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まずは自己紹介から

 

「あ?」

場地圭介がソレに気付いたのは偶然だった。もしかしたら野性的な本能だったのかもしれないが、少なくとも場地本人としては偶然だと思った。

ほんの数時間前までは抗争相手だった愛美愛主の残党を相手に景気よく暴れまわっていた。しかし、楽しくやっていたのは最初だけで、途中で副総長の龍宮寺が刺されてからは焦燥との闘いだった。自分に何ができるワケでもないが少なくともこんな事をしている暇は無いのだと言う気持ちが強く、喧嘩を楽しむ気持ちに水を差されたのは間違いない。

愛美愛主の残党をぶっ飛ばして龍宮寺の運ばれた病院へと駆けつける。龍宮寺を運んだ花垣武道は東京卍會の隊員と言うわけでもないが、最近、総長である佐野に気に入られて何かと目にする少年だった。不良を気取っているが場地の部下である同い年の松野と比べるとどうにも小僧という感じが抜けない。そのため、あまり興味の湧かない相手でもあった。

そんな花垣が気になったのは龍宮寺の手術が成功してお祝いモードになった頃。
あとは自由解散の流れで消えた佐野を探してどこかへと行った花垣が戻ってきて、そっとしておいてあげましょう、などと生意気な事を言った後だった。
疲れを見せる花垣が深く息をついて壁に寄りかかりズルズルとベンチに座る。龍宮寺を守るために手を刺されたりもしたらしいので花垣が疲れるのも当然だったが、それだけではない顔色の悪さを場地は感じ取った。

「お前、サブドロってね?」

思わず口をついて出たのはマナー違反の言葉だった。自身のダイナミクスについては隠している人間も多い。特に不良の中ではサブミッシブであることは恥であるという認識もあった。それを正しいと場地は思わないが、人間には偏見が存在することも分かっていた。
それなのについその言葉を出してしまったのは龍宮寺が無事だったことへの安堵と高揚感で気が抜けていたせいだ。
マナー違反をしたと気付けたのは花垣が元々良くなかった顔色を更に蒼褪めさせて場地を見上げたからだった。しまった、と回りを確認し、他の誰かが聞いていないか確認する。幸い近くに人影は無く、場地の迂闊な発言は他の誰かに聞かれることは無かったらしい。

そして次に、完全に堕ちきってはいないもののなかなかに危ない状態らしい花垣を何とかしてやらなければならないと思う。ソレはドミナントとしての本能と、今日の功労者である花垣を労わらなければならないという意識からだった。

「あー、悪い。気が利かねぇ事言った」

既に遅いかもしれないと思いつつ、場地は座る花垣よりも目線が低くなるようにしゃがみ込む。状態によっては見下ろされるのも苦痛であろうことが予想できるからだ。

「お前彼女いたろ、パートナーか?」
「いえ、ヒナはニュートラルですし、普通の恋人なので、そういうパートナーではないです」
「お前、多分落ちかけてるから相手がいるならプレイして安定させた方がいい。連絡できる相手はいるか?」
「いえ、俺はスイッチなので大丈夫です……」

花垣の顔色を伺いながら場地は普段の短気を知っている者が驚きそうな程ゆっくりと会話をする。不良のドムなど乱暴なものだと思っていた花垣も少し意外に思いながら言葉を返す。見下ろされていないだけで大分気が楽になる。

「座ってるだけでそのうち落ち着くハズですので……」

困った様に笑う花垣をジッと場地のアンバーの瞳が見つめていた。


・・・

Side武道

花垣武道はスイッチだった。否、スイッチに最近なったと言う方が正しい。
タイムリープなどという不可思議な現象が発現し、中学時代の恋人を助けるというまるで漫画の主人公みたいなことになっているが、ソレに伴い武道の身体に最悪な事が起きた。

元々ドムだった武道は最初にタイムリープが発現した際にスイッチへと変貌していた。第二性が変わる事は珍し事ではあるが無いことではない。特に二次性徴に伴ってホルモンの分泌量などで変わっていくことがあるとぼんやりと聞いていた保健体育で習ったハズだった。タイムリープで戻った中学どころか、その更に前の小学校の授業で聞いたその内容を詳しく思い出すことはできなかったが、兎にも角にも自分の性質が変容したのだという事が武道にとってのすべてだった。

喧嘩に負けて奴隷の様な生活を送る前、武道は自分がドムであることを誇りに思っていた。支配する性であるドミナントであることは自身の男らしさに繋がると思っていたし、勉強はイマイチであるが運動はそこそこできる自分の自信にもなっていた。

ソレが一変したのはキヨマサの奴隷になってからだった。同じドムでも格が違うとそのグレアを浴びて思い知る。それまでは自分が不良であり、ドムであることを誇らしく思っていた。しかし、グレアを浴びせられ萎縮し、まるでサブの様に扱われるうちにその心は擦り減っていった。
自信も自尊心も踏み躙られ、ドムである意味も無い生活を強いられる。ソレがストレスであるのにグレアを浴びせられれば格上に歯向かう意思は砕かれた。地に落ちた様な生活から逃げ出しても一度付いた負け癖と逃げ癖は直らず、自信を思い出すこともできなかった。
人生で唯一、愛してくれた女の死をテレビ画面越しに知り、その日のバイト帰りに電車に轢かれて死ぬ。最低な人生だと思う。

走馬灯に出てきた彼女の横顔だけがただただ美しかった。

それが走馬灯では無く、タイムリープ能力であると知って、彼女の弟と手を組んで彼女を救うと決めた。それでもなお、自信は思い出せず、キヨマサのグレアを浴びて思わず膝を付いた。ぺたんと女の子の様に座ってしまった自分に驚いて、目を白黒させているうちにドムではなくスイッチだったのかとキヨマサが嘲笑った。

もう二度と支配者としての自信は取り戻せないのだと武道は思う。最悪だと、キヨマサからのコマンドを聞きながら思い、しかし、ソレを嘆いている暇すら無かった。

追い詰められた先で思い出したのは勇気の出し方だった。
相手を圧倒するなど今の武道にはできないことだった。それでも、愛してくれた女を守るために恐ろしい相手に立ち向かう勇気くらいなら今の武道にも残っていた。ふり絞った勇気を握りしめ、振りかざせない支配の暴力を燻ぶらせる。
端的に言って、フラストレーションが溜まる一方だった。

勇気だけでキヨマサに勝ち、一つの未来を勝ち取った武道を襲ったのは極度のストレス状態だった。
ドムでもサブでも良いからこの鬱憤と衝動を解放したい。そんな欲求が胸の内でグルグルと渦巻いていた。危機的状況が去ったために欲求が出てきたのだとも言える。
プレイなど人生で一度もしたことが無かった。もちろん心身ともに童貞であるし、処女である。
プレイをしてくれるサブに心当たりなどないし、スイッチになったからと言って自分がサブになるのは真っ平御免だった。
支配などされたくない。勇気と一緒にプライドも少しだけ思い出した。

そんな武道の目の前にドムの男がいる。まだ話したことも無いが東京卍會の一番隊隊長だったハズだ。

男は武道の状態を的確に把握した。
軽いサブドロップ。サブが緊張や不安で陥る疲労感、虚無感による虚脱状態だ。強いグレアを浴びた場合にもなることがあるらしい。
欲求不満などと嘯いたが目の前のドムに状態を言い当てられてしまうと否定はできず、身が竦んでしまう。せっかくキヨマサを退けたのに今度は別のドムに目をつけられるなど最悪だ。

結局こうなるのかと血の気が引いたのすら察せられてしまい、男は武道を気遣う様にしゃがみ込んだ。心配しているのだと表情と声色に出し、とにかく威圧しない事を意識した様子に少しだけ緊張が解けるのを感じた。

「ちょっと疲れただけです。気にしないでください」

会話が成り立つだけありがたいなどと思ってしまうのはキヨマサの奴隷時代の名残だけではない。有無を言わせずにコマンドを振りかざすドムにしか武道は会ったことが無かった。もしかしたら一度目の人生で中学卒業後に知らずにまともなドムと接触したことがあったのかもしれないが、第二性などクローズドな情報であるため武道には知る由もない事だった。
武道の中のドムとサブは支配する者と、されて喜ぶ者の関係だった。幼い偏見と自分の経験から培われたイメージは根強く武道の中へと残り、強い者がドムであり、弱い者がサブであるという意識があった。
そのため、今の場地の態度には困惑してしまう。自分のためにしゃがみ込んで、様子を伺って会話をするドムなど初めてみる生き物だった。

「あの、ホント大丈夫なんで……」
「おー、落ち着いたら送る。バイクの後ろ乗せちゃるからよ」
「いや、そんな……」
「ドラケン助けてくれたんだろ。今日のコーローシャ労わって何が悪い」
「えぇ……?」

何となく言いたいことは分かるが腑に落ちない。そんなことをされる関係では無いからだ。
ちょうど、日向からはまだ不安定なエマの傍にいるというメッセージが来たため帰りの足があるのはありがたい。しかし、安易にその誘いに乗るのは相手の真意が掴めず恐ろしい。
そんな武道の心を知ってか知らずか場地は武道の隣へと座った。

「お前さぁ」
「……はい」

何を話すことがあるのかと恐々返事をする。

「猫好き?」
「え、まぁ、ハイ。人並には……」
「見てみ、コレ。千冬ん家の猫」
「おぉ……」

パカリと開けられたガラケーの待ち受け画面には丸顔が特徴的な黒猫がいた。

「カワイーだろ」
「そうですね」

突然の脈絡のない会話に困惑しつつも武道は素直に答える。可愛い猫に罪は無い。

「ペヤング好き?」
「好きです」

インスタント麺の類には未来で散々世話になった。もしや次は焼きそばの写真を見せられるのか、と思っているとそんなことは無く、場地は前を見たまま淡々と話を続ける。

「オレ火サス今ハマってんだけど、見た事ある?」
「……ナイデス」
「マジか。マジ面白ぇから今度見てみ」
「ウス」
「そういやお前溝中だっけ」
「はい」
「友達が通ってたわ」
「へぇ……」
「つか、せっかくの喧嘩だったのに今日は最悪だったな。雨も降ったし、濡れたろ。寒くねぇ?」
「まぁ、はい。大丈夫です」
「まぁ今日暑かったしな。つーか最近マジ暑ぃわ。チキューオンダンカってヤツ?」
「オンシツコーカガスってヤツですかね」
「ヒートアイランドゲンショーやべぇわ」
「やべぇッスね」

簡単に答えられる取り留めのない話題を場地はポンポン投げてくる。武道の素っ気無いとも言える答えに気を悪くすることもなく恐らく意味の無い会話を続ける。
そうしているうちに何となく呼吸がしやすくなって武道は深く息を吐いた。ソレを合図に場地はベンチから立ち上がる。

「お、そろそろ大丈夫そうだな」
「え、あ、はい……」

プレイをされたワケでもケアをされたワケでも無かった。ただ、場地の言葉に何となく相槌を打っていただけだった。それなのに、以前にグレアを受けてダメージを負った時よりも回復が早いような気がして疑問に思う。
そして何よりも、場地がどういうつもりでそうしていたのかが分からなかった。

「オレを、どうこうしようって思わないんですか?」
「あ?」
「いえ、あの、サブドロップしかけてる相手によく何もしなかったなと思いまして。ドムっスよね……?」
「まぁ別にケアしてもいいけど、お前ソレを望んでねぇだろ」
「……はい」
「無理にすることじゃねぇし、ムカつくだろ。見ず知らずの奴にケアしてやるなんて上から言われんの。誰だテメェって感じじゃね?」
「……」
「ここ病院だし、マジでヤバそうならフツーに医者呼ぶわ。テメェが自分はスイッチだって言うなら落ち着いて切り替える時間さえありゃ何とかなんだろ」
「はい……」

冷たい様でいて良識のある言葉だった。ドムならサブを放っておけない、施してやるべき、躾けてやるべき、支配する、庇護する、そんな事を問答無用で押し付けられてきた武道にとって場地の言葉は酷く安心のできるものだった。
キヨマサにボロボロにされた後、ケアと称してその取り巻きに誉められたことがあった。その行為はただただ不快で、喜んでいるふりをしてその場をやり過ごしたが身勝手でしかないケアに癒されることなどは無かった。

「……」

ただ隣にいて、短い言葉を交わすだけで落ち着けたのは一体何だったのか。ドムとしての強制力はないコマンドでもご褒美でもないやり取りを武道は疑問に思う。

「納得いってねぇ顔だな?」
「えっと、ハイ」
「だいたい、信頼関係の無い相手とヤルってのが無理な話なんだワ。犬だって飼い主以外に芸をしねぇだろ。ソレとおんなじ」
「犬ッスか」

分かるような分からないような、と首を傾げると少しめんどくさそうに場地は再び口を開く。

「俺は東京卍會一番隊隊長場地圭介。お前はマイキーの客のタケミっち」
「はい」
「お前、俺の名前も今知ったろ。火サスにハマってんのも、同中に知り合いがいるのも今知った。知らない奴と信頼関係が築けるか」
「……無理ッス」
「つまりそういう事だ。俺たちに必要なのはコマンドでも支配でもねぇ。知らねぇ奴のコマンドなんてクソ食らえだろうが。知らねぇ奴に上から褒められて喜べるかっての」
「……」

信頼関係。想像もしていなかった言葉に武道は黙り込む。
生まれてこの方一度もそんなものを築けた記憶がなかった。ソレはドムだった頃からそうで、目の前の中学生が分かっている事を自分は二十六年間も気付けずにいたことだった。
ソレが恥ずかしくて情けなくて、悲しくなる。
しかし、立ち止まってもいられないのが今の状況だった。龍宮寺を助け、未来が変わっても自分がスイッチになってしまったのは変わらない。今はダイナミクスへの欲求がそう多くは無いことが救いであるがこれからどうなるのかは分からなかった。

しかし、できることはあるハズだと思う。
意を決して武道は口を開いた。

「あの、オレ、花垣武道って言います!」
「おう、場地圭介だ」