· 

悪霊の棲む身体、後編

 
不敵な笑みを浮かべるその男は万次郎と同じくらいの背丈であり、顔も体型も何もかもが兄である男とは違うものだった。明らかに、自身の兄と騙るには何もかもが違いすぎた。
しかし、何故か万次郎にはソレが兄なのだと確信があった。
 
「あ……」
 
万次郎がその男に詳しく話を聞こうとした瞬間、男は気が抜けるような声を上げた。そして、やはり兄と酷似した少し困った様な笑みを浮かべる。
 
「もうこの身体が限界だわ。気絶するからちょっと横にしといてやってくれねぇ?」
「はぁ?」
 
ヘラヘラと笑う男に威嚇する様に万次郎は声を上げた。流石に意味が分からなすぎる、と怒鳴りつけてやろうかと思ったのに万次郎が喉を震わせるよりも早く、その男は目を瞑りフッと身体から力が抜ける。
ドサリと力なく倒れるのは演技でも何でもなく、強かに身体をぶつける様は過去に何度か喧嘩で見てきた意識の無い人間のソレだった。
 
「は? ちょっと待てよ……」
「ダメです!!」
「あ゛?」
 
混乱しつつも兄を名乗る変な男を助け起こそうとして、阻まれ、万次郎は今度こそ怒気を込めてその相手を威嚇した。
万次郎に立ち向かったのは不良とも言えない様なボロボロの少年だった。恐らく、中学生になりたてくらいだろう。身体もできておらず東京卍會の総長に楯突くにはソイツはあまりにも貧相だった。
 
「何だテメェ、死にてぇのか?」
「ヒッ」
 
睨みつければ悲鳴を上げる如何にもか弱そうな子ども。しかし、半泣きになりながらもその少年は変な男……武道を守る様に立ちはだかり万次郎を睨みつけた。
 
「この人は! 俺を助けてくれました!! だがら゛!! 絶゛対゛に゛どぎま゛ぜん゛!!!」
 
恐怖でガタガタと震えているのに、両手を広げ少年は叫ぶ。途中から本当に泣き出してしまっていたが、恩人を守ろうと必死に虚勢を張っていた。
 
「……」
 
いったい何が起きているのか。これではまるで自分が悪者の様だとイラつく。
 
自分達は東卍を騙る喧嘩賭博とやらを見に来たハズだ。そんなものを認可した覚えも無ければ上納金だってもらってはいない。勝手な事をするヤツをシメて名前を勝手に使った罰として売り上げを巻き上げてやろうかと思っていた。
そこにいたのが、この兄を名乗る男とボコられている3番隊の隊員だった。正直、万次郎はその隊員を覚えていなかったが副総長である龍宮寺が覚えていた。
東卍を騙る馬鹿ではなく、東卍に所属する馬鹿が勝手をやったのだと分かり、コレはコレでシメないといけないと思いつつ、隊員がボコられているのはチームの恥であるため万次郎は助走をつけて男に蹴り掛かった。
 
その結果がコレである。
万次郎たちは少年が助けられた所は見ていないし、何が起きたのかもほとんどは知らない。隊員がボコられていたのにはこの少年が関係しているのだと何となく察してめんどくさいながらも話を聞く方がいいだろうと判断した。
流石に不良でもなさそうなこの少年をボコるのは女に手を上げるくらいダサい行為だろう、と。
 
「あ゛―、めんどくせぇ! ケンチン!!」
「ぁんだよ」
「事情聴取! 何やってたのか聞いてやってよ!! 俺はムカついてるからどら焼き食う!!!」
「……おー」
 
グシャグシャとハーフアップにされた髪を崩す様に頭を掻いて、龍宮寺に持たせていたどら焼きと上着を奪う。
龍宮寺の方も万次郎の様子に思う所はありつつも、死んだ兄を名乗る男が現れたのだイラつきもするだろうと矛を収めた。そして何より、明らかに東卍の方に過失がありそうなこの状況で泣きじゃくる少年から穏便に話を聞くなど万次郎にできるハズもないと分かっていた。
 
「で、坊主。悪ぃけど話聞かしてくんねぇか? 俺たちは隊員がそこのノびてる奴にボコられてる所からしか見てねぇのよ」
「……あ゛い」
 
しゃがみ込んで、小学生以下を相手するくらいのつもりでそう声を掛ければ少年はズルズルと鼻水を啜り袖で涙ごと目を擦って話し始めた。
 
曰く、東卍の隊員がボコった相手を奴隷にしてコロシアムモドキをしていた。少年たちは小遣いを巻き上げられながら喧嘩させられ見世物にされていた。今日は隊員が催しとして渋谷で噂の呪われた男を引っ張り出して自分と戦わせた。男はおどろおどろしい噂に反して優しく、呼び出された事に戸惑いつつもふんわりと少年が怪我しない程度に試合をして、隊員に喧嘩を売った。その喧嘩でなかなか倒れなかった男が隊員に一撃入れたのを機に殺してやると叫んでマウントを取って首を絞めた隊員。誰もが男が殺されると思った時、急に隊員が触れられても無いのにふっ飛ばされた。どこからともなくラップ音が響き渡る中、男が急に人が変わった様に隊員に反撃を始めた。きっとコレが男の呪いなのだ、幽霊に憑りつかれているのだ。
 
だから男は悪くないのだ、と少年が泣きながら訴えるのを聞いて龍宮寺は頭が痛くなる。
呪われた少年の噂は龍宮寺も聞いたことがある程度には有名なものだ。その少年が中学に上がり、ヤンキーをやっているというのも聞いたことがある。チャラ男崩れ程度だろうと気にしていなかったソレが、少年が背に庇う男だろう。
それだけならまだ良かった。しかし、急に人が変わった、幽霊に憑りつかれた。しかも、その幽霊が万次郎の兄を名乗っている。ソレが問題だった。嘘でも本当でも大問題だ。
 
万次郎の兄は一昨年の夏に殺されており、その心の傷はけして癒えたとは言えない状態だ。悲しみを誤魔化す様に東京卍會は勢力を拡大していったと言っても過言ではない。
一昨年の夏、確かに呪われた少年の噂が立ち始めた頃と時期が一致する。そして何よりも、あの万次郎の蹴りを避けたのだ。イチ隊員にボコられていた程度のチャラ男崩れにそんな芸当はできるハズがないし、少なくとも万次郎の蹴りを避ける男など兄の真一郎しか龍宮寺は知らなかった。
コレはもしかしたらもしかするかもしれない、と決まらない覚悟に頭がグルグルする。男を起こして話を聞く必要もあるが、此処までボコられた挙句に無理に身体を動かされた男を動かして大丈夫なのかも分からない。
万次郎が痺れを切らす前に決断しなければならない、と分かっているがそうも簡単にはいかないのだとグダグダ考える。
 
龍宮寺が覚悟を決めようとした時、少年の後ろで武道の手がピクリと動いた。
 
「う゛ぅ……。めっちゃ身体痛い……。俺、何やってたんだっけ……?」
 
フラフラしつつも身体を起こし、男は周囲を見回す。そして、自分を庇う様に立つ少年と対峙する龍宮寺を見てギョッとした顔をした。
 
「え!? あ!? もしかしてキヨマサの仲間!?」
 
動かす事をためらった龍宮寺の心配をよそに武道はバッと起き上がり少年と龍宮寺の間に滑り込む。
 
「カタギの子ども殴んじゃねぇよ東京卍會!」
 
状況が分からないがカタギを守ろうとする武道に、この場では完全に東卍は悪者なのだと理解して龍宮寺は更に溜息を吐いた。そして3番隊平隊員は絶対にシメると心に決める。
 
「あのなぁ……」
「いーよケンチン」
「あ?」
 
それまでフェンスに寄り掛かってどら焼きを食べていた万次郎がユラリと武道に近付く。武道は武道で相手が誰なのか分からないままに警戒した顔を見せた。
 
「お前、俺達に楯突くの?」
「東卍だか何だか知らねぇけど、こんなクソみてぇな事するヤツの親玉に従えるかよ」
 
ギッと万次郎を睨みつけるも弱弱しい武道は真一郎とは程遠く、しかし、その心根は確かに弱い者イジメを良しとしなかった黒龍の総長を彷彿されるものだった。
 
「なるほどね……。お前、名前は?」
「花垣武道……」
「ふーん? じゃあタケミっちだ」
「は?」
 
万次郎はヘラリと笑って武道の肩を抱きよせた。
 
「タケミっち今日から俺のアニキ!! な♡」
「は……?」
 
突然のことに何を言われたのか分からなかったのは武道だけではなかった。普段は万次郎の我儘をほとんど肯定する龍宮寺ですら目を見開いて眉間に皺を刻む。
 
「おいマイキー」
 
何を言っているのだと苦言を呈すする龍宮寺に万次郎はヘラリと笑う。
 
「だって傍にいれば多分もう一回会えるじゃん?」
「アレが本当に真一郎くんかだって分かんねぇだろ!」
「うーん、その時はその時でシメれば良くね?」
「馬鹿! 考えなしも程々にしろよ!」
 
もしかするのかもしれない、とは思ったが本当でも嘘だったとしても傷つくのは万次郎なのだと龍宮寺は分かっていた。死人にもう一度会うなど正気の沙汰では無い。
気が済むまで暴れまわって、どこかで気持ちにケリを付けられればいいと思っていた。
しかし、そろそろ落ち着く頃かと思った矢先にコレだと頭を抱える。どうしてそっとしておいてくれないのか、と被害者であるだろう武道に怒りが向きそうになる。
 
見れば、武道はポカンと間抜け面を浮かべていて何が起きているのか何も把握していない様子だ。コイツは事態の収拾に何の役にも立たないと見限って何とか頭を回す。
 
この得体の知れない呪われ野郎を兄として手元に置くと何が起こる?
少なくとも万次郎は周りに紹介して「コイツ俺のアニキな♡」と触れ回るに決まっている。東卍の総長が年下の弱く役にも立たなそうな男をアニキと呼んで回れば気が触れたのだと噂にもなるだろう。そんなことになればチームの評判は地に落ち、ナメた野郎どもから喧嘩を売られまくる未来しか龍宮寺には見えない。
そんなめんどくさい事態は何としても避けなければいけない。
 
何とかして万次郎の興味を逸らすかアニキでは無いと説得するかしなければならない、と心に決め口を開こうとした時、間抜けなメロディがその場に鳴り響いた。
 
「ぎゃっ! すみません!! 俺です!!」
 
間抜けな着メロに相応しい間抜けな男が携帯を尻ポケットから取りだした。
 
「でれば?」
「スミマセン!!」
 
一触即発の空気は万次郎のアニキ宣言から無くなったのだと判断したのか武道はビャッと肩を飛び上がらせつつも素直に携帯を開いて応答する。肝が太いのか馬鹿なのか、恐らく両方なのだろうと龍宮寺は呆れた。
 
「はい、もしもし、あの……え? お守り? ……はい、あります。首からちゃんと下げて……あ、何か破れてます。えっ! 何で知って……? えぇ!? 大丈夫です!! 俺は何ともないです……えぇっ、でも……」
 
首から下げていた如何にもなお守りは確かに見るも無残に破けており、龍宮寺たちはソレは隊員との喧嘩のせいかと思っていた。しかし、ソレを遠隔で知った誰かから連絡が来たとなれば途端にオカルティックにきな臭くなる。
 
「はい、はい……本当に俺は何ともないです。えぇ、っとどういう状況かはちょっと……ちょっと待って下さい。聞いてみます」
 
背中を丸めたその姿は先ほど少年を守ろうとしていたどうどうとしたものとは全く違うものだ。電話相手から何やら怒られている様だ。
 
「あの、すみません……。俺が目が覚める前って何かあった感じですか?」
「……」
 
困った様に上目遣いで伺ってくる様子は小者然としていて、本当に何も分かっていない様子だった。万次郎と龍宮寺は顔を見合わせてから、武道の後ろで庇われている少年を見た。
 
「全部見たのお前だろ。ちょっと教えてやれ」
「ひっ、は、はい!」
 
自分達を奴隷扱いしていた男の更に上の男から普通に声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。ビクつきつつも会話は成り立つ様になっていた。
 
「あ、ちょっと待て」
「ひゃいっ!!」
「おい、ちょっと込み合った話になりそうだからギャラリー捌けとけ! 3番隊は次の集会でどうするかパーと離しとくから覚悟しとけよ」
「はい! 副総長!!」
 
如何にも興味津々といった顔をしていたギャラリー捌けさせ、その場に龍宮寺、万次郎、武道、少年だけが残る。
コレ以上この霊感少年が見世物になるのは流石に可哀相だと判断したためだった。
 
そして通話をスピーカーモードにさせ、少年に何が起きたのかを話させた。
どうやら通話相手は神社の神主か何かの様で、武道の持つお守りが破られたのを感じて電話をかけてきたらしい。もちろんお守りの中に盗聴器の様なものが入っている事も無く、本物の霊能力者がいるなど今まで信じていなかった龍宮寺は背筋がゾワゾワする様な心地だった。いっそ大掛かりなどっきり企画だと言われた方がマシだった。もしそうなら企画に参加した奴全員ボコる気概である。
 
しかし、そういった類のことは無いらしく至極真面目に話は進んでいく。
少年視点の事のあらましを聞いて、怯えるかと思っていた武道は相変わらずの間抜け面で龍宮寺は少し心配になる。万次郎にされるがままにベタつかれ、強く拒否することもなく流されているこの男、幽霊に憑かれても流されているのか、と。
何故そんなになるまで放っておいたのだと電話越しに叱られ、武道は「別に困ってませんでしたし」と困り顔だ。
 
電話相手曰く、武道に憑いた悪霊は武道の生気を吸い強くなっているらしい。武道が母親に神社に連れていかれた頃は小さすぎて祓えなかったが今は逆に力が大きくなりすぎているとのことだった。大きくなる前に自然と消えるか、こうなる前にもう一度神社を訪れ祓うのが正解だったのに、武道の危機感の無さが原因でとんでもない事になっている、らしい。
憑いた相手の身体を乗っ取ったなどソレは間違いなく悪霊だわな、と龍宮寺にだって分かる。しかし、乗っ取られた当の本人はまぁいっかと何も考えていない様な反応だ。
 
「いやだって、この人……ヒト? 幽霊さん別に俺に危害は加えてないし。むしろヤバい人からは助けてくれるし……」
『代わりに君の生気を吸ってるんだからね? 身体に異常とか無い?』
「あー……。はい、ナイデス」
『君、嘘が分かりやすいね……』
 
明後日の方向を見ながら武道は片言で返事をする。
電話相手からのお説教に心底うんざりしているらしい。相手は心配してくれているというのに甲斐のない奴だと龍宮寺は再び呆れる。しかし、そんな武道の頬を突いたりして暇そうに遊んでいる万次郎の姿を見れば、もしや武道は何かしら万次郎に気を遣っているのではないかと思い至る。
 
「おい、お前……。コイツの事は気にすんな。お前に憑りついているのがコイツのアニキかどうかはまだ確定してねぇし、変な悪霊が真一郎くんを名乗ってるだけかもしれねぇんだ。隠すな」
「は、いえ…うーん……」
 
龍宮寺が睨めば武道は気まずそうな表情を浮かべる。
それなりに何かされているらしいと察して龍宮寺は溜息をついた。
 
「言いにくい事ならスピーカー切って向こうで話して来い」
「あー、いえ、そのぉ……」
「いーよ、タケミっち」
 
歯切れ悪く唸る武道に万次郎は真顔で言葉を掛けた。
 
「そりゃ、期待はしてるけど。死んだ兄貴が知らねぇ男に憑りついてるなんて話、正気じゃねぇって分かってるから。ソレが兄貴じゃねぇ事が確定しても気にしねぇし、マジで兄貴が成仏しねぇで悪霊になってんなら、ソレはソレで何とかしてぇって思うよ」
「え、死んだ兄貴……? この幽霊アンタのアニキなの??」
「さっきからそう言ってんだろ……」
「え?? あ! さっきのってそういう!!」
 
俺のアニキ宣言の意味をやっと理解した武道は心底びっくりしたという表情で柏手を一つ打った。目が覚めてから今の今までただただ流されていただけらしい。
これは悪霊も憑りつきやすいだろうと、龍宮寺はもう何度目になるかも分からない溜息を吐く。
 
「もういい。お前は何も気を遣わずに自分の身に起こっている事を話せ」
 
このままでは埒が明かないし、放っておいたらとんでもないことになると乗り掛かった船の泥船具合に頭が痛くなる。なによりもこの泥船に意気揚々と乗っているのが己の総長である事が問題だ。
 
「あー、うー……まぁ、そのですね、セイキ吸われてるってのが多分そのまんまの意味って言いますか……」
「つまり?」
「夜な夜な体液?的なもの吸われてます……。別に俺は元気ですけども……」
「……」
 
気まずそうに言われたその言葉に龍宮寺と万次郎、そして偶然その場に居合わせてしまった少年が閉口する。
 
体液と言ったかこの男。
もしもその体液が血であれば間違いなく分かりやすい実害としてモンスターに襲われているのだと言えるだろう。しかし、武道があえて体液と言葉を濁したために思春期の少年達はこの男が悪霊に何をされているのかぼんやりと察してしまった。
ヤられたのか、と。
 
「え、シンイチローめっちゃ悪霊じゃん」
 
最初に口を開いたのは万次郎であった。半笑いで口にされた言葉はある意味で武道に対する同情が含まれている様だった。
 
「シンイチロー死んだの一昨年だけどそん時23だかんなぁ。ちょっと擁護できねぇわ」
「あのカッコ良かったシンイチローくんが色情霊に……?」
『いや、あの、君のお兄さんって決定したワケじゃないし、生気を吸うのにてっとり早かったからかもだし……』
 
あんまりな情報に頭を抱えた龍宮寺と万次郎に電話相手が何とかフォローしようと声を掛ける。ダメージを負っている様子の無い武道よりも二人の方にメンタルケアが必要かもしれない、と。
通りすがりの少年は思いの外えっちな展開だったぞ、と自分を助けてくれた男を少し赤らんだ頬で見つめるにとどまった。所詮は他人事である。
 
『まぁとにかく、このままにはできないからちょっと様子見させに来てください。君が良くてもこちらは君のお母さんから万が一の時の事をちゃんと依頼されてるし、前に見た時に祓えなかった責任があるからね』
「うぅ……はい」
 
歯医者を嫌がる子どもの様な風体で武道は渋々頷いた。
お守りが破れたのを察する程度にはちゃんとした霊能者なのだろうと分かるが、むしろそれが自分のしてきた事、された事を全て察せられそうで思春期の少年としては大変いたたまれない思いだった。
神社を訪れず日にちをその場で決められ、武道は携帯のカレンダーに印をつける。そして、悪霊が真一郎を名乗ったため、万次郎もその日に一緒に神社を訪れることになった。そして万次郎を放っておけない龍宮寺も当然その日の予定が埋まる事となる。
 
しょぼくれた顔で万次郎に慰められる武道は記憶の中の真一郎と確かに重なるものがあり、龍宮寺は深いため息を吐いた。
 
 
・・・
 
数日後、万次郎と龍宮寺は武道と共にお祓いへ行くために待ち合わせの駅へと向かっていた。
 
「お前さぁ、タケミっちが兄貴になるってホントに思ってるのか?」
「うんにゃ、全然」
「……」
 
確認のために聞けば万次郎は何てこと無い様にヘラリと笑った。
 
「でもさ、あの時タケミっちの中にいたのは多分アニキだと思うんだよね。もし死にきれなくてあぁなってんなら何とかしてぇじゃん?」
「マイキー……」
「まぁ俺より年下の男の体液啜ってんのは正直ドン引きだけどなー! そこまでしてこの世に留まるかフツー?」
「あー、まぁソレはちょっとな……」
 
受け入れる武道も武道だと思いつつ龍宮寺は武道に憑りつく悪霊……真一郎の未練に思いを馳せる。
横目で万次郎を見つつ、十中八九コイツと妹だろうな、と考え、敢えて言葉にはしなかった。そんなことは誰よりも万次郎自身が分かっていることだ。
 
万次郎は全く覚えていなかったが、呪われた男の怪談話は2年前からずっと聞いてきたものだった。つまり、あの男はこの2年間、理不尽な人の噂と幽霊からの性的暴力に耐えてきたのだと分かる。
 
自分の兄が、自分のためにまごうこと無き悪霊になってしまったのだというショックが万次郎にはあった。そのショックと混乱であんな事を言ったのだろうと龍宮寺にも分かる。
慰めの言葉は思いつかなかったが、万次郎もそんなものは必要としていないだろう。親友として、副総長として、ただ支えるのが正解だと心に決め、龍宮寺は待ち合わせ先に辿り着く。
 
「あ、おはようございます! 佐野くん龍宮寺くん!」
「おー、待たせたな。てかドラケンでいいよ。みんなそう呼んでる」
「俺のことはマイキーって呼んで♡」
「えと、ドラケンくんとマイキーくんですね、分かりました!」
 
悪霊に憑りつかれているなんてみじんも感じさせない良い笑顔で武道は了承する。この陰りの無い男が呪われているなどどうして噂が立ったのだろうかと不思議に思う程だった。
電車に乗り、郊外の神社へと赴く間、二人は武道と何という事は無く話をした。
趣味の話、普段している事の話、不良界隈の話、家族の話。
不良などやっていれば碌でも無い環境で育って碌でも無い事をしているもんだと思っていたが、武道はどこまでも真っ当で酒やタバコ、無免許運転とすら縁遠い男だった。幼い頃に不良というものに憧れ、今の今まで自分が思う不良スタイルを貫いてきたという。
その言葉通りに、武道の考える不良像はまるで正義のヒーローの様で、最近の規模が大きくなるたびに腐ってきた東卍を思うと何故か恥ずかしくなってくる。幼い子どもの憧れを守ってやりたい気持ちがまだ自分達にもあったのかと驚く程だ。
仲間を守るためのチームが、いつの間にか最初の志を忘れて独り歩きをしていた。武道を傷つけたキヨマサがいい例だった。チームの名前を勝手に使って私利私欲を満たす奴が末端にいた。その制裁をしに総長と副総長自ら出向いたが、もしもあの日に武道と出会わなかったらあの催しをチーム公認にしてしまっていたかもしれないと龍宮寺は思う。
ちょっとした小遣い稼ぎだと思えばアリだろう、と。
 
そこに真っ向からダメだと突き付ける男がいた。
自分よりも強い相手に立ち向かって、弱い者イジメはダサいと言える男だ。
 
腐りかけていた自分達に、正しさを思い出させた武道が自分の身内に害されているなどあってはならない事だ。
真一郎には成仏してほしいが、もしも悪霊としてこの世に留まり続けるのなら、祓ってやるのがせめても手向けでは無いかとぼんやりと考える。きっと万次郎も同じ考えなのだろう。ヘラヘラと笑って武道と話す横顔からはそんな覚悟が読み取れた。
 
 
・・・
 
 
電車に乗り、バスに乗り、普段なら絶対に来ないような僻地へと3人は辿り着いた。鳥居を潜れば山道があり、ソレを登れば目的の場所だった。参道ではなく、山道だ。もちろん参道でもあるのだが、ソレ以上に山道だった。
 
「うへぇ……」
 
万次郎が分かりやすくうんざりした声を上げた。途中までは武道と楽しそうに色々と話していたが、バスの途中で寝始めた辺りで龍宮寺にはこの展開が見えていた。
 
「マイキー、俺は絶対におぶらねぇからな」
「分ぁってるって、流石のケンチンでもコレは無理っしょ」
「……おう」
 
敬愛する男からそう言われてしまうと逆にやってやろうかという気持ちにもなるが、万が一にも自分がバテてしまっては申し訳が無い。自分はこの何だか危なっかしい二人の監督役なのだという意識が龍宮寺にはあった。
どちらかがどうしても無理になったら自分が運ぶのもやむなしと思えるが、初めから運んで途中でギブアップするのは避けたかった。
 
最初の方は武道も少し話したりもしていたが途中からは3人とも無言で足場の悪い坂道を歩いた。
ガチャガチャと煩い蝉の鳴き声が四方から聞こえ、ジリジリと太陽が照り付ける。夏だった。
 
ダラダラと汗をかいて、何度か休憩を入れ、駅で買ったペットボトルのお茶が無くなった頃、三人はやっと目的地へと着いた。
 
「あぢー……」
「はふぅ……も、無理です…」
「……」
 
地面へと座り込んでグッタリする二人を見ながら、龍宮寺もコレはギリギリだったと考える。矜持が邪魔をして座り込むことこそ無いが、自分も地面に大の字になってしまいたい気持ちだった。
 
そんな三人に近付く影があった。
 
「おや、いらっしゃい。久しぶりだね、武道くん」
「あ、はい……こんにちは」
 
電話で聞いた声だと万次郎と龍宮寺は気付く。
こんな山の上の怪しげな神社の神主だ。きっとソレらしい能力も持っているのだろうし、実際、武道の持つお守りが壊れた事を遠隔で知覚した。
胡散臭いという気持ちと、実際にそういう能力があるのだろうという気持ちが綯い交ぜになっていた二人だったが、神主の顔を見て肩透かしを食らった気持ちになる。
 
中肉中背。グレーの割合が多くなった髪はしっとりと七三に分けられていて、全体的に脂の少なそうな壮年の男だった。万次郎の祖父の様な厳格さは無く、龍宮寺の保護者ほどの色気は無い。そんな人の良さそうな普通の男だ。
 
「此処、登ってくるの大変だったろう? 今の季節は特に」
「はい、まぁ……ハハ…」
「次は駅からタクシーを使うと良いよ。裏の駐車場まで登ってきてくれるから」
「えぇ、そんなんあったんですか……」
「ふふ、まぁ君たちは若いからね。山登りくらいワケないかな」
「そんな事ないっスよぉ。オレもうクタクタです……」
「大変だったね。社務所の方は冷房が効いてるから、そっちに行こうか」
「はいっス!」
 
神主と話をして回復したのかその後ろを飛び起きる様にして追いかけていく。
その後ろを万次郎と龍宮寺もついて行った。
 
境内は明るく、手水舎や狛犬も綺麗に保たれていた。
こんな所でオカルトなんか扱っているのか? と龍宮寺は疑問に思う。いっそボロボロの社にぼさぼさ頭、瓶底眼鏡の怪しい神主が出てきてくれた方がソレらしくて安心できたかもしれない、と勝手な事を思う。近代的な清潔さが異常な出来事にどうにもミスマッチな感じがした。
ついて行った社務所も綺麗で近代的な建物だった。
応接間は洋風で革張りのソファに身体がよく沈む。少し効きすぎなくらいの冷房がその清潔さに輪をかけていた。
 
まず最初に良く冷えたお茶を出されて、ソレに口を付けるとどれかまでは分からないが飲んだことのある既製品のお茶の味がした。
変なものを飲まされるよりはいいが、その安心感が逆に大丈夫なのかと不安を煽る。
 
横目で見た万次郎と武道はそんな事は全く感じていない様で、リラックスした……というよりもいっそ涼しい部屋にダラけているといった様子だった。
 
そんな3人の様子をニコニコと神主は見て、ゆったりと向かいのソファへと座った。
 
「さて、落ち着いた所で本題に入ろうか」
 
そう言った神主は先程までと変わらず穏やかな顔をしている。しかし、その居ずまいが彼が真剣であることを三人に示していた。
 
「先日、君に渡したお守りが破れたね。その時、お友達のお兄さんと思われる霊に乗っ取られた、と」
 
お友達、という言葉に武道は少しだけ不思議な気持ちになる。友達、なのだろうか? 一つ年上の、暴走族の総長だ。そのおちゃめと言うにはあまりに破天荒な性格は親しみと同時に畏怖も感じるものだ。
自分程度の、ちょっとヤンチャな見た目というだけのファッションヤンキーが、万次郎の友達になれるのだろうか?
しかし、そんな武道の疑問を気にせずに万次郎は首肯する。
 
「そ、アレは多分アニキだよ。俺の蹴り避けれる奴なんてアニキしかいないし、俺の名前も呼んだ」
「なるほど……」
 
神主には佐野兄弟の機微は分からないが弟本人がそう言うならそうである可能性が高いだろうと考える。
 
「やはり祓ってしまうのが一番なのですが、お友達のお兄さんですか……」
 
困った様に眉を下げる。見ず知らずの悪霊ならともかく、知り合いの家族となれば話が変わる。禍根が残れば別の問題も発生するだろう、と。
しかし、その表情を見て万次郎はヘラリとわらった。
 
「いいよ、アニキだってタケミっちを害してまでこの世にいたくないでしょ。そんな判断もできない化け物になっちゃったなら、それこそ可哀相だ」
「そうですか……」
 
一目で無理をしているとは分からない、鮮やかな笑みだった。武道が憑かれてから二年、憑りつかれて二年ならそれなりに経っていると感じるが身内が亡くなってから二年ならまだ全然経っていない。
それが分かっているため、大人である神主と彼をすぐ傍で見てきた龍宮寺は沈痛な面持ちで万次郎を見た。
 
そして、唯一事態をよく分かっていない武道がきょとんとした顔で口を挟んだ。
 
「あの、まず何で幽霊さん祓う方向で話が進んでるんですか……?」
 
そろそろと小さく手を上げて一人話に付いて行けていない事をアピールする。
自分の悪霊なのに、どうして勝手に祓われてしまうのか、と。
 
「タケミっち、俺に気を遣わなくてもいいよ。タケミっちだってずっと兄貴に憑りつかれたままじゃ嫌でしょ」
「いえ、全然」
「は……?」
 
困った様に笑う万次郎に武道は心底分からないという顔で首を横に振った。
何か前提条件が間違っている。話が噛み合っていないと分かっているが、何が違うのか分からない。そんな様子だった。
 
「俺、幽霊さんに危害加えられたことないです。キヨマサとか、変な奴に絡まれてもいつも助けてくれました」
「それでもよぉ、憑りつかれてから妙な噂が立って孤立したんだろ?」
「まぁ人が離れたのは確かに幽霊さんのせいかもしれないけど、母さんも幼馴染も、オレの大事な人は全然気にしなかったし……」
「それでも生気吸われんのは困るだろ? 何か身体がダルいとか」
「いえ、全然。ちょっと最近シジミの味噌汁が沁みるなぁとは思いますが」
「あー、分かる」
 
思わず同意してしまった神主をギロリと睨んで万次郎は言葉を続けた。
 
「それでも、俺は俺のせいで兄貴が成仏できねぇのは嫌だ」
「……」
 
真剣に、ジッと目を見つめて言えばその眼力に武道は少しだけたじろぐ。
ご家族からしたらソレはそうかもしれない、と理解はできた。武道が悪霊を祓われたくないと思うのは恋慕からくる私情だった。
 
「そもそも、何でお兄さんは俺に憑いたんですかね? フツーならマイキーくんに直接憑くんじゃねぇの?」
 
少し分が悪いと考えて、武道は話を逸らす。雑談の中で一緒にいる理由が見つかるかもしれない、と。
 
「あぁ、ソレは単純に波長が合ったんだと思いますよ。憑りついた上に身体を乗っ取るなんて余程相性が良くなければできない芸当です」
「へぇ……」
「亡くなったばかりの力の弱い頃に武道くんの影に逃げ込んで、少しずつ生気を吸って力を付けたんでしょうね。普通なら憑りついた相手の身体を乗っ取るまで成長することなんて無いんですが……」
「乗っ取る、って……。幽霊さんがいなかったらオレ首へし折られて死んでましたよ?」
「……」
 
武道の言に神主が苦笑いを浮かべる。この上がり切ってしまった好感度を何とかしない限り祓いたいとは思ってもらえなそうだ、と。
 
「別に俺は憑りつかれたままでも特に問題ないんですけど、成仏してほしいならマイキーくんが元気な姿見れば成仏するんですかね? むりやり祓う事ないんじゃないかと思うんですが」
「今は問題が見えなくても後から何か出てくるかもしれないし、生気を吸われてるんだからやっぱり体調とかには僅かかもしれないけど影響があると思うよ。でもそうだね、祓うより成仏させたいって気持ちは分かるよ」
「ならまだ様子見で良くないですか?」
 
神主の言葉にならばと逃げを打つ。四面楚歌であるならば完全勝利を狙えば墓穴以外の結末はないだろうと気付いていた。
 
「いや、ここまで成長してしまったんだ。すぐに何かあってもおかしくない」
「え……」
「今僕らが選べるのは二つに一つ、祓うか共生するかだ」
「共生……そんなことできんの?」
 
神主の言葉に武道よりも先に万次郎が反応した。
 
「難しいし、かなりの覚悟がいるけどね」
「ふぅん? どうやって?」
「結婚、だよ」
「は?」
「相手が相手だから正しくは冥婚だけどね」
 
冥婚とは、生者と死者に分かれた者同士が行う結婚のこと。陰婚、鬼婚、幽婚、死後婚、死後結婚、死霊結婚などとも呼ばれる。一つには、神話・伝説等の物語の上で、そのような境遇の男女が行うものを言い、いま一つには、結婚と死生観に関わる習俗の一つとして現実に存在するものを指して言う。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
神主の言うことがよく分からずに武道は携帯で謎の単語の検索をかける。
そして出てきた検索結果にますます分からない様な何となく分かった様な気分になる。つまり自分と幽霊が結婚する、という事らしい。どうしてそうなった、とコテンと首を傾げた。
 
そんな武道の様子に神主はまぁそうだろうなと苦笑いを浮かべ説明を重ねる。
 
今回の冥婚は通常のソレとはまた違う呪術的契約になる、らしい。神主が言うにはであるのでその詳しい事は武道達には分からなかった。死が二人を別つまで、ではなく武道が死後、幽霊のモノになるという契約だ。それまでは武道に危害を加えられない。しかし、その後、死しても離れられない呪いの様な契約。それが神主の言う冥婚であった。
 
「へー」
「タケミっち……」
 
ぼへーと神主の話を聞く武道を万次郎は睨みつけた。
そんな事はしなくていい、と。死ぬまで化物に取り憑かれ、死してなお離れられないなど武道にとって迷惑でしかなく、そこまでして兄をこの世に留まらせる理由は無いのだと。
言葉を尽くし、時に威嚇しながら万次郎は武道を説得しようとした。兄はこの2年間で既に武道の人生を大きく捻じ曲げたのだと理解していたから、コレ以上はダメだと思う事ができた。そして何より、先日出会ってから今日までの数日、纏めてしまえば1日にも満たない時間でこの男が悪い奴ではない、苦しむべきではないと感じた。
だからどうか、自分のせいで苦しんでくれるな、と。
祈るような気持ちで言葉を紡ぐ。
 
しかし、そんな万次郎の必死の説得にも武道が心打たれる事はなかった。
申し訳ないなぁ、くらいは思うが根本的に武道の心は既に決まっている。
 
「うーん、でも良いですよ、冥婚。しましょうよ」
「はぁ?! 正気かよ!?」
「少なくとも俺が生きてる間は生気を供給して、代わりに幽霊さんは俺を守ってくれる。死んだらどうなるのかはまぁ具体的には分かりませんがそれはその時です」
「お前あんがい無茶苦茶だな」
「へへ」
「褒めてんじゃねぇぞ」
 
万次郎は声を荒らげ、龍宮寺は呆れた顔でため息を吐いた。
神主も龍宮寺と同じく呆れ顔であるが、何となく納得した様な表情であった。
 
「さて、もう武道くんの心は動かないんだから話を進めようか」
「すみません」
「まぁ君の懐きようから予想は出来ていたさ。そうじゃなきゃこんな提案をせずに君の事をふん縛って強制的にお祓いでも何でもしていたしね」
「オッサン、今からでも遅くないからソレしてやってよ。俺は納得してない」
 
眉間に思いきり皺を寄せて不服ですと万次郎は全身で表現する。それでも腕力や脚力にものを言わせないのは負い目からだろうかと武道は考える。
 
「残念ながらこの国では“婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない”となってるからね。武道くんが乗り気な以上相手から拒絶される以外はしないかな」
 
もちろん民法では年齢制限があるがこの場でソレを指摘できる程の学がある者はいなかった。出展が憲法である事も子ども3人は誰も分かってはいない。
何だか大人がソレらしいことを言っているなぁ、と思うのみである。
 
「いますぐその結婚ちょっと待ったーって言ってタケミっちの手をとったら来てくれる?」
「もれなく新郎も憑いてきちゃいますね」
「はー、クソ。この世はクソだ」
「マイキー、諦めろ。もしくはアニキがショタコンじゃねぇって信じてやれ」
「無理でしょ。もう2年も手を出し続けた結果がコレじゃん社会人の兄が当時小学生の子どもに手ェ出したとかマジで無理」
「うーん、ごめんねぇ」
「俺、そんなつもりでタケミっちに今日から俺の兄貴ねって言ったワケじゃねぇかんな」
「……知ってるよ」
 
ジタバタと周囲に被害が出ない程度に暴れ、龍宮寺に取り押さえられている万次郎がジッと武道を見つめた。
 
兄が年下の男に手を出しているという事実も嫌には嫌なのであるだろうが、何よりも嫌なのは武道が犠牲になっていると感じる所なのだろう。兄と再会できたのは正直に言って嬉しいという感情が勝ってしまった。それがまた悔しくて歯噛みする。
他人の犠牲の上に成り立つ幸福などいらない。そう言えたらどんなに良かったか、と。
武道が大丈夫だと言ってるのだから良いじゃないか、と自分の我儘な子どもの部分が声を上げそうになる。あの時、兄が武道に乗り移った時の様に、また兄と話ができるかもしれない。そんな期待を持つ事すら浅ましい事だと分かっていながら、やめられない。
だからこそ、兄と武道の冥婚に断固反対という立場をとった。フリだけでもしなければならない。それが加害者の家族のとるべき姿勢だと龍宮寺に言われなくても分かっていた。
 
「……」
 
グッと下唇を噛む万次郎を武道はぼんやりと眺めた。
やっぱり、良い人なんだなぁと武道は思う。自分の事なんて気にせず踏み台? 生贄? 何て言えば良いのだろう。まぁそういう食い物にしてしまえばいいのにと考えて、でもきっとマイキーくんはそんなこと考えもしないのだろうと思い直す。
ただ亡き兄と再会できた喜びと、その兄が武道を害しているかもしれないという事実に心を痛めている。
東卍という暴走族の総長で、バイクを乗り回して、喧嘩して人を殴る。けして良い人では無いのだと分かっているけれど、兄を想い、武道を気に入って、情に厚い万次郎はその板挟みになっている。
 
だからこそ武道は、申し訳ないなぁ、とその悲し気な瞳に思う。
 
「オレね、実は真一郎くんが俺に憑いたのてっきり俺の事が好きだからなんだって思ってたんです。だから、マイキーくんの為だって聞いてちょっとだけ嫉妬しました」
「へ……?」
 
きょとん、と幼子の様に万次郎は目を見開いた。
その表情に満足して、武道はニンマリと笑った。
 
「マイキーくんは俺の犠牲の上でお兄さんがこの世に留まってるって思ってると思いますけど、俺は俺の意思でこうしてるんです。それだけは本当なんで」
「……うん」
 
武道のしてやったりの笑顔に万次郎は困った様に笑い返した。
二人のそんなやりとりが切れた所で神主が一つ柏手を打って空気を変える。
 
「さて、ご家族の理解も得られた所で儀式の準備を始めようか」
「準備ですか?」
「うん。一応結婚式だからね。まぁ今回は呪術的儀式でもあるし、結婚式としては簡略的なものになるけど」
「へぇー」
 
武道の全く分かっていないけどとりあえず感心しとけと言った感じの声を聞き流して神主は支度を始めた。
 
「武道くんは禊からね。社務所から出て廊下渡ると脱衣所あるから脱いで汲んである水風呂入っといで。結構冷たいかもしれないけど今日は暑いから余裕でしょう」
「えぇー」
 
中学校のプールの授業のシャワーを思い出して武道は顔を顰めた。どうしてあのシャワーと腰洗い層とか言う謎の窪みはあんなにも冷たいのか。
 
「お友達たちは僕と儀式の間の準備かな。おいで」
「えー」
 
文句を言いつつもしっかりと着いて来る不良少年達に神主はニコリと笑った。
 
 
・・・
 
 
無駄に冷たい水風呂から上がると白い着物が置かれている。誰かが入ってきた気配などは無かったハズだけどなぁと思いながら武道は何となくで襦袢に袖を通してみてコレであっているのか? と何度も首を傾げて襟を重ねて紐を結んでみる。
いや多分コレ違うな、と諦めようとした時、急にフワリと襦袢が浮き上がり触ってもいないのに襟が正され、紐が結ばれていく。
 
「おぉ……」
 
何となく、コレは真一郎がやってはいないのだろうと思い真一郎以外の怪奇現象に初めて会ったと武道は少し感動した。
鏡を見て、着つけられたのは白無垢ではなく死装束だなぁと思う。白無垢を着せられても困るが、これから行うのが普通の結婚ではなく冥婚である事を意識させられる。
 
「あ、そうだ。君もありがとね。俺じゃ着方分からなかったから」
 
視えるワケでも無いため、ふんわりと虚空に向かって礼を言う。
脱衣所を出て社務所に戻ればいいのかと、とりあえず廊下に出る。すると袖を引かれる様な感触がして武道は素直にそちらへと歩いて行った。
何となくそういうものなのだろうと理解していた。
 
袖を引かれるがままに付いて行くと注連縄に囲まれた部屋へと連れていかれた。
襖は開かれており、中で神主、万次郎、龍宮寺が待っていた。特に万次郎は儀式の支度が終わってから暇だったのかウトウトとしながら龍宮寺に寄りかかっていた。
 
「お待たせいたしました!」
「いや大丈夫だよ。ちゃんと彼女に付いてこられたみたいだね」
「はい、着物の着方とか全然分かんなかったんですがやってもらいました」
「ふふ、君は本当に順応性が高いねぇ。心配になるくらいだよ」
「えぇ、そうですか?」
 
和室の作法も何も分からない武道だったが何かでヘリは踏んではいけないと聞いた気がする、とそれだけ守って中へと入る。
美しい屏風に赤い敷物、そして三つの盃が並べられていた。
ドラマか何かで見た覚えがあるソレは神前式の結婚式で何回かに分けて飲まなくてはいけない酒だったハズだと武道は記憶している。
酒の匂いはまだ不慣れで、ツンとした辛みとねっとりした甘みの混ざった酒気は武道にはまだ早いと自覚している。
 
「あぁ、完全には飲まなくて大丈夫だよ。でもできれば少しだけ口に含んでほしいかな。呑み込めなそうだったら袖にしみ込ませちゃっても良いから」
「ソレはソレでちょっとやですよぉ」
 
武道の不安を言い当てた神主はニコニコと笑う。
 
「そこに座って、三々九度をして相手が応えてくれれば契約成立の簡単な儀式だから緊張もしなくていいからね」
「ここまでしてアレですけど、コレで俺フラれたら恥ずかしいですね」
「そん時は俺がシンイチロー殴る」
「またお前は……」
 
へりゃりと笑う武道に万次郎は仏頂面のまま声を掛けた。
結婚には反対ではあるが、兄が武道を振るのはソレはソレで生意気だと思っていた。此処まで手を出しておいて責任は取れませんなど許すハズもない、と。
 
「おぉう」
 
また、ふわりと急に盃が宙に浮く。死装束を着せられた時と同じだと武道は思うが初見の万次郎と龍宮寺は驚いて目を見開いた。かろうじて、儀式が始まったのだと言う意識があったために盃を思わず攻撃してしまうなどはしなかったがその表情は年相応のもので、武道は二人のリアクションに何だかリラックスする様な気持ちになった。
そして、盃を受け取れば今度は神酒が注がれる。器が宙に浮く様は少し前に流行った魔法映画のワンシーン見たいだとどこか余裕のある頭の片隅で武道は思った。
 
「んく……」
 
三回に分けて少しだけ口に含むがその苦みと絡みに武道は思わず呻いて涙を滲ませてしまった。飲み切れずに盃を返せば気にしていない素振りで視えない何かはソレを受け取った。
そして誰もいないハズの隣へと新たに神酒を注いだ盃が運ばれた。
 
少し緊張した面持ちで武道はその様子を見ていた。
 
すると、誰もいないハズの底にズズ、と影が浮かぶ。そしてその影は盃を受け取り三度に分けて神酒を煽る。武道とは違い、しっかりと飲み干したらしい盃は空になっていた。
 
「っ!」
 
目の当たりにした怪奇現象に少し驚きつつも万次郎はすぐに苦虫を噛み潰したような表情に戻る。契約に応じても応じなくても気に食わない、と言外に言っているようだった。
 
そうして三献の儀が終わると影は武道の中へと戻っていく。
 
何となく、身体が暖かい様な気がしたが単純に酒気が回ってきたのかもしれないとも考える。
 
「お疲れ様、コレでとりえずそのお兄さんは君に危害を加える事ができなくなったから。また何か変な事があったりしたらすぐに連絡してね」
「あ、はい……」
 
特に何が変わったという感覚も無いけれども、きっと本当にただの儀式だったのだろう。
武道と真一郎の関係は何も変わっていなかった。
 
悪霊と、憑りつかれた少年。
 
きっとこの先もこの関係は変わる事が無いのだろうと何となく武道は予感していた。
死が訪れた時、やっと先に進むのだろうその時をゆっくりと待つ事に決めた。