし……」
「どうなってんだよ今の黒龍。怖ェな……」
「まぁ、そんなワケなのでこの後は集会まで溜まり場で時間潰します」
「……」

そんな武道の言葉に真一郎は少し考える様な素振りを見せた。
「なら、それまでここにいるか?」
「え?」
「時間までは俺の部屋にいてもいいんじゃねぇか? ナンだったら集会場まで送ってやるし」
「歩行は良くても流石にバイクはダメですよ」
「えー、じゃあ万次郎が」
「いきなり足にされるマイキーくん可哀相過ぎませんか?」

駄々っ子の様に言い始めた真一郎に武道は少しだけ気後れした答えを返す。真一郎と一緒にいれるのは嬉しいが、二年ぶりのクリスマスの家族の団欒にお邪魔できるほど面の皮は厚くないつもりだった。
「どうせいつも通りならこの後みんなで神社にお参りに行くだけだしな。そのついでで良いだろ」
「クリスマスに神社ッスか?」
「おう、かぁちゃんがいた頃からの習慣だわ。まぁ今年は俺が病み上がりだから行かねぇかもしれねぇけど」
「まぁご家族が大丈夫なら良いですけども……」

真一郎がそこまで言うのなら、と武道は了承する。

ここまで楽しいだけのデートだったが、とうとう引導を渡されるかもしれないと内心で思う。武道の告白は保留にされ、その上で今日の予定を空けさせたのだ。今日、返事をするつもりだったのは分かっていた。

立派な門をくぐり佐野家の大きな敷地に入り、庭を抜けて離れのガレージへと向かう。

武道の記憶ではそこは万次郎の部屋だったが、過去を変えた影響なのか、今は真一郎の部屋のままらしい。
「悪い、ガレージだからちょっと寒いよな。今ストーブつけるわ」
「あぁ、いえ……」

皮のソファに腰かけて、キョロキョロと室内を見回せば万次郎の部屋だった頃とほとんど変わらないままだった。

二年前、真一郎が殺された日から万次郎は進めずにいたのだろうと思うと過去を変えて良かったと心底思う。

勿論、真一郎が生きている事が何よりも良かったことであるが、その結果として他に良い影響があるのなら何よりだった。

佐野真一郎という男は影響力の大きい男だ。その過去の功績もさることながら、武道含めたくさんの人に今も愛されている。

そんな事を考えているとストーブをつけ、毛布を持った真一郎が武道のすぐ隣に座った。
「悪ぃな、しばらくすりゃ温まると思うけど、しばらくコレ被って凌いでくれ」
「ありがとうございます」

毛布を受け取り、何となく独り占めするのも気が引けて隣の真一郎にの膝にも一緒にかける。何だか冬のバカップルみたいだと思いつつも間違いなくソレだろうとも思う。

ここまでやって振られたらいたたまれないなぁ、と思いつつ、号泣しながら集会に出たら怒られるだろうとまで予想した。

しかし、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

泣いても笑っても、ソレが結果なのだ。

ドクドクと鳴る心臓が自分の緊張を伝えている様だった。

呼吸を荒くしない様に、いっそ息をひそめる様に、武道は真一郎の沙汰を待つ。
「ッ」

不意に、毛布を握りしめていた武道の手に、真一郎の手が重ねられた。
「待たせて、悪かった」
「……」

ジッと真一郎の深く黒い瞳が武道を見つめる。その目は真摯で、甘さは無い。真一郎の様子から答えを窺い知ることは武道にはできなかった。

死刑宣告を待つ囚人とはこういう気持ちなのだろうかと武道は思う。事実、真一郎の答えによっては武道は若狭に殺される予定であるので死刑宣告に他ならない。

しかし、若狭に殺されるかもしれないという事実よりも、自分が真一郎に選ばれなかったという事の方が悲しいのだろうと認識する自分に妙な落ち着きを感じた。

自身の生き死によりも恋を重要視するなんて年頃の乙女の様な価値観だ。
「決めたんですね」
「あぁ……」

真一郎の瞳を、武道も見つめ返す。目を逸らしてしまいたい気持ちもあるが、ソレはできない選択だった。
「悪い、武道」
「……」
「俺と、不幸になってくれ」
「……はい!」

共に生きる事を選んだ言葉にしてはあまりにもな言葉であったが、武道にとってはそれ以上の言葉はいらなかった。
「それじゃあ作戦会議しましょう!」
「えっ

武道の急な言葉に真一郎は思いの外大きな声を上げた。

そういう雰囲気だったか? と。
「え、その、理由とかそういうのいいのか?」
「はい。そういうのはもう良いです。アンタが俺を選んでくれた事実だけで」
「お、おう……」

武道のさっぱりした様子に戸惑いつつも、コイツこういう所あるよな、と真一郎は妙な感心を覚えた。

もっと自分の覚悟とか、どういう経緯で武道を選んだのかとか、説明する気満々だった真一郎だったが、本人が望んでいなさそうなので何も言えなくなる。
「まず、思うにこの呪いってヤツなんですけど……」

もう少し自分の心の動きについて関心を持ってほしいという気持ちもありつつ、嬉々として話をし出す武道を見て、真一郎は妙に笑えてきてしまう。

思えば、大昔に会った時からマイペースで掴みどころのない子どもだった。夜の街をフラフラ歩く様が妙に気になって、声をかけて、気がついたら手を出していた。今の自分は大人で、武道は子どもであるため手を出すのは数年待たなければならないが、そのくらいが丁度良いのだろうとも思う。

きっと、茨の道を征くことになる。

この男は、そこを共に歩いて、時々ニヤリとしたり顔で笑ってくれるのだろう。