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無事、九井は殴られた


高級ホテルのラウンジにその男はいた。
それは大寿のよく見知った男であり、高級ホテルには似つかわしくない……と言いたかった。しかし、実際の目の前の男は大寿がよく見知ったボサボサの金髪頭にダサいTシャツなどではなく、しっかりと黒髪をセットしてけしてセンスの悪くはないスーツを身に纏っていた。

最後に会ったのは随分昔のはずだった。十代の頃だ。一番ヤンチャしていた時に出会ったと大寿は記憶している。
大寿が総長をしていた十代目黒龍を打ち負かした東京卍會という暴走族の総長代理をしていたのがその男だった。不良の中ではけして大柄な方ではないし、総長である“無敵のマイキー”と比べると攻撃力もカリスマ性も劣る男だ。しかし、柔軟性と耐久値では他の追随を許さない男でもあった。平時は子どもっぽい奴であるが、有事の際は誰よりも貪欲に犠牲の少ない道を探し、そのために常に動き回っていた。総長が良しとする犠牲も代理は頷かない、そんな場面がよくあった。最後には総長が諦める代理の粘り勝ちが多かったように思う。

あの頃のガキ臭いイメージと目の前の大人の男の姿の乖離で眩暈がしそうだった。悪い事ではないハズであるのに、どうしてか面白くなかった。
あの頃の大寿は、無敵の総長よりも代理の方を好いていた。武道があの頃の代理と違う男になってしまった様でショックを受けているなど、自分でも認めたくなかった。
一呼吸だけ置いて、武道に声を掛けようとして、大寿が喉を震わせるより先に武道が大寿を振り返った。

「わ、久しぶり!」

あの頃と変わらぬガキ臭い、花が咲いた様な笑顔に大寿は言葉を失う。何と返すべきなのか思い浮かばずにハクハクと口を開いて閉じてを繰り返す。
そんな大寿の心境に気付いてか気付かずか、武道は明るい笑顔で小さく両手を振った。此処が高級ホテルのラウンジであるためにそのくらいの動きでいるが、恐らく此処が外であったら大きく手を振りながら駆け寄ってくる勢いだったのだろう。そのくらいの笑顔だ。

「お前……」

成長してしまったと、この男に一瞬でもノスタルジーを感じてしまった自分が情けない。花垣武道に限って成長など無いのだろう。当時から今まで、ガキ臭いくせに妙な所で大人なコイツが完成形なのだと大寿は確信した。

「どうして此処にいる。九井はどうした」

花垣武道は佐野万次郎と共に日本で一番の不良になり、あっさりと不良の舞台から姿を消した。あの規模の集団を率いて、ネームバリューを得て、九井を擁して、あの二人は金稼ぎをしなかった。ただ“不良”になりたかったのだろう。

そんな変な二人だったが、佐野はバイク趣味が高じてレーサーへと転身し、武道は大学までモラトリアムを謳歌した後、九井と稀咲に拾われた。武道本人はフリーターをやりつつバックパッカーにでもなろうとしていたが、彼を慕う者がソレを許すハズもなく逃げる間もなく捕まった。
武道自身はあまりの縁故採用にドン引きしつつ、自分にまともな会社勤めができるとは思えないとしばらく抵抗していた。そして営業へと配属され、実際にあまりコンスタンスな成果はあげられてはいないらしかった。
しかし、昔取った杵柄で時々ものすごい契約を取ってくるらしい。東京卍會総長代理兼十一代目黒龍総長は伊達ではない。

そんな武道とは解散後に会うようなことはなかった。会いづらいという気持ちもあった。
それがどうしてこんな場所で会うことになったのか。もともと、大寿は九井と話をするためにこの場所へと訪れたハズだった。しかし、実際に来てみればいるのは懐かしい部下ではなく自身を負かした男だ。あとで九井は殴ろうと心に決め、成人してなおやたらに大きな瞳を見つめる。

「俺もココくんにこの場所に来るように指示されたんスよ。服まで用意されて」
「あの野郎……」
「大寿くんもココくんに呼び出された感じですか」
「まぁ、そうだな……。というかお前、アイツに用意された服素直に着てのこのこホテルに来たのか?」

危機感死んでるのか、と顔をしかめれば武道は心底おかしそうに、しかし場の空気を壊さない程度の音量でフフと笑う。

「大寿くん、ココくんはイヌピーくんのお姉さんが好きなんですよ? ソレに俺は男です」
「……そうだな」

目の前の男に会いたくなかった理由をその言葉で思い出す。

そうだ。この男には恋人の女がいた。

花垣武道という男は暴走族の総長代理を務めていただけあり、なかなかにホモソーシャル的な関係を好む傾向にあった。ミソジニーとまではいかないが女子どもを守る者であるとして内には入れない所がある。ソレを男らしくて良いと思う価値観を疑いなく持っていた。そして当然の様に男と女が恋に落ちるべきであり、男同士などあり得ないとホモフォビア的な所があった。
幼馴染で親友、ソウルメイトそんな関係であった佐野万次郎の隣で常にそんな価値観を隠しもしない武道に影で泣いた男はあの頃の不良界隈にどれだけいたのかも分からない。
守るべき女と最強のソウルメイトを持った花垣武道はあまりにも隙が無さ過ぎた。男らしい気性と案外優しい性格に惚れる男はあの頃ごまんといた。しかし、親友にはなれず、想いを告げて区切りをつけようにも相手は同性愛を許容しない。

焦がれて手を伸ばしても自身が焼け落ちるだけの太陽の様な男だった。
大寿もそんな太陽に焦がれた一人だった。そして、手を伸ばすことはついぞ無かった。

「お前、嫁はどうした。流石にお前一人を招待するほど気が利かない男じゃあないだろう九井は」

武道の嫁は大寿の妹に負けず劣らずの女傑だったと記憶している。服を贈られホテルに招待される旦那を放っておくタイプではないハズだった。

「……」
「?」

武道の顔を見れば何とも言えない、大寿が初めて見る顔をしていた。恋人と親友、そして地位を得て、満ち足りた隙の無い男のハズだった武道らしくない気まずそうな顔だ。
しかし、ソレはすぐに消えて気の良いおどけた男の表情に塗り替えられる。

「もー、大寿くんいつの話してんスか。オレがヒナに振られたのなんてずっと前ッスよ?」
「は?」

思ってもいなかった言葉に大寿は思わず間抜けな声を漏らした。
現役時代、武道が愛していると公言して憚らなかった女が橘日向だった。見せびらかす様なことこそしなかったがあの二人が別れるイメージが大寿には湧かなかった。

「大学最初くらいの頃っスね。ヒナから別れを切り出されました」
「……」
「前々からヒナの家族には反対されてたんです。わざわざ父親に呼び出されたこともありました」

あの時は驚いたなぁ、と武道は凪いだ表情を見せた。

「ソレを振り切って一緒にいたんですけど、最後はヒナが家族の説得に応じた形でした。ヒナも表には出さなかったけど、俺に思う所はあったみたいで……」

人生って上手くいかないもんですね、と呟きながら無駄にコーヒーをマドラーでかき混ぜる。

「幸せにしたいって思ってたんです。きっと上手くいくって。大事にしていたのに何でダメだったのかも実はよく分かってなくて、ソレがもう俺がダメな理由過ぎて……。二度と恋なんてできる気がしないんですよねぇ」
「……」

お似合いのカップルだった。将来は結婚するのだと言って憚らない二人だった。
しかし、何となく、大寿は彼女が武道を振った理由に心当たりがあった。

「佐野万次郎に勝てる気がしなかったんじゃないか?」
「へ?」
「お前の一番は佐野だろう。例えば、彼女との記念日に佐野が事故を起こして救急搬送された時、お前は佐野を選ぶ」

少なくとも俺にはそう見えた。そう告げれば、武道は何かを言い返そうと何度か口を開いて閉じるを繰り返した後、観念したかのように項垂れた。

「否定はできません。というか、そうするのが当然だって思います」
「まぁそうだろうな。更に言えば、お前は見ず知らずの誰かのために身体を張った結果、妻子を残して死ぬタイプだ」
「うぐぅ……」
「そんなお前に惚れたのがあの女だとは思うが、柚葉が結婚相手にお前を選んだら俺だって反対する」
「……」

誰かが既に言ってそうなものなのに、今日まで誰も教えなかったのはきっと気を遣ってのことだったのだろう。下手に口を出せばこの男から嫌われるかもしれないと思えば口を噤むしかない。
全く会っていなかった大寿だからこそ言えた言葉だろう。

今更、武道に嫌われたって再び会うことも無いかもしれない所まで来てしまった。

「そんな事よりも」
「そんな事って……」
「大学時代なんて何年前の話だ」
「うぅ……」

何年も引きずるほど彼女を愛していたのは大寿にも分かる事だったが、この辺りで無理矢理にでも切ってしまわなければ話が進まない。

「俺は商談のために九井に呼ばれて此処に来たがその九井ではなくお前がいたワケだが?」
「俺も分かんねぇですよ。旨い酒飲ましてくれるって聞いてノコノコ来ただけッスもん」
「……」

服を贈られてその誘い文句に乗りホテルにやってくる阿呆を年長者として叱ってやりたかったが目の前の男だっていい歳なのだからと口を噤む。

「大寿くんとの商談の内容も知らされてませんし、プレゼンできる事もねぇッス。あぁ、料金は既に支払ってあるから好きにしろってメッセは来ました」
「……」
「上にツインで部屋取ってるみたいッスね」
「お前、九井に売られたって思わないのか?」
「は? ココくんに? 俺が?? 誰に??」

心底意味が分からないという表情を浮かべる武道大寿はため息を吐きたくなる。お互いに取引相手だとは既に思っていないが、状況を見れば武道はそうとは知らずに枕営業をさせられているようにしか見えない。
九井と稀咲が武道にそんなことをさせるとは思えないが、何かしらの意図はあっての事だろうとは想像できた。

「もしもココくんが何かをしようとしてるなら、俺を慰めるためッスよ」
「何かあったのか?」
「ちょっと最近むりやり取引相手の会社のお偉いさんから娘さん紹介された挙句うまくいかなかったんで。俺にはもう愛が何か分かりませんよ……」

橘日向を失ってすっかり恋愛不信になってしまったらしい。見る影もなく落ちぶれたというワケではないが少し哀れではあった。
恐らく、そうならないために九井と稀咲が奔走したのだろう。これでバックパッカーになどなっていたらもっと悲惨な事になっていたかもしれない。
人生って上手くいかないもんなどと嘯いているが、この程度で済んでるのは他人の尽力があっての事なのだろうと呆れる。そして、大寿に総長代理様を慰める役のお鉢が回ってきたのだろう。
社会人になって何年経つのだと言ってやりたい気持ちもありつつ、誰にも答えを与えられなかった男を哀れにも思う。

「……」

僅かに震えた携帯端末を見れば九井からメッセージがきていた。急用で来れなくなったが代わりに武道を派遣したので好きに楽しんでほしい、とのことだった。枕営業どころか人身御供である。
九井はあの頃の知り合いにはとりあえず武道を与えておけば機嫌が取れると思っている節がある。否定はできないが、九井はあとで絶対に殴ると心に決める。

「どうかしたの?」
「あぁ、九井がドタキャンだと。代わりに最上階のディナーをお前と楽しめだそうだ」
「ココくん……」

いくら顔なじみと言えど取引相手にソレはどうなんだと流石の武道も苦笑いだった。

「まぁお互い久しぶりだ。話すことも多いだろ」
「そうですねぇ。既に長年の謎に答えももらっちゃいましたし」
「マジで誰もお前に意見してくれないんだな」
「総長よりも気軽な話し相手の代理って立場だったハズなのにね」
「ハハ……」

あの総長と比べれば武道は確かに話しやすい相手だろう。しかし、だからこそ武道に嫌われてしまえばおしまいであると考えれば下手なことは言えない相手でもあった。

「まさか大寿くんに愛について教わるなんて……」
「神の愛についてはあの頃の誰よりも詳しいと思うがな」
「ハハッ」
「人の愛についても語ってみるか?」
「やめてくださいよ」
 
まずは愛に性別は関係無いという所から話そうか。