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女Ωのオレがタイムリープしたら女αの美女と婚約する事になった件について 前編

 

 

花垣武道、14歳。女、オメガ。

最低な人生だった。
女に生まれて、オメガと診断されて、なりたい自分、生きたい生き様を全て否定された。反抗期や、幼い意地などもあって不良少女を目指した結果は尊厳の凌辱とそこから逃げ続ける人生。
自分でも馬鹿だと思う。学生時代の親友の訃報と年下店長の冷たい視線。フラリ、と吸い込まれる様にホームへ入ってくる電車の前へと倒れたのは自分の意思だったのか。それとも誰かに邪魔だと押し出されたのか。今となっては分からない。

事態に気付いた人の悲鳴と、近づく警笛と、ブレーキの音。
衝撃があったかどうかも分からない。

終わったのだと、ただぼんやりと鉄の塊が迫るのを見ていた。


それが、花垣武道という女の一生だった。








ハズだった。

気が付けば12年前、親友が生きていた時代。未だ汚されていない身体で目が覚めた。
男の様な格好をして、放課後になればスカートを脱いでボンタンを履く。二次性徴が憎かった。体系を隠すように男物の服をダボダボと着崩していた頃だった。
鬱憤を晴らす様に男の子に交じって喧嘩もした。中学一年生までは違和感なくそこに溶け込めた。幼馴染が性別を隠すのを協力してくれていたおかげもあったのだろう。

全てがダメになったあの日の放課後だった。

従兄の見栄を張っただけの嘘を信じて、仲間を、全てを台無しにした日だ。

「行くぞタケミチ!」
「え、あ……うん」

走馬灯に見るのがこんな最悪な日のことじゃなくたって良いじゃないかと自分の愚鈍な脳みそを憎んだ。どうせ死ぬのなら、もっと幸せな頃の記憶を見せて欲しい。

この先の展開は知っている。
敗けて、殴られて、まだ男と思われていたから汚されてはいないけれど、辛い日々の始まりだった。

その日の夜に、どうせ死ぬならかつての親友の顔を見たいとフラリと足を向けた先で親友の弟を助けた。

「私ね、君のお姉さんが大好きなんだ」
「へ!?」
「好きで好きでどうしようもないくらい好きなの。今日、ソレを思い出したんだ」

この12年間、自分の事で精一杯で、自分が可哀相で、久しく忘れていた。
この子を守れるヒーローになりたかったのだと。きっと素敵な人と結婚して、幸せになる親友を、その日までずっと守りたいのだと思っていた。その手段として不良オトコになる、を選んだのは自分でも馬鹿だとしか言えないけれど、この日までは思っていたのだ。

「12年後の7月1日。ヒナは死ぬ。その時、君も一緒に死ぬんだ。2017年、7月1日。この日を覚えていてね。それで、ヒナを守ってあげて」

結局、自分は我が身可愛さに何もかもを捨てて逃げて、自分は弱いのだと諦めた。
結局、12年後に日向は死んで、自分もそれからそう経たないうちに死んだ。

最低な人生だ。

走馬灯ですら自分で彼女を守ろうとはせず、その弟に託すなんて情けない。でも、今の自分にできる事なんてそれくらいだった。

「なんてね。信じられるワケねーか、こんな話。でも、頼むよ」
……うん」

最期に手を差し出した。
こんな夢の中で親友を託しても、自己満足以外のなんでもないのに。

「分かった」

神妙な顔で手を握り返したナオト弟くんが可愛くて、久しぶりに武道は笑った。



・・・


ドクリと心臓が鼓動を打つ。

手を繋げば12年前へと遡り、再び手を繋げば未来へと戻る。
あの日、ナオトと手を繋いだ武道の時間の旅が始まった。最終目標は親友の命を救う事。

奴隷にはなったが、そこから意地だけで起死回生を図り、東卍のツートップと出会い、副総長を助けた。それだけでは結局日向を守る事は出来ず、離反した1番隊隊長を守った。

未だ女とはバレておらず、できることは全てしてきた。

それなのに、訪れたのは最悪の未来だった。
未来で日向を殺し続ける東卍キサキ。日向と武道に執着する稀咲鉄太という男はいったい何者で何を目的としているのか。
分からない事が多すぎた。

未来には戻れず、しかし何をしたらいいのかも分からない。

そして、その日は訪れた。

「タケミチ、アンタお見合いするわよ」
「は……?」



・・・

そういえばあったわ、こんなイベント。
と武道は据わった目で晴れ着を着せられた自分の姿を見る。

父親の会社の取引相手のαのお子さん方とお見合いをさせられる。

前回の自分はもうこの時点で非処女であったためにこの話は立ち消えになり、昇進が遠のいた父に酷く叱責され、自分だってなりたくてなったワケじゃないと泣き喚いて、オロオロとする母親の顔は蒼褪めていた。
最悪の空気になった家に耐えきれなくなって、居場所がなくて、夜の街でぼんやりと過ごすことが増えた。何度も補導されその度に父親が怒って、母が泣いた。
中学を卒業すると同時に家から逃げ出して、底辺フリーター生活。

碌でもない人生だった。

その運命にリベンジしていたのに、結局自分はオメガであり、アルファに搾取される生き物でしかないのだと思い知らされる。
優秀なアルファ様の孕み袋。苗床としての役割を期待されるだけ。

色はそのままだけれども、美容院でアレンジされて和服に合う様にカールされた金髪は普段ならリーゼントにされてるなんて誰も思わないだろう。
動きにくい着物に草履。武道にはもはや拘束具にしか思えなかった。

綺麗な着物が嫌いなワケではなかった。
男になりたいワケでもなかった。

ただ、その美しい装飾をされた自分が、自分のモノでない事が嫌だった。

他人のためのプレゼントのラッピングに何を思えば良いのか。  

そんな小生意気な事を考えずに素直に喜べれば良かったけれども、そんなものは自分ではないとも思う。26歳にもなっていつまで反抗期をしているのだと自分に呆れる。もしかしたら中学生の身体に精神が引っ張られているのかもしれない。
いつまで経っても子供っぽい自分に苦笑いを零して、作り笑いを顔に張り付けた。

未だ絶賛反抗期と言えど、接客業歴は10年近いのだ。愛想笑いの一つもできずにどうする。
心の底からの笑顔などそもそも期待されていないだろう。お上品なアルカイックスマイルができればそれで充分なのだ。

……

ほんのりと口角を上げ、少し眩しいものでも見たかのように目を細める。
これだけで微笑んでいる様にみえる。目が笑っていないなどと言われるのは練習が足りないに過ぎない。
昔は散々面白くも無いのに笑えないと思っていたが、今のアルバイトになって年下店長の長谷川にこれだけはと仕込まれたのがこの笑顔だった。長谷川も屈託のないタイプではないため、どこか擦れて、異性に苦手意識を持ったオメガの武道を放っておけなかったのだろう。
それがこんな所で役に立つなど、人生分からないものだ。

お上品な料亭で、ひたすらお相手を待つ。
武道が我慢できない事を先に予見した母親が正座椅子を用意してくれたことだけが救いだった。
ぼんやりとしながら相手はどんな人物だろうかと考える。怖くない人だと良いと思った。

知り合いの紹介によるお見合いのため、今回は釣書や写真は無くぶっつけ本番。
相手の情報は父親の取引先のお偉いさんの息子さん。三兄弟だそうで全員がアルファだと言う。長男、長女、次男のどれでもいいから気に入ったのと婚約をすることになるそうだ。
もちろん、今回で決定するというワケではなく、気が合いそうなら連絡先を交換したり次回のセッティングをしたりするらしい。

反抗期の娘のむくれた顔も気にせずに「もしかしたら運命の番と出会えるかもしれないぞ~」などと宣っていた能天気な父親に唾を吐きかけてやりたいと武道は心底思う。ハンディキャップを抱えているとすら言える娘の未来を心配しているのではなく、自分の昇進が大事だと思っているのは前回の時に知ってしまった。

ベータ同士の夫婦に生まれてしまった先祖返りだか突然変異のオメガが自分だ。
父親も随分と持て余したのだろうと今なら分かる。それでも許せることと許せないことはあるのだ。

武道は自分以上に緊張した面持ちの両親に挟まれて中庭の風景を眺めた。いったいこの席に着くだけでいくらかかるのだろうか。
フリーター時代の生活と手取りを思い出して、恵まれた家に生まれたのだと理解する。
ソレを蹴ってでも貫きたい“己”があったのだから仕方がない。そうで無ければ不良ヒーローではない。

しかし、今の自分はどこからどう見ても不良ではなく良いとこのお嬢さんであり、か弱いオメガちゃんだ。

求められる自分とありたい自分のギャップに溜息を吐きたくなる。憂鬱が限界を迎えそうになった頃、相手方が到着した。

仕立ての良いスーツを纏った大柄な壮年の男性と、若い男二人。そして、武道と同じく華やかな着物を着せられた少女だった。

「え?」

若い男の、より若い方が武道を見て驚いた顔をした。
バリアートの入った青髪はどこかで見た様な気がしたが、武道は思い出せない。ガラの悪い男に心当たりが多すぎた。

「タケミっち……?」

佐野の付けたあだ名で呼ぶという事はやはり東卍のメンバーなのだろう。
性別を誤魔化して在籍しているのに最悪だ、と武道は内心焦る。女人禁制だとは言われていないが、東卍は「女は殴らない」を公言するチームだ。その女を仲間として在籍させるワケがない。

「おま、何でそんなかっこ、え?」

混乱する少年に武道はどう応えるべきなのか分からない。恐らく、少年も父親には自分が暴走族に所属し、無免許運転してブイブイ言わせているなどとは話していないだろう。
ならば、お互い知らない顔をするのが正解なのではないだろうか。

まさか知り合いだッとは思っていなかったらしい他の人間はものすごく驚いた顔をしている。まだ自分の素性はバレていない。
武道は万感の思いを込めて、ニッコリ、と例のアルカイックスマイルを作る。

黙れ、と。

しかし、笑顔に込められたその思いは少年には届かず、少年は大きな声を上げた。

「え!? タケミっちってオメガだったの!? ていうかオメガって男でも振袖なの!?」
……

その瞬間に流れた何とも言えない沈黙は、武道は生涯忘れる事はできないだろう。
少年以外の全員が「何言ってんだコイツ」と思ったに違いない。今の武道はどこからどう見ても、多少ヤンチャな髪色をしていたとしても、品の良いお嬢さんだった。
このお嬢さんを“男”だと思うなどありえない、と。

その沈黙を最初に破ったのは彼の父親だった。

「八戒、知り合いなのか?」
「え、あ、うん……えっと

そこでやっと少年が「しまった」という顔をする。武道にどこであったかなど言えるワケがない。
しどろもどろになる少年、八戒に助け舟を出す様に武道は声を掛ける。

「あの、お久しぶりです。先日はお友達が大変でしたね」
「えっ!?」
「あの通り魔に刺された長髪の……
「あ、あぁっ! うん! まだ退院はしてないけど大丈夫そう!」
「ふふ、良かったです」

まさかあの抗争での場地の怪我を通り魔のせいと言うとは思わなかった様で八戒は少しパニックになりつつも話を合わせた。そして武道の猫の被り様に怪訝な顔をした。
お前はもう少しとりつくろえ、と言ってやりたいが万感の思いを込めて微笑むにとどまった。もちろん八戒にその思いは届かない。

「遮ってしまって申し訳ございません。先日、通り魔に遭った方の介抱をさせていただきまして、その場にいらっしゃいましたのでお互い少しだけ知っているだけなんです」
「えっと、うん。そう」

武道の言に頷く八戒を怪訝に見るも父親は気にしない事にしたのかニッコリと快活な笑みを浮かべる。

「そうか。心優しく行動的なお嬢さんなんだね」
「いえ、私なんてそんな……。普段はボーイッシュな格好をしているので……

八戒に勘違いをさせてしまった、と続けようとした言葉を武道は寸での所で飲み込んだ。八戒の後ろにいた少女が唇に指をあてるジェスチャーをしたからだ。

……えっと」
「久しぶり。ちゃんと話もできなかったけど、あの時はありがとう」

武道は口を噤んだのを見て、少女はスッと八戒と武道の間に入る。
そして八回には聞こえない様に花垣家に囁いた。

「悪い、八戒は女が苦手なんだ。このお見合いの間だけでも勘違いさせておいてくれ」
「あ、なるほど。わかりました」

スン、と困惑した顔から真顔に戻る。八戒としては武道が女だと困るのか、と。
それならば仕方がないし、願ったり叶ったりだと再びアルカイックスマイルに戻る。

そこでやっと状況が収束した。
八戒以外の全員が状況を何となく把握し、席に着く。

「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございませんでした。私、花垣武道と申します。この度は私なぞにこのような機会をいただき、深く感謝いたします」

丁寧に頭を下げて見せれば柴家の父親からは好感触だったのか先ほどと同じ快活な笑みが帰ってきた。自分の父親の方からは驚いた様な顔をされる。まさか反抗期真っ盛りのヤンキー娘にこんな言い回しができるとは思っていなかったのだろう。
実際、14歳の武道には不可能だった。

「あぁ、ご丁寧にすまないね。こんな素敵なお嬢さんに愚息達を見てもらえるなんてありがいたい限りだよ。こちらからも紹介させてもらおう」

そうしてお見合いが本格的に始まった。
柴家の子どもたちは上から、大寿、柚葉、八戒というらしい。

……

動揺を悟られない様に気を付けながら、武道は八戒を見る。

柴八戒。
未来で東卍の幹部席にいた男。
“元”黒龍組。

色々な情報が頭を巡り、しかし今は何ができるワケでもない。
未来で、何が起きてこの八戒がそうなったのか分からない。少なくとも今は東卍のメンバーである。

未来でのことを思い出す。

東卍の幹部になっていた自分と八戒。
自分は古参東卍扱いで、八戒は新参の黒龍組。このお見合いの後も、自分は東卍にいて、八戒は黒龍の先代を殺してと移籍した。そして、何らかの抗争の果てに東卍と黒龍が統合したと考えられる。

その間に、自分はこの男とお見合いをしていた?
幹部会の席では目も合わせなかったハズだ。結婚などしているハズがないし、未来にいたのは短い間だったがそんな様子は自分にはなかった。

……

いや、と一つ自分の考えを否定する。

一つだけ、違和感があった。

自分の左手の薬指に、へこみがあった。
幹部会があるからとっていたのだろうその場所に、指輪がはまっていたのだとしたら。

その場所にはきっとこの三人の内の誰かの指輪があったのだろう。

それから当たり障りのない趣味の話をしたり、お見合いらしい会話をふんわりとする。
大寿はあまりこのお見合いに乗り気ではない様でずっとツンと澄ました態度で気に食わないと言外に主張している。
逆に八戒は武道に対してフランク過ぎるほどにフランクに接しており、性別の誤解はあれどこれなら女性が苦手な八戒でも大丈夫なのではないか、と柚葉と父親が婚約を促してみた。しかし、八戒はヘラヘラと笑って断った。

「いやぁ、流石にオメガでも男と婚約はちょっとなぁ~」

女がダメな癖にオメガの男もだめならお前はいったいどうするつもりなんだ、とその場の全員の心が一つになった。
どうにもマイペースな弟気質らしく空気が読めないタイプだ。これが将来、東卍の幹部として反社になっているのだから人間とは不思議なものだと武道は思う。

父親と兄からの冷たい視線に気づくこと無く、八戒は言葉を続ける。

「ていうかこの中だったら柚葉が一番良くない? オレはタケミっちをそういう目で見れないんだし」
……

ソレはたしかにそうかもしれない、と花垣家と芝家の父親がアイコンタクトを交わした。このお見合いは持て余したオメガとアルファの子ども達をくっ付けたいというよりは、会社同士の結びつきを強くしたいという意図で行われている。
婚約をした後にトラブルになりそうな長男と次男を差し出すよりは、長女同士の方がお互いに節度を持って気を遣い合えるだろう、と。

「ね? 取り合えず柚葉で行こうよ。タケミっちだって女の子が相手の方が良いでしょ?」
「え、あ……うん」

八戒の勘違いを解かないために話を合わせてしまえば後は父親同士が勝手に進めていく。
とりあえず、武道と柚葉は連絡先を交換して、次回のデートの日取りは両親が決めるという事になった。

お互いに苦笑いを交わして、この話がどうなるのか、とため息を吐いた。


・・・


おじさんたち考案のデートスポットを女子二人で清く正しく巡る。
オメガとアルファと言えどまだ義務教育中の二人である。デートと言えど、保護者同伴でちょっと良い食事をとる程度だった。当事者の二人よりも父親たちの方が経営の話で盛り上がっている。

連絡先を交換して、こっそり盛り上がる内容はもっぱら父親の悪口だった。
色っぽい事は何もなく、一つだけ歳が違う女の子と知り合ったに過ぎない日々だ。

「(この子に抱かれるとか、イメージつかないなぁ)」

未来からやってきた武道は“男”を知っている。
乱暴をされた記憶でしかないが、清い精神ではない。薄汚れ、老いさらばえた自分と、目の前の快活な美人がどうこうなる気がしなかった。

それに、“今”の自分にはまだ発情期が来ていない。

今どきの少女にしては発育が遅れていると言えばそうで、“前”の自分はお見合いの話が出る前には初体験を済ませてしまっていた。恐らく、身体は既に成熟していて、このタイムリープの影響で“前”は浴びた雄のフェロモンを浴びていないとか、そういった何かしらのきっかけが不足しているのだろう。

来ないのなら来ないでありがたいという気持ちすらあり、しかしいつソレが来てもおかしくないため常に避妊薬と抑制剤を身に着けていた。

そのうち、父親同伴のデートではなく二人で会う様になり、ただの女友達の様な時間を過ごしている。八戒にも東卍の集会で再び会い、二番隊の副隊長だと分かったり、オメガであることは秘密なのだと言い含めたりもした。
その中で、長男の大寿だけは特に関りも無く、見る事すらない日々だった。
それが気になって二人に聞いてみてもはぐらかされ、何かしらの隠し事をされている事だけが分かった。

そんなある日、武道は二人に自分が守られていたのだと知る。

「八戒、ヤバい」
「?」
「兄貴が帰ってきてる」

何度もお互いの家に行き来していて油断した頃だったのだろう。
自宅の前に屯する白い特攻服の男達に柚葉は顔色を悪くした。

何事かと武道がソイツ等を眺めているとその中から一人、男がゆっくりと前に出る。

「これはこれは、“若”じゃねぇかよ!!」
「ココ」

黒髪をアシンメトリーに反り上げたココと呼ばれる男に、武道は見覚えがあった。
黒龍組の一人。未来の東卍に八戒と同じく幹部として在籍していた九井だ。

「ん!? なんだ? テメェ」

見過ぎたせいか、うっかり男の興味を引いてしまって武道は歯噛みする。
八戒と柚葉だけだったらウザ絡みされるだけで済んだだろうに、自分がいては無駄に事を荒立ててしまうと分かる。
今日の自分の恰好は八戒がいた事もあって性別の分からない様なものだ。ソレはつまり、東卍の花垣武道であるという事だった。

「アイツ見た事ありますよ……。東卍の壱番隊隊長、花垣武道です」
「黒龍のシマに東卍だぁ!?」
……

案の定、下っ端の男が武道に気付く。
点数稼ぎかすぐに九井に報告した。

「ナメてくれんじゃねぇか」

わざとらしいまでに激昂する男の声を合図に、特攻服の男たちが動きだす。

「ウチのシマから生きて出れねぇぞテメェ」

不良は舐められたら終わり。ソレは武道もよく理解している所だった。
しかし、何度も通い慣れた婚約者の家に行くのを今更咎められるのもアホらしいと思う。武道が鼻白んだ気分になっているのを気付いた八戒が前に出る。

「兄貴はどこだ?」
……コンビニ」
「ロクに帰ってきもしねぇくせに、こんな時だけ……

凪いだ表情だった。
確かに、何度も行き来しても柴大寿に出会う事は無かった。二人がそうしているにしても、普通の家族の距離感ではなさそうだと武道も気付いていた。
父親があまり帰って来ないのは花垣家も一緒で、それ故に家に一人でいたくない気持ちで夜の街に出る気持ちは分かる。しかし、大寿には八戒と柚葉がいるのだからソレとはまた違う家族間の問題があるのだろう。八戒が大寿を疎ましく思うのは普通の兄弟間のいざこざとは別の所だと武道にも分かる。

先日、会ったばかりであるが、婚約者という立場上、こういったいざこざを先に知れるのはありがたいなぁ、と少しズレた事を考えた。

しかし、武道がボンヤリしていても事態は勝手に進んで行く。
八戒の大寿に対する所感が気に入らなかったらしい顔に痣のある黒龍の隊員、乾が八戒にナイフを突きつけた。

「調子乗ってんじゃねぇぞテメェ。大寿ナメてんならオレが殺す」
「穏やかじゃねぇな」
「殺れねぇと思ってんの?」

静かに怒る乾に、八戒は変わらず凪いだ表情を返す。
恐らく、ソレが八戒の大寿に対する評価なのだろう。普段の無邪気な様子から一転した表情は単純な嫌悪や怒りではなく、ある種の軽蔑や呆れを含んだものだと思う。そして同時に、反抗を許さない者への諦めだろうか。
武道にも覚えがある表情だった。

……

懐かしいという気持ちと一緒に、少しだけ具合が悪くなるような気分になる。
奴隷だった日々に覚えた諦めと、その後の一人で生きていた日々で覚えた他者への侮蔑。その両方を兄へと向ける八戒を見て、まず武道は柚葉は大丈夫だろうか、と考えた。彼女も同じ、辛い思いをしていないだろうかと気になった。
いつの間にか視界から消えていた柚葉を一瞬探し、すぐに見つける。

「弟に手ェ出すんじゃねえよ」

ナイフを突きつける乾の死角から柚葉が回し蹴りを食らわせた。綺麗に入ったソレに乾が地面へと転げる。スカートで回し蹴りをしたせいで盛大に下着が見えてしまったのが少し気がかりだったが、他の隊員たちがいる方向ではないため口を噤んだ。
自分が思うのもナンであるが、女だてらに、という言葉がよく似合う様にヒュウと口笛を吹きたくなる。

「もうやめとけイヌピー。ボスの兄弟だ」
「オレは大寿に忠誠誓ってっけど、コイツらに調子こかれる筋合いはねぇぞ」

起き上がった乾が再びナイフを構える。

「どっちが上か教えてやる。女だとかは関係ねえ。全員殺してやる」

得物を持って、女だろうとも関係ない。
人を殺すことだって厭わない。そう宣う男にそういえばこの男たちは黒龍だったかと他人事の様に考え、未来で一虎に言われた言葉を思い出す。

いつから東卍はオンナ殴る組織になった?

いつから黒龍はこんな組織になったのか。
芭流覇羅戦の時に聞いた話では黒龍とは佐野万次郎の兄が作り、全国を制覇した際に解散したチームだと言う。その際に、総長の真一郎は「これ以上は弱いものイジメになる」と判断したそうだ。
そんなチームの今の姿がコレでは真一郎くんも浮かばれないだろうなと武道は思う。

自分の作ったチームが自分の手の届かない場所で変容し、弟を害し、弟に潰してもらったのにまたいつの間にか復活している。
挙句、弟の組織を食らいながら将来的に巨悪となるのだから死んでも死にきれないで草葉の陰で泣いているだろう。

殺気立つ中、そんな暢気な気持ちでいた武道が気になったらしい柚葉が声を掛ける。

「花垣、ここはアタシたちに任せて逃げな」
「気を遣ってくれてありがとう。でも大丈夫だよ柚葉。オレを害したら困るのは長男で総長の大寿くんでしょ? ちょっとそこの子たちには理解できないかもしれないけど、大寿くんの不利益になる事をしたらむしろそこの子達が大寿くんに殺されるんじゃない?」

柚葉が婚約者でオメガの武道を守ろうとする気持ちは分かるし、大寿に会わせたくない事も分かった。
その上で、武道はこの場に留まり、時間を稼ぐことに決め、柚葉の一歩前へと出る。

「あ゛? ナニ言ってんだ?」
……

キレた様子の乾と、少しは話が通じるのかこちらの様子を伺う九井。
その様子から実働とブレーンをそれぞれ担っているのだろう事が見える。九井がまだ日本語の通じる相手で良かった。そうでなければ武道の作戦は破綻していた。

「君達は知らないと思うけれど、オレは柴家の関係者でこの家には何度も行き来しているしこれからもするよ。要するに、オレを殺したら困るのは大寿くんだってこと」

大寿に忠誠を誓っていると言うのだからコレくらいの日本語は理解してもらいたいと武道は思う。もちろん、言葉が通じないクソ客の相手は散々してきたため、言葉を交わそうとすること自体の危険は分かっているが、ナイフを持った男と柚葉を対峙させたくなかった。

「その話をオレ達が信じると思うのか?」
「別に信じなくてもいいし、オレがしているのはコンビニに行った大寿くんが戻ってくるまでの時間稼ぎだから、それこそが証拠じゃない?
「ふぅん? で、実の所どうなんだ、ボス」

九井の言葉に弾かれた様に隊員達が路地の方を見、頭を下げる。東卍の集会で何度も見た光景だ。余程会わせたくなかったのだろう柚葉と八戒の顔色が悪い。
しかし、大寿の存在を無視して柚葉と番う事でできない。いつかは対面する問題であり、未来の状況を見れば黒龍との関りについては早ければ早いだけ良いだろう。

「あぁ、そうだな。花垣武道は柴家の関係者だ」

のそり、と姿を現す大男は武道を見下す様に睨んだ。

「だが、同時に東卍の幹部だ。東卍にウチのシマ荒らされちゃあ示しがつかねぇ。ソレをテメェはどうすんだ?」

気圧されそうになる心を叱咤して武道は笑う。

「特にシマを荒らしても無いから問題はないんじゃないかな? それとも、オレが柚葉の家に行くことに“黒龍”が関係するのかな?」
「あ?」
「逆に、君がオレに危害を加える事ができるの? 親の脛齧りでしかない今の君が、オレに“黒龍”を使って怪我をさせて、何のメリットが?」

ずっと柚葉と武道の交流を見てきた八戒ならともかく、初手の見合いの時点でそっぽを向いていた男なんかに何かを言われる筋合いはない。
家父長制などクソ食らえである。
この縁談を結ぶと決めた父親ならともかく、長兄の存在に武道は意義を見いだせなかった。

しかし、このまま煽り続けても意味はないし、逆ギレされるだろうからこの辺りで落ちを着けなければならない。

「お互い、干渉してメリットはありません。今まで通り、見て見ぬふりしませんか?」

なるべく穏やかに、交渉をする。
威圧に敗けてはいけない。自分が黒龍に怪我をさせられた場合、その総長である大寿が責任を問われ、現在の暮らしを失う事が目に見えている。殺人部隊などと書かれた腕章をつけているが、実際に事件を起こせば警察や司法の世話になる。それを、少なくとも大寿と九井は分かっているハズだ。
別の世界戦では佐野の代わりに替え玉を出頭させるという荒業を稀咲がしていたが、それこそ被害者を殺しでもしない限りは不可能だ。

こちらからは干渉しない。
だから、そちらからも干渉してくるな。

「花垣ぃ、テメェ、弱ェからってビビッてんのかぁ? そうだよなぁ? 親なんてもん出してガキかテメェ」
「うん。正直、刃物持った暴走族に囲まれて女の子を背にしてるんだよ? 何してでも、面子潰してでも守るべきものってオレはあると思う。ここで乱闘になって、柚葉に傷でもついたらどうするの? 婚約者ひとり守れないって嗤う? 妹を傷付けるだけの兄が?」

少しイラッとしてしまった。

馬鹿な男に対して、言葉を多くして言い返すのはいけない事だ。口で負けたら殴りかかるのが男という生き物だと武道は知っていた。
ビキリと血管を額に浮かび上がらせる大寿に、コレはもう交渉は無理かもしれない、と考えながら退路を考える。思ったよりも大寿は馬鹿かもしれないが不良の男なんてそんなものかもしれない、と。

しかし、そんな武道の考えとは裏腹に大寿は深く息を吐いてから、ニヤリと笑った。
それがどうにも気味が悪く、警戒を崩さずに様子を伺う。

「おいおいおい柚葉ァ、お前のヨメはちょいと躾がなってねぇんじゃねぇかぁ?」
……ッ」

武道の後ろ、二人のやり取りを緊張した面持ちで見ていた柚葉に、大寿は声を掛けた。

「小賢しいだけのオメガがイキってんじゃねぇよ」
「ふぅん、そういう事言うんだ……?」
「事実だろうが、東卍の壱番隊隊長様がウチの長女の孕み袋だってなぁ?」

大寿の“オメガ”という言葉に隊員たちがザワつく。あの東卍の、血のハロウィンで前隊長を守って戦った、あの男がオメガ?
不良の中で、オメガとはもはや差別用語の様な物だった。発情期を抱え、孕むための身体を持った弱者。さらにソレが男となればオカマ野郎ぐらいの扱いだ。
驚きの騒めきが収まり、次に馬鹿にする様にクスクスと嗤う声が聞こえる。面子を潰してやったつもりなのだろう。

2017年まで生きたオメガの女である武道からしたら12年も前の古臭い価値観だと一笑に付せるものであるが、目の前の男どもは違う。ソレが侮蔑の対象であると本気で思っているのだろう。

そんな事よりも困ったのは、東卍はオンナは殴らない、と総長が公言しているチームであると言う事だ。武道自身、聞かれなかったから、上手く勘違いされたから、そのまま男として在籍している。
それを敢えて女だとバラさずにオメガ男として詰ったのは、東卍が男オメガを擁するチームであるという事そのものが一番の辱めであるのだと判断したからだろう。そして、オメガだとバレた武道をそのまま所属させ続けるのか、追放するのか、東卍は選択を迫られることになる。

女は殴らないと公言するチームが、男オメガをどう判断するのか。

所属させたままであれば女は殴らなくてもオメガは殴るのかと総長のスタンスをなじる事ができる。追放すれば、隊長にまで任命されてもオメガは男と認められないのだと武道を晒し者にできる。
別に男になりたいワケではないのだけれども、男装して不良なんかをやっていればそうだと勘違いされても不思議ではない。

どちらが小賢しいのかと呆れながら、それでも武道はできるだけ穏やかに、出来の悪い子どもでも相手にする様に笑う。

「夫婦間の、子どもを宿す方をそう表現したいならすればいいよ」

オメガは子どもを生む機械だと発言した大臣が大炎上したのは2007年だったか。
まだ2年先であるが今も女性やオメガの地位の向上が叫ばれている中、大企業の役員の息子がこんな発言をするなんて迂闊だとしか言えない。
ソレを指摘してやるほど武道は優しくはない。

……

ビキリと再び大寿の額に血管が浮かぶが武道は微笑むだけだった。話を長引かせるだけの意味がない。

「柚葉ァ、今日の所は見逃してやるが、次までにそのオメガを躾けとけ。あと八戒」

最低限、黒龍総長としてのメンツが保てたと判断したのだろう。武道を無視し、その後ろの妹弟に声を掛ける。

「よく回るお口だけじゃあ俺達黒龍に勝てねぇってことよく考えておけ。今は手を出さねぇがその気になりゃあソイツをどうこうすることなんて簡単だ」
……
「自分の弱さを笠に着る様なクズにはなってくれるなよ。人に物を頼む時は交換条件だ」

何かを含んだ言葉だと思うが今は敢えて口にしない。これ以上この面倒事を長引かせるのは御免だった。八戒の追い詰められた様な表情だけを盗み見ながら、ゾロゾロと隊員を引き連れてその場を後にする黒龍を武道は見送った。



・・・



大寿があのタイミングで家には戻らず、黒龍の隊員達とどこかへと見て武道は失敗したと思う。
大寿がただの脛齧り馬鹿だったら良かったのだけれども、恐らく家に帰らなくても済むようなセーフハウスの様なものを持っている可能性がある。十代の子どもでしかない彼等がどうやってそんなものを得たかは分からないし、どのように金を工面しているのかも分からない。
しかし、12年後に東卍が巨悪になるための資金援助をしたのが黒龍であるのならば既に半グレ的な悪事に手を染めているのかもしれない。
そうだった場合、あの交渉は意味がなくなる。柴大寿という男が家族をどう思っているのか武道には分からない。

父親に見放されても痛くない男の様には見えなかったが、実際はそうだった場合、自分の身をどうやって守るべきか、
単純な方法としては、一度柚葉とのデートを取りやめて、常に東卍の誰かに一緒にいてもらうと言うのが簡単だ。しかし、オメガとバレされた以上、彼等からの援助を期待するのは少し怖い所もある。

武道が佐野や龍宮寺を信じ、東卍において場地を守ったという功績があっても、オメガとは人を狂わせる生き物だとされている。
大事にしていた、尊敬していた、そんな感情があったとしてもその相手がオメガであれば気の迷い、魔が差したといって悲惨な事件が起きる事はいくらでもある。オメガに狂わされたのだと言う免罪符をもって、逆に乱暴などされてはたまらない。

東卍を追放されるとは思っていないが、万が一そういう方向になったとした場合、事態は更に面倒なことになり、東卍と黒龍を迎合させないというミッションも危ぶまれるだろう。これはちょっとこの後の行動をよく考えないとなぁ、と思いつつまずは目の前の惨状を何とかしなくてはならないと思い直す。

……

沈痛な面持ちで頭を抱える柚葉と八戒。顔つきはそこまで似ていないが仕草などは完全に一致しているのが面白い。
お通夜か何かと言った雰囲気の部屋で、武道は二人にどう声を掛けるべきかと頭を悩ませる。

こうなってしまったのは自分が原因なのだ。
下手に慰めれば滅茶苦茶に怒られるだろう。ソレは避けたかった。

「あ」
「何?」

考えても出ない答えに痺れを切らした脳が全く違う事を思い出して反社で声が出た。
柚葉は無視することなくソレに応える。

「いや、あのー、そういえばさっき、柚葉ちゃんのこと呼び捨てにしちゃってごめんね……?」
……

男のフリをする一環で、他人に妙に慣れ慣れしい態度をとってしまう事がある。特に今回は柚葉の婚約者の男であるという事を強調するために普段はしていない呼び捨てにしてしまっていた。
特に気にした様子は柚葉には無かったが、一応年上にたいする礼儀がなってなかったと反省する。

武道がへりゃりと照れくささを誤魔化す様に笑うと、柚葉はジッと鋭い目で見る。怒ってはいない様だったが、妙に真剣なその瞳に少しだけ武道は気圧された。

「あの……
「八戒」
……

やっぱりまずかっただろうかと二の句を継げようとした瞬間、柚葉が真剣な声で弟を呼んだため武道は口を噤んだ。

「ちょっとコレ渡すからしばらく帰って来ないで。カラオケでも三ツ谷のとこでもいいから」
……何日くらい?」
「良いって連絡するまで。多分すぐに薬飲ませるけど3日連絡無かったらアンタも抑制剤のんでこっち来て」
……分かった」

武道の上を飛び越えて二人が会話をする。なんのことを話しているのか分からなかったが、抑制剤という単語に自分が関わっている話なのだという事だけは分かった。

「えっと……?」

財布を持って外へと出た八戒を見送って、武道は柚葉を伺う。
一体何をするつもりなのか、と。

「花垣……いや、武道。今からアンタをアタシのものにする」
「えぇっ!?」

急な話の展開について行けず武道は大声を上げてしまう。あの二人の沈黙の間に何があったというのか。もしやアルファ同士でしか感知できないテレパシーでも使って会話していたのか。

「大寿があぁ言ったんだ。八戒が答えを出すまでは多分大丈夫だとおもうけど、もしも黒龍と東卍で抗争になれば一番危ないのはアンタだ」
「えっと、うん……

まぁソレはどうだろうと今日のやり取りを見て思う。

「ソレを、アタシは承服できない。父親の意向とかそんなんじゃなくて、アンタが他の誰かに汚されるのを、アタシが許せないんだ」
……
「だから、決めた。今日は帰さない。武道の首を噛ましてもらう」

ジッと見つめる真剣な瞳は捕食者のソレで、武道はゾクリと背筋が粟立つのを感じる。とても久しぶりに感じるその甘やかな刺激に、思い出す。

コレはアルファのフェロモンだ、と。

「武道、好きだ。許せとは言わない。無理矢理でも、アタシのものにする」
「ひ、ぁ……

肌がピリピリする様な威圧と、胎の奥から無理矢理熱を引きだされるようなその感覚に身体から力が抜けるのを感じる。“前”の事を思い出して身が竦むのに、目の前にいる少女を見れば彼女も強張った顔をしていて、何だかどうしようもないような気持ちになる。

「いいよ」
「え……?」

力が入りにくい腕で、眼前に迫る柚葉を抱きしめればビクリと身体を震わせる。
君が襲おうとしてるのに、と少しおかしな気持ちになって武道はクスクスと笑ってしまう。

「でも、ちゃんと責任とってね」
「はな、がき……
「武道でいーよ」

抱かれるなんて想像が付かないと思っていたのに、こうしてフェロモンで簡単に屈服されるのはオメガの悪い所だなぁ、と思う。それでも“前”の様な嫌悪感は湧かなくて、ただ何となく、この子に抱かれるんだなぁ、という実感だけがあった。

「あぁ、でも、客間で抱かれるのはちょっとやだなぁ。外にフェロモンが漏れてもコトだし」
「あ、ごめん」
「大丈夫。ちょっと発情してるけどまだ我慢できるから」

強張る少女の背中を安心させるようにトントンと撫でる。
まだ子どもなんだなぁ、という庇護欲とその子どもにこれから抱かれるのだという背徳感が同時に胸中に渦巻いた。

「ママが」
「うん」
「ママもオメガだったから、二階に行っちゃえばフェロモンは外に漏れない」
「そっか」

柴家の母親が昔に亡くなっている事は事前情報として知っていて、敢えて口に出すようなことは無かった。しかし、その懐かしむような、まだ恋しがるような声色に乗り越えてはいないのだろうと察した。

「掴まってて」
「んっ」

座っていたその足をすくい上げられ、武道は抱きしめていた腕をそのままギュッと柚葉に巻き付ける。お姫様抱っこというのは自分もある程度力を入れて支えなければならないのだったか、と何となくの知識を思い出す。
少し武道よりも身長の高いくらいの柚葉に全体重預けるのは少し忍びなくて入らない力で頑張って縋れば、クスリと笑う声がした。

「なに?」
「いや、ちょっと気分いいなって。無理矢理することになると思ってたから」
……

確かに、フェロモンを浴びるまでこんなことになるとは思っていなかったが、そこまで抵抗するタイプに見えていたのかと微妙な気分になる。

「武道、表に出さないようにしてたけどアルファ苦手だろ」
……うん」

バレていたか、と舌を巻く。東卍でやっていく中で指摘はされなかったので上手く誤魔化せられる様になったつもりだったがまだまだ詰めが甘かったらしい。

「アタシを受け入れてくれてありがとう」
「オレも、柚葉ちゃんで良かったよ?」
「柚葉でいーよ」

先ほどの武道の言い方を少し真似て言う柚葉がおかしくて、武道もクスクスと笑った。
そんな会話をしているうちに部屋へと着いて、ゆっくりとベッドの上へと下ろされる。抱っこで運ばれる間、ずっと間近にフェロモンを感じていたせいで縁に座っているだけで少しクタリとしてしまう。

「疲れちゃった?」
……意地悪」

力の入らない理由を分かっている癖にそんなことを言う柚葉に武道は唇を尖らせた。

「ふふ、ごめん」
「ん……♡」

上気する頬にキスを落とされ、それだけで胎の奥がピクリと反応してしまう。
開襟シャツのボタンを上から外してその下に着ていたあまりにも色気の無いTシャツを手際よくスポンと脱がせる。やっと和装ブラに押しつぶされた谷間が露出して、柚葉は内心、結構あるな、と感想を抱いた。
アルファである以前に女の子なので少しだけその肉付きの良さに嫉妬して、いやでもコレももう自分のものだしな、と思い直す。

武道が少し恥ずかしそうに視線をそらしているうちにジッパーを下げればボンッと予想以上の圧でむっちりとした肌が露出する。

「コレ、苦しくない?」
「ちょっと」
「そこまでして不良になりたいの?」
「まぁ諸事情ありまして」
「ふぅん、まぁソレは後で詳しく聞くわ」

少し気になるその事情とやらは後で聞くとして、まずどうしようかと少し戸惑う。上を脱がせたは良いがいきなりそこに触れてもいいものだろうか、と。
そんな柚葉の戸惑いを少しだけ可愛らしく思い、こういう初体験が良かったな、と今更“前”の自分の失敗を愚かしく思う。

「柚葉、まずはキスしよ?」
「う、うん」

力を入れない様に妙に強張った手が肩を掴んで、片足だけベッドに乗り上げる。冬だから乾燥するとちゃんとリップクリームでケアしていて良かったな、と自分の少し厚い唇に柚葉の艶々した唇が重なるのに思う。
オメガと言えど、そういったケアをちゃんとしなければ可愛くはいられないのはめんどくさい。女性ホルモンとかの特典でケア要らずの身体に作ってくれよ神様、と最低限のケアしかしていないガサツな自分と可愛らしくメイクした柚葉の対比にガッカリする。
もうちょっと可愛くしておけば良かった。

「ん、ぁ……

ついばむ様に何度か角度を変えて触れ合い、ちゅむ、と唇を吸われ薄く口を開く。
ぬるりと侵入してきた舌を迎え入れて、絡ませて、どちらの唾液なのかも分からないソレが口元を汚した。まだまだお互いにヘタクソだけどハジメテなんだから仕方がない。
技巧はともかくとして、ただそうして触れ合っているだけで甘く蕩ける様に気持ちが良い。

だんだんと慣れてきたのか肩を掴んでいた柚葉の手が腕、腹へと下がって行き、ゆっくりと肌を撫でる。ケアなどしていないと言いつつもしっとりとした手に吸い付く様な感触に柚葉は夢中になる。
嫌がられていない事だけ確認しながら、外側から胸を揉むと手に余るサイズのソレに指が沈む。自分にもついているものだからとありがたみを感じにくかったが、これは良いと思い直す。触り心地の良さもそうであれば、やわやわと外側を優しく揉み込むだけで武道がビクビクと身体を震わせるのだからたまらない。

「あ、ぅ……

とうとう快感にギブアップした様で、武道は柚葉から唇を離した。その際に粘度のある唾液がツと糸を引いてそれがまた淫靡だと思う。
パタリと後ろに倒れ、熱く息をするたびに上下する胸がピンクに色づいていた。再びそこに触れようと手を伸ばし、武道にその手を取られて柚葉は混乱する。嫌だっただろうか、優しく触っていたつもりだったが痛かったのか、色々な悪い考えが浮かぶその顔を見て、武道は苦笑いを零した。

「柚葉も脱いでよ、オレばっかり恥ずかしい」
「あ、あぁ……

夢中になりすぎたと反省しながら、着ていたセーラーを脱ぐ。確かに、冬物の厚い生地が地肌に当たっては不快だろう。
肌着、下着と潔く脱いで武道と同じく上裸になる。いっそこの機会に下も脱がせるべきか、と悩めば武道も同じように考えていたらしく二人で顔を見合わせる。ソレが二人して間抜けで、なんだかおかしくなってしまう。
クスクスと笑いながら時々キスをして、二人で服を脱がし合う。晒された肌がやっぱり気恥ずかしくて、既に反応した柚葉の陰茎と下着を濡らしていた武道の膣口にお互いが照れたりする。
レイプすることになるだろうとしていた覚悟がどこかへと吹き飛ばされて、自然体で抱き合えることに安心した。

室内にフェロモンが充満して、少しだけクラクラする頭で、抑制剤を飲むことを思い出す。このまま番契約をして発情期に入れば気が付いた時には1週間経ってました、なんてことになりかねない。その前に八戒が突入してくるハズなのでセックスしているうちに東卍と黒龍が衝突してました、とはならないがソレはソレで嫌だし八戒が可哀相すぎる。

枕元に置いてある常備薬とミネラルウォーターを口に含んで、武道に飲ませる。

コクリと嚥下され、そんな事にも何だか征服欲が満たされる。
キスをして、触れ合って、ゆっくりとナカへと侵入する。柔らかく陰茎を抱きしめる胎が愛しくて仕方がない。
たくさんキスをして、求めあって、項に印を付ける。

「ん、ふ……ぅ」
「は、ぁ……

言葉は少なめに、ただただお互いを貪り合う行為に没頭した。
何もかもが満たされる様な多幸感に包まれて、他の何も要らない様な気さえしてくるから恐ろしい。

しばらくはそうしてお互いに溺れていたが、だんだんと抑制剤が効いてくる。
どのくらい求めあっていたのかと時計を見れば12時間くらいで、案外薬とはちゃんと効くものだなぁと感心した。

一晩中激しい運動をしていたというのにお互いに思ったことは「お腹空いたね」だったのが少しおかしくてまた二人でクスクスと笑い合う。

十代ってすごいなぁ、と考えながら二人で朝食を用意する。土日は柴家の家政婦も休みをもらっていて、親なんていつもいないのに広い家に二人きりだと何だかワクワクしてしまう。しかし、食事をとってしまえばそうも言っていられない。

「さて、武道、父親たちにどうやって説明する?」
「ね、どうしましょうね。オレのフェロモンの暴走って事にします? 適齢期はとっくに過ぎてますし」
「まずは最初にバース科に行って口裏合わせてもらうか」
「と、言うと?」
「お家のための婚約者だけれど、めちゃくちゃ合意で付き合っていて、もしも親の気が変わって離れるようなことになったら耐えられないから番ったが、事故ってことにしてくれ、って頼む」
「なるほど」

まぁ嘘はついていないし、中学生の純愛っぽくていいし、適齢期に番がいる事は政府も推奨していることだ。

「東卍はどうすんの?」
「後でいいかなぁ。まぁどうせ八戒が三ツ谷くんに口滑らしてるんじゃないかって気もするし。吊し上げは後で食らうわ」
「無理はすんなよ」
「まぁ多分大丈夫。あ、それより!」

バース科の病院へ行くタクシーを予約しながら話をしていると、急に武道が思い出した様に声を上げた。

「どうした?」
「このデータ要ります?」

そう言って、武道は携帯電話を弄る。何だ何だと一緒にその画面を見ると真っ暗な画面の動画だった。

『「おいおいおい柚葉ァ、お前のヨメはちょいと躾がなってねぇんじゃねぇかぁ?」「……ッ」「小賢しいだけのオメガがイキってんじゃねぇよ」「ふぅん、そういう事言うんだ……?」「事実だろうが、東卍の壱番隊隊長様がウチの長女の孕み袋だってなぁ?」』

少しくぐもった音であるがソレは間違いなく昨日の会話だった。

「これ……
「将来的に反社以外であの人が成功する時、絶対これ不味い奴だからシェアしよ。マジでムカついたら一番大事な場面でコレバラまいてやろうぜ」
「アンタ、時々マジで小賢しいよな」

少し呆れた様な目で見る柚葉に、武道はニッコリと笑った。

「そりゃ、女子ですから」


今度こそ、強かに生きなければ!