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ラスナイ、断章


若気の至り、というものがある。
リーゼントに鉢巻で仲間を率いてバイクで暴走したり、脈が無い女の子に告白をして20連敗したりなどだ。
そんな青春の思い出の一つに出会ったばかりの同性とのワンナイトを含めるのはどうだろうか、と真一郎は溜息を吐いた。
 
雨の夜に濡れネズミになっていた少年は明らかにワケありで、そういう少年たちを集めた暴走族を率いていた真一郎には特に珍しいものでも無かったハズだった。
それなのに、何となく放っておけなくて、声を掛けてしまった。歳の離れた弟妹きょうだいがいて、元々善性の強い性格をしていたために年下に見えるその少年に庇護欲が湧いたのかもしれない。
何よりも想定外だったのはその少年が明らかに真一郎をそういう意味で誘って来たことだった。普段なら年下の同性の誘いなど歯牙にもかけないのに、異様に細い身体や熱っぽい視線に何故かその気になってしまった。
その日は最後までする前に少年が煙の様に消えてしまい、未遂で終わった。もしやあの少年は色情霊というヤツだったのだろうかと考えたり、モテなさすぎる故に妙な幻覚を見てしまったのかと悩んだりもした。
しかし、そんな苦悩も二度目に少年に出会ってしまえば何処かへと霧散してしまった。前に会った時よりも少しだけ健康的な見た目になった少年に安心しつつも“絶対に逃がさない”という獣欲が鎌首をもたげる。
相手が何なのかも分からないが、繋げた身体と心は満たされ幸福感でいっぱいになる。セックスとはこんなにも心地が良い物なんだなぁ、と脱童貞したの感想を抱いた。
抱き締めた身体が柔らかく、こんなにも生の感触がするのにコイツは幽霊なんだと不思議な気持ちになった。
ピロートークもそこそこに再び消えてしまった少年を想う。生霊ならいつか本体に会いたい、と。
 
雨の夜に時々出会える不思議な少年との邂逅は十代の青春の間だけのものだった。
こんなにも溺れてしまったのに、不良をやめた途端にパタリと見なくなってしまった。そんなにも不良がお好みだったか、とくさくさする心を抱えて夢だったバイク屋の準備をする。
 
そんななんて事の無い、刺激は無くとも幸せな日々が崩壊したのは一瞬だった。
弟の万次郎が事故に遭い、その介護のために何もかもを諦めた。希望はただ一つ、奇跡が起きて絶望的と言われた回復を万次郎がすることだけだった。
そのためにならどんな胡散臭い宗教や治療にも手を出した。妹と祖父は憔悴してく真一郎と共に弱っていった。青春時代の友人は真一郎の零落を期に道を外れた。何もかもが悪い方向へと転げ落ちているのが自分でも分かる。いっそ万次郎を諦めて他の全てを救いあげた方がまだマシな未来に繋がるのではないかと何度も考えた。
 
しかし、真一郎には弟を見捨てる決断は選べなかった。

夢、家族、友人、たくさんのものが掌から零れ落ちた。生きながらに死んでいるも同然の弟と、その弟をいまだに慕ってくれている弟の友人だけが真一郎の傍にいた。一人、ヤクザ者になった友人がたまに連絡をくれるが、それだけだった。幼馴染よりもその弟の方が傍にいるようになった。
真一郎を慕った者ではなく、万次郎を慕う者が真一郎の傍にいる現状に自嘲を零す事もある。幼馴染の弟が万次郎の悪口を言った者を真剣で叩き斬ったと聞いた時は流石に驚いたが、そこまで万次郎を好いていなければきっと何もかもを失った自分の傍にはいないのだろうとも納得する。
 
そうして真一郎が何もできないままに、弟に最期の時が訪れた。
何もかもを失ったのだと分かる。葬儀を終え、ヤクザになった友人が真一郎に手を差し伸べた。何もかもを奪われた自分が奪う側になる想像に感慨は無かった。弱い者イジメは性に合わない、犯罪者になるのは嫌だ、そんなことを思う余裕は真一郎には無かった。
 
しかし、そんなものは机上の空論だと分かった。
呪いを継承させるためにか、その浮浪者の男は自分からタイムリープの能力を奪えと煽る。そして真一郎は煽られるままに男を撲殺した。
そして、自分がしてしまった事にショックを受ける。奪うために人を殺してしまったのだと気付いた。自分のその浅ましさに吐き気がする。
ヤクザになろうと思っていた数時間前の自分を嗤ってやりたかった。お前にそんな度胸は無い、と。
 
家族も、未来も、自身の矜持さえ失った。
もう何も残っていない空っぽの自分が生きている意味は無いと身を投げる。
 
雨の日に思い出す事はもう何もなかった。
 
卍卍卍
 
自死をトリガーに真一郎は過去へと戻り、万次郎の死を回避して未来へと戻った。
どこか見覚えのある子どもにタイムリープ能力を継承して、真一郎はゆっくりと今の世界に馴染んでいった。
あのまま地道にバイク屋をやっていれば4年後には自分の店を持つことができたんだなぁ、と感慨深く思うと同時に今の真一郎は4年間看護の勉強をしていたために大きなブランクがある。案外忘れていなかったバイクの知識や身体が覚えていてくれた機械いじりの作業に安心しつつ、全く覚えていない会計の知識や顧客情報にてんやわんやする。
家族や友人、客に不審がられながらも少しずつ思い出す光景の中にあの雨の日の少年がいた。

「お前、そんな所にいたのか……」

少し健康的になったくらいでそれ以上の成長は視えない幽霊の少年。成長をしない所を見ると生霊でも無いのかもしれない。前の世界の万次郎の様にやつれていない事が今の真一郎には救いの様に感じた。
万次郎を失った自分の前には現れなかったが、失わなかった間の過去の自分の前には現れていたらしい。雨に濡れたどこか婀娜っぽい少年だったが、昼間のバイク屋で自分を見つめる瞳は十代前半の輝きがあり、この少年に手を出すことは過去の自分にはできなかったのが分かる。
流石に23歳になった今、弟とそう歳の変わらなそうな少年に手を出すのは憚られた。
中途半端に手を出すのも可哀相で、真一郎は少年を横目で視つつも見えないフリをした。
そしてウロチョロする少年を見ているうちにある事に気付く。
 
この少年は、タイムリープ能力を渡した子どもに酷似している。
雨に濡れた不健康で婀娜っぽい印象が強かったが、こうしてキラキラした健康的な様子を見ているとあの子供が成長したらこうなるのではないかと思う様になった。
もしや、あの子どもが死んでしまって化けて出てきているのではないかと突拍子もない事を考える。タイムリープ能力を継承してしまったために、あの子もまた呪われたのではないかと、友人の頬を裂いた弟のことを思い出し血の気の引く思いをした。
しかし、元気そうな少年を見るとやっぱり違うのではないかと思い直す。結局、少年が何なのかは真一郎には分からないままだった。
 
そして、万次郎の誕生日を目前にしたある日、タイムリープして初めて真一郎は少年と出会った。
過去の自分の記憶のままの健康的な少年だった。
しかし、どこか今までに見ない深刻な表情をして真一郎を見つめていた。

「あのさ、俺。これから死にに行くかもしれねぇんだ」

無視をしようと思っていたのに、その言葉に出鼻をくじかれる。驚いて見開かれた目は少年からは見えない角度のハズだが、動揺を悟られてはいないかと心配になる。

「今度でっかい抗争があってさ、人が死ぬかもしれないとんでもないやつ。……怖くて仕方が無いんだ。でも、やらなきゃいけねぇんだ」

真一郎の心境を知ってか知らずか少年は言葉を続けた。見た目通りに不良をやっているらしいと元気そうな様子に安堵するが、人死にがある抗争など黒龍を率いてきた真一郎だって経験はしてない。
少年の生きているのがどこなのか、いつなのか何も分からないが随分と物騒な場所にいるらしい。

「アンタが生きてたらっていつも思うよ」
「……ッ」

思わず声を上げそうになるのを必死に堪えた。死んでいるのは自分なのか、と。
幸せな世界を勝ち取ったつもりだった。しかし、まさかコレはあの日、身を投げた自分が見ている夢だったのか。様々な可能性が頭の中を巡り、消えていく。
少年の言葉に反応したくてたまらないのに、声を掛けたら何もかもが消えてしまうのではないかという恐怖もあった。

「アンタを殺した男たちを、俺は今から助けに行く。自分でも馬鹿みてぇだって思う。強盗したんだって、マイキーくんの誕生日プレゼントにアンタが用意してたバブをあげたかったんだって」
「……」
「ホント、馬鹿。アンタ首を折られて即死だったって」

強盗、万次郎の誕生日、バブ、首を折られて死ぬ自分。
少年の言葉から少しずつ情報を得て、真一郎は状況を整理する。
少年が話しているのは恐らくこれから起こる先の話だ。つまり、少年はやはりあの子どもで、タイムリープ能力を使ってこの場に来ているらしい、という事だ。真一郎がした精神だけの逆行ではなく、身体ごと霊体としてタイムスリップしている。
どうしてそうなったのかは真一郎にも分からないし、自分のタイムリープのことだって浮浪者を殺して得て、子どもに継承したという事しか分かってはいない。
しかし、一つだけ納得したのは自分がこれから殺されるという事だった。
あの浮浪者が言っていた「呪われろ」「オレと同じ」「殺すことを選んだ」という言葉が反芻される。あの浮浪者を殺した様に、自分もまた殺されるのだろう。
先に子どもに能力を継承していて良かったと安堵した。この負の連鎖をきっとこの少年なら止められる。無責任な確信が真一郎にはあった。

「でもさ、ソイツ等が死んだらマイキーくん悲しいんだって」

 少年の言葉を聞いて真一郎は「ほらな」とほくそ笑んだ。

「ホント、救えねぇよな。今度のおっきな抗争で、アンタを殺したソイツ等が死ぬのが視えた。正直、死んじまえよ、って思った」

きっとその言葉は少年の本心だろう。
この少年は、タイムリープまでして死ぬ前の自分に会いに来たのだ。数度、肌を重ねた感触を真一郎は再び思い出す。
もう再び抱く事は無いが、愛しさだけはまだ心の隅に残っていた。きっと少年も同じなのだろうと思う。

「でもさ、見殺しにしたら、俺は、俺の思う、アンタみてぇなカッコいい不良には永遠になれねぇんだよな。しかも他のチーム同士の抗争に茶々なんか入れたらどんな目に合うか分かんねぇ。審判のチームに袋叩きにされるかもしれねぇし」

あの頃の、絶頂期の自分だけを知っている少年に少しだけ今の自分を申し訳なく思う。  人を殺して得た能力で過去を捻じ曲げた自分はもうあの頃の自分とは別物だろう。
ソレが、バレなければ良いと思った。

「でも、俺、アイツ等守りに行くよ」

この少年の瞳が曇らなければ良い。真っ直ぐに前を見つめ、正しく生きてほしい。
ソファで、真一郎を見ないで訥々と話す少年にゆっくりと近付く。自分に近付く気配に気付けないなんて不良としてまだまだだと少しだけ呆れて、しかしソレもまた愛しく思った。

「好きにしな。お前は、お前だ」
「え」
「コレ、死なねぇおまじない」

 そして、頬に手を添え、ジッと青い瞳を見つめた。

「頑張れよ」

唇にキスを落としたのは、少年への激励と共に、これから死に行くらしい自分への最期のご褒美の様なものだった。あの子どもにリープ能力を渡したのは間違いではなかったのだ、と。
 
また溶ける様に消えてしまった少年の感触を噛み締める様に脳裏に刻む。
自分だって、ただで死ぬつもりはなかった。
万次郎の誕生日までに起こるであろう自身の死までにやれることはたくさんあった。
 
「あー、せめて最期に抱いときゃ良かったかなー」
 
格好つけて、大人ぶった対応をしたことを少しだけ後悔しながら、真一郎は晴れやかな気持ちで背伸びをした。