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送り狼にはなれない

三十路シン×大学生武。
この小説は未成年の飲酒を助長するものではありません。

 

・・・

 


 十一歳年下の弟の更に下。
 倫理的にどうかと自分でも分かっていた。
 
 紆余曲折あり自分に懐いてくれた弟の友達である花垣武道とはもう10年近い付き合いになる。血の繋がらない弟との仲を取り持ってもらったり、命を救われたり、別の弟を助けられたり、自身の作った暴走族の11代目を継いでもらったりなどしてなかなかに頭の上がらない相手であるが、武道自身はそんなことは全く関係ないとばかりにニコニコしながら真一郎に懐いていた。
 
 そんな武道に好意を持ったのはかなり早い段階だと真一郎は覚えている。最初はただ良い子だと思っていた。天真爛漫で喜怒哀楽の激しい子どもだ。
 そんな武道が時々見せる大人びた様な表情が気になってしまったのが事の始まりであり、命を救われてからはもっと明確にあまり良くない類の感情を自覚していった。
 こんな年下の子どもに欲を感じるなど正気ではないと自分でも思う。
 十代の頃ワルだった真一郎の倫理観でもソレはいけない事だと思うし、もしも自分と同い年の奴が妹や弟に好意を持ったら自分の全ての力をもってそいつを潰しにかかるだろうと弟妹を持つ兄として自身の感情に拒絶反応を起こした。
 
 それでも武道から懐かれればソレを拒否することはできず、友達のお兄さんとして良い大人を演じていた。
 それは武道が大学生になった今でも続いており、一人暮らしを始めた武道からSOSのメールを貰って発信源の居酒屋へと深夜に赴く程度には付き合いがあった。
 
 二十歳になった武道は大学の友達との付き合いで酒を飲み、こうして度々真一郎に迎えに来てほしいと連絡を入れていた。伝説の暴走族の初代総長をこんな風に呼び出すのは真一郎の弟妹と武道くらいだと、周りの不良仲間は顎で使われる真一郎を笑った。
 可愛いから仕方が無いと半ば本当の事を冗談めかして言ったその言葉の真意を分かっている者はどのくらいいるだろうか。分からなければ良いと真一郎は思う。
 惚れた欲目などと知られれば手酷い拒絶を受ける事間違い無いだろうと真一郎は予想する。年齢差もあれば関係性は兄弟の様なもの。しかも同性。そんな相手から欲を向けられているなど気持ち悪い以外の何でもない。
 告白20連敗の過去が無くとも自分が振られる事は目に見えていた。
 
 いつもの様に居酒屋の暖簾をくぐれば座敷でぐでっとしている武道がすぐに目に入る。トレードマークだった派手な金髪をやめて黒の癖毛になっても、いつだって真一郎はすぐに武道を見つけ出すことができた。
 アルコールに上気した頬と唇、酩酊して潤んだ瞳、緩み切った表情筋は真一郎を見つけるとすぐに仕事を始めて歓喜を見せた。
 そんな様が可愛くていじらしくて真一郎の方もつい表情が緩んでしまうが気を抜くことは許されない。ここからが真一郎の仕事なのだ。
 幹事に金額を聞いて武道のカバンから財布を取り出す。自分の財布から出しても良いがソレをすると翌日の武道の機嫌が悪くなる事が分かっているため真一郎は妙な男気は見せない事にしている。
 会計を済ませればホニャホニャと笑う軟体動物の様な男を担いで車に乗せる作業に移る。高くなった体温を背中に感じて少しだけやましい感情が首をもたげるが無視をする。いつもの事であるが何度やっても慣れないものは慣れない。此処までこれば一生慣れないのだろうとすら思っていた。

 自宅まで車で運んで、助手席でぼんやりとした表情をする武道をまた背中に背負う。三十路を目前にしているが、まだティーンエイジャーの世話をする程度の甲斐性は見せたい所だ。モテないまま二十歳を迎え、この年下男に心を奪われてから10年。
 ヤンチャしていた頃からしたら自分も歳をとって身体も衰えてきた。もちろん、世間一般からして自分がまだまだ若い方だとは理解しているが、高校卒業を待たずしてデキ婚した知り合いも多い中、SSモータースという自分の城は持っていても伴侶を持たずに此処まで来た自分を少しだけ情けなく思う。
 もっと歳の近い、自分に相応の女の子を好きになれば良い。客から娘を紹介しようかと言われる事だってある。
 ソレをしようとしないのはこの背中の男を諦めきれないからだ。

 三十路にもなって情けない。
 自分の心ひとつままならないガキのまま大人になっちまった。

 そんな事を考えながらも階段を上り、何故かいつも尻ポケットに入っている自宅の鍵を取り出してドアを開ける。財布はカバンの中なのに何故鍵はこちらなのだろうとこの作業をするたびに疑問に思う。
 適度に硬い男の尻であるが、それでも想い人の尻に服越しとは言え触れる度に少しだけ妙な気持ちになる。そこに罪悪感の一つも湧くが、泥酔した男の世話をさせられているのだと考えれば対価はトントンという所かもしれない。
 許されるとは思っていないが役得とでも思わなければやっていられない。

 敷きっぱなしの布団に武道を下ろして、ぼんやりしたままの男のために冷蔵庫から水を取り出す。水にこだわる様な男ではないが、地域的なものなのか建物的な理由なのかこのアパートの水道水はあまりよろしくない味と臭いだったらしい。
 備え付けのキッチンに大した物は無く、冷蔵庫の中にはミネラルウォーターのみ。ローテーブルのには大学の講義で使うらしい教科書が積み重ねられているが、他に私物らしい物の無い殺風景な部屋だった。
 弟の万次郎から聞いた話では、武道はどちらかと言えば物が捨てられないタイプの男だと聞いていた。ソレが何故こんな部屋に今いるのか真一郎は未だに聞けずにいた。
 殺風景な部屋はこの男が急にどこかへと消えてしまうのではないかと真一郎を不安にさせた。友人の多いこの男が自分を頼る事が嬉しくもあり、いつ自分の浅ましい感情に気付かれるのかと恐ろしくもある。

 こうして迎えに行くたびに、相手はまだ十代の子どもであるのに、昔と比べて随分と大人になったと思ってしまう。パーツの大きな顔は一般的には童顔と言えるものであるが、それでも骨格が育ち切っていなかった頃と比べると随分と身体はしっかりしてきた。
 中学の頃から変わらずよく動く表情筋も、昔よりも落ち着いた表情を作ることが増えただろうか。昔から妙な物言いをしたり、妙に大人びた発言や顔をする事が多かった武道であるが、この頃の落ち着き具合はいっそ老成しているとすら感じる。入学する直前くらい、大学に行くのは初めてだと言っていて、皆初めてだから安心しろと笑った事を真一郎はよく覚えていた。

 大人になった武道が、自分の下を離れてしまうのではないかと真一郎はたびたび不安に感じた。
 いつまでも近所のお兄ちゃんにベッタリなのはどうかと思うが、武道が許す限りは今の関係を享受したい。どうせいつかは離れていくのだ。

 酩酊し、赤く色づいた唇や潤んだ瞳を真一郎は子どもだと笑う事はできなかった。
 焦点の合わない瞳に色気を感じるなど狂気の沙汰だ。

 そんな武道の頭を支え、薄く開いた唇にペットボトルを押し付ける。ゆっくりと傾ければコクコクと喉を鳴らして嚥下した。
 武道がぼんやりしているのを良い事に、その様から目を離さないでいる。介護でしかないそれに疚しい気持ちを抱える自分はなんて気持ちが悪い生物だろうと真一郎は思う。

 少しずつ飲み込まれた水もほとんど無くなり、名残惜しく思いつつも零さない様にゆっくりと唇から飲み口を離す。頭を支えたままゆっくりと後ろへと倒し、布団に横たわらせれば武道は心地好さげに表情を崩す。
 気持ち良く酔っぱらってるなぁ、と少し呆れるが今の状況を不快に思っていないのならそれでいいのだろう。自分が頼っている相手の邪な感情に気付かなければいいと真一郎は心から願う。

 このまま寝かしつけてしまおうとゆっくりと腕を抜こうとした時、急に武道の腕が背中に伸びて来て態勢が崩れた。

「うぉっ!」

 武道を潰さない様に布団に手をついて自身を支えると、当の武道は少しだけ不満そうに唇を尖らせた。そしてぐいぐいと真一郎を動かそうと背中に回した腕に力を入れる。
 仕方なくされるがままに動けば真一郎は武道の腕の中へと収められてしまう。逃げ出そうとすればできない事もないが武道はグズるだろうと予想がつく。
 ぬいぐるみを抱いて寝ていた妹や、ライナスの毛布が離せない弟の様なものだろうかと考えるが、今まで武道にそんな兆候は無かったと思う。流石に年上男を抱いて寝る趣味があるとは思いたくない。
 どうしようかと思考を巡らせていると頭の上から少しグズついた声が降ってきた。

「俺、もう大人っスよ?」
「おう……?」
「そろそろ良いと思うんですよ」

 不満ですと隠さない声と共に真一郎の頭を抱え込む腕の力が強くなる。
 昔は薄かった胸にこの頃だいぶ肉がついてきたなぁと冷静を装いながら考え、男の胸肉の事を考えている時点でおかしいのだと思い直す。
 酔っぱらいの介護は役得だと思ったが、此処までされてしまうと愚息が反応してしまって大変よろしくない。

「えーと……?」
「かまととぶらないでくださいよぉ」
「……」

 ソレは三十路の自分が言われるべき言葉なのかと疑問に思うが答えは出ない。所詮は酔っぱらいの戯言だ。

「ずっと部屋だって綺麗にしてますしぃ、真一郎くんだって俺の事好きでしょぉ?」
「……」
「なんで手ェ出してくれないんスかぁ……」
「ッ⁉」

 疑問というよりは嘆きの様な物言いだった。
 その言葉に驚いて顔を上げようとするが思いの外がっちりと頭を抱えられていて動かない。息はできるために男のロマンであるおっぱいで窒息という事態にはならないが、手を出す以前の問題だった。
 出来るだけ優しく拘束を解こうと、頭を抱える腕に手を伸ばすがなかなか上手くいかない。そうこうしているうちに頭上から今度は声ではなく寝息が聞こえてきた。
 健やかなソレに少しだけ微笑ましい気持ちになるが、自身はそんな事は言っていられない状況だった。

「嘘だろ……」

 据え膳だった気がする。
 しかし相手は酔っぱらいの未成年だ。倫理観的にアウト過ぎる。

 反応したままの下半身と動けない自身の何もかもを諦めて真一郎は力を抜く。

 明日の朝考えよう。
 もうどうにでもなれ。なってしまえ。

 眠れるかも分からないまま、夜は更けていく。