· 

所詮兄弟、もしくは同じ穴の貉

 
 花垣武道。
 東京卍會壱番隊隊員、11代目黒龍総長、数々の不良の命の恩人、鶴蝶の幼馴染。肩書はそんな所だろうかと灰谷蘭は考える。
 正直な所、気に食わないというのが蘭から武道への印象だった。
 どういう魔法を使っているのかは分からないが、どうやらこの男は身の回りの全員に恩を売りながら生きているらしい。火事から乾姉弟を救う所から始まり、母親の亡くなった柴家を支え、佐野万次郎と交友を築き、真一郎を救い、龍宮寺を救い、黒川イザナと佐野家の仲を取り持ち、たくさんの不良から慕われ、囲まれて生きている。
 大して強くも無く頭も良くないこの少年が、どうやってこうも都合よく周囲の人間を助けることが出来たのかは分からない。偶然かもしれないが、何か仕組みがあるのかもしれない。それならば是非その方法をご教授願いたい所だと蘭は目の前の光景を眺めながら考える。神様気取りのヒーロー様に唯一救われなかったらしい鶴蝶を救ってくるから、と後頭部から目にかけての大きな傷の残る頭と金髪に青いメッシュの入った外ハネヘアーを見つめた。
 その二人の影に位置する様に、武道はヘニャヘニャと笑って何事かを話している。
 鶴蝶も弟の竜胆も武道に何か恩があるというワケではないのに、天竺と東卍の抗争が終わってから何かと構っている様だった。
(あーぁ、鶴蝶も竜胆も訳分かんないのの毒牙に掛かっちまって)
 灰谷蘭は溜息をついた。
 
 時代遅れの金髪リーゼントがぴょこぴょこと歩いている様は愛玩動物の様だと思う。しかしソイツは愛玩動物ではなく鶴蝶と同い年のダサい不良の男だ。それなのにどうして、竜胆がそのひよこモドキが後ろを付いて来るのが嬉しいのかが蘭には分からなかった。
 自分より背が低い奴がいるのが嬉しいのかもしれない、とも思う。
 そんな現実逃避染みたことを考えつつも、蘭はしっかりと弟の心の機微を悟っていた。その考えは紛れもなく現実逃避であり、目の前の事実への反抗であった。
 弟の竜胆はあの気に食わない男に惚れている。
 多少の欲を孕んだ熱のこもった瞳が何を意味するのかなど分かり切ったことだった。
 とっととヤッちまえばいいのに、そんな軽薄な事を考えるがソレが悪手であるのは分かっていた。花垣武道には味方が多い。それが友情であれ敬愛であれ、恋情であれ手を出せば他の大人数から報復がくるであろうことは簡単に予想できる。
 常であれば、それを面白がることもできるがその中に鶴蝶やイザナがいることが蘭は面白くなかった。
 揶揄う様に手を出したり、ちょっと意地悪をする小学生の様なアプローチは子ども同士のじゃれ合いだと言い訳ができる範囲。肩を組んだり、腕の中に収めたり、傍から見ていれば触れたいのだと分かるが、今はまだその時ではなく、竜胆は緩い触れ合いをしつつ隙を狙っていると蘭は見ていた。
 
 本気で迫るなら他の邪魔が入らない勝算のある短期決戦以外に方法はないのだろう。
 
 誰からも愛されるヒーローの花垣武道は、誰の事も愛していないのではないかと蘭は時々思う。友情、愛情、恋情、あまたの情を向けられ武道はそれに気づきながらも誰かの“特別”を受け取る様子は無かった。
 まぁどれもこれも男からのものだしな、と理解もできるが数少ない女子からの懸想も武道は受け取らず、誰か本命がいるのではないかと観察してみたこともあったが蘭には分からなかった。
 誰かが確信に迫ろうとすると誰かが邪魔する、という流れもあった。
 きっと本当の事を知るのが恐ろしいのだと蘭は思う。もしも、誰か一人を愛していたならば。もしも、誰の事も愛していないのならば。花垣武道とはいったい何なのか。
 そんな武道は蘭の事も他の誰もと同じように扱った。蘭が自分から迫らない分、関りは少ないハズであるがそれでも蘭と竜胆を一緒くたにして灰谷兄弟という枠に収める。天竺の一員で、六本木のカリスマ。わざとやってるのかというほど空虚な誉め言葉で称賛されることもあるが、武道は自分から関わろうとしてくる竜胆と寄りつかない蘭を同じ括りにしようとした。
 いっそ誰か一人を選んでしまえばそんな清純ぶったビッチの様な振る舞いなどせずに済むのに、と憐れみを込めて見つめれば背中に張り付いた万次郎やもはやアイドルの親衛隊と化した黒龍が睨みつけてきた。
 それを「おー、怖い」と半笑いでいなして、蘭は目を逸らした。
 
卍卍卍
 
 他人と一緒くたにされているというのに諦めずに気長に好意を向ける弟を哀れに思う。よくもまぁそんな扱いを受けて平気でいられるものだと蘭は少しだけ呆れた。
 半ば強引に自分の趣味のクラブに連れて来ても武道は抵抗しなかった。上手い事一人の時を狙ってバイクに乗せて来たらしい。自分達の客だからとダサいチビをVIP扱いする従業員は接客業の鏡だな、と蘭は3秒後には忘れる感心をする。

 目を輝かすことも無く、凄いと引き気味に宣う武道を見て竜胆のアプローチはヘタクソだなと蘭は思った。
 自分の好きな事を知って欲しい、自分の好きなものは相手だって好きなハズだ。自分を知れば相手は自分を好きになってくれる。
 凡庸が過ぎる感性だ。ちょっとコレはカリスマ的にいただけない。仕方が無いからあとで指導してやろうと蘭は心に決めた。
 
 EDMにノリきれない武道が所在なさげにソファでソフトドリンクをちびちび舐めていた。アルコールじゃねぇから安心しろよ、と思いつつも言葉には出さなかった。わざわざ声を掛けてやる義理もない。
 コイツがいるせいでテンションが下がった、と蘭は白けた気分でソファに沈む。帰って寝てた方がよほど有意義だ。
 竜胆にはキツいお仕置きが必要だな、とその内容を考えていると不意に武道がドリンクを置いてソファから立ち上がった。トイレにでも行くのかとその行方を眺めていれば武道は明後日の方向へと歩き出す。間に合わずに漏らししまえ、と考えていると武道は壁でゆるゆるノッていた男に話しかけた。
 周囲の誰からのアプローチも受け取ろうとしなかった癖にそんな知らないヤツの所へ行くのか? と蘭は怪訝に思う。二人まとめて潰してやろうかと立ち上がる前に、武道は男から何かもらってまた蘭の元へと戻ってきた。

「あの、灰谷さんコレ」
「あ?」

 自然に距離を詰めて隣に座る武道になんだコイツと思いつつも、その掌に乗せられた小袋を見やれば見覚えの無い錠剤が入っていた。

「……」
「多分まだ新しいドラッグです。バラ撒き中なんでしょうね、タダでくれましたよ」
「お前……」

 剣呑さを込めて見やれば、武道も同じくらい剣呑に錠剤を見つめていた。先ほどまでの場違い感など忘れたかのように青い瞳が鋭く光っていた。

「コレ、アンタ等が認可したとかじゃないんでしょう」
「おー、蘭ちゃんの知らない商売だねぇ」

 うちのシマでやってくれる、とバイヤーを殺す算段を立てながらその中間ルート、大元のヤクザに当たりを付ける。一応、ここら辺を仕切っているヤクザとも多少は顔が効くため、灰谷兄弟の入り浸っているクラブでそんな悪さをするとしたら敵対ヤクザか何も知らない阿呆かだ。

「バイヤー、覚えましたよね」
「んふふ、もちろん♡」

 貢物を受け取り、店の黒服に指示を出す。すぐに事を荒立てては潜られるだけだ。
 しばらくは泳がせてじわじわと縊り殺そうと考えて、ふと隣にいるのが“あの”花垣武道だったと思い出す。皆のヒーローはソレを是とするのか、と。
 泳がせたりなどすれば何人かはこの薬物を摂取する結果になるだろう。これがまだどのような代物なのかは分からないが、もらった本人が摂取することもあれば、ドリンクに混ぜて勝手に飲ますこともできるだろう。
 すぐにやめさせましょうなどと騒ぎたてるかと思いきや、武道は今後の対応は蘭に任せる様な素振りだった。

「お前、なんも言わねぇの?」
「こういうのはご自分でやるんでしょう?」
「まぁそうだけど」

 天竺を犯罪組織になるのを防いだ男がドラッグなどという分かりやすい悪に口を挟まないのは意外だった。

「意外だな。もっとギャーギャー騒ぐかと思った」
「まぁ、俺が騒いで何とかなる事でもありませんし。どうせこの段階でアンタ等が介入したら東卍や他の俺の大事な人達は被害被らないでしょう?」
「ふぅん?」

 イイコちゃんかと思いきやどうやらこの男も内と外の差別化は激しいらしい、と蘭は少しだけ面白く思う。誰も愛してないワケではなかったらしい、良かったじゃん竜胆、と。

「俺の手は、俺の手の届く範囲にしか伸びませんから。それならその範囲の全てを何一つ取り零したくないんです」
「……」

 錠剤を見ていた時の鋭さと同じくらい剣呑に、武道は自分の手を見つめた。喧嘩の時の様なギラついたソレではなく、色を濃くした様な暗い色に今までピクリともしなかった食指が動くのを感じた。

「欲張りだね、お前」
「はい。諦めが悪いんです、俺」
「へぇ、いいね」

 ヘラリと笑う武道に蘭もニコリと笑った。
 
卍卍卍
 
 転がり落ちるとはこういうことか、と蘭は自嘲する。今の自分を過去の自分に見せたら腹を抱えて大笑いされる自信がある。
 他の奴等みたいにのぼせ上った態度はとっていないつもりだったけれども、それでも分かりやすく態度は軟化したハズだ。

「あ、蘭くん」

 その証拠とでも言わんばかりに、いつの間にか武道は蘭を名前で呼ぶようになった。呼ばせたワケでは無く武道が自分から竜胆との呼び分けにと言ってきた。ソレを許容する時点で爆笑モノだと蘭は思う。

「こないだの例のアレ、どうなりました?」
「んー? アレね、うん。テキトーにヤッといたよぉ」

 ヘラヘラと笑いながら蘭は応える。アレから武道は分かりやすく蘭に寄ってくる様になった。今まで警戒されていたワケではない。むしろ蘭が武道を警戒していたために気を遣って寄ってこなかったのだろう。
 遠慮の無い武道を少しだけ可愛く思い、これではやはり他と同じ穴の貉じゃないかと自分の有様を不満に思う。
 秘密を共有して、自分がコイツの特別になったのだとかは考えない。きっとこの男は誰とでも色々な何かを共有しているのだろう。そうでなければあんなにものぼせ上った連中に囲まれたりはしない。

「じゃあ、そこはもう心配しなくていいですね……」
「うん、蘭ちゃんに任せといてよ」

 この暗い瞳を知っているのは他に誰がいるのだろうかと疑問に思う。後ろ暗い秘密の共有ほど親密さを演出するものも無い。
 分かってやっているワケではないのだろう。完全に無意識でコレを行っているのだからタチが悪いし、自分でも困ってしまっているのだろう。こうやって雁字搦めになったオンナを蘭は何度も見た事があった。
 清純派ビッチにもわざとやってるのと無意識でやってるのがいるが、蘭が見るに武道はその中間だった。愛されたくてやっているワケでは無いが、自分のテリトリーに入れた者は全部手中に収めないと気が済まないのだろう。強欲の自覚はあるが目的は無いと言った所か、自分が相手を愛したいだけで愛されたいのでは無いという傲慢。ある意味男らしいと言えるかもしれない。
 だから、武道は現状に少し困っているのだと蘭は思う。蘭が拒否しなくなってから、武道は蘭の元をよく訪れるようになった。他の連中よりもよほど素っ気無いがソレが安心感に繋がっているらしい。
 まったく馬鹿な男だ、と笑って食ってしまうこともできた。竜胆に呼ばれて自宅を訪れることだってあるし、先日の様にクラブに連れていかれることだってあった。
 気の多い竜胆は時々武道を置いてどこかへ行ってしまい、蘭と二人になることも多かった。相変わらず所在なさげに、それでも蘭の傍を離れない武道を可愛いと思う。
 今だって、自分一人では決して来ない様なテラスのカフェで蘭と二人にされ、場違いな自分を気にしながらチビチビとコーヒーを舐めていた。

「お前さぁ、ソレでいいの?」
「へ?」
「んー? 竜胆への兄心っての? あんまり気を持たせるの残酷よ?」
「それは……」

 すぐに否定をしない辺りやはりある程度の確信をもって周囲に愛想を振りまいているのだろう。ただのビッチなら気にも留めないが、この男の目的を炙り出すのも一興だと蘭は考える。

「俺も分かってるんです。俺は既に間違えた、って」
「……?」
「かろうじて、首の皮一枚で頭と繋がった足が綱渡りをしているのが現状だって分かってるんです」

 酷く抽象的な言葉の真意が蘭にはすぐに図り切れなかった。目的は無いのだと思っていたが、実際は上手く果たせずに的外れな行動をしてしまっているといった所か。

「……」

 しかし、そのヒントがあれば今までの武道の行動と合わせてすぐに言わんとしている事が分かった。

「あぁ、お前。ただ死んでほしくないだけか」

 人を殺した事のある蘭には理解しがたい感性ではあるが、武道の行動は案外分かりやすいものだった。他人の死や不幸自体を忌避するがために周囲を助けているのだ。
 普通はその先に見返りを求めるものであるが、武道のそれは行動自体が目的であるために勘違いをさせやすい。自分を特別に愛してくれているのではないか、と。
 しかし、そうではないために周囲の男どもは躍起になってこの少年に集るのだ。花に群がる虫の様で酷く滑稽で、花は虫を愛しているかもしれないが誰かに独り占めされる事は良しとはしないのだろう。

「このままだとお前を巡って血で血を洗う戦争になるかも? モテる男はつらいね」
「いえ。どちらかと言えば、俺のためだと言って威嚇射撃に飛び込む人が出るのも時間の問題かな、って方向で悩んでまして」
「……」

 一瞬、恋バナから急に話が飛んだと思ったが武道は最初から生死の話しかしてないと蘭は気付く。本当にそういう意味で興味が無いのだろう。

「助けてやろうか?」
「へ……?」

 苗字であるが同じ花のよしみだと蘭は笑う。

「お前は、どうしたい?」
 その手に触れることすらなく、蘭は武道を見つめた。
 
 自信はあった。
 きっと、竜胆もコレを狙って蘭と武道を二人にしていたのだと今なら分かる。
 仕掛けるのならば、勝算のある短期決戦なのだとずっと前に分かっていた。
 
 暗い瞳が、潤んで揺れるのを蘭はただ見ていた。