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ラスナイ、後編


煌めく雨の夜にだけ出逢える幻影なのだと分かっていた。
夢の中の男との邂逅はいつの間にか逢瀬へと変わっており、仄かに秘めていたハズの恋心が炙り出される様に顕在化されていく。実に都合の良い夢だった。
会ったことも無い死者が武道を望む事などあり得ないのに、夢の中の真一郎は甘やかに微笑み優しく武道に触れた。


「真一郎くん、俺……」


それ以上の言葉は紡がれなかった。
代わりに、けたたましいアラームの音が耳に届く。


「朝、か……」


残念な様な、安心した様な気分で、武道はゆっくりと身体を起こした。
恋と憧れの違いとはどういうものなのか、武道の真一郎への想いは「こうなりたい」という憧れと「触れてたい」「話したい」「認識してほしい」という欲の交ざった複雑な感情だった。
綺麗なだけな想いならばここまで拗れなかったであろうに、妙な欲が交ざるせいで罪悪感の様なものを抱える羽目になった


「……」


はふ、と溜め息とも桃色吐息とも取れない悩ましい呼吸をして、武道は顔を洗い、髪をセットすべく階下へと向かった。

・・・

武道が学校を終えると少し離れた公園に乾がバイクで迎えに来る。その後ろに乗って黒龍のアジトへ向かうのが乾と打ち解けてからの武道のルーティンだった。
元々の友達とはなかなか出かけられなくなってしまったが、校内では以前と同じく仲良くしている。不良界隈の話を聞いたり、怒られない程度に黒龍内部の話をしたりもしている。まったく黒龍の集まりが無い日には武道の家に集まったりなどもしており、恐ろしい未来を視てしまう前の生活も一部取り戻しつつあった。
変わったことも変わらないこともある。
その中で武道は今の自分が嫌いでは無かった。
アジトへと着き、隊員たちに声を掛けられつつ挨拶し返しながら九井の執務室へと向かう。
喪部田の一件から隊員たちに受け入れられつつある武道の目標はサイコメトリを実践に活かすための身体作りだった。
訓練の結果、触れれば大抵のものの記憶は読み取れ、数秒先の未来を読み取ることも人に指示を出すことも難なくできる様になってきた。たまに九井からきな臭い物品の記憶を読み取らされることもあったがソレはソレで自分が黒龍の一員であり、九井の部下であるという事なのだと思う事ができた。悪い事に加担したくはないけれども、現状の黒龍は九井に支えられているし、個人レベルでは武道は九井を好いていた。
黒龍を初代の様に胸を張ってツッパれる組織にするには代替わりの時を狙うしかない、と計画も少し立てている。
しかし今はまずこの10代目黒龍での地盤作りだった。幹部の九井付きの隊員と言えど、未来視だけでは次代を任される様にはなれない。喧嘩ももっと強くならなければいけない。
その為にはもっと訓練をして力を付ける必要がある。
柴大寿に言われた「守られてるだけのお姫様」という言葉が頭にずっと残っている。自分はそんな柄ではないと思っているのにあの時はまだそうなるしかなかったのが悔しい。
九井からの依頼品を訓練がてら読み取り、それが終われば戦闘訓練へと移行する。
喪部田や先輩方のたむろしている階下へと下り、組手に混ぜてもらう。サイコメトリを利用した複数人での喧嘩では足手まといにならないそれなりの動きが出来るが一対一のではまだまだ一端の不良とは言えない状態だ。
単純な走り込みや筋トレは先輩からおススメの方法を聞いて自主的にやりつつアジトでは実践的な喧嘩のやり方を教えてもらっている。


「おう、やってんな花垣」
「あ!イヌぴーくん!」


あの一件以来、乾さんではなくイヌぴーくんとあだ名で呼ぶことを許された。そのついでで九井も九井さんではなくココくんと呼ぶように指示された。
仲良くなれた様で単純に嬉しく、武道は名前を呼ぶだけでニッコニコである。
子犬の様に傍に寄ってくる武道の頭を撫で、そのまま乾は軽く武道の身体をまさぐった。


「へへ、擽ったいッスよぉ」
「大分肉もついてきたな」
「はい! 体重も痩せる前くらいまで戻りました!」


よほど技術が無い限りウェイトはパワーである。
ソレを武道たち不良はよく分かっている。だからこそ1歳の差が顕著に出る年頃の武道たちは年齢を気にする。
ほとんどが年上である黒龍の中で、武道は自分の弱さを再確認した。
例の夢を見るまでは自身はそれなりに喧嘩ができると思っていた。イケてる不良集団のナンバー2という立ち位置で、同級生相手ならばそれなりに勝てる。しかし、一つ年上相手になると途端に勝機は見いだせない。当時はソレでも良かった。
序列というものは確かにあるし、学年が違えば敵わないのも当然のことだ。
しかし、黒龍というチームに入ればそうもいかなくなる。
高校生ばかりのチームで自分が喧嘩で活躍できるとは思っていない。一学年上の無所属野良不良にだって簡単には勝てるとは思えない。
しかし、それでは格好がつかないと武道は思う。
お姫様になりたいワケでは無いのだ、と。
九井に買われたサイコメトリの一芸は単純な暴力よりも使い道があると散々教えられてきたし、実際にそういう場面もあった。
しかし、男に生まれてきたからには人の前に立ち、誰かを守りたいと武道は思う。
勝てない相手にだって立ち向かい、けして諦めない。
武道の憧れた不良、ヒーローの様な男。
初代総長、佐野真一郎の様な男になりたいのだ、と。
人には話せない秘めた恋心も持っているが、ソレはソレ。憧れは憧れとして尽きることがなかった。


「俺! 真一郎くんみたいな不良になるんで!」
「あぁ、応援している」
「へへ……」


背が高く、皆の兄貴分だった真一郎を知っている乾からすると武道はまだまだ子ども染みている。しかし、先日の一般人少女を守るためにボロボロになる姿はかつて自分が聞いた初代の姿を想起させるには十分なものだった。
乾は、武道が大きくなって初代の様な黒龍を再興させるのだと確信すら持っていた。
それまでは自分が黒龍を、そして武道を守ろうと乾は声にこそ出さないが心に誓う。
自分が初代の再興を成し遂げたかったという気持ちが無いことも無い。しかし、次へと繋げられたという確信はあった。
8代から所属し、黒龍と共に墜ちて行った。自分がいない9代で黒龍は子どもに潰された。
強さという地盤を求めた10代目を作ったのは間違いではないと思う。しかし、11代へ繋げるならこの男しかいないとまだ幼い年下のひよこの様な少年に思うのだった。

・・・

夜の海を泳ぐバイクの群れがテールランプを輝かせて泳ぐ。メタリックのボディがネオンを反射する。キラキラしたソレがどんなに大きな群れになっても先頭の男は変わらない。
総長の黒い特攻服を尾鰭の様に靡かせていた。
大きな群れはいつしか日本で一番の大きさになっていたらしい。
男が何を目的に群れを率いていたのかは武道には分からない。それでも、自分より強い相手にだけ挑み続けた男が武道は好きだった。
けして強くは無いけれど、その背中に憧れるには十分すぎる理由があった。
そうして大きくなった群れを男は解散させた。
一番大きくなってしまったらもうあとは弱い者いじめになってしまう、と。
少しだけ残念に思いながらも、武道はその言葉を尊重した。男、佐野真一郎がそう言うのならばソレが正解なのだと武道は思う。
そうして憧れた男の夢は終わるかと思った。
これで終わりならばその憧れを抱いて自分は現実に生きていくしかない。ソレが正しい生者としての生き方だとも思う。

しかし、夢は終わらなかった。

場面が暗転する。

昼間の明るい商店街だ。そこで少しだけ大人びた顔の真一郎が笑っていた。
バイク屋を営んでいるらしい。ツッパっていた頃と比べて少しだけ落ち着いて大人びている。
武道はバイクは分からないけれど、そのキラキラと輝くボディもエンジンの唸り声も何だか格好が良くて好きだった。
幼子の様にちょこまかと店内のバイクを見ていると、真一郎は何も言わずに武道の好きな様にさせた。武道が視る夢は都合がよく、他に客がいない時の夢ばかりだった。そんな武道を真一郎はいつしか少しだけ微妙な顔で見るようになった。自分の夢の癖にサービス精神の無いことだと残念に思う。
真一郎に憧れた男たちが彼の店を訪れる時、武道は決まって店の外からその楽しそうな様を眺めるだけに留まる。たまに近所の子どもが自転車のパンクを直してほしいと持って来たりもしているみたいで、真一郎はどこにいても、誰にでも慕われる男だった。
爽やかな笑顔は夜の街を泳いでいた頃とはまた違う魅力を持っていて、武道は好きだなぁ、と遠くから見つめる。
夜の街で甘やかに微笑みかけてくれたのはもう過去のことだった。
仕方なく、武道は真一郎の店から離れる事にした。この後に待つものが何なのかは知っていた。
想い人が東京卍會のメンバーに撲殺される所など見たくはなかった。
早く夢から醒めてほしいと思いながらトボトボと道路を歩く。勝手知ったる渋谷の道だった。
いつの間にか降ってきた雨がポツポツと服を濡らした。
雨の夢は久しぶりだった。
真一郎と出逢う日はいつも雨の夜だったのに、黒龍を解散させてからはずっと晴れていた気がする。
すぐに濡れネズミになって、傘もささずにフラフラと歩く。夢なら都合よく、傘を持った真一郎が追いかけて来てくれたらいいのに、などと女々しい事を思うがそうならないことは武道がよく知っていた。
此処はもうきっとあの日の渋谷ではない。
真一郎が生きている世界ではない。
直感的に武道は理解した。
この夢は過去のことではなくなってしまった。
いつか視たものと同じ未来の光景だ。
今度は何なんだ、と少しだけささくれた気持ちで辺りを見回す。そう遠くは無い神社の近くだった。そろそろ夏祭りをやる頃で、付き合っていた頃に日向と行きたいねなどと話をしたいた事を覚えている。
確かに神社の方からは人のザワザワする気配がした。祭りの日に雨が降ってしまうなど残念だと思いつつもわざわざ一人で行く予定も無いため他人事だった。
まさか行く予定も無い祭りの日の天気を未来視したのかと訝しんでいると、祭りとは違う喧騒が耳に入ってくる。抗争だ。
そこそこの規模の喧嘩につられる様にフラフラと音のする方へと寄っていく。
そこにいたのは見覚えのある黒と白の特攻服の男だった。黒は東京卍會。争いこそしていないが先日出くわした男達だ。見覚えのある男もいる。そして、白は愛美愛主。乾が一部喧嘩した相手だ。あれから音沙汰が無いため特に所属同士の抗争にはならなかった様だが、女の子をレイプしたりなどまだ変わらず悪行を繰り返しているらしい。
せっかく止めたのに、アレが原因で東卍と愛美愛主はモメているらしい。そのおかげで矛先が黒龍に向いていないのだと思えがありがたい事だったが、カタギの祭りのすぐ傍でこんな喧嘩をするなんて……と武道は眉間に皺を寄せた。
神社の裏の駐車場には50人前後の男たちが乱闘をしていた。
何故か都合よく過去視の真一郎には笑いかけてもらえているが、未来視では登場人物に認識されたことは無い。ソレを良い事に武道はその抗争の中へと入って行く。
そして、自分がこの未来を視ている理由を見つけた。
特攻服を着ていない長身の辮髪の男が地面に倒れ伏している。頭と腹の両方から血を流しているのに周りの誰も気に留めずに喧嘩を続けていた。
東京卍會や愛美愛主とはそういう暴走族なのだろう。
一般人が刺されて、死にそうになっていても誰も助けない。そんなクズの集団。
武道は水溜まりに溶けていく男の血を眺めながら武道はそろそろ目が覚めるだろうかと考えた。

・・・

胸糞悪い夢を思い出しながら、武道は考える。
東卍と愛美愛主の抗争を自分は止める必要があるのか。正直な所、抗争を止めてやる義理など無いと武道は思っていた。不良チーム同士の抗争なんて珍しい話ではないし、他チームがどうなろうとも武道には関係の無い話だ。
しかし、一般人が巻き込まれるなら話は変わってくる。確かに武道は不良であり、黒龍はワルいチームだけれども、一般人が巻き込まれて死ぬことを是とするほど落ちぶれてはいないつもりだった。


「しっかし、どうすっかなぁ」


私生活のほとんどを黒龍で過ごす様になってきたが、もちろん自分だけの時間もあった。あまり一人歩きはするなと九井や乾からは言われてきたが流石に放課後に制服でブラブラしている中学生が黒龍のメンバーだとは思われないだろうとタカを括っていた。
溝中5人衆として遊んでいた時どころかもっと小さい頃から慣れ親しんできた渋谷だ。滅多なことは起こらないだろう、と。


「えぇ……?」


そんな事を考えていたのがいけないのだろうか、と武道は頭の片隅で自分が建築したフラグをへし折りたくなった。
しかし、既に建ってしまったものはどうしようもなく、視線の先に映ったのは複数の男に路地裏へと引っ張りこまれた女の子だった。
いったいどうなっているんだ、治安の悪化が激しく無いか?!
と、眉間に皺を寄せながら武道は路地へと走りだした。未来視をオンにして背後に気をつける。練習の成果をさっそく試すことになったのは僥倖なのかもしれないと思いつつ、もっとマシな場面で使いたかったという気持ちも湧き上がる。女の子のピンチなど訪れない方が良いのだ。


「何やってんだ!!」


腕を掴み、女の子を壁に押さえつけている男たちを怒鳴り付ける。その気迫だけで逃げてくれたら良かったけれどもそうもいかないらしい。


「あ? ガキ~?」
「おいおい僕ちゃんヒーローごっこかぁ?」


一人はめんどくさそうに、一人はニヤニヤと嗤いながら振り返る。
その瞬間に女の子は掴まれていた腕を振り払う。


「ありがとう!!」


そして一目散に大通りの方へと走っていった。
判断が早くて助かる、と武道は少しだけ安心した。人質を取られたまま戦うのはまたやったことが無い。
ターゲットが完全に自分に移り、武道は思考を巡らす。
相手は十代後半と思しき男二人組。不良というよりはチャラチャラした遊び人風だ。特攻服を着ていないが、自分の様にオフなだけかもしれない。
さて、この喧嘩の落としどころをどうするべきか。
乾にファミレスで教えられたことだ。
勝利条件をどこに置くのか。逃げるか、立ち向かうか。立ち向かうならば倒しきれるのか。
黒龍の先輩たちよりは弱い相手だ。それでも自分よりもガタイの良い年上だ。


「……」


やれるところまでやってみよう、と武道は判断した。そういえば、相手の力を推し量る訓練はしていなかった。そういうのは経験モノを言うのだから仕方が無いと思いたい。
無理そうならうまく逃げるか、適度にボコられるか。まさかこのヤンチャ風のニーチャンに病院送りにされることも無いだろう。
向かってくる男達に武道は顎を引き、脇を締め、拳を構えたオーソドックスなファイティングポーズをとる。
向かってくる男はわざわざ未来視を使わなくても大丈夫そうな程直線的な動きで攻撃してくる。ソレを迷いなく避け、武道はカウンターを食らわせた。相手の技量が分からない以上、下手に急所に当てない方が良いと判断してボディを狙う。


「ッ!」


一人がカウンターを食らう間にもう一人が武道に殴り掛かるがソレも随分と遅く感じた。乾や喪部田のパンチの方がよほどキレがある。
これは勝ててしまうかもしれない、と武道は手加減の方法を考える。いくら女の子に狼藉を働こうとした輩と言えど、弱い者イジメはしたくない。そして、万が一にも取り返しのつかない怪我をさせる様な事はしたくなかった。


「よ、っと」


二人の攻撃を軽くいなし、武道は分かりやすく手加減してますというポーズで二人を地面へと転がした。


「思ったよりも弱かったなぁ、どうしよ」
「なっ……!」


如何にも屈辱だと男たちは額に青筋を立てる。まさかこんなついこないだまで小学生だったと言われても違和感の無いチビの中学生に馬鹿にされるとは思っていなかった。
しかし、二人掛かりだったのに軽くいなされたというのも事実。こんなワケの分からない誰かと喧嘩して怪我なんかしてもつまらないという打算と、こんなチビに舐められたままではいられないというプライドが頭の中で喧嘩をする。
男たちがその判断をする前に武道は目を見開いて路地の脇へと飛びのいた。


「ひぇ!?」


ビュッと顔の近くに風を感じる。
ほとんど転がる様に武道はその鋭い蹴りを避ける。輝く金髪がふわりと舞って、鋭い視線に射貫かれる。


「へぇ、やるじゃん。エマ襲おうとしたのお前?」
「どちら様ですか!?」


間一髪の所で背後からの攻撃を避けられたらしい。驚いてバクバクと鳴る心臓を感じつつ、未来視を解かずに喧嘩していて良かったと心の底から思う。
視えても避けれなければ意味が無い。しかし、避けることが出来たとしても態勢を崩されてしまえば次につながらないのだと分かっていた。それでも、その蹴りはあまりにも早く、避けるのが精いっぱいだった。
武道を睥睨する様に小柄な男が仁王立つ。
いったいこの男は誰なのか、どうすればいいのか、と武道が頭を巡らした所で、その背後から高い声が聞こえた。


「馬鹿マイキー! その子は助けてくれた方!!」
「え? そうなの?」
「ごめんね! 助けが遅くなった!」
「え、いやぁ。……大丈夫っス」


その声に反応して、男が小首を傾げた。
どうやら援軍だったらしい。まさか逃がした女の子が戻ってくるとは思わなかった。先日の愛美愛主の時もそうだけれども、案外女の子は義理堅いのかもしれないと武道は少しだけ思う。連れてくる助っ人がなんだか怖いけれども。
転げた武道に女の子が手を差し出した。素直にその手を取って立ち上がるとマイキーと呼ばれた男と女の子はどこか似ている様に感じられた。


「えっと、あの……あ」


この後どうすべきか、と武道が話しかけようとした声を二人の男が遮った。


「チッ! 無敵のマイキーなんか相手にしてられるか!!」
「逃げるぞ!!」


武道たちを突き飛ばす様に男たちが駆けだす。ソレを分かっていたから、武道はクルリと女の子を壁沿いに避難させ、自分の背中に男の腕が当たった。イタチの最後っ屁にしても威力が無い。
その背中を迷惑そうに見つめて終わるハズだった。
しかし、路地の入口に大きな影が差した。


「ぐぎゃっ!」


男たちが逃げ去ろうとするその勢いをそのままに影がラリアットを食らわす。ヒラリと舞う三つ編みに武道は目を見張る。夢に出てきた男だった。
長身の辮髪などいかに東京と言えどそうそういるスタイルではない。蟀谷に刺青まではいっている。
男は二人の男をノシて「次にまたくだらねぇ事したら殺す」とだけ言って路地へノソノソ入ってくる。男たちは情けなく悲鳴を上げながら大通りへと逃げて行った。


「あ? 何だ? その小僧」
「俺たちが来る前にエマ逃がしてくれたんだってー」
「あー、そうか。まぁサンキュな」


ヘラリと辮髪が笑う。怖い人たちかと思ったが悪い奴ではないらしいとホッとする。
確実に、今の武道では相手にならないし、逃げきれる自身も無い。


「お前、変な奴だなー」
「えぇ!?」


お連れさんを助けに入ったのに酷い言われ様だと武道は涙目になる。


「ツレでもねぇ知らない奴助けるためにフツーこんなとこ入ってくるかー?」


ニコニコと笑いながらマイキーと呼ばれた男は武道の背中をバシバシと叩いた。男の蹴りを避けた時に打っているので普通に痛い。


「おいマイキー、一応エマの恩人だろ。もうちっと丁寧に扱ってやれよ」
「えーでもケンチン、コイツなんか小動物みたいで面白いよ?」
「お前なぁ……」
「こんなナリで二人も年上相手にしてたのにな?」


慣れ慣れしく肩を組まれ、武道は困惑する。いったいどういうテンションなのか分からない。


「なぁお前、何て言うの?」
「えっと、武道。花垣、武道」
「ふぅん。じゃ、タケミっちな」
「え……?」


ニッコリと笑ってあだ名と思しき名称で呼ばれる。今まで出会った事の無いタイプにフレンドリーな男だ。


「タケミっち、今日から俺のダチ!! な♡」
「あ、はい」


強引な友人認定に武道は思わず素直に首肯してしまった。黒龍に入ってから反骨精神というものが欠けてしまった気がするが、なまじ悪意が無いので拒否しにくい。


「おーし、ファミレス行くぞ! エマ助けた礼にドリンクバーおごっちゃる」
「ドリンクバーかよ。しゃーねぇ、ポテトくらいは俺が出すか」
「えぇ……?」


武道がOKを出す前に二人は半ば引きずる様に武道を大通りへと連れ出す。チラリと女の子を見れば無言で両手を合わせていた。謝っているらしい。
黒龍の用事が無くて良かったと武道は心底思った。
半ば連行される様にファミレスへと導かれ、二人は約束通りドリンクバーとポテトを奢ってくれた。
二人の名前は佐野万次郎と龍宮寺堅らしい。そして女の子は万次郎の妹の佐野エマという。
格闘技でもやっているのか、とか喧嘩の経験はどのくらいか、とか万次郎は楽しそうに次から次へと武道に話しかける。武道もだんだんと楽しくなってきてしまって、不登校だったことから最近復帰してから先輩に喧嘩を習ってることまで素直に答えてしまう。
思えば、溝中のメンバー以外でフラットな不良話をできる相手が今までいなかった。黒龍と話す不良像は基本的に初代への憧れのことだけで他の角度から不良を語れる相手ができたのは単純に嬉しかった。


「へー! マイキーくんとドラケンくんバイク弄れるんですね!! スゲェ!!」
「お、見るか? 俺のゼファーは最高だぜ?」
「もー、男の子すぐバイクの話する」


喧嘩の話はもちろんのこと、そういえばバイクの話はしたことが無かったと武道は思う。過去視の夢の中で真一郎が営んでいたバイク屋を思い出して、高校に行ったらバイトをして免許をとるのも良いかもしれないとコッソリと思う。
万次郎は武道の話を聞きたがったが、武道は自分の事を話すよりも龍宮寺からバイクの話を聞きたがった。バイクと一口で言っても排気量や見た目のサイズ、カスタムなどでかなり変わるらしい。龍宮寺の乗るゼファーはトラブルが多い分手もかかるがパーツが手に入りやすいらしい。いわゆる族車というヤツで、コールの音が最高だと語る龍宮寺の顔は明るい。今日の夜に武蔵神社という場所に来ればバイクを見せてくれると約束までしてくれた。
話をするのも聞くのも楽しくて武道は新しくできた友人に心が躍る気持ちだった。
しかし、それと同時に腹を刺され地面に倒れ伏す龍宮寺の姿がずっと頭の片隅に引っかかったままだった。
こんな楽しそうに生きているのに、数日後には死んでしまうなんて絶対におかしい。
見た目は厳ついが龍宮寺は良い奴だと武道は思う。この人が殺される事なんてあってはいけない。
抗争を止める事はないけれども、なんとかして龍宮寺だけは助けなければならない、と武道は決意を固めた。
話が不良のことからバイクのことへと移ってから暫くして、急に万次郎がバイクの話を遮るように口を開く。


「そういえばタケミっちは何で不良やってんの?」
「俺、不良に憧れてるんですよ!」
「不良に?」
「はい、実際に会った事はたぶん無いんですけど、昔すごい人がいたみたいで……」


夢で見た真一郎の話と乾に聞いた話を織り交ぜて、違和感の無いように気を付けて武道は話す。絶対に諦めず、自分より強い奴にだけ挑んで、皆から慕われた日本最大の不良の総長。ドライビングテクでは誰も勝てず、その背中に当時の不良の誰もが憧れた……。


「俺はそんなカッケェ不良ヒーローになりてぇんスよ!」
「……」


武道の話を聞いた3人が急に黙り込んだ。あまりにも熱く語ってしまったから引かれたのだろうか、と武道は不安になる。
しかし、その沈黙はすぐに万次郎の少し困った様な笑いで破られた。


「そっか、タケミっちはシンイチローに憧れたんだな」
「そうっス! 佐野真一郎くん!! って、あれ……?」


万次郎が真一郎を知っていた事に一瞬テンションが上がったが、何かが頭に引っかかった。伝説的不良を知っているというだけではない何か。
そして気付く。万次郎の顔が、誰かに似ていないだろうか。誰かに、というか夢で見た真一郎に。
基本的に武道は他人に興味が薄いという自覚はあった。仲間を大事にするし、他人に親切にしたり、女の子を守る様な事には全く戸惑いが無いタイプだ。
しかし、細かく相手を観察するかというとそういう事は基本的にしない。美人を美人だと思う事はあれど、だからと言って顔をしげしげと見る様なことはしないし、ずっと覚えているかと言えば数時間もしないうちに忘れてしまうタイプだ。
だから、佐野万次郎の顔をしっかりとは見ていなかった。
その少し切れ長の黒曜石の様な瞳は確かに、焦がれた人の面影がある。


「まさか、もしかして……?」
「うん、シンイチローは俺のアニキ」
「え、えぇっ、あの、何か……すみません」
「いや、何で謝るんだよ」


万次郎は困った様な笑みを崩さなかった。


「だって、その、お兄さんだなんて知らなくて……。すごい語っちゃいましたし」
「ハハッ、そうだな。アニキの事好きな奴はいっぱいいたみてぇだけど俺に語る奴は流石にいなかったわ」
「すみません」


蚊が鳴く様な武道の声に万次郎は耐え切れないと笑い声をあげた。


「気にすんなって、流石に気付かねぇ奴は気付かねぇから!」
「でも……」


佐野真一郎は故人だ。しかも、亡くなってからそう経ってはいない。
そのご家族に彼を語ってしまうなど傷を抉る様な行為をしてしまったと武道は素直に落ち込む。


「良いんだよ。ちょっと、納得したしな」
「何がですか?」
「お前がシンイチローに憧れて不良やってるってこと」


万次郎が初めて見た時、武道の身体も、その雰囲気も喧嘩慣れしているとは言えずファイティングポーズもほとんど一般人の様なものだった。
しかし、エマを守るために見知らぬ年上の男二人に立ち向かうことを厭う様な事は無かった。結果として、その男達よりも武道の方が強かったが武道にソレを推し量れるような様子はなく、本当に偶然だった。
勝てるかどうかも分からない年上二人に立ち向かう様は異様であったが、真一郎に憧れて不良をしているのならば納得がいく、と万次郎は語る。


「あと、シンイチローは女に弱かったしな」
「あー」


自分の事を好きなワケでも無い女の子のためにボロボロになる、という事は一度や二度じゃなかったとエマも懐かしさに首肯した。喧嘩も恋もけして強くは無い男だった。
けれど、絶対に困っている女の子を見捨てることは無かった。


「へぇ、そういう感じだったんですね……って! もしかしてあの蹴りはわざとですか!?」
「んー、ちょっと面白そうな奴がいるなって思って♡」
「酷い、俺それなりに困ってたのに……」
「まぁまぁ! エマ狙いの変な奴とか結構いるからさぁ!」
「まぁそうでしょうけども……」


エマは武道から見ても確かに美人だ。髪色や顔立ちが派手でもあり男から好かれるタイプではあるだろうと武道は客観的に思う。遊んでもらえるのなら是非、と言いたくなる。


「確かに、タケミっちはシンイチローに似てるよ」
「え?」
「憧れてそうなりてぇって思ったんだろ? 俺は応援するぜ」
「は、ぃ……」


ニッコリと笑われると武道は少し照れて恥ずかしくなる。


「俺もさ、兄貴達みたいなカッケェ不良の時代を創るんだ」
「へ?」


自分の身内に憧れる少年を見る微笑まし気なソレから一転して、万次郎はいたずらっ子の様な笑みを浮かべた。武道はその意味が分からないまま万次郎を見つめ返す。


「さっきケンチンとバイク見るって話してたじゃん? ぜってぇ来いよ」
「は、はい」
「魅せてやるから、俺達のこと」

・・・

そして夜になり、武道は一度家へと帰り私服に着替える。あまり変わりはしないかもしれないが、学生服を着たまま出歩いて補導されてもコトだ。
てくてくと歩いて目的の神社へと向かう。広めの駐車場はガランとしているが簡単に入ることが出来て、奥に鳥居の見える参道の階段があった。その一番下に座って龍宮寺と佐野を待つ。
今まで乾の後ろに乗せてもらっていたがあまりバイク自体は見せてもらっていなかった。せっかくバイクを見せてもらうのに予備知識の無い自分を少し残念に思った。夢の中の真一郎に聞けば教えてもらえたのだろうか、と考えるがサイコメトリから得た情報で妄想しただけの夢の場合その知識は嘘になるのであまり期待しない方がいいだろう。
そんなことを考えているといつの間にか時間は過ぎ、道の方からウォンウォンとエンジンの唸り声が聞こえる。二人が来たのだろうかと顔を上げて、武道は絶句した。


「……」


向かってくるライトは二つではない。もっと多くの光が武道を照らす。
武道はその光景に見覚えがあった。
先日、愛美愛主にボコボコにされて見た光景と酷似している。
バイクの群れに黒いツナギに金の刺繍の特攻服。
東卍だ。
どうしよう、どうするべきだ。答えはすぐに出てこなかった。
龍宮寺と万次郎に此処へ来てはいけないと連絡をしたいが待ち合わせ場所を決めただけで携帯電話の番号もメールアドレスも交換していなかった。自分は何故いつもこうも愚鈍なんだと麻痺しかける脳みそを叱咤する。
いつも後になってから、ああしておけば良かったこうしていれば良かったと思い悩む。
何が起きても良い様にまずは未来視をオンにした。
不穏なヴィジョンが流れ込んでくる様ならすぐに動いてしまおうと思ったが意外にもそのようなものは視えなかった。一人逃げるワケにもいかない。龍宮寺はこの暴走族に殺されるのだから、自分の介入で死期が早まる様なことがあってはいけない。
どんどん集まってくる黒い特攻服の群れに武道はフーと息を吐く。
最低限、黒龍とバレなければいい。適当に一般人のフリをしてやり過ごすのがベストだ。何故この場所に東卍が集まっているのか。たまたま通りがかっただけなのか、何か意図があるのか、観察している事がバレない様にできるだけボンヤリとその集団を見つめる。
そしてその中に、ビックリしたという表情で武道を見つめる顔を見つけた。
武道はその男をすぐには思い出せなかった。目が合って、その垂れ目と切れ目の入った眉、そして紫のベリーショートを思い出した。
あの夜にもいた男だ。
今度こそどうするべきか迷い、ヘラリと曖昧な笑みを浮かべて軽く会釈する。
いや、知り合いかよ、と武道自身も思うが他にリアクションが思い浮かばなかったから仕方が無い。
すると紫髪は眉間に皺を寄せてどうしようか悩む素振りを見せた後、ツカツカと武道に近付いてきた。


「まさか、オマエがタケミっちなのか?」
「えぇ!? 何でそのあだ名を!?」


今度は武道がビックリしてしまい少し大きな声が出た。ソレが原因で注目を集めてしまい恥ずかしくなる。


「あ、ハハ……。すみません」


肩を竦ませていかにも小心者です、と言わんばかりに視線を逸らせば逸らした先にも武道を見る東卍のメンバーがいる。完全に逃げる機会を失ってしまったが、万次郎の付けたあだ名を知っているという事はこの東卍の男は万次郎の知り合いなのだろう。
てっきり一般人だと思っていたが、もしかしてあの二人は東卍のメンバーだったのかと思い直す。こんな事ならとっとと逃げてしまえば良かったと後悔する。


「はー、マジかよ。アイツ何考えてんだ」
「えーと?」
「まぁいいわ、ついてこい」
「ウス」


いかにも頭が痛いと言った風にガリガリと頭を掻いて紫髪は踵を返す。仕方なく武道はその後ろを追った。
男が通ると下っ端と思われるメンバーが道を空ける。どうやら幹部級らしい。
さながらモーセの様な姿に呑気にすげぇなぁと思いながらついて行くと、人ごみの中心にその男はいた。


「あ、マイキーくん」
「よう、タケミっち」


バイクに跨り、黒い特攻服を尾鰭の様に靡かせる男。その背中に背負う東京卍會の文字と髪の金がバイクのライトを反射して煌めいていた。
面影はあっても身長も髪も何もかもが違うハズだった。
それなのに、武道はその背中に愛しい人を見てしまう。高鳴った心臓が酷く悔しかった。

・・・

約束通りバイクを一通り見せてもらい、武道は満喫した。どの部品がどうなのだと言われてもあまりよくは分からなかったがピカピカに磨かれたボディにときめくのは男の子だから仕方が無い、と武道は言い訳をする。
相手が東卍なのだと分かった時点で逃げろ、脳内の九井と乾が騒がしかったが下手に逃げても逃げ切れる自信は無い。このまま当たり障りなく集会場所を後にするのが一番だと考えて、そろそろお暇を、と武道が言おうとした時、龍宮寺が集会を始めると声を上げた。
あれよあれよと言う間に集会が始まり、東卍と愛美愛主の抗争が始まる事を知ってしまう。
これは黒龍の自分が聞いてしまっても良いのかと内心焦っていると、引き金となった先日のレイプ未遂事件についての証人の様な扱いで話を進められる。なるほど、全てバレていてその上でこのために連れてこられたのか、と武道は少し唇を尖らせた。
武道がいたから未遂で済んだ。しかし、そうでなければあのカップルはもっとひどい目に遭っていただろう。
相手は自分たちよりも大きなチームだ。抗争が起きればただでは済まないだろう。
そして、愛美愛主の総長・長内は非道で、その上とんでもなく強い奴だ。
しかし、自分たちの仲間に手を出されてヘラヘラしていられない。
自分たちはそんな薄情なチームではないのだ。
だから、愛美愛主を潰す。
チームのテンションが最高潮にまで上がる。怒気が、歓喜が、その雄叫びに乗せられていた。


「どうだ、タケミっち。これが、俺の東卍不良だ」

・・・

集会が終わり、バイクで流す者とこのまま解散する者とで分かれるという流れになった。
もちろん武道は帰りたい気持ちでいっぱいだったが、そこに待ったをかけたのは龍宮寺だった。せっかくだから後ろに乗るか? という誘いだった。
そこまでしてもらう謂れは無いと訝しんでいると、先日助けた女の子は三番隊隊長のツレの彼女で今日助けたのも万次郎の妹だから何でも良いから礼をしたいということだった。武道としてはポテトとドリンクバーだけで十分だと思っていたし、むしろ東卍の副総長の背中に乗って東卍としてドライブをしている所を誰かに見られる方がマズかった。
そのため、丁寧にお断りをしたいと焦っていると、急に背後から声を掛けられた。


「あ! 武道!!」
「え……?」


振り返ると背の高いバリアートの男がおり、親し気に武道の肩に手を回した。
その青味の強い髪と凄みのある面差しには確かに見覚えがあるのにソレが誰なのかは思い出せない。しかし、これだけ親し気に話しかけてきてくれているのだから会った事はあるのだろう。


「今日の夜用事あるからあんまり遅く出歩けないって言ってたじゃーん、そろそろ帰らないとマズいんじゃね?」
「え、あ、あの……?」
「話合わせて」


人懐っこく武道を抱え込む様にスキンシップを取るフリをして、男は声を潜める。
混乱しつつも、ソレが乗らずに帰るための援護射撃だと武道は理解する。


「あ、うん! そう!! ちょっとバイク見るだけだと思ってたからちょっと時間ヤバいかも!!」
「もー! 何やってんの!」
「ごめん、ありがとう!!」
「あー、まぁ集会だとは言わなかったもんなぁ。じゃあ乗るのはまた今度な。気を付けて帰れよ」
「はい! ありがとうございます!」


龍宮寺と別れ、武道は肩を組まれたまま神社を後にする。バリアートの男はいつまで肩を組んでいるのだろうとだんだんと不安になってくる。


「あのー?」


恐る恐る声を掛けると男は深くため息を吐く。
そしてバッと顔を上げて武道にまくし立てた。


「なにやってんの!? あんなとこにいるのが大寿にバレたら殴られるじゃすまないよ!?」
「たい……あ!!! 君、大寿くんに似てるのか!!」


既視感の正体が分かり、武道は表情を明るくする。しかし、男はそんな武道の反応にヒクリと頬を引き攣らせた。


「もう! 今更気付いたの!? 俺は八戒!! お前のとこの総長の弟だよ!!」
「へー! 大寿くん弟さんいたんだぁ。八戒くんって言うんだね、よろしく」
「はいはいよろしく! でも今は挨拶がしたいんじゃないの!!」


自分の剣幕にも動じず、呑気な様子の武道に八戒は額に血管を浮かび上がらせる。その様子がまた大寿に似ていると思ってしまい、武道はへにゃりと笑ってしまう。


「大寿くん、よく分かんないけどちょっと怖いなぁって思ってたけど、弟さんいると思うとちょっと親しみが湧くね」
「そんなもん湧かせないで! あんな悪魔に!!」
「えぇ……?」

 

実の兄に対して随分な物言いだと思いつつ、歳の近い兄に対する弟の反応などこんなものなのかな、と一人っ子の武道は小首を傾げる。


「大寿くんのこと嫌いなの?」
「大っ嫌いだよ! あんなクソ野郎!!」
「へー」


嫌いと言うには武道はあまりに大寿の事は知らず、せっかくなのでこのまま歩きながら八戒とお喋りをしてみようと決める。


「俺は大寿くんのこと全然知らないけど、大寿くんって家でどうなの?」
「ことあるごとに殴ってくるクズだよ」
「……」


吐き捨てる様な八戒の言葉を武道はただ聞いた。


「俺だけならともかく、柚葉のことだってアイツは殴る」
「柚葉?」
「姉貴だよ。で、大寿の妹」


初めて聞く情報に武道はふんふんと相槌を打つ。自分の所属するチームの総長のことだと言うのに何も知らないよな、と思いつつもそもそも自分は暴走族のチームというものに大して魅力を感じていなかった。今となっては過去の黒龍に思いを馳せているが武道にとってのヒーロー、カッコいい不良とはどこかで知った日本一の不良、佐野真一郎ただ一人のことだったのだ。
偶然にも武道がサイコメトリに目覚め、ソレを拾ったのが現黒龍の九井だった。そしてソレを切っ掛けに武道が忘れてしまっていた最初に憧れていた男を思い出し、その男こそが今武道が所属している黒龍の初代総長だった、というだけの事である。
ただの偶然というにはあまりにも運命めいた出会いであるが、真一郎はすでに故人であるため武道の独り善がりにも近い。
だから、今の総長である柴大寿のことはほとんど何も知らないし、興味も大して持っていなかった。
ソレが変わったのは初代の再興を願う乾に出会ったからであり、チームというものを引っ張っていく総長に今まで興味が無かったことを少しだけ悔いていた。真一郎と大寿ではトップとしての在り方があまりにも違うし、黒龍という組織の在り方もまったく違う。
ソレを変えようと思うのなら、大寿にもしっかりと興味を持たなければいけないと八戒の話を聞きながらぼんやりと武道は考える。


「お前はさ、アイツの部下だし、アイツの事好きかもしれねぇけど、アイツはクソ野郎だよ……。女だろうと関係ない。自分に従わねぇなら殴って言う事をきかす。そんなクズだよ」
「ひぇ、大寿くん家ってそんな感じなんだ。俺、あの人の事はよく分からねぇからなぁ……」
「お前、大寿に惚れてねぇの?」


そのあまりにも薄ぼんやりとしたチームへの帰属意識に八戒は訝し気に武道を見る。
中肉中背ともいうべき武道の体躯は武闘派チームである黒龍にはあまり似つかわしくないものだと八戒は思う。しかし、そんな武道が下っ端とは言え愛美愛主相手に一人で少女を守り切ったのを八戒は確かにこの目で見た。そこにいた乾もである。
ボロボロにされても見知らぬ少女を助けたこの男があの凶悪な兄のチームにいることが不思議でならない。
単純に、兄の圧倒的な暴力と人の心を掴む能力に惹かれたのかと思っていた。昔から、兄の取り巻きはどんなにクソ野郎でも兄の事を好きだった。そのため、武道もその手の男なのかと思っていたがそうでもないらしい。


「えぇ!? 何で俺が!?」
「だって、黒龍だろ? 総長に惚れて入ったとか、そういうの……」
「うーん、俺、ココくんにスカウトされただけだしなぁ。大寿くんにはあんまり認められてないかなぁ。喧嘩もまだ弱ぇし、もっと強くならなきゃ大寿くんの目に留まらないかも」
「……変な奴」


あくまでもフラットな態度を崩さない武道を少しだけ気味悪く思う。
隊長を敬愛し、チームを愛するタイプである八戒には武道の所属チームへの忠誠心の無さは理解しがたいものだった。好きでないなら、世間の鼻つまみ者である暴走族など入る理由などないだろう、と。


「よく分かんねぇけどさ、大寿くんが総長じゃなくなったらお前や柚葉って子も助かるの?」
「できもしねぇ滅多なこと言うんじゃねぇよ」
「仮定の話だって。俺もすぐにどうこうできるなんて思っちゃいねぇし」
「……」
「俺さ、ちゃんと今の10代目そんな良いと思ってねぇよ。俺はまだ何でか守られてるけど、ホントはヤクザとかもっと怖い奴等との繋がりがあるって気付いてる」


武道の言葉に八戒はますますワケが分からなくなる。黒龍がマズい組織だと分かっているのに、何故逃げないのか、何を思って所属しているのか、と。


「俺が憧れてるのはさ、10代目じゃねぇんだ。初代の総長」
「ソレって……」
「うん、マイキーくんのお兄さん。東卍の創設の人に殺されたらしいけどね」
「……」
「ちょっと複雑すぎて何が起きて今こうなってるのかとか全然知らないんだけどさ。俺、真一郎くんが好きなんだよ。弱い者イジメとかしない、自分より強い奴にしか挑まなかった日本最強の総長」


どこか夢見る様に熱く、しかしもうその人はこの世にはいないという絶望で暗く、武道の瞳は燃えていた。その黒い瞳に八戒は思わず息を飲んだ。
どこか、己の総長の様な危うい雰囲気をその瞳に感じる。


「そんな人が作った黒龍が今こうなってるの、やっぱりちょっと嫌だなって思う」


自分たちの総長とは似ても似つかない弱そうな男なのに、その考えの読めない瞳に凄みを見出したのは何故なのか八戒自身にも分からなかった。ただ漠然と、似ている、とだけ思う。
ソレを伝えるべきか迷ううちに武道はまた口を開き語りだす。


「だからさ、俺、ちょっと11代目は狙ってんの。いつになるか分かんねぇけど……八戒! 後ろ跳べ!!」
「えぇっ!?」


その話がまだ途中だというのに、急に武道が叫ぶ。
驚きながらも八戒はソレに従った。何が起こったのかも分からない状況であったがビュッと自分の顔面のすぐ傍を何かが翳めるように通り過ぎ、風圧が当たったことでかろうじて攻撃を受けたのだと気付く。
そして、ドゴッと響いた鈍い音に自分が守られたのだと気付く。
ゴムボールの様に簡単に、隣で話をしていた武道が地面へと叩きつけられた。


「10代目が気に入らねぇ?」


臨戦態勢をとった直後、八戒はその声を聞いて背筋が冷える思いをする。その声は幾度となく自分に絶望を与えてきたものだ。


「11代目?」


今は自分にではなくすぐ傍にいる武道へ向いているその脅威を、八戒は他人事として受け止められない。


「生意気言う様になったじゃねぇか花垣ィ」


その声の主、柴大寿は額に血管を浮かび上がらせ、冷たい怒りを露わにして武道を睥睨する。何度も自分が受けてきた圧倒的暴力だった。


「げ、大寿くん……」
「げ、じゃねぇよ。守られなきゃ喧嘩もまともに出来ねぇ弱虫が総長の座を狙うなんざ大言壮語も甚だしいじゃねぇか」
「うん、たぶんまだまだ先の事になると思うよ」


地面に叩きつけられながらも、平然と、あくまでもフラットに武道は大寿へと言葉を返す。その堂々とした姿に少しだけ大寿は目を見張った。
入隊試験と称して能力を披露した時とは面構えが違う。
自分で戦わずに人に指示を出すのは兵隊の仕事ではなく、指揮官の仕事だ。その点において、武道は下っ端の中でも九井の専属、幹部候補という扱いだった。
それでも、小者らしい愛嬌で周りに取り入る様は大寿が理想とする強者とは全く違う物だ。だからこそ、大寿は武道に甘い九井の仕組んだあの入隊試験の最後に独断で攻撃をさせたのだ。それは避けられたが、避けられない様なら黒龍にいる資格は無い、と大寿は容赦をしなかった。
それが、今は大寿と相対し、しっかりと視線すら合わせてきている。話を聞く限り、今の武道は大寿に勝てるとは思っていない。
それでも、怯える様子を表に出さない肝の太さをどこかで身に着けたらしい。


「どこから聞いていたのかは分からないけれど、俺は初代の真一郎くんが好きだから。今の黒龍に思う所はあるよ」
「……」


大寿の後ろには九井と乾がしっかりと控えており、心配そうに二人を伺っていた。
この二人だって、大寿には勝てる算段は無いのだ。九井は得意分野がまったく違うし、乾は過去にすでに負けている。その上で、一度完全になくなってしまった黒龍を再始動させるために大寿が必要であると決めたのだ。
それは正解であり、今の黒龍は渋谷でもかなり大きい暴走族として名を馳せている。九井のプロデュースと大寿の人望のお陰だ。


「まだ、大寿くんに楯突こうなんて思ってないし、寝首を掻こうとも思ってないよ。けど、世代が交代するまでに、俺は初代に恥じない不良になりたい」
「ほう……」


殴られ、態勢を崩されても、しっかりと受け身とガードを取れていたらしい武道はゆっくりと立ち上がる。少し前の武道だったらモロに食らって気絶すらしていたかもしれない。
訓練の成果は確かに出ているのだと思いつつも、ガードした腕は痺れていて圧倒的パワーの差を目の当たりにする。たかだか数カ月で追いつける存在だとは思っていないし、自分が大寿に勝つイメージは思い浮かべられない。コレがいまの実力差だと受け止める。


「そうかそうか……」


そのあくまでも冷静な武道の様子に少しだけ嗜虐心が湧く。
大寿は強い者を好む。今の武道は入隊当初と比べれば確かに成長しており、大寿が求めるほどではないがそれなりに溜飲が下がるものだった。弱虫のまま虚勢だけで意地を張るよりは余程良い、と。武道が弱虫のままであったなら、大寿はただ視界にも入れずに血の繋がりのある八戒に気を向けただろう。
しかし、まだまだ力の足りない者が過ぎたことを言っているのは変わらない。少し躾けてやろう、と大寿は笑う。


「じゃあ、どのくらいマシになったか見てやろうか」
「……はい」
「タケミチ!?」


先ほど地面に叩きつけられたばかりだと言うのに、多少の逡巡はあれど素直に頷く武道に八戒は狼狽する。自分よりも随分と小さく、筋肉もついていないこの男が大寿に敵うものか、と。なのに何故、武道は大寿の前へと歩み出て行くのか。


「総長に相手してもらえるなんてなかなか無い機会だぜ? まぁボコボコにされるだろうけどさ」
「そんな……」


八戒には武道の気持ちが分からない。マゾなのかとすら疑いたくなる。


「八戒、俺は強くなりたいんだよ。だから、使えるものは何でも使いたい。今の俺のままじゃ俺の憧れ、真一郎くんにはほど遠いんだ」
「だからって……ッ」
「あ、あと!」


大寿は手加減の出来ない男ではない。しかし、無傷で転がしてくれる様な優しい男でも無いことを八戒は重々知っていた。
相手が屈服するまで痛めつけることだって厭わないどちらかと言えば残忍な男だ。
なのにどうして、と顔を歪めた八戒の言葉を遮る様に武道は急に雰囲気を変えて明るい声を上げた。


「ハンデじゃないんですけど~、万が一、一発でも大寿くんに入れることが出来たらご褒美欲しいな~、なんて」
「あ?」


突然何を言い出すんだ、と大寿は武道の顔を見る。先ほどまでの凛とした様は鳴りを潜め、大寿の良しとしない小者のひょうきんさを前面に出し始めた武道に顔をしかめる。


「いやー、そのですね? もちろん総長直々に鍛えていただけるのはめっちゃくちゃありがたいんですがぁ~。出来ればちょっと聞いてほしいお願いがありましてですね?」
「……なんだ」


イマイチ度し難い男だと思いつつ、とりあえず大寿は耳を傾ける。その程度の度量は見せる男だった。


「いやホントにもしもなんですけども~、もしも俺がアンタに一発入れられたらですね?」
「俺の気が変わらねぇうちにさっさと言え」


もったいぶるなと睨みつける大寿に武道はヘラリと笑う。


「柚葉さんを殴らないでほしいんです」
「あ゛?」
「おわっ!!」


突然出てきた名前に大寿は一瞬で頭に血が登る。
何故、お前がそんなことを言うのか、と。
開始の合図もせずに大寿は武道に殴り掛かった。ソレをジッと青い目で見つめ、武道は紙一重で避ける。
あまりにも一瞬で沸騰した大寿に九井と乾すら目で追う事ができなかった。それでも、武道の目には一瞬遅れて見える。初めからこうなる事を予想して喋っていた。


「人の家庭に口出しをするとはいったいどういう了見だ!? あ゛ァ!?」
「俺もあんまり口にしたくはないんスけどね、やっぱ女の子に暴力はダメだと思うんですよ」


沸騰して大振りになった拳は比較的避けやすいものだった。それでも、速さは一級品で避けるのがやっとであり、武道は態勢を崩しながらほとんど転げる様に避ける。


「ビジネスの事には口出しませんけどッ、女の子殴る男について行くのはちょっと、いやかなり嫌なんスよ、俺……ッ!」


武道の嫌いな弱い者イジメ、その筆頭が女子どもへの暴力だった。
最悪、男なら同じ身体の造りをしているし、成長の個人差はあれどけして恵まれた体型とは言えない自分がそれなりに不良をやっていたことから対等に喧嘩をすることができると思う。
しかし、女の子は身体の造りが違う。
柔らかく、脆く細い女子へ大寿の様な大男が暴力を振るうなど、武道の一番嫌いな事だった。


「喧嘩は別にいいんですッ。でもっ! 明らかに自分よりも弱い事が分かっている生き物に暴力で言うこと聞かすのは違くないですか……い゛ッ!!」


崩れた態勢が立て直しきれず、武道の頬に大寿の拳がヒットする。下手に踏ん張るよりは素直に殴られ、次の立て直しに賭けようと武道は眼だけは逸らさずに拳を受けた。


「ぐっ、あ゛……」


柴家がどういう状況なのか、武道には分からない。
親は何をしているのか、柚葉とはどういう子なのか、柴家にとって大寿とは何なのか。ソレによってもしかしたら武道は自分が的外れで失礼なことを言っている可能性があると分かっている。
しかし、弟にこんなにも嫌悪される理由が姉への暴力であるなら、武道はその兄について行きたいとは思えなかった。


「俺はッ! アンタのその自他共に厳しいスタイル嫌いじゃねぇよ!! でもさ! う゛ッ」


防戦一方の武道に大寿は容赦なく攻撃を加える。
互いにある程度疲弊はしてきているが、攻め手の大寿の方がまだ余裕があるのかだんだんと武道の身体に拳が当たる様になってきた。


「女の子に暴力でいう事聞かすのはダメだ! それじゃただの弱い者イジメになっちまう!!」


それでも、武道は何度殴られようと視ることを辞めなかった。
何度視ても、武道が大寿へと反撃できるヴィジョンは視えない。視えるのは殴り掛かる大寿とソレを避ける自分、受ける自分だけだ。
青く光る瞳が、武道が諦めていない証拠だった。
ソレを分かっているせいで、九井と乾は大寿を止めることが出来ない。これ以上は危ないかもしれない、と思うのに武道本人のその眼が、その気迫が、二人の口を噤ませていた。


「タケミチッ! もう良いよ!!」
「八戒、ホントはお前が一番怒るべきなんだぜ? 姉貴に手ェ出されてよぉ」
「ッ!!」


その二人の代わりに、八戒が声を上げた。
腫れた頬が、血を流す額が、変色する腕が、擦り剥けた足が、痛みを訴えている。ソレを一番分かっているのは武道のハズなのに、武道は立ち上がる事をやめなかった。


「そりゃ、ずっと耐えてきたし、もう怖いって事、痛いって事覚えちゃってるからさ、つれぇよな」
「……」
「俺だって大寿くんに勝てるなんて全く思ってねぇよ」


困った様に、へにゃりと笑いかける顔は大分痛々しい。


「でもさ、勝てない相手でも立ち向かわなきゃいけねぇ時って、あるよ」
「……ッ!」


ただの稽古では済まない怪我を負っているのは一目瞭然だった。総長が珍しく相手してくれているとか、そういう状況ではないとその場にいる全員が分かっていた。
多少、見どころがある程度では大寿は中学生のチビなど相手にしない。その眼に価値があるからそこ、黒龍に置いているのだ。だから、武道はここまでやっても、自分が殺されるとも、黒龍を追い出されるとも思っていなかった。
ただただ、痛くて辛いだけだ。
我慢にも限界はあるし、その前に気絶するかもしれないとも思う。それならソレで仕方が無いと諦めもつく。
それでも、黒龍が、真一郎の作ったチームが、その総長が、女の子に暴力を振るうことは許したくなかった。


「タケ、ミチ……」


何故、この男が見ず知らずの人間のために此処までするのか八戒には分からない。初代だという真一郎という男に憧れていると言ったって、限度があると思う。
そして僅かに思う。この男がこんなになっているのに、一体自分は何をしているのか、と。
兄の恐怖政治による家庭での無力感も、東卍で仲間といる時の楽しさも、このワケが分からない男の謎の覚悟に比べたら薄っぺらいものだったのではないか。もちろん、隊長という兄貴分を慕う気持ちは嘘ではない。実の兄が怖くて仕方が無いのだって本当だ。
それでも、今、一時的なものだとしても、自分に振り絞れる勇気というものがあるのではないかと、八戒は錯覚する。


「ごめん、ありがとう」
「……」


そして、そんな会話の中でも虎視眈々と未来を視続けていた武道は一瞬の勝機を見逃さなかった。


「うわぁあああああああッ!!!」


我武者羅に、愚直にタックルを仕掛けに行く八戒に大寿が目を見張り、一瞬だけ硬直する。しかしすぐさまソレに対応し、八戒を殴り飛ばす。その隙に、武道は八戒を壁にした大寿の死角から渾身の一発をその腹へと叩きこんだ。


「うぉりゃぁあああ!!」
「ッ!!」


脚に力を込めて、体重を乗せて、放たれた拳は綺麗に腹へと入った。
しかし、大寿はソレを見てニヤリと笑い、ダメージを受ける様子もなくその腕をとった。


「っ!!」
「ハッ、軽い拳だなぁ?」


襟首を掴まれてフワリ、と武道が浮く。体重は元に戻ったというのに、片手でその全てを支えられ、締めあげられる。そして気絶しないうちにポイッと軽く投げられた。
あくまでも軽くであるが、それでも満身創痍の武道がうまく受け身を取れるかというと微妙な所である。情けなく悲鳴を上げた武道が地面へと叩きつけられるかと思いきや、地面と武道の間に間一髪で八戒が滑り込んだ。


「うわっ」
「ぐぇっ」


先ほどまでの気迫のある喧嘩からすると随分と間抜けな声が上がる。
イテテ、と呟きながら八戒の上からどくと、不意に影が差した。


「へ?」
「まだまだだが、だいぶ強くなったじゃねぇか花垣」


小馬鹿にするような笑みで、睥睨する大寿が武道の頭をグリグリと撫でた。それがまた少し痛くて顔を顰めるが大寿は意に介さない。


「初代の再興だったか? せいぜい頑張れや」


本格的に武道が抵抗する前にパッと手を離し、踵を返す。


「……」


そして複数の取り巻きを連れて大寿はその場から去ってしまう。
残されたのはボロボロの武道と頬を腫らした八戒。そして心配そうに武道に駆け寄る九井と乾だけだった。


「……ヤベェ、昼ドラで“あの人本当は優しいのよ”って言ってたDV被害者奥さんの気持ちが分かりそう」
「頼むから分かんねぇでくれよ……」


撫でられた頭に触れながら、武道はその少し乱暴な感触を思い出す。
もう妹は殴らないと言質は取れなかったし、かつてないほどボコボコにされたが、やはり武道は大寿のそのスタイルが嫌いにはなれなかった。


「アイツの上等手段なんだからアレ」
「はー、悔しー! ぜってぇいつか王座奪ってやる!!」


コンクリートで大の字になって叫ぶ武道を八戒は呆れた目で見た。


「そんなボコボコにされてよくそんなん言えんね……」

・・・

薄暗い夜の商店街を歩く。
昼間は賑わっているこの場所も夜になれば眠りにつく。
真一郎が黒龍を解散させてから、夢の舞台はほとんどが昼だった。
大人になり、社会の中でしっかりと生計を立てて生活する真一郎を武道は好ましく思っていた。人間はいつまでも子どもではいられないのだ。
こうしてヒーローは人へと戻っていく。
戦いから身を置いて穏やかに暮らしていくハッピーエンド。
それならば奥さんでも見つけて「ふたりは幸せにくらしました」で締めくくれば良いじゃないか、と武道は舌打ちを打つ。そうであれば何もかもを諦めることだってできたかもしれない。
しかし、物語はそう都合よくはいかない。
灯りの無い闇がグパリと口を開く。
武道は明滅する蛍光灯の下で、その闇を見つめるしかなかった。


「……」


ガシャン、とガラスの割れる音がする。灯る灯り、上がる悲鳴。殴打され、力なく曲がる首が窓ガラスに映った。
影絵のように現実味のないソレ。当然だ。これは夢だ。
とびきりの悪夢だ。

・・・

そこで目を覚ます。
ここしばらく毎晩のように視ている悪夢だった。
どうせ視せるのならば不良全盛期のカッコいい真一郎くんを視せてくれればいいのに、この夢のサイコメトリだけはコントロールが効かない。
この夢のせいですっかり早起きになってしまった。
夏の夜の暑さのせいだけではない汗を流すべく武道はシャワーを浴びるために部屋を出て、階下へと向かった。
そうして迎えた武蔵祭り当日。
とうとうこの日が来てしまった。芭流覇羅と東卍が抗争をし、龍宮寺が殺される日だ。
大寿にボコボコにされた顔も少し青あざが残る程度に回復し、武道はフラリと外へと出かける。まだ暗くなる前の祭りの会場は地元のオッサンが昼間っから酒を飲んでおり、小さな子連れの親が帰路につき、若者はまだ少なく、そう賑わってはいない。
現場の下見は大事だ。
龍宮寺が刺されない事が一番大切だが、刺されてしまった時の病院への経路の確保が欲しい。
武蔵神社へと向かう途中で武道は見覚えのある紫髪とバリアートの二人組と出逢った。


「あ」


声を上げたのは武道が先か、八戒の方が先か。
無視をするのもどうかと思い、武道は軽く会釈をして通り過ぎようとした。


「ちょ、ちょっと待てよ!」
「え!? 何!?」


しかし、通り過ぎようとした武道の服を八戒が掴む。


「あの、こないだ……」
「?」


何か言い忘れていたことでもあったのだろうかと武道が小首を傾げると八戒は少しイラついた方に口を開いた。


「兄貴にボコされた時!」
「おおう」
「兄貴に一発入れられたら柚葉を殴らないで、とか言ったじゃん」
「おう」
「ありがと。一発分だけど何か免除された」
「うーん、一発分かぁ」


できれば未来永劫女の子に暴力を振るわないで欲しかったが、等価交換かもしれない。一発分は一発分、と。


「お前は、柚葉を守った。だから、俺も頑張ってみるよ」
「そっか、頑張れ」


その一発分は武道ではなく、八戒が勇気を振り絞って得た一発だと武道は理解している。ただ武道が強くなったご褒美などあの男がくれるわけがない。だからこそ、最初に条件を出した時に大寿は激怒した。それでも最後に怒りを収めたのは八戒の勇気が嬉しかったからだろう。
しかし、あまり語りすぎるのも無粋かもしれないと武道は口を噤む。
それよりも気になる事がった。


「ところで、今日抗争なんだろ? こんなとこで油売ってていいのか?」
「あ、いやソレが無くなってさ」
「え、抗争って無くなるもんなの……?」


今の所、未来視が外れるのは武道自身が何か行動を起こした時だ。しかし、今回は東卍に大きな影響を及ぼしたということは無い。せいぜい、八戒の気持ちを少し動かしたくらいだ。
という事は、あのヴィジョンで視たのは正規の抗争ではなかったという事だ。この後、東卍にとって不測の事態が起こる。


「それがさぁ、抗争の日ィ決めてたのに愛美愛主の奴らがマイキー達が少数の幹部でいるとこに急に攻め込んできて」
「うわ、クズ過ぎる……」
「そ、でまぁ当然マイキーが勝ったんだけど、愛美愛主の総長の長内がドラケン刺そうとして」
「え!?」
「まぁ、ドラケンは無事だったんだけど。ソレにキレたぱーちん、三番隊隊長が長内刺しちゃって」
「えぇ!?」
「そのまま自首して、自首を止めなかったドラケンと自首させたくなかったマイキーで今俺たちは絶賛内部分裂中」
「いったい何やってんの……」


自分が大寿に殴られて回復しているうちに東卍がとんでもないことになっていた、と武道は遠い目をする。以前に助けたカップルもその隊長の知り合いだったというのに、何度助けても東卍は救われないのか、と。特に東卍を救おうとは思っておらず、近所で死人が出るのは嫌だなぁ程度の気持ちではあったが放っておくと碌でもない方向に行くのは面白くない。
ソレを感じ取ったのは紫髪の隊長の方で、八戒が何か言う前に口を開いた。


「お前が助けてくれたカップルの男の方、ぱーちんの親友だけどさ、何か長内とモメてたらしいんだ。あの後も親兄弟吊るされたりしてたみてぇでな。ソレ完全に止めるためには単純に愛美愛主を東卍の傘下にするだけじゃダメだって追い詰められてたんだわ……」
「レイプ防ぐだけじゃ根幹には全然届かないヤツだったのか……」


偶発的な未来視で助かったのは彼女だけだったらしいと武道は少しだけ暗い気持ちになる。女の子が助かったのは良い事だけれども、結局不良ではない親兄弟が酷い目に合ってしまっている。身の周り全ての悲劇を防ぎたいとも、防ぐことができるとも思ってはいないが、一つ救っても他の結果がこれではあまりにも甲斐が無い。
そう考えると、全国を制しほとんどの不良をその傘下に置いたという真一郎は本当に凄い人だったんだなとも思う。


「まぁソレでも、女子が助かったんだから良かったんだよ」
「まぁソレはそうですけども……えっと」


慰められる様に肩を叩かれ、武道は紫髪を見る。そういえば会うのは3回目だけれども名前を聞いていなかった。


「あぁ、俺は三ツ谷隆。東卍じゃあ2番隊の隊長やってる」
「三ツ谷くんですね! 俺は花垣武道。黒龍で親衛隊長のココくん付きで下っ端やってます! よろしくお願いします!」
「あぁ、よろしく」


ニカリと笑いながらされた自己紹介に、その肩書を世間は幹部候補というのではないかと思いつつも三ツ谷は受け流す。此処何度か会った時の言動から、あまり深く考えてはいけないタイプの人間だと思ったからだった。どうせ聞いても考えても何も分からないタイプだ。


「で、話戻すけど、内部分裂って大変だね」
「そう! これもうあわや解散の危機だよ!」


少し大げさな動作で八戒は顔を覆う。
その様子を見ながら武道はあの夢を思い出す。確かに戦っていたのは東卍と愛美愛主だった。その中で倒れ伏す龍宮寺。一般人と勘違いしたのは龍宮寺が特攻服を着ていなかったからだ。
つまり、離反した龍宮寺が愛美愛主に狙われ、ソレに気付いた東卍が駆け付けたが時すでに遅く、弔い合戦という形で抗争になった、という所だろうか。いや、それではだれか救急車呼べよという状況になってしまう。それなら襲われた龍宮寺と駆け付けた東卍と愛美愛主で争っている間に刺され、気付かれなかったか。もしくは内部抗争のままに龍宮寺派VS万次郎派VS愛美愛主という混戦の最中に刺されたのか。
とにもかくにも龍宮寺の危機は去っていないということだ。


「マイキーくんとドラケンくんは今何してるの?」
「うーん、妹のエマちゃんが何とか二人の仲を取り持とうと頑張ってるけど難しいみたい。取り敢えず今日はエマちゃんとドラケンで武蔵祭りに行くって約束してたらしいけど、この状況でどうなったのかは分かんない」


分かりやすくしょぼくれた表情で八戒がそう零す。あんなにも分かりやすく仲間を大事にするという方針で動いていた東卍が、その仲間を原因に内部分裂をしているのだから仕方が無い。


「……二番隊はどういう立ち位置?」
「どっちかってぇとドラケン派。アイツの友情に厚いとこと罪を償う意識は大事にしてぇ」
「他にドラケンくん派はいるの?」
「一番隊ぐらいかなぁ」
「ほとんどはマイキー派だ。ただ、三番隊はアンチマイキーになってきてる」
「あー、隊長さんだもんね」


本人たっての希望だとしても、敬愛する相手が失われるのは我慢ならない。その原因が卑怯者のクズとなればますます納得いかないだろう。
とくに、不良なんてものは世間一般の価値観や同調圧力に逆らってなんぼという生き物だ。自分の正義を貫くことを良しとする中で、それでも相手を殺そうとすることはいけないと言えるのはある程度の理性と周囲への観察眼のある者だけだろう。
黒龍だって、同じようなものだ。同調圧力を嫌う癖に悪さをする時は同じ組織の他の人もやっているという程度の意識だろう。


「気持ちは分かるけど、ソレで内部分裂してたんじゃあの隊長さんも浮かばれないね」
「いやまぁ死んじゃいねぇけど……」
「……」


武道は考える。何故、この状況から龍宮寺が刺されるという結果に至るのか、と。
万次郎が刺されるのであれば、まだ辻褄は合う。追い詰められた少数派が自棄をおこして、という流れで納得ができる。しかし、理性的な者は龍宮寺派、情に流されやすい者は万次郎派というこの状況で万次郎派が多い。わざわざ刺しに来る程の理由が今の所見当たらない、というのが武道の見解だった。
人の性質や派閥の割合が違うならば、話は違っただろう。しかし現状を見るに、内部抗争が原因で龍宮寺が刺されるという流れにはならない気がする。


「あのさ、愛美愛主の中で、特にドラケンくんに恨みがある奴とかっている?」
「あ? 何だよ急に」
「うん、ちょっと気になって」
「うーん……」


八戒と三ツ谷が敵の様子を思い出す様に考える。数日前の事であるが、特に龍宮寺を、という様子は無かった様な気がして頭を振った。


「別に、愛美愛主の中には特にそんな奴いなかったと思うけど」
「うん、やっつけたのもマイキーくんだし、刺されそうになったのもマイキーくんを庇ったからってだけだし」
「そっかぁ……」


愛美愛主の方にも龍宮寺に手を出す理由が無いとなるとますます分からない。流れが不自然過ぎる。これからどういう偶然が起こるのか、もしくは誰かが裏で糸を引いて龍宮寺を殺そうとしているのか。


「……」


誰かが裏で糸を引いている。
何となく思ったソレは思った以上に武道の腑に落ちた。
だっておかしいだろう、と武道の心が叫ぶ。
三番隊隊長の親友は一般人だ。ソレが愛美愛主の総長とモメる? 何があればそんな状況になるのか。そしてどんどん悪い方向へと行き、せっかく武道が親友本人たちを助け、万次郎が総長を倒し、東卍の傘下に下したというのに、何故、長内を殺さないといけないという所まで追い詰められたのか?
あの集会の中で、そこまでの様子は見られなかったと武道は思う。もちろん、もしかしたらあの時点で何か考えていたりしたのかもしれないが、あそこまで愛美愛主を倒すと盛り上がる中で、殺す、という究極の選択になるのはやっぱり何かしっくりこないのだ。
しかし、もしも誰かに唆される様なことがあれば?
完全に、妄想でしかないと武道自身も思う。しかし同時にもしやこれは天啓というヤツなのではないかとも思う。


「もしかしてなんだけど……」
「ん?」
「愛美愛主と当たるにあたって、その3番隊隊長さんに接触した誰かとかいたりする……?」
「いや、分かんねぇけど……なに?」
「誰でもいい。隊長さんと長内が共倒れすることで得する奴がたぶん、いる」
「は?」
「この内部抗争も、恐らく、誰かが仕組んだんだ……!」


急に何を言い出すのかと、急に顔つきの変わった武道を三ツ谷は怪訝そうに見る。東卍でも愛美愛主でも無い、黒龍の自称下っ端。そんな奴が何故そんなことを言い出すのか分からない。


「時間が無い。どうしよう。まずは長内くんと接触しなきゃ……まだ生きてるよね!?」
「生きてっけど、まだ入院中だろ」
「面会謝絶とかじゃなきゃ探せば会えるかな……。でもきっと今日には間に合わない……。どうしよう……。今日、今、すべきことは……」


グルグルと思考が堂々巡りする。
これでは龍宮寺を助けたとしてもまた同じことが繰り返されるだけだ。


「お前、どうかしたのか……?」


武道の尋常ではない様子に三ツ谷は心配そうに声を掛ける。武道は変な奴であるが悪い奴ではないという所が今の印象だった。見ず知らずの女の子を助けることを厭わず、強者におもねることはせず、自分が正しいと思う事に挑み続ける。人から聞く限り武道とはそんな男だった。
盛ってるだろ、と思わないでも無いが先日見たボロボロになって黒龍の幹部に肩を貸されている姿はその評価を信じるのに十分なものだ。
その男が自分たち東卍のナニカに気が付いたというのだから無視はできなかった。


「あの、もしかしたら、なんだ。間違ってるかもしれない」
「おう」
「東卍は誰かに攻撃されてる」
「あ? そんなのいつもの事じゃ……」
「そうじゃない! 普通の抗争じゃないんだ!!」
「……」


混乱のままに声を荒げた武道を三ツ谷は冷静な瞳で見つめた。この男は今、大した縁も無い自分たちのために何かを必死に考えて、伝えようとしている。それだけは確かだと思った。


「分かった。大丈夫だからゆっくり話せ」
「……」


喧嘩をして泣く妹たちからそれぞれの言い分を聞きだす要領で、三ツ谷は武道を落ち着かせる。一連の事件に違和感がない、という事もないのだ。きっとそのことをこの男も気付いて、何かを知っているのだろう。
東卍の仲間でも無いのだから放っておいても良いのだろうに、コイツは良い奴だから無視できずにこんなになっている。その様子を見ると、この男が自分たちの仲間でないのが勿体なくも感じる。
背中をさすり、武道の混乱が落ち着くのを待つ。そうしてゆっくりと紡がれた言葉に耳を傾けた。


「多分、君たちと愛美愛主との抗争は、初めから何もかも全部仕組まれたことだったんだ」
「え……?」


どういうことなの? と驚く八戒に対して三ツ谷はあまり反応を見せずに武道に話の続きを促す。


「長内がそれに気付いているかは分からないけれど、東卍の幹部の親友ってことで、あのカップルは狙われた。あの時は気にしなかったけど、アイツ等“イキがってる東卍の奴のオトモダチのヤキいれてやりたい”って言ってました」
「それは……」
「どの時点で長内と親友さんがモメたのかは分かりませんけど、きっと初めから東卍と愛美愛主を抗争させるために誰かが唆したんです」


もしも、あのカップルをレイプする実行犯が長内総長だったら武道はは今頃病院で意識不明の重体だったかもしれない。喪部川という下っ端が相手だったからあの程度で済んだが、危ない橋を渡っていた。
一歩間違えばそれこそアレは愛美愛主と黒龍の抗争になっていたのかもしれないとゾッとする。


「そして誰かの目論見通り、東卍と愛美愛主の抗争になった。そして、その誰かは長内が勝つとは思ってませんでした。そうならない様に仕組んでいたから」
「パーか」
「はい。俺もあの夜の集会は見てましたが、正直、あのぶっ倒すぞって雰囲気から“殺さなきゃ”って思う事って無いと思うんです。でも、隊長さんが刺したってのなら……」
「ソレも誰かが唆した」
「はい」
「……」


通常の抗争とはあまりにも違う仕組まれた攻撃に3人は言葉を失う。
今ソレに気付けたのは僥倖だろう。気付けなければ、東卍は何をされているのかも分からないまま破滅に向かっていたハズだ。
しかし、誰に攻撃をされているのかはいまだに分かっていないままだ。これからどうしようかと武道が頭を悩ませていると三ツ谷が先に口を開いた。


「タケミっち」
「はい」
「教えてくれてありがとな」


ニッと三ツ谷は力強く、しかし見る者に優しい印象を与える様に笑う。そして深刻な顔をする武道の頭を髪を搔き乱す様に撫でた。


「あぁ、お前はただ気付いちまっただけだ」
「?」
「此処からは俺たちの領分だ。他チームのお前に迷惑かけちまって悪いな」
「そんな、俺はただ……」


誰かを見殺しにしたくなくて、憧れに、好きな人に恥じない自分でいたいだけだ、と。その言葉は声にならなかった。
三ツ谷から感じる怒気に気圧され、ヒクリと頬が引き攣った。
うわ、めちゃくちゃ怒っている。
3番隊の隊長を止めてくれたり、万次郎の所まで案内してくれたり、どちらかと言えば穏やかなタイプの隊長さんなのかと武道は思っていた。しかし、ちゃんと不良だったと思い直す。
今この人に自分の憧れや恋の話などできるワケが無い、というレベルに三ツ谷の怒りは見て取れた。


「おぉう……あの、ハイ、頑張って下さい」


これはアレだ、と武道は察する。
そんなふざけたマネした野郎は自分のこの手でギタギタにしてやる、という強い意志だ。部外者の武道ではなく、東卍である自分が自分達の誇りとプライドのために外敵を滅したいのだ、と。
こうなってしまっては武道の出る幕は無い。
大人しく情報を渡してご自身でカタを付けてもらうしかないだろう。


「あの、八戒は俺がココくんにスカウトされた経緯とか知ってる?」


まぁ知らないだろうと思いつつ、武道は八戒に尋ねる。


「いや、知らねぇけど」
「あー、じゃあイマイチ信用できねぇかもしれねぇけど、多分今日、ドラケンくんに危険が迫ってる」
「は??」


理由は言えないけれども、と言えば当然二人は「はぁ?」と怪訝な顔をする。
確かに、あまりにも具体的過ぎる助言はいっそ武道がその裏で操っている何者なのではないかと思われても不思議ではないものだ。詳しくは言えない。しかし、こればかりはちゃんと伝えなければ龍宮寺の生死に関わってしまう。
真犯人捜しは東卍本人に任せるが、今日この後すぐに起こるであろうトラブルはもう対処する時間が無い。
自分一人で何とかするつもりだったが此処までくれば少しでも龍宮寺の生存率を上げる方が良いだろうと武道は決める。


「お前、何を知ってるんだ?」
「何も。何となく、そんな気がするだけだよ。でも、気を付けてあげてほしい。連絡がつかなくなったら神社の裏手の駐車場を探して」
「……」


信じる信じないは分からない。
東卍が信じるに値する不良なのかも分からない。
それでも、自分の仲間の危機になら熱くなる奴等だということは分かっていた。
万次郎に魅せられた不良ヒーローは今の黒龍よりもよほど武道の理想に近いものだった。
なぜ、真一郎が東卍に殺されたのか。
何度も恐ろしいシーンを見せてくるくせに、夢では遠目に見るだけでどうしてそうなったのかは分からない。
しかし、万次郎と出逢って、何となく、知らないままではいられないのだろうという予感だけはあった。今では無いいつか、自分はソレと出逢うのだろうと。


「俺もドラケンくんには死んでほしくないからさ、今日出会ったのがお前等で良かったわ。俺一人じゃちょっと心許なかったし」
「はー、ワケ分かんねぇ奴だな……」
「ごめんね」


ワケが分からねぇ、大丈夫かコイツ、という表情を三ツ谷は隠さないが、武道も自分の能力を知らない人からしたらそうだろう、と思う。もしかしたら容疑者だと思われるかもしれない。
しかし、そもそもが敵対組織なのだから良いんじゃないかと腹を括る。まだ抗争はしたく無いがもし勢力を広げようとするなら同じ渋谷のチーム同士、当たるのは避けられない。
そんなことよりも、今は目の前の命が大事だった。


「じゃあ俺、行くから」
「……おう」

・・・

二人と別れて、裏の駐車場へと訪れる。いつの間にか日はだいぶ傾いていた。


「思ったよりも遅くなっちゃったなぁ……」


独り言ちて、武道は小さくため息を吐く。
そして、駐車場の手すりに触れ、何が起きるのかを読み取る。夢で見るよりもハッキリと脳裏に映る映像を見る。あの二人に場所を伝えることで、未来は何か変わったのだろうか、と。変わった様ならこの場所から逃げて後はあの二人に任せてしまいたい。


「……」


エマを庇う様に立ち、龍宮寺はその男と相対していた。
黒い特攻服を着ている。
何事かを口論している。
相手は背が高く、ひょろりとした男だ。どこか見覚えがある。


「……」


ヴィジョンとは別の窓が開く様に、別の映像が頭に過る。あの夜に、隊長さんと一緒に殴り掛かろうとしてきた男だ。つまり、元3番隊の副隊長というヤツなのだろう。
それならば男は万次郎派ということになる。隊長を慕い過ぎて凶行に出たということなのだろうか。
考えても仕方が無く、武道はただ続きを読み取る。
龍宮寺が何かに気付き、住宅街の方へとエマを逃がした。
そして副隊長の後ろから白い特攻服が現れる。副隊長は頭に血が登っていてソレに気付けない。龍宮寺は副隊長を無視してそちらに殴り掛かる。
副隊長は一瞬だけ驚き、しかしすぐに態勢を整え愛美愛主と戦いだす。どうやら副隊長が仕組んだことではないらしい。やはりどこかに黒幕がいる。
多勢に無勢であるが、しばらくすると東卍の応援が来る。夢で見た抗争場面だ。
完全に乱闘会場になった駐車場で龍宮寺だけをジッと見つめる。そして、その場面は訪れた。
龍宮寺の下へさりげなく黒い特攻服の男が寄っていく。その手には刃物が握られている。
サクリ、と龍宮寺が刺された。目を見張る龍宮寺は既に疲弊していたのだろう。男に殴り掛かることなく膝から崩れ落ちた。
ソレを見て誰かが悲鳴をあげる、なんてことは無かった。
それぞれがそれぞれの喧嘩に夢中でまるで龍宮寺を気にしていない。忠告をした二人すら、だ。さすがに大幅にボヤかしたアレでは場所くらいしか伝わらなかったのだろう。
龍宮寺の強さを信頼していると言えば聞こえはいいが、此処まで誰も気付かないのは何なんだ。


「ダメだこりゃ」


武道は肩を落とす。
幾重にも張り巡らされた龍宮寺の殺害フラグに、真犯人はどれだけ龍宮寺が恨めしいんだ、とその執念深さに空恐ろしくなる。
どうするべきなのだろうか。
今からけが人もいないのに救急車を呼ぶのは流石に気が引ける。やはり乱闘に紛れて龍宮寺が刺されない様に動くしかないのだろう。
小さくため息を吐いて、武道はさりげなく隠れられる場所を探した。

・・・

ところ変わって黒龍のアジト、九井の執務室にて。

九井一はイライラしていた。武道が佐野万次郎と接触した日から妙にソワソワしている事は気付いていた。
憧れていると公言している佐野真一郎の弟だ。惹かれるものもあるのだろう。
それでも、離反する様な奴ではないとタカを括っていた。
大寿の弟の八戒と仲良くなり、メールアドレスを交換していても、あくまでも自分の所属は黒龍であり、大寿に宣言した通り、11代目就任を狙っている。それが武道の今の立ち位置だ。そこだけは揺らがない。
しかし最近、そんなお気に入りの部下である武道がまた何やらこそこそと面倒事に首を突っ込んでいるらしい。
自分達だけを見ていてくれればいいのに、あの浮気性は目に映る何もかもを助けようとする。自分達が武道の理想ではないと分かっているからこそ、ソレを無理にとめることもできなかった。
それでも、情の深い武道は黒龍から逃げ出そうとはしなかった。理想と、今の自分のできることをしっかりと天秤にかけて共に進める道を模索してくれている。
総長である大寿に自分の気持ちをハッキリと伝えてボコボコにされてしまった際は肝が冷えたが、それも今となっては良い方向へと繋がったと言える。
そんな可愛い部下が、敵対勢力とすら言える別組織の奴のためにその身を削り、心を砕いている。腹立たしいことであった。
イライラとした様子を隠さない九井に乾が文句を言おうかと思案した時、電話の着信メロディが鳴った。ソレは部下からのものであり、よほど緊急でも無い限りはならない類のものだ。
何があったのかとすぐに電話を取り、報告を聞いて瞠目する。


「はぁ!? 花垣が病院に運ばれた!?」


九井の怒声にガタリと乾も反応する。


「あんの馬鹿!!!」
「どこの病院だ!?」
「渋谷!! 東卍の奴庇って刺されたんだと……ッ」


九井の答えを聞いて乾はすぐに無造作に投げられていた自身のバイクの鍵をテーブルから取る。


「行くぞ」
「おう」


・・・


「どういうことか説明してもらおうか、花垣」
「……えぇっとですねぇ」


怒りを露わにした九井が腕を組んで武道を見下ろす。
床に正座をさせられた武道は冷や汗をかきながらその情けない様子を東卍のメンバーに見守れていた。
龍宮寺が襲われた事により、万次郎の怒りが三番隊隊長の自首に関するものから愛美愛主へと移り、そもそもコイツ等がクソみてぇなことしなきゃ捕まらなかったのだと暴れまわった。その鬼神と赤ん坊を足して割らない様な有様に龍宮寺も毒気を抜かれ、状況は東卍VS愛美愛主の残党になる。
そして、この乱闘に乗じ、龍宮寺を刺そうとしたのはやはり、3番隊の隊員達だった。詳しくは知らないが隊長の事以外にも龍宮寺に何か思う所があったらしい。その裏にも絶対誰かいると武道は考えるがソレは恐らく2番隊の二人が何とかするのだろう。
龍宮寺はいつの間にかその隊員達に囲まれる様に喧嘩をしていたらしい。そんな状態では確かに刺されて倒れても誰かが助けるということは無いだろう。武道がそれに気付いたのは龍宮寺を庇って自分が刺されてからだった。
もちろん、身体で受け止める様な馬鹿なことはしない。第一撃目は上手くいなすことが出来た。しかし、まさかその周囲にいる複数名が敵だとは思っていなかった武道は撃目を避けきれずにナイフで手を刺されてしまった。
ソレにキレた龍宮寺がその3番隊隊員達をブチのめし、武道を連れて病院へと向かった……。


「というのが事の次第でございます」
「ほー?」


幸い武道の怪我は大したことは無く、流石に傷跡は残るし縫ったりもしたが後遺症が残るという程でも無かった。腹を刺されて死ぬ代わりの怪我がこの程度で済んだのなら上々だろうと武道は思っているが、そんなことを言った日には九井からのお説教が倍の時間増えるだろうことが予想され黙っていた。
抗争を終え、心配した万次郎たちと少し離れた黒龍のアジトから来た九井達が病院で鉢合わせ、あわや此処で乱闘になるかと言う所で武道たちが処置室から出てきて今に至る。
東卍には黒龍と関係があるとは思われていたが、構成員では無いと思われていたらしい。まさか武闘派で鳴らしている黒龍にこんな弱そうなのがいるとは思っていなかったという事だった。
夜中の緊急外来の出口に集まる不良、その中心で正座させられているチビの男、という如何にもこれからリンチされますという構図であるが、この中心の男がされるのはリンチではなくお説教だ。
無鉄砲に面倒ごとに突っ込むな、と。
やるならもっとうまくやれと懇々とされるソレに東卍の中学生どもは母親というものを思い出す。つまり、その芯にあるものは心配なのだということが読み取れ、お説教が終わるまでは生暖かく見守ろうとアイコンタクトをとる。
基本は敵同士であるが武道という存在を媒介にし、今だけは争わないという空気ができる。
やっと終わった九井のお説教に息を吐いて、ぐったりと乾に寄りかかれば九井よりも素直に心配したのだと怒られた。
あわやこのまま第二ラウンドになるかと身構えた所に龍宮寺が割って入る。


「あの、その怒りはもっともだけどよ、ソイツのお陰で俺はまだ生きてるんで、その辺で勘弁してやってくれねぇかな」
「あ゛?」


今の所、優しさが武道のためにしか発揮されない黒龍幹部二人が武道の怪我の理由の男にメンチを切る。先ほどまではコイツ等は武道の両親か何かなのかと思っていたが、その剣幕に二人が自分達よりも年上の不良だったと思い出す。
しかし、ソレに気圧される龍宮寺でも無いためできるだけ穏便にすますべく、真剣な表情でしっかりと頭を下げる。その姿を見て他の東卍の構成員は目を見張った。


「命を助けられた。本当に感謝している」
「え、いや、そんな……」


自分がしたいようにしただけなのだと武道は思うが、龍宮寺は不義理な男では無かった。


「まさか、お前が黒龍の構成員だとは知らずに連れまわした事。その仲間から叱責される様な事態になったこと、重ねて謝罪する。悪かった」
「そんな!」
「いや、ケジメくらいは付けさせてくれ」


真剣そのものな龍宮寺の目に、思わず武道はたじろぐ。
武道はただ自分がそうありたい自分であるために行動しただけだった。多少は感謝されても良いと思うが他暴走族の副総長に頭を下げさせるほどでは無いと思う。


「俺からも」


まさか出てくとは思わなった総長が頭を下げる。その様に、周りの誰もが驚いた。
この男が頭を下げるところなど、誰も見たことが無かった。


「ケンチン助けてくれてありがとう」
「いや! ホントいいんですって!! 頭上げてください!!」


流石に総長に頭下げさせるのは良くないと武道は慌てる。
しかし、龍宮寺も万次郎もしっかりと頭を下げてから顔を上げ、真剣な面差しで武道を見た。


「三ツ谷から聞いた。ずっとケンチンの事気にしてくれてたって。どうやってこの突発的な抗争が起きることを知ったかは分からねぇけど、お前がいなかったらきっと間に合わなかった」


万次郎の言葉を聞き、九井が武道を睨みつけた。未来視を外に漏らすのは危険だと散々言い聞かせたのにこれか、と。責める様なその視線から逃げる様に武道は万次郎と目を合わせて、その話を聞く。


「しかも結局、お前にケンチンを助けさせちまって、怪我もさせた。悪かった」
「いえ、ホントにいいんですって。気付いていて見殺しにするのは目覚めが悪いって思っただけですし。……何より、弱いままの自分でいたくなかっただけなんです」


恐ろしい未来からただ逃げるだけの自分でいたくない。そういうものに立ち向かう自分になりたい。真一郎の様な、カッコいい不良になりたい。
武道の思いは他人を守りたいというよりは自己実現をしたいというエゴだと自分でも分かっていた。


「パーの親友も、エマも、ケンチンも、お前に助けられた。勝てるかも分かんねぇとこに飛び込んで、ボロボロになって……」


正座を続行する武道の視線に合わせるように万次郎はしゃがみ込んだ。


「タケミっち、やっぱシンイチローに似てるよ」


小声でつぶやかれたソレは武道の耳にだけ届くように言われた様だった。
武道にだけ見える様に少し俯きがちに、他の者からは髪に遮られ見えないその表情は少し泣きそうな顔に見えた。


「え、あの……?」


その顔に何を伝えればいいのか分からずに武道は言葉を失う。
武道のその反応に万次郎は仕方なさそうに笑った。そして立ち上がり、先ほどまでの弱弱しい笑顔とは違う、総長らしいしっかりとした力強い笑顔を周りに見せつける様に笑った。


「お前が黒龍でも何でも良いよ。お前は俺のダチ! そんでダチが仲間助けてくれたから礼を言う。それだけだ。ありがとう、タケミっち!」


その様を見て思う。この唯我独尊を体現する態度こそが万次郎の求められる姿で、そうありたい姿なのだろう。
それでも、一瞬だけ見せてくれた素の万次郎も武道は嫌いでは無かった。
仲間ではない、友達。
ソレが万次郎にとってどんなものなのかは武道には分からなかった。
しかし、きっと悪いものではないのだろうと武道は嬉しく思った。

・・・

そして夢を見る。
ここ数日、何度も、ずっと見ている悪夢だ。
何度も繰り返しみているのだから覚悟はできている。ソレでも心が追いつかない。
楽しそうにバイク屋を営む真一郎の姿の後に、彼の死体を見せられるのだ。
今までは目の前で何をしているのかもよく分からなかったけれど、龍宮寺と知り合ったおかげで何となくどこを整備しているのかも少しだけ分かる様になってきた。
他に客のいない店内をフラフラとするだけの武道を、真一郎はやはり微妙な表情で眺める。過去の再生でしかないサイコメトリで真一郎が武道と会話をしたり、見えている様子を見せるのはきっと自分の願望なのだろう。こんな風に話してみたかった。その瞳に映りたかった。身勝手な願望だと自分でも呆れる。


「あのね、真一郎くん」
「……」


答えは返ってこない。現役不良時代は返してくれた言葉が返ってこないのは自分の想像力の足りなさだろうな、と貧相な脳みそを恨めしく思う。


「こないだね、君の弟さんに会ったよ。顔、そっくりだよね」
「……」
「兄弟揃って総長なんてすごいよね。俺なんてまだまだ下っ端だし、全然弱いんだ。でも、いつか黒龍の11代目を継ぎたいと思ってるんだ。うちの総長には大言壮語だって怒られたんだけどさ」
「……」


ポツリポツリと零す近況報告に意味は無い。亡くなった日の昼であろう光景から変わらないバイクのラインナップに見飽きていたのかもしれない。
言葉は返してくれないけれど、たまに笑い返してくれることがある。困った様に笑って、頭を撫でてくれる。子どもに対するソレだ。
自分の想像力じゃコレが精いっぱいなのだろう。大人の真一郎が中学生の武道に好意を持つイメージが湧かないのだ。
その手に触れてもらえることが嬉しいのに、自分の妄想の産物でしかないのだから虚しくて仕方が無い。
嬉しく思う心を抑えて、外へと出る。
これから、閉店後のこの店で起きる惨劇を間近で見たくなかった。
どうして、何故こうなってしまったのか。だって、あんなにも普通に、ただ日々を生きていたではないか。皆から慕われ、万次郎とだって仲の良い兄弟だったハズだ。
それがどうして、強盗などに殺されるのか。ただの強盗ならいざ知れず、何故、東京卍會の創設メンバーになのか。
万次郎の気持ちはどうなる。と一瞬、武道にだけ見せた表情を思い出し胸が締め付けられう思いがする。
ガラスの割れる音。悲鳴。殴打、曲がる首。
その繰り返しだ。サイコメトリ能力の暴走なのか、誰かが自分に何かをさせようとしているのか。変えられない過去に何をしろと言うのか。
武道は救急車とパトカーのサイレンの音を背にその場を離れた。
こうして適当に歩いていればそのうち目が覚めるというのは経験則だ。


「……」


目が覚めないのはこのまま別の予知夢を見るときだ。
いつの間にか夜が明けていた。
見覚えのある廃車場に柄の悪い男たちが集まっている。
今度は何なんだ、と思いつつ適当な車の上にちょこんと座って事の成り行きを見守れば東卍VS芭流覇羅というカードの抗争らしい。
近所だけれども黒龍とはまだ当たらないらしく少しだけホッとする。
しかし油断はできない。
この流れは誰かが死ぬ時のものだ。と、武道は携帯電話を弄っている不良の背後からそっとその画面を盗み見て日付を確かめる。
10月31日。ハロウィンだ。
こんな日は抗争じゃなくて仮装大会でもしてくれよ、と思わないでも無いが、自分たちは不良だから仕方が無い。
2チームが入場し、中央にレフェリーと思われる別の特攻服を着た男がいる。
ソイツ等が一言二言喋り、芭流覇羅の男がレフェリーを殴る。
ソレが開幕の合図となった。
武道は何が起こるのかと目を皿のようにして全体を観察する。
どちらかと言えば芭流覇羅の方が優勢らしい。やはり数と歳で負ける東卍は隊長格の強さでもっているため下っ端や全体の強さはそこそこ程度という所か。
しかし、総長と副総長の強さは東卍は他の追随を許さないハズだ。そう思い二人を探せばすぐに見つかる。
副総長は相手方の総長と思われる細長い男と、総長は武器を持った複数人に囲まれていた。


「うわ、流石にねぇわ……」


黒龍も比較的ワルなので武器の使用はチームとしては認められているが、武道個人としては好きではない。その上で、勝てないからと複数人で武器を持って囲むという行為はいくらなんでもダサすぎると武道はドン引きした。
正々堂々だけがまかり通る世界ではないと分かっている。一騎当千の将を落とすために万の兵隊を用意するロマンだってあるのだと理解はできる。
しかし、目の前の光景は絵面が酷い。コレで勝ったとしても胸を張ってあの無敵のマイキーを倒したのだと言えるかといえば言えないだろう。
名を上げる手段としては下の下のだ。きっとそういった目的ではないのだろう。


「……」


囲んで、ふら付いた所を捕まえて武器で殴る。何だコレ。これは喧嘩と言えるのか。沸々と湧く怒りと不快感を胸に抱えつつ、武道はその様を見る。
個人的な恨みでもあって殺してやりたいのだろうか。主犯の男をジッと見つめると何か引っかかりを覚える。
コイツ、どこかで見た気がする。
どちらかと言えばイケメンという部類の男だ。真一郎が好きな武道からすると好みの方向性では無いが女子が見ればきっと黙っていない類なのだろうと分かる。
この顔をどこで見たのだろうか、少なくとも喋った事のある知り合いではないハズだと思い返して気付く。
この泣き黒子はここの所ずっと夢に出てきたものだ、と。
遠目にしか見ていない。窓越しにだけ何度か見て、最近は顔も見たく無くて見ないでいた男だ。
真一郎を殺した犯人。
沸々と湧いていた怒りが一瞬にして烈火の事く燃え盛る。真一郎を殺した男が今度は万次郎を殺そうとしている?
そんなことが許せるわけがない。お前は何なのだ、と怒鳴りつけて殴ってやりたい。万次郎から真一郎を奪って、今度は万次郎を害そうとしている。意味が分からない。
そもそも、真一郎を殺したのは東卍の創設メンバーだと聞く。つまりこの男は万次郎の仲間だったはずだ。
どういう心境の変化があれば人間こうなるのだろうか。
もしもこのまま万次郎が殺されるようなことがあれば自分がこの男を殺しにかかるかもしれない。そんなことを考えてしまう程度には武道はこの男に頭に来ていた。
しかし、武道が何かをせずとも万次郎は男を蹴り倒し拘束を脱する。流石無敵のマイキー! と武道がテンションを上げるが次の瞬間には万次郎も気絶してしまう。鉄パイプであれだけ殴られればそうなるだろう。
倒れた万次郎を殺しに芭流覇羅の男たちが殺到する。その様にこれは本当に不良の抗争なのだろうかと武道は嫌悪感でいっぱいになる。虫唾が奔る、唾棄すべき状態だ、と。
しかし、場面は一転して見覚えの無い隊長格が万次郎を守る形になる。先日の抗争の時に見なかった顔であるが誰だろうと武道は訝しむ。
新隊長か何かなのだろうその男を何故か芭流覇羅の特攻服を着た東卍の1番隊隊長が鉄パイプでぶん殴る。こちらはちゃんと見覚えのある顔なのに服が違う。
そして東卍VS一番隊隊長の図になりその直後に一番隊隊長が万次郎を殴っていた男に刺された。


「いや何で!?」


まったくワケが分からない。結果だけ見せられても内容が全く伴わないため混乱しか起きなかった。
状況のよく分からないヴィジョンは何度か見てきたが今回のは酷いと武道は完全に置いてけぼりを食らう。
何が起きているのか全く分からないが、これは一番隊隊長さんを守る流れになるのか? と怪訝な気持ちになっていると、今度は復活した万次郎が男を撲殺してしまった。


「えぇ、嘘だろ……。これ見て一体どうしろってんだよ……」


・・・

最悪な夢だった。
過去、真一郎を殺した男が今度は未来で死ぬという。
助ける必要があるのか、とすら今の武道の精神状態では思ってしまう。東卍の内輪揉めを見せられただけだ。
龍宮寺の様に、話してみればいい奴だということはまずないだろう。あの男は既に人一人殺している。その上で、万次郎を卑劣な手で倒そうとする男なのだ。
死ぬなら勝手に死んでしまえといつもの武道だったら絶対に思わない様な露悪的な思考が胸に燻る。
それでも、武道はこの悪夢を無視できなかった。
これではきっと万次郎の心が持たない。
あの二人はきっと友達だったのだろう。何故、強盗に入ってしまったのかは分からない。しかし、ソレが無ければきっと友達のままだったに違いない。
万次郎は仲間想いの男だ。長内を殺そうとした三番隊隊長だって守ろうとした。
そんな万次郎が兄と、仲間を天秤に掛けられるはずがないのだ。
自分を兄の様だと言った万次郎の表情を、武道はしっかりと覚えている。万次郎は兄の事を愛していた。
そんな仲間が、大切な兄を殺した。
許すことも、恨むこともできずに呑み込んで、気丈に振る舞うしかなかったのだろう。真一郎の死はたった2年前の出来事であり、未だに乗り越えることなどできていない様に見えた。
そんな中で、兄を殺したかつての仲間が自分を殺しにくるなど万次郎にとって悪夢以外の何でもハズだと武道にも分かる。しかし、最悪なことにこれは悪夢などではなくこれから起こる現実だった。
そして、何より、こんなことで万次郎が人殺しになるのが武道には耐えられなかった。
弔い合戦の様なソレをきっと真一郎は望まない。真一郎なら止めるに決まっている。


「……ふぅ」


深く息を吐く。決戦の日まであまり時間は多くなかった。
まず武道は八戒に連絡を取る。万次郎や龍宮寺とも連絡先は交換していたがさすがにそこにダイレクトアタックする勇気は無かった。
メールをすればすぐに返信が来て状況を把握する。
既に1番隊の隊長は離反しており、3番隊に新しい隊長が就任しているということだった。
詳しい話を聞きたいと言えば向こうからも話したいことがあると返され、会うことになる。今日は大寿がいないから、と自宅へ来てほしいと言われすぐに武道は柴家へと向かった。
予想だにしていなかった豪邸にビビりつつ、中へと招かれるとリビングには既に先客がいた。2番隊隊長の三ツ谷だった。


「あ、こんにちはー。こないだぶりです」
「おう、こないだはドラケン助けてくれてありがとよ」
「いえいえー」


軽く挨拶を交わしてテーブルを挟んで本題へ入る。


「あの、単刀直入に聞きます。次の芭流覇羅戦って、例の黒幕に何か関係してるんですか?」


八戒だけでなく三ツ谷がいるという事は、これは前回の続きなのかと聞けば三ツ谷は神妙な顔で頷いた。


「恐らくな」
「やっぱり……」


東卍を狙った一連の策謀は一般人をも巻き込んだ最悪のものだ。今回は特に、辛い過去を抉られる万次郎が悲しすぎる。
武道は顔を顰め、項垂れる。どうしてこんな酷い事が出来るのか。いったい東卍に何の恨みがあるのか。


「でだ、お前はどこまで知ってる?」
「正直、ほとんど何も分かってないっスよ。ただ、マイキーくんに危機が迫ってるってことだけ」
「……」


ジッと三ツ谷が武道の顔を見つめる。凄んだり、尋問する様な表情ではない。
しかし、どこまでも真剣で、嘘を許さない表情だった。


「場地……一番隊隊長が離反した。そんで、次の抗争相手、芭流覇羅に寝返った」
「……」
「その直前に、3番隊隊長に稀咲って男が就任した。この前の抗争で吸収した愛美愛主のまとめ役をしていた男だ」


夢の内容を思い出す。恐らく、万次郎を守ったあの男なのだろう。


「ソイツはパーのネンショ―行きを回避できるかもしれないと言って、代わりに隊長の座を手に入れた」
「は!? そんなの出来るの!?」
「分かんねぇ。だが、マイキーはソレを受け入れちまった」
「……」


どうして、とは言えなかった。それだけ万次郎は仲間の事を思っているのだと武道にも理解できた。


「場地が離反して、妙な奴が東卍に入った……。お前はコレをどう見る?」
「……マイキーくんを孤立させようとしてる?」


最初に狙われたのが3番隊、そして副総長が狙われ、今回は1番隊なのではないか、と武道の知る点々とした情報が一本の線へと繋がっていく。東卍が攻撃されている、万次郎が狙われている、そう思っていた。しかし、ソレは表面的なものだったのではないか武道は気付く。
もしもその稀咲という男の狙いが、東卍での地位を得ることであったのなら、夢で見た光景は全てその男が仕組んだと考えた方がしっくりくる。
稀咲という男は、万次郎を孤立させ、自分だけを信頼する様に仕向けているのではないのだろうか、と。


「あぁ、俺もそう思う。だから、この流れで行けば次に狙われるのは俺だ」
「え!? 何で……!?」
「マイキー、パー、ドラケン、場地、俺そしてもう一人の6人で作ったのが東卍ってチームだ」
「そうなんですか? っていうかその6人目って……」
「羽宮一虎。今は芭流覇羅ってチームにいる」
「何で……」
「詳しくは俺も知らねぇ。だが、2年前、アイツと場地がとある事件を起こしてな。アイツだけネンショ―に入ってたのが最近出てきたんだ」
「ッ!」


真一郎の殺害事件だ、と武道は気付く。
東卍の創設メンバーが真一郎を殺したとは聞いていた。そして何度も夢に見た光景だった。
あの男と、もう一人の顔は見えなかったがそのもう一人が場地なのだとも気付く。真一郎を殺害した二人が今になってまた敵に回ったという状況だ。
しかし、稀咲という男が万次郎を嵌めようとしているのなら話は変わる。
夢の中で、場地が狙っていたのは確かに稀咲だった。創設メンバーを陥れようとする稀咲への対抗策としてアチラについた可能性が高い。
あの夢の中の奇怪な状況がようやく紐解けていく。分からないのは、羽宮という男が何をしたいのかだ。
真一郎を殺し、万次郎に逆ギレしている、という所までは何となく分かる。しかし、何故あの状況で場地を殺しにかかったのかが分からない。二人は共犯だったはずだ。


「場地は羽宮だけ捕まった事に罪悪感があったんだろうな。今までそんな素振り見せなかったくせに……」
「場地くんとその羽宮くんが仲良しで、羽宮くんが芭流覇羅にいたから丁度良くそっちに渡って稀咲くんを何とかしようとしている??」


なんだかそれも出来過ぎていて妙に感じる。龍宮寺の殺害計画の用意周到さを考えると絶対に偶然では無いだろうという確信さえあった。


「羽宮くんが芭流覇羅に入った時点でその稀咲くんの手の内なんじゃ……」
「あぁ、俺もそう思う」
「うわぁ……」


つまり、愛美愛主を捨て駒に東卍へ加入し、芭流覇羅を裏から操り、自分の地位を確立させるための八百長を仕組んだという事になる。恐らく3番隊隊長を取り戻すというのはブラフなのだろう。此処を乗り越えれば有耶無耶にできる、と。
あぁ、だからか。と武道は気付く。
初めから稀咲と羽宮が繋がっていたから、場地が稀咲を攻撃したのを引き金に羽宮は場地を刺したのか、と。恐らくそこも稀咲の織り込み済みなのだろう。
自分を疑う場地と、全てを知る羽宮を同時に始末する算段だ。
なんて狡猾なのだろうと怖気がする。
そして現状、場地という男が万次郎を守ろうとしている事を知っているのは自分だけだ。
他の東卍メンバーも、羽宮も、場地が完全に離反したと思っている。このままではあの夢の通りの展開にしかならない。
せっかく、前回の事で三ツ谷が稀咲という男の恐ろしさに気付いていても、あと一歩が足りない。
それをどう伝えればいいのか分からずに武道が口ごもると、三ツ谷はニッコリと笑った。


「さてタケミっち、ここまでの答え合わせは何点だ?」
「へ?」
「お前がどういう目的で何を知っているのかは分からねぇ。だが、確かに俺達より何かを知ってるだろ。そんで、しかも、アッチ側じゃなくマイキーを助けたいと思っている。違うか?」
「……違わない、です」


急に追い詰められ、武道は口ごもる。
サイコメトリの事は秘密にしなければいけないし、予知夢を見るだなんてファンタジーを説明する気にはなれない。
そんな心情をを何となく分かっているのか、三ツ谷は武道に理由は聞かずに結果だけを尋ねる。ありがたい事だった。このまま必要なことだけを伝えたいと武道は三ツ谷の言葉を待つ。


「東卍側で稀咲の暗躍に気付いてるのはお前に教えられた俺達と、何故かは知らねぇが一番隊副隊長の松野だけだ」
「あの、ソレはたぶん場地くんが稀咲くんの暗躍に気付いたからです」
「……」
「場地くんは、何でかは俺も知らないけど、稀咲くんの暗躍によるマイキーくんの危機、ソレに羽宮くんが利用されてるのに気づいて向こうに行ったんだと思います」
「アイツが心から離反したワケじゃねぇ、と?」
「はい。羽宮くんはマイキーくんをどうこうしようって思ってるかもしれないけど、きっと場地くんは二人とも助けたいと思ってるハズです」
「なるほどな……」


夢で見た場地の行動から武道が想像した内容だ。しかし、場地を助ける様に三ツ谷を促すためにはこう言う他無いだろうと武道は確証の無い言葉を紡ぐ。
ソレを聞いて三ツ谷は深く頷いた。


「次に殺されるのは場地か」
「え!?」


何でソレを? と武道が驚くと三ツ谷は少し困った様に笑う。


「流石に気付くよ。お前、いつも誰かを守ろうと動いてんじゃん。お前から八戒に連絡があった時点で誰かが死ぬのは察してた」
「あー……」
「場地が離反して俺が殺される、って当たりのシナリオを予想してたけど、まだ俺の順番じゃなかったか」
「あぅ、ハイ、あの……今の所、三ツ谷くんは特には…」
少し照れたように笑い、三ツ谷は俯く。そして深くため息を吐いた。
「はー……。場地はすげぇな。俺がお前からヒントもらってやっとだってのに一人で全部守ろうとしてんだ……」


留年馬鹿の癖に、と小声で呟かれた言葉は聞こえなかったフリをした。まさか同学年なのだろうかとは恐ろしくて武道には聞けなかった。


「ま、当日どれだけ動けるかは分かんねぇけど、やるしかねぇか」
「あの、頑張ってください」
「……おう」


月並みなことしか言えないが、ソレが本心だった。
当日、現場にいようと思うが、直接は手を出すことはできない。ギャラリーまでいるのだ。人命を優先させてくれるとは思えない。
レフェリー役が最初に殴られているため、細かいことは誰も気にしないかもしれないが、逆に好き勝手やるには個人の力が必要だろう。誰かが刺されたとして、助けに辿り着けるかは分からない。あの乱闘会場でどこまで自分が動ける、という自信はいまだ武道には無かった。
こんな時、真一郎ならどうするのだろうか。
伝説の総長ならもっとスマートに解決することだってできるのだろうか、と悲しくなる。


「……」


万が一にも大寿たちと鉢合わせない様にと先に柴家を後にした三ツ谷を八戒が見送ると言ってから15分が経とうとしていた。
これは何かあったか、忘れられたな、と思いつつ武道はリビングのソファから動けない。勝手に帰るのもなんだか憚られてどうしようかと途方に暮れる。
仕方なくそのままちょこんとソファに座っていると背後のドアが開く音がした。


「八戒遅いじゃん。どこまで見送り行って……ア」
「……」


振り向いて文句の一つでも言ってやろうと口を開き後悔する。


「お邪魔しておりまぁす……」


その猛禽類の様に鋭い金色の目を見て、武道は声が小さくなる。入ってきたのは八戒ではなく大寿だった。
今日はいないって言ってた癖に!


「お前、こんな所で何してる」
「メル友の八戒くんのご自宅で遊んでおりましたが放置されておりますぅ……」
「あの馬鹿……」


肩をすぼめ、いかにも萎縮しておりますと全身で表現する武道に大寿は呆れる。
ここまで大袈裟に小者っぽさをアピールしなくてもいいだろうに、と。先日の殴り合いでその耐久力と気力は大寿も認める所となった。並の部下よりも目を掛けてやっているのに武道からはそうは思われていないらしい。
なによりも、この男が目の前で頑張る事によって周りが触発されるという影響力もチーム戦である暴走族にとっては都合の良い能力だ。基本は本人の強さだけを指標とするが、母親が亡くなってからずっと大寿を恐れて逃げてきた八戒までもが触発されたのを見て、その影響力の威力を体感した。
その憎からず思っている部下が自分の弟の無邪気な適当さに蔑ろにされ、自宅のリビングで縮こまっている。色々な意味で溜息を吐きたくなった。


「愚弟がすまないな」
「いえ、そんなことは……ひぇ」


敢えて武道の座る同じソファにドカリと腰を下ろし、その蒼褪めた顔を見る。所属する暴走族の総長と同席したというだけではない表情だった。


「お前、酷い顔してんな」
「いえ、そんな……」


薄っすらと目の下にできたクマをなぞれば武道は困った様に笑う。目算であるが、せっかくついたウェイトも少し落ちている様だ。
武道の持つ特殊能力とソレに伴う心身の変化については聞き及んでいる事だった。
未来や過去を見通す特殊な目。
ただの少年だった武道に、この目は未来の悲劇を伝える。神はこの凡庸な少年に何故その様な試練を与えるのか。視る事しかできないのであればその能力に意味は無い。九井の様なズル賢い男に利用されるだけだろう。
しかし、武道はただ使い潰されることは無かった。そうありたい自分をしっかりと見つけ、今や周囲を巻き込み、自分の足で歩いている。
その影響力は未来視などよりもよほど得難い能力だった。
武道の見つけた自身の進む道は険しいものだった。
誰にでも分け隔てなく手を伸ばし、弱きを助け強きを挫く。ヒーローという道を選んでしまったのはその能力を持ってしまった故か、武道自身の心に依るものなのか。
ベツレヘムの星の下に生まれた救世主の様に、この男の最期はこの男が助けようとした民衆に殺されるのかもしれない。大寿は武道の行く先をその様に予感した。


「お前は誰だ? 憧れた男みてぇになりてぇのは分かった。だが、お前はお前だろう」
「え……?」


そんなことになるくらいならば、もっと早くに手折ってしまった方がよほどマシだろうか。大寿の掌で簡単に掴んでしまえるその首を眺め、そんなことを考えてしまう。


「11代目を目指すんじゃ無かったのか? 初代の再興の前に、お前が目指すべきものは何だ?」
「大寿、くん……?」


気の多い男だと九井が嘆いていたのがよく分かる。慈悲深いと言えば聞こえが良いかもしれないが、慈悲を掛ける相手を選び、自身の出来る事できない事を選別しなければただの愚か者だ。
人は誰でも間違いを犯す。しかし、一度の間違いが命取りの場合もある。
今までは偶然死ななかった様なものだと、つい先日も刃物で刺され、病院に運ばれたらしい男を見る。


「お前はまず生き残って、俺に挑むのだろう? 何を悩み、何を燻っている」
「俺は……」


仔猫でも可愛がるように頬に触れられ、そういえば此処数日で少しやつれたと思い出す。それこそ、そう顔を合わせるワケでも無い総長に気を遣われるほどだ。


「俺はどうしてこの力を持ったのか分かりません。見せられる凄惨な光景を防げと言われているのか、この渦中で死ぬのが運命なのかも」
「……」
「何をしたらいいのかも分からないんです。でも、辛い思いをしてるマイキーくんを放っておきたくないんです。自分が力不足だってわかってるんです。俺に守られるような人じゃない。それでも、マイキーくんの辛い気持ちも哀しい未来も、俺だけが見えてるんです」


きっと、万次郎を助けたいと言う気持ちは既に亡くなっている真一郎を惜しむ気持ちでもあるのだろうとも思う。好きな男によく似た顔の男だ。多少の下心もあるだろう。
出会ったのは偶然だった。しかし、そこから話をして、友達になった。友達が辛い思いをしているのに、無視をする自分ではいたくないのだと武道は思う。
その表情を見て大寿は薄く笑う。


「あぁ、そうだ。お前だけが知っていること、分かっていること、持っているものがある。だから九井もお前を拾ったし、乾もお前に肩入れしている」
「え……?」
「よく考えろ。お前にだけ、できるやり方があるハズだ」
「俺にだけ……」


真一郎の真似事ではない、武道として今できる事は何なのか。
噂程度にしか知らない初代のことなど大寿はほとんど気にしていなかった。今まで、自分が一番強く、正しかった。9代で途絶えた黒龍を復活させたのは九井の手腕もあるが自分という広告塔がいたからだと自負している。
故に、大寿は武道を誰かと重ねなかった。
花垣武道とは、サイコメトリという超常的な能力を持ち、ソレが翳むほどの能力として他人への影響力を持った中学生だ。何故、人がこの少年からこんなにも影響を受けるのかは大寿には分からない。しかも、本人にそのつもりはないらしい。
喧嘩はまだまだ強く無いが、これから強くなろうとする向上心がある。
総括として、自分はどちらかと言えば他人に興味が無いタイプであると自負する大寿からすら関心を得ている。
こんな男は他にいない。
この男を他の誰かと重ね、代用品として扱う方が間違っていると大寿は思う。


「お前は黒龍の一員だ。その能力を買われ、親衛隊長である九井の直属の部下として目を掛けられ、総長である俺と今、同じソファに座り話をしている」
「……」
「東卍の隊長格の親友を助け、総長の妹を助け、副総長を守った。敵対チームだというのに総長の友人ですらある」
「……はい」
「他にこんな男がいるか?」
「いえ……」
「お前は気が付いていないかもしれないが、お前が持つカードは多い。他の有象無象なんぞ相手にならんくらいな」


淡々と事実だけを述べて、大寿は武道の目を見る。
黒い瞳が何かを考える様に泳ぎ、伏せられた。深く息を吐いて、そして開かれる。その目はもう憧れを夢見るだけのものではなくなっていた。


「大寿くん、ありがとう」
「おう」
「俺、行かなきゃいけないとこができたから、お暇します」
「あぁ、八戒は殴っとく」
「俺は気にしてないのでデコピンですましてあげてください」

・・・

柴家を出て、武道はすぐに万次郎へと連絡を入れた。
会って、二人で話がしたい、と。
意外にもソレはすぐに聞き入れられ、武道は今度は佐野家へと招き入れられる。柴家とはまた違う方向性であるが立派な日本家屋に怖気づきかけるがインターフォンを鳴らせばエマが迎え入れてくれて、万次郎は離れの自室にいると教えてくれた。
ドアをノックし、万次郎の年齢を考えればあまりにも大人っぽい殺風景な部屋へと入るとソファで万次郎が待ち構えていた。


「よぉ」
「突然訪ねてしまってすみません」
「いいよ、今日はたまたま暇だったし」


ヘラリと笑って、万次郎は武道を同じくソファへと座らせる。


「んー? 何か顔つき変わった?」
「え!? そうですか!?」
「何となく、そう思っただけ。で、なんか話があんだろ?」


あくまでも優しく万次郎は武道に話を促してくれる。
元々子どもっぽい性格の万次郎であるが、こうして武道には年上の顔を見せることがあった。面倒見が良いとはけして言えない男なのに、身内にだけ極たまに発揮されるその優しさが武道は嫌いじゃなかった。


「はい、あの、俺、マイキーくんに話したいことがあるんです」
「何?」
「もしかしたら嘘付きだって思われるかもしれません。でも、友達として、俺アンタに絶対に嘘はつきませんから……!」
「フフ、変なタケミっち」


武道が一方的に話す内容に万次郎が少しだけ困った様に穏やかに笑う。それが既にだいぶ参ってしまっている様に感じられて、万次郎の心を慮ると武道はやるせない気持ちになった。


「今度、芭流覇羅と戦うことになったって聞きました」
「……うん」
「場地くんが離反して、向こうについて、代わりに愛美愛主の稀咲って奴を3番隊の隊長に就任させたってのも」
「うちの内部情報筒抜けじゃん。ケンチンが喋ったの?」
「いえ、三ツ谷くんです」
「へぇ」


いつの間に仲良くなったのかと万次郎は小首を傾げるが武道相手なら仕方が無いと納得する。武道は東卍の恩人だ。たとえ所属が悪名高い黒龍でも、その性格からマズい事にはならないと分かり切っている。
タケミっちは誑しだなぁ、とクスクス笑う万次郎は穏やかで、その穏やかさは疲弊の裏返しなのが武道にも分かった。自分と話をすることで辛い気分を紛らわしているのだろうとも。
それなのに自分がこの話題を持ってきてしまって申し訳なく思う。しかし、武道は部外者でいたくはなかった。


「俺と三ツ谷くんは愛美愛主との抗争から、次の芭流覇羅との抗争までの全ての裏に、稀咲くんがいるんじゃないかと睨んでいます」
「は?」


まだ調査中でだろう三ツ谷の名前を出してしまった事を少しだけ申し訳なく思うが、大寿に言われた武道が出来る事をするために必要な事だった。


「そして、場地くんも恐らく稀咲くんの暗躍に気付いて、羽宮くんが危ないと思って離反したんだと思います」
「……」


場地の名前に万次郎は露骨に眉間に皺を寄せた。怒りではなく、ソレが悲しみの表情に見えて武道は心が苦しくなる。


「その話の根拠は?」
「ありません。ただ、このままだと場地くんは稀咲くんに嵌められて羽宮くんに殺されます」
「は?」


流石に、その発言にはイラっときた様で万次郎は武道を睨みつける。根拠もなく、自分の判断を原因に仲間が死ぬと言われれば怒りもするだろうと武道も思う。
申し訳なさを感じつつも武道は覚悟を決める。


「……すみません、手を借ります」
「……」


万次郎の手を取れば冷えていて、緊張状態とまでは言わずとも、あまり具合が良いとは言えない隊長なのだろうと分かる。その手を両手で包み、武道は眼を開く。
万次郎は何も言わずに武道のその動作を見ていた。


「場地くんとマイキーくんは幼馴染ですね。この屋敷の庭で走り回ってよく遊んでいた」
「……」
「あぁ、あともう一人男の子の幼馴染がいます。睫毛めっちゃ長いですね、俺の知らない人です」
「……うん」
「女の子が二人。一人はエマちゃん、もう一人は……この子も俺の知らない子です。何となく、もう一人の幼馴染の妹さん辺りかな」
「そうだよ。よく分かったね」
ゆっくり眼を閉じて、武道は万次郎を見る。万次郎はやはり少し微妙そうな表情で武道を見ていた。
「コレが俺の秘密です」
「うん」
「マイキーくんだから教えました」
「……うん」
「コレは、過去だけじゃなくて、未来も視せます。親友さんカップルも、ドラケンくんも、この眼で視てきました」


気持ち悪いと思われたかもしれない。勝手に人の過去や未来を覗き見るなんてと怒られたって仕方が無いと武道も思う。


「場地くんも、視えました」
「……」
「どうか、信じてもらえませんか」


手を握ったまま、武道は万次郎に懇願する。
どうか、今だけは信じてほしいのだと。
真っ直ぐに、黒い瞳が万次郎を射貫く。万次郎のそれとは違う、キラキラと輝く黒は複雑な色が混ざって黒に見えるだけのものだ。
同じ目の色だと思っていたのに、自分と武道では随分と違うのだな、と万次郎は場違いなことを考える。いつの間にかその手は冷えてはなくなっていた。


「いいよ。信じてあげる」
「ありがとう……。マイキーくん」


そうして武道は万次郎から場地と羽宮の話を聞いた。
東卍の創設理由に先代の黒龍が関わっていた時には思わずその場で土下座してしまった。武道のせいではないと万次郎は笑ったが過去の黒龍も背負いたかった。
二人が万次郎を喜ばそうとして、兄の店に強盗に入ってしまった事。
真一郎は首を折られて即死だった事。
羽宮だけ少年院に入った事、幼馴染の場地は許しても、未だに羽宮の事が許せない事。
出所した羽宮がいまだ更生していない事への不満。そんな羽宮を守ろうとする場地への不満。羽宮よりも自分を選んで欲しかった事。
それでも場地に戻ってきてほしいと思っている事。
万次郎は泣かなかったが、その悲しみを感じ取れない程武道は鈍感では無かった。
話をする間、ただ手を握り、ただ頷く。武道に万次郎のために泣く資格はない。出来るのはいつか万次郎が泣けるようになる日まで傍にいる事くらいだろう。
それが武道の万次郎の友達としてのスタンスだった。


「今から変な事言うんだけどさぁ」
「お前、シンイチローに会った事ある?」
「え?」


急な話題の転換に武道は驚く。夢で見たことを会うと表現するなら何度も会ったと言えるだろう。
しかし、ソレは所詮、読み取った記憶を映像で見ているだけに過ぎない。ソレを会った事がる、とは流石に言い難かった。


「うーん、ぜってぇ違うんだけどさ、昔シンイチローに聞いた幽霊の話思いだして」
「ひぇ、幽霊?? やめてくださいよ。俺オバケ苦手なんスから」
「怖い話じゃねぇんだ。昔、シンイチローが幽霊に憑りつかれたって話」
「いやめっちゃ怖いじゃないですか!!」


武道の狼狽を無視して万次郎は話を続ける。優しくしてくれたかと思えば基本は唯我独尊男なのだと少しだけ武道は拗ねるが万次郎には勝てないので口を噤む。


「で、その幽霊なんだけど、まぁちょうどお前とか俺くらいの年頃らしくてさ、金髪にたまに青く光る目ェ持ってんだって。」
「……」
「最初は遠目にシンイチローの事眺めてたんだけど、時々傍に寄ってくるようになってさ。人がいない時ならお喋りもしたんだって」
「……」
「それってもうフツーに生きてる家出少年じゃね? って思うじゃん。でもさ、おかしなことにその幽霊、歳とらねぇんだって」


何となく、身に覚えが無いことも無い話だった。
しかし、ソレが自分のことだとは思いづらい。自分の能力はサイコメトリであり過去改変では無いハズだ。超能力の事は詳しく無いが、そんなことが出来るのなら武道は小学校の頃の黒歴史などを全てもみ消すだろう。


「まだ発足したての頃から、解散してバイク屋やるまで、ずっとチビのまんま。悪い奴じゃないしウロチョロしてんのが可愛いって思ってるけど、成仏できねぇでこの世にいるなら可哀相だって」
「……」
「金髪に、たまに青く光る目。お前以外にいると思う?」


身に覚えしかない。何よりも、初代黒龍を視る時のヴィジョンにそんなものが映りこんだことは無かった。
もしかしたら俺が見ている夢は誰かが見た記憶ヴィジョンでしかないのかもしれない。と武道は自分の能力をもう一度再確認していこうと心に決める。
思いのたけを話し尽くし、万次郎は少しだけスッキリした表情になっていた。


「さて、こんな話しても別に場地が帰ってくるワケでもねぇし問題が解決するワケでもねぇんだよなぁ。どうすっか」
「あ、それなんですけども、俺に一つだけ案がありまして……」


ちょっと三ツ谷くん達とうちの上層部の人たちここに呼んでもいいですか。


・・・


もう何度見たかも分からない商店街の光景に武道は溜息を吐く。
万次郎たちとハロウィンの作戦を立ててから、物の記憶を読み取ったり、人の記憶を読み取ったりしてこの力がサイコメトリなのか、本当に予知なのかを検証していったが結局何一つ分からなかった。
超能力者の知り合いなどおらず、インターネットや雑誌で調べた情報はどれも胡散臭かった。
分からないという事が分かってどうなる、と呆れたが参考文献や師匠が簡単に見つかっても困るだろう。
仕方が無いと武道はいつものように店内へと入り勝手にバイクを眺める。


「……」


何か違和感があり、周りを観察する。そしてカレンダーを見て気付く。今日は真一郎が殺される日ではない、と。
いつもなら無言でバイクを整備している真一郎が今日はカウンターの中でタバコをふかしながら雑誌を眺めていた。
まぁそんな日もあるだろうと、久々に見た平和なバイク屋に少しだけ嬉しくなる。想い人が死ぬ瞬間など何度も見たいものではない。
来客用のソファに勝手に座り、武道もテーブルに置いてあった雑誌を勝手に読む。自分もいつか、高校生になったら、免許を取ってバイクに乗りたいと思う。そのためにはバイトをするのも良いかもしれないし、九井から斡旋される仕事をやっていればそこら辺のバイトよりもよほど儲かるだろうかと甘えたことも考えてみる。
いつか、やってみたいことがたくさんある。
バイクも乗りたいし、整備もしてみたい。進学したらバイトもしてみたいし、生きている人に恋をしてみたいとも思う。
そのどれもがきっとそう難しい事ではないことだった。
それでもまず、目前に迫るハロウィンを無事に乗り越えなければ叶わないものだ。


「あのさ、俺。これから死にに行くかもしれねぇんだ」


大人になった真一郎から返事が来たことは無い。それでも、独り言の様に武道は続ける。


「今度でっかい抗争があってさ、人が死ぬかもしれないとんでもないやつ。……怖くて仕方が無いんだ。でも、やらなきゃいけねぇんだ」


カップルを助けた時も、龍宮寺を助けた時も、一歩間違えば殺されていたかもしれない。しかし、こんな規模が大きい喧嘩ではなかったのだ。
そして何より、張り巡らされた相手の悪意に気付いていなかった。


「アンタが生きてたらっていつも思うよ」


雑誌に視線だけ落としながらも、武道の目はもう記事など映してはいなかった。
ただ、真一郎を見るのが怖くて、視線を上げられないだけだった。


「アンタを殺した男たちを、俺は今から助けに行く。自分でも馬鹿みてぇだって思う。強盗したんだって、マイキーくんの誕生日プレゼントにアンタが用意してたバブをあげたかったんだって」


武道の言葉が聞こえているのかも、分からない。

 

「ホント、馬鹿。アンタ首を折られて即死だったって」


聞こえていたら良いと思う。
コレは呪いの言葉だ。


「正直ね、アンタが生き返るならアイツ等が死んだって俺は良いと思う」


死んでほしくなかった。


「アンタを殺して年少入ったってんのに、出てきた今はマイキーくんのこと逆恨みして殺そうとしてんだって。マジで救えねぇクズだよね」


変えられない過去に吐き出す恨み言だ。


「アンタを殺したくせに……」


過去は変えられない。そして、他人も変えられない。


「更生もしねぇで、何のために生きてんだよそのクズども、って思う」


真一郎の死は変えられない。
無力な自分への呪いの言葉であり、自分に見せ続けられる変えられない過去への恨みだ。
呪いを吐き出して、武道は一息つく。


「でもさ、ソイツ等が死んだらマイキーくん悲しいんだって」


過去を呪うしかできなくても、未来はやってくる。


「ホント、救えねぇよな。今度のおっきな抗争で、アンタを殺したソイツ等が死ぬのが視えた。正直、死んじまえよ、って思った」


真一郎を殺して、生きてても死んでも万次郎を悲しませる。
碌でも無い奴等だ。


「でもさ、見殺しにしたら、俺は、俺の思う、アンタみてぇなカッコいい不良には永遠になれねぇんだよな。しかも他のチーム同士の抗争に茶々なんか入れたらどんな目に合うか分かんねぇ。審判のチームに袋叩きにされるかもしれねぇし」


東卍のために此処までやってやるのは馬鹿だとも思う。自分だけじゃなく、他の人まで巻き込んでいったい何をやっているのか。


「でも、俺、アイツ等守りに行くよ」


しかし、もう全ては始まってしまっている。
万次郎をこれ以上悲しませないために、武道はもう引けないのだ。


「それにさ、どんなクズだって、見殺しにする様な奴は俺じゃねぇよ」


困った様に武道は雑誌を眺めたまま笑う。誰に向けたワケでもない笑顔は自身を奮い立たせるためのものだ。
こうして真一郎へと声を掛けるのもまた同じ理由であり、例え聞かれていないとしても誓ったのだと、約束したのだと自分に言い聞かせることができる。
そう思っていると急に影が差した。


「え?」


武道の座るソファの背後にいつのまにか真一郎が立っていた。
驚く武道に真一郎は困った様に笑う。


『好きにしな。お前は、お前だ』
「え」
『コレ、死なねぇおまじない」


そして、頬に手を添えられ唇を重ねられた。


『頑張れよ』




・・・


そしてハロウィン当日。武道は黒い特効服を着て廃車場へと赴く。万次郎と三ツ谷と相談した様に、二番隊に紛れる形になった。
これは黒龍の傭兵産業の一環、という体になっている。相手は武器を使ってくるような奴であり、仕切りの男はまず最初にノされるため多少の無茶はきくだろうという予想だ。
その形に落ち着いたのは総長である万次郎と大寿そして二番隊と黒龍の幹部陣の会議の結果であり、どのくらいの金額が動いたのかなどは武道の知るところでは無かった。
今回のミッションは、場地の殺害回避であり、うまく行けば稀咲の悪行の証拠をこの東京中の不良が集うこの場で掴み、暴露することだ。
今のところ、稀咲に疑いをかけていることをバレているのは一番隊のみである。更に用心に用心を重ね、東卍側で作戦を知っているのは二番隊のみとなっている。


「誰だ、テメェ」
「あー、新しい一番隊隊長候補です」
「はぁ!?」


用意されていた台詞を口にする武道にまず声を荒らげたのは松野だった。
敵を騙すにはまず、といった所の作戦か、万次郎の乱心という体で場を混乱させる。そして三番隊の隊長就任すら一時的なものという形で稀咲を巻き込んでいく。
いつの間に加入していたとも分からない変な奴と、愛美愛主を仕切る稀咲の地位を同等にしていく。稀咲が作った創設メンバーの一部不在という状況を不正なものとして周りに認識させる。
一番隊は場地のものであり、三番隊は林田のものである、と。針の筵の気分であるが自分で立てた作戦であるため文句は言えない。
そして、武道を守る様に黒龍から引き連れてきた喪部田たちが囲っていた。
そんな東卍の様子を仕切りの男が笑う。これは抗争の前に内部分裂で東卍は終わるのではないか? と。作戦通りであるが少しだけイラっとしたらしい万次郎が男を睨み、さっさと抗争を始めさせてくれと促す。
その光の無い暗い瞳に凄まれて、ビビる様に男は両チームを入場させた。
廃車場に白の特攻服と黒の特攻服が相対する。
万次郎を潰すためだけに集められたという烏合の衆。その中で、羽宮の姿はすぐに確認できた。チームの顔として先頭に立っている。
そこからは武道が夢に見た通りの展開だった。レフェリー役を一虎が殴り、乱闘がはじまった。


「……」


万次郎を守り、稀咲の活躍を防ぐ。それがまず最初の行動方針だ。
そして、数と歳で負ける東卍の士気を削がない様に武道の指揮する黒龍班をこの場に台頭させる。


「右、奇襲来るよ。前、そのまま受けてなぎ倒して。また右後ろ、武器を持ってるから避けて転がしてあげて」


武道の指揮は的確だった。黒龍から派遣され、武道の指示に慣れた喪部田達が少人数でバルハラの隊員達を倒していく様は圧巻であり、もしかしたらコレは確かに隊長の器かもしれないという空気になっていく。ギャラリーの中には黒龍の3人もいるので武道は授業参観で目立ってしまった様な少し擽ったい気分になる。
真っ直ぐに前しか見ていないハズなのにどこからの攻撃も確実に気付き支持を出す青い目の少年が龍宮寺を守った武道だと気付けば、黒龍の所属だという事も忘れ歓迎ムードとなっていく。
ソレが面白くないのは松野達だが、同時に羽宮側にも万次郎が場地を見捨てたという印象を与えていく。
場地と羽宮には一蓮托生でいてもらわなければいけないのだ。
その場地がどこにいるのかはまだ分からない。稀咲が名を上げようと出てきたら場地もソレを防ぎに出てくるだろう。
まずは万次郎が羽宮を速攻で倒す必要がある。夢で見た通り、自分に有利な足場へと羽宮は万次郎を誘導していく。そこで妙な横槍を入れさせない様にしたかった。
複数人で囲んでリンチにするという姑息な作戦を実行させないためにはまず二人の下へと他の誰よりも早く到着しなければならない。
万次郎をおびき寄せるポイントへの最速ルートを視て、武道たちは芭流覇羅の下っ端たちをノシて行く。
目指すは完全勝利であり、妙な事故や事件を起こさせずに抗争を終え、場地ごと芭流覇羅を吸収する。ソレが出来れば場地と羽宮の処遇などどうとでもできる。
この烏合の衆で肝心なのは場地、羽宮、半間の三人だけだ。
あとは数で押されてしまうのをカバーさえすれば何とかなる。そこをカバーするのも、武道の仕事だった。武道の班が活躍すればするほど、その熱が他の隊員に波及していく。単純な多対少の戦いではなく、統制の取れていない烏合VS部隊単位の統制の取れた兵という形に持っていけばただ圧倒されるとうこともない。
予知夢では数と気力で負けていたらしい東卍が、今は各個撃破し少しずつ芭流覇羅のメンバーを減らしていくのをギャラリーで黒龍の3人が眺める。
美味い事、武道が目立ってくれている。
隊長候補などと嘯いたが、武道たちの正体は完全に派遣である。
本来なら相当な金額の掛かる黒龍の傭兵派遣を、まだまだ慣れていない秘蔵っ子の武道の練習場所として扱う事で格安で済ますという体になっている。
ついでに、この東京中の不良が集まる場で目立つ事による宣伝という目的もある。
夢に見た万次郎のリンチに武道の班が間に合い、対戦カードは龍宮寺VS半間、そして万次郎VS羽宮という形に落ち着く。そして万次郎たちを囲み他の横槍を防ぐ武道班。
此処までは作戦通りになっている。
武道はその瞳を青く光らせ、稀咲が台頭しない場合のこの戦いの先を視る。
少しずつ追い詰められていく芭流覇羅に焦りを見せたのは羽宮だった。そして、いつまでも出てこない場地を呼ぶ。


「……」


まぁそうなるだろうな、という展開だ。龍宮寺と半間は接戦であるが龍宮寺の勝ちが見えている。
あとは万次郎に残り二人をノシてもらえばあとは雑魚の掃討で終わる。
コレで、今日のミッションはコンプリートのハズだと気合を入れ直す。此処で油断してミスをするのが一番まずい。


「うぉああッ!?」


不意に、武道は自分が後ろから殴られるヴィジョンを視て転げる様にその背後からの攻撃を避けた。
直後の未来視と少し遠くの未来視を同時に展開できない隙をつかれ、少しびっくりする。態勢を崩しつつも状況を確認すれば喪部田達は先に一瞬でノされていた。
未来視無しに黒龍の一般兵隊が敵わない相手だ。


「場地くん……」
「テメェは何だ? 稀咲の手先か?」
「それだけはないからやめて」


先の尖った鉄パイプを差し向けて睨む場地の言葉を、武道はすぐさま否定する。どうしてそうなった、と一瞬疑問に思うが、確かに、この抗争の後に稀咲を排斥しやすくするために自分の立場を稀咲に近付ける設定をくっつけていた。
確かに、見る者が見れば武道も東卍にすり寄る者に見えるだろう。


「俺は黒龍・傭兵派遣事業部の宣伝部長だよ」
「は?」
「君が抜けて戦力の足りない東卍に雇われた傭兵。とある目的のために東卍に潜入してるって所はあるので今回はロハで受けてるけどね」
「お前は、敵か?」
「微妙な所だね。所属で言えば場地くんの敵だと思うよ。だって、君は羽宮くんを捨てられない」
「……」


あくまでも場地と羽宮をニコイチ扱いする。二人まとめて万次郎に倒してもらわないといけないからだ。


「ふぅん? 目的ってなんだよ。お前、シンイチローくんが好きだったんだろ? 敵討ちか?」
「ちょっと! どっから聞いたのソレ恥ずかしいんだけど!?」
「? 有名な話だぜ??」


急に思いもよらない方向性で煽られ武道は顔を真っ赤にした。好きだと公言していたが急に言われると照れるものがあるのだ。


「ていうか違うし! 俺の目的は渋谷・新宿周辺で暗躍する誰かを黒龍に被害が及ぶ前に捕まえる事だもん!!」
「ふぅん?」
「君と羽宮くんの処遇は東卍に一任するけど、後で証人にはなってもらうから死なないでよね」
「お前が俺を殺せるとでも?」
「は? できるワケないじゃん。君は素通しでマイキーくん所だよ!」
「はぁ?」


戦意は無いと両手を上げれば場地は怪訝そうに武道を見た。


「他の雑魚なんかは俺一人でも通さないけど、君たちには殴り合ってもらわないと俺が困る。君たちに確執があるのは分かってるし、この抗争の原因もソレ。なら俺達派遣バイトの出る幕じゃないよ」
「俺達がマイキーに敗けると?」
「さぁ? それはやってみなきゃ分かんないよ」


殴り合って喧嘩をすれば分かり合えるなどと、古い青春ドラマの様なことは考えてはいない。しかし、暴力による制圧が一番手っ取り早い事もあるのだ。
そうして、気絶している喪部田たちを介抱しながら、武道は場地に道を譲った。
その先にはちょこまかと逃げ、平行線を辿る羽宮と万次郎の喧嘩があった。


「場地ィ! とっとと手伝え!!」
「うん、一虎」


武道が未来視したのはこのシーンからだと分かる。それならば後は視た通りの展開へとなるのだろうと武道は力を抜いた。


・・・


そこからの展開は早かった。2対1になれば万次郎がフリかと思いきや、何かを焦った羽宮が万次郎の蹴りを受け、足場をミスり転落。ソレを庇った場地も負傷。
ソレとほぼ同時に芭流覇羅を東卍が掃討し、武道の予定通りの完勝と相成った。それでも暴れようとする羽宮を縄で縛しつける。
本来仕切るハズだった池袋の阪泉はさり気無く黒龍に保護され、代わりに大寿が場を締めることになる。


「この抗争は東卍の勝利だ。羽宮が阪泉を殴ったせいで有耶無耶になったが、東卍の出した条件の通り、少なくとも場地の籍は東卍へと移される」
「クソっ」
「さて、この抗争は先ほどの通り阪泉が殴られたせいで何でもありのルール無用ということになった。つまり、芭流覇羅による武器の使用、東卍への俺達黒龍の傭兵の派遣も不問とする」


その言葉に、どよめいたのはギャラリーだけではない。
黒龍から派遣されていた傭兵とは誰だったのか。どこまでが東卍の実力だったのか。愛美愛主を傘下に収めたせいで構成員の把握がしきれていない者が多くいた。


「うちからの派遣は花垣武道を班長とする以下5名の小グループであり、他はテメェ等のとこの構成員だ。まぁこの阿呆から勇気をもらったとか言う奴はいるだろうがな。そういう能力を持った奴の貸し出しだ。次があればそれなりに高い金額を出してもらうことになる」
「へーへー」


ニヤリと笑い、武道の肩を抱き寄せる大寿に万次郎は少し不満そうな表情を見せる。
ソイツはお前の部下だけど俺の友達でもあるんだからな! と。


「東卍と芭流覇羅の抗争はこれにて閉幕とする」


その言葉を終了の合図に、廃車場は解散のムードとなる。
しかし、万次郎たち中心メンバーがその場を動こうとしないため、東卍の構成員も少し困惑しつつその場にとどまる。


「あの……?」


他にまだ何かあるのだろうか、と何もしらされていない隊と下っ端たちが万次郎たちを伺う。


「さて、こっからは芭流覇羅じゃねぇ、俺達内輪の話になる」
「!」


万次郎の言葉にいち早く反応したのは松野だった。
恐らく、場地の処遇についてだろう。


「まずは場地、お前は東卍所属となる。が、流石に処罰無しっていうワケにはいかねぇ。お前には引き続き一番隊隊長の任に加え、そこのジャジャトラの世話を任せる」
「あぁ!?」
「ソイツがコレ以上馬鹿をやらねぇように躾けろ。創設メンバーとして示しがしかねぇ」
「ふざけんなッ! 俺はッお前をッ!!」
「おら、初仕事だ。黙らせとけ」
「うぅ……悪ぃ、一虎」


あからさまに安心した様子の松野とギャンギャンと騒ぎたてる羽宮を無視して、万次郎は次に稀咲へと鋭い視線を向けた。


「さて、稀咲。お前はパーの出所を条件に3番隊隊長に任命したが、進捗はどうだ?」
「……」
「まぁ無理だろうな。もうパーの事は覆せねぇよ。俺だってもう分かってる」


暗い瞳で万次郎は稀咲へと凄む。ジリ、と後ずさろうとする稀咲の背がいつの間にか背後を陣取っていた三ツ谷にあたる。


「ッ!」
「おっと、逃がさねぇぜ? 今回は5番隊の仕事を盗っちまって悪ィけど、俺達2番隊でお前の悪行の裏を取らせてもらった。愛美愛主の長内を操り、ペーのパーへの忠義を利用し、マイキーと羽宮の確執でこの抗争を引き起こした。その手腕は見事なもんだぜ。まぁソレもここで終わりだけどな」


ニッコリと口元で笑うが、三ツ谷の目は全く笑ってはいなかった。流石にこうなっては此処までかと病院送りにくらいはされる覚悟を稀咲は決める。
しかし、万次郎の口から飛び出した稀咲の処遇は意外なものだった。


「本来なら、お前のやったことは俺達なら八分殺しぐらいにしてもう東京にいられねぇくらいにしてやる所だ。が、今回、タケミっちを黒龍から無料で借りる条件にお前の身柄の引き渡しがある。向こうで何されるか分かんねぇケドまぁ達者でな」
「は?」


万次郎の言葉を聞いた稀咲はバッと4人で固まる黒龍の方を見る。すると、ソレに気がついた武道が良い笑顔で手をふり、幹部3人が恐ろしい顔をしていた。


「犯罪は犯罪だけど凄い手腕だよね! その能力、黒龍でタダ働きさせてあげるから!!」
「……」


此処から起死回生する可能性とひたすら使い潰される可能性が稀咲の頭の中でグルグルと回る。どうしてこうなったのかイマイチよく分からないが、半間だけは何とか東卍から回収しようと心に決めた。


「あーぁ、三番隊の隊長空席になっちまったなぁ。パーが戻るまでタケミっちやる?」
「無理です♡」
「いったい正規料金だといくらかかるんだ……」
「知りてぇか?」
「……やめとくわ」


・・・


今度こそ解散の流れになり、黒龍は黒龍、東卍は東卍で分かれるかとなった時、万次郎が武道の袖を引っ張った。


「お前はこっち」


他のメンバーは何故かソレを分かっていたかの様にそれぞれはけ始める。


「兄貴の見舞い、行くぞ」
「へ?」


ヘルメットを投げ渡され、廃車場の隅に置かれていた万次郎の愛機、バブの後部へ乗る様に促される。


「一虎たちに襲われたって話したじゃん。ずっと目ェ覚まさなかったそのアニキがさ、急に眼を覚ましたんだよ。今朝」
「え? お兄さんって死んだんじゃ……?」
「生きてるよ」


突然告げられた言葉に武道は何と答えて良いのか分からなくなる。
確かに、少し前までは確かに死んだという事になっていたハズだ。武道のヴィジョンでも、たしかに首をへし折られていた。
それが何故、突然生きていたことになるのか。


「でも、色々とおかしな点がある」
「ホントなら即死でもおかしくない位置を狙われたんだ。でも、兄貴はまるで分かってた様にソレをズラした。監視カメラの映像じゃ、ぜってぇ見えねぇ、気付けねぇ位置から攻撃してんのに」


武道を乗せ、病院への道を走りながら、万次郎は武道に事の次第を話す。


「しかも、その数日前から、兄貴は何だかんだと自分の身に何かあった時の用意をしてた。そんで、俺にメッセージ残してた。金髪の時々青目になる中坊を探して、自分の事、伝えろって」


丁度良く、赤信号で停車し、万次郎は武道を振り返った。


「タケミっち、なんかした?」


・・・


病院へ着き、面会の時間ギリギリで手続きを済ます。
今朝がた目を覚まし、検査も済ませた真一郎が移った病室の階へとエレベーターで上がる。
ゴゴッ、と少し古めかしい重い音が鳴ってドアが開いた瞬間、廊下から声が響いた。


「あぁ! 佐野さん!! まだ出歩いちゃダメですって!!」
「えぇ、ちょっとリハビリがてら程度ですって!」
「ソレがダメなんですよ!! 貴方まだその段階じゃないんですって!!」
「いやぁ、どうしても会いたい人がいまして……」
「それは素敵ですけども会う前に死にますよ!?」


看護師と思われる女性の声と少しかすれた男の声だ。


「オイ! シンイチロー!! 看護婦困らせてんじゃねぇぞ!!」


そこへ万次郎が声を張り上げて入って行く。
そうしてようやく、武道はその姿を見る。
記憶よりも大分瘦せこけた体躯だった。
当然だ。2年間も眠り続けていたのだから。
それでも、その人は確かに武道が恋した相手だった。

「あ……」

目が合う。
呼吸が止まる。

あんなに恋しかったのに、会うのは初めてだった。
ヘラリと笑い頭を下げた。

「初めまして、昨夜ぶり、ですね」